1 . 「今みていた夢には,女性が登場しましたね?」このように夢の内容を解読できる技術がATR脳情報研究所の神谷之康室長ら( 44 )開発された。睡眠中の脳の活動パターンを解析することで、夢にあらわれた物体の情報を高い精度で言い当てられるという。夢の内容を客観的に知る技術ははじめて。成果は科学誌『Science』オンライン版(アメリカ東部時間2013年4月4日発行)に掲載される。
研究では、脳の血流の変化などを( 45 )活動量を計測できるfMRI(機能的磁気共鳴画像)装置内で、脳の活動を記録しながら被験者に眠ってもらった。頭部に装着した脳波計で眠っているかどうかをモニターして、夢と関連の強い脳波が出た時点で被験者に声をかけて起こし、直前にみていた夢の内容を30秒ほどで口頭で報告してもらう。この一連の過程を、3人の男性被験者それぞれに対してのべ200回ほど行った。
次に、報告された夢の内容に含まれる「男性」や「本」、「道路」といった約20のカテゴリーの名詞に対応する画像を被験者に見せ、そのときの脳活動のパターンもfMRIで記録した。( 46 )、それぞれの名詞に対応する脳活動のパターンのデータベースを被験者( 47 )つくりあげた。それをもとに夢をみていた際の脳活動を分析した( 48 )、男性や本、道路といった特定の物体が夢に登場したかどうかを、おおむね70%以上の精度で当てられたのである。
科学雑誌Newton 2013年4月5日(金)3時13分配信
1.A.にとって | B.にたいして | C.によって | D.につれて |
A.もとに | B.もって | C.めぐって | D.はじめ |
A.こうして | B.そうして | C.ああして | D.どうして |
A.たびに | B.ごとに | C.ことに | D.おきに |
A.かわりに | B.しだい | C.くせに | D.ところ |
2 . ずっと一つの疑問が解けないままだった。
「最もエネルギーにあふれているはずの自分のからだが、なぜこんなにもだるく疲れているのだろうか」
二十代のある日、野口晴哉の本の一節を読んだとき、ひっかかっていたこの問題が氷解した。私の記憶に残る一節の趣旨は、こういうことだ。
だるい状態とは、エネルギーがなくて疲れている状態ではなく、むしろ逆にエネルギーが過剰な状態である。私たちは、しばしば、だるさと疲れを混同してしまっているが、両者は正反対の状態なのだ。疲労しているならば休む必要があるが、だるいときは動く必要がある。
これを読んだときに、なぜ中学以来あれほど「かったるかった」かが理解できた。あれは、疲労感ではなく、エネルギーを注ぐ場所を見いだすことができずに、エネルギーが滞留した不快感だったのだ。いわば、きちんと疲労することができないでいる状態が、あのかったるい身体であった。心地好く疲れる場所を探していたのだ。
、疲労感とだるさが対照的な感覚であるとすると、二つを混同してしまう私たちの身体感覚は、いかにも鈍すぎはしないか。この感覚の鈍さは、つまり、次に自分は休むべきなのか、それとも動くべきなのか、が自分でわからないということでもある。エネルギーの充電と放散のリズムが掴めない身体感覚の鈍りは、近代的身体に固有の現象ではないか。だるさと疲れを感じさせる何かの仕組みがあるのではないか。
(齋藤孝『くんずほぐれつ』文藝春秋による)
1.「だるく」感じるのはどのような状態のときか。A.体力がなくなっている状態 |
B.力が必要以上にたくさんある状態 |
C.疲れているため気持ちが悪い状態 |
D.エネルギーが切れそう状態 |
2.筆者は、自分のからだがだるくなる理由をどうとらえているか。
A.疲れて不快だと感じていたから |
B.疲れたとききちんとからだが感じなくなっていたから |
C.エネルギーを消費できないでいる状態だったから |
D.心地よく疲れがとれる場所が見つからなかったから |
3.この文章で筆者が言いたいことは何か。
A.若者のエネルギーにあふれている身体はだるいと感じやすいのではないか |
B.十代や二十代の若者にとってだるい身体を休める場所を探すのが難しいのではないか |
C.疲労感とだるさを混同してしまうのは若者固有の現象ではないか |
D.身体の感覚の鈍さは昔からあったものではなく、最近になって表れたものではないか。 |
A.それとも | B.それから | C.それにしても | D.加えて |
A.だるい身体 | B.だるくない身体 | C.疲れた身体 | D.疲れていない身体 |
3 . 日曜の午後、聞く( 44 )ラジオを聞いていると、優しい音楽が流れて来た。小鳥の声や川のせせらぎを思わせる音なども交じった不思議な曲である。目を閉じて聞いていると、どこか高原の澄み切った空気の中にたたずんでいるような気分になってくる。
曲が終わって、作曲者の紹介があった。視覚障害というハンディキャップを負った青年ということである。彼は幼い時から風や水、鳥など周囲の自然の音に非常な興味を示し、それらを即興のメロディーに口ずさんでいたそうだ。両親は息子の感受性や才能を信じ、音楽家に指導を依頼した。訓練は常に順調という( 45 )が、その過程にあって希望を失わず、一つまた一つ曲を作っていく( 46 )、人々の鑑賞にたえる作品が生み出されるようになったという。
この間の家族の協力は並たいていのものではなかったようだ。( 47 )母親に至っては、昼夜と( 48 )、息子と苦楽を共にしてきたという。今、青年は困難を乗り越えて到達した、喜びに満ちた爽やかな境地を、その曲をもって語っている。
昨今の家族の崩壊に伴う家庭内暴力事件など、聞くにたえないニュースの多い中でこの青年と家族の話を聞き、その美しい曲と相まって、わたしの心には一筋の温かい光が差し込んできたようだった。
1.A.ともないで | B.ともなしに | C.ともなくて | D.ともなって |
A.はずにはいかない | B.わけにはいかなかった |
C.はずではなかった | D.わけではなかった |
A.うちは | B.うちに |
C.なかに | D.なかは |
A.ものに | B.もので |
C.ことで | D.ことに |
A.はなさず | B.いわず |
C.問わず | D.しゃべらず |
4 . 地球の温暖化とは二酸化炭素などの温室効果ガスの増加により、地球の気温が高まり、自然や生活環境に各種の悪影響が生じる現象です。
温暖化と㏇₂の間には、深い関係があるとされています。特に、ここ数年の地球の平均気温の上昇と大気中の㏇₂濃度の上昇の関係をみれば明らかです。地球の気温は、地表が受けるエネルギーの量と、地表から宇宙へ放射されるエネルギーの量、そしてこれらのエネルギーの流れ方で決まります。地表が受けるエネルギーは、太陽エネルギーが量的圧倒的に多く、全エネルギーの約99.8%をしめています。 、石油や石炭、天然ガスなどの化石燃料を燃やすことで発生するエネルギーは、太陽エネルギーの2万~3万分の1に過ぎず、地球の平均気温に対する影響はほとんどありません。地表に届いたエネルギーがすぐに宇宙へ放出されると地球の平均気温はマイナス18度ぐらいになりますが、しかし実際は、大気には温室効果ガスと呼ばれれる気体があって、太陽から地表が受けたエネルギーの一部を地表に留めてあり、その中のCo₂は生物が酸素呼吸をする際に発生するだけでなく、化石燃料を燃やすと大量に発生します。問題なのは、人間がCo₂などの温室ガスを必要以上に発生させていることです。
1.地球の温暖化になる原因は何か。A.地球気温の上昇 | B.Co₂の発生 | C.温室効果ガスの増加 | D.人口の急増 |
A.太陽光線によるエネルギー |
B.化石燃料の燃焼によるエネルギー |
C.生物の呼吸 |
D.気温の上下変化 |
A.地球の気温を一定に保つ |
B.地球の気温を上げる |
C.地球の気温を下げる |
D.地球の気温を上下させる |
A.ですから | B.すると | C.確かに | D.一方 |
A.化石燃料を使うとCo₂は増える |
B.温暖化は人間の生活環境を変える |
C.地表が受けるエネルギーでは太陽が最大である |
D.化石燃料を燃やすと地球の気温があがる |
5 . 車のカギを拾った。うちの隣のマンションの駐車場の入り口に落ちていたから、おそらくそこに住んでいる人のものだろう。困っているかもしれない、早く届けてあげたい。などと思案しているうちに、私は、小学生のころ、家のカギを落とした時のことを思い出した。
落としたことに気づき、私は、泥棒がそのカギを拾うことを想像した。泥棒は、夜中に近所の家を一軒一軒回り、カギの合う家を探す。そして、泥棒は私の家にたどり着く。カギ穴に鍵を差し込んで玄関を開け、泥棒は家の中へ押し入ってくるのだ。私はすっかりおびえてしまい、親に頼み込んで、とうとう家のカギを付け替えてもらった。
さて、この車のカギだが、夜中に駐車場に行って、一台一台ドアに差し込んでみようか。そうすれば、②いずれ持ち主が分かるかもしれないが、まさか③そんなことはできない。私はいったんカギを持ち帰った。紙に「車のカギを拾いました」と大きく書き、透明ファイルにカギと一緒にはさみ、駐車場とマンションの間の通路に吊るしておいた。
2日後、ファイルの中から紙とカギがなくなっていた。そして、かわりにメモが入っていた。そこには、こう記されていた。「ありがとうございました。助かりました。④あきらめていました。」
(上柿早苗の文より)1.①「家の力ギを落とした」とあるが、その結果としてどうなったのか
A.泥棒に拾われた |
B.泥棒に入られる夢を見た |
C.新しいのに替えてもらった |
D.しかたなく引っ越しをした |
A.カギはだれのか、そのうちに分かるだろう |
B.カギはどの車のか、そのうちに分かるだろう |
C.カギを落とした人はだれかみんな分かるだろう |
D.カギを落としたところはどこかみんな分かるだろう |
A.一軒一軒聞いて回る |
B.一台一台差し込んでみる |
C.一人一人聞いてみる |
D.一個一個比べてみる |
A.落としたカギが戻るのをずっと待っていたから |
B.落としたカギはもう戻らないだろうと思っていたから |
C.時間がずいぶんたって、もう待てなかったから |
D.時間があまりたたないうちに戻ってくるとは思わなかったから |
A.怯えて | B.脅える | C.帯える | D.佩える |
6 . 例えばある薬がある病気に効く、というような一番簡単そうにみえる事柄でも、考えてみるとなかなか難しい問題である。ある人が、ある薬を飲んだときに、病気が治ったら、その薬は効いた、とそう簡単にいってしまうことはできない。というのは、飲まなくても治ったかもしれないからである。
それでは、А一人の熱のある病人が、ある薬を飲んだら熱が下がった、次の日飲まなかったら熱が出たが、また次の日飲んだら下がった、というふうに、何回も繰り返してみて、その度、熱が下がったら、その薬が効いたと言っていいであろうと言われるかしれない。しかし厳密にいえば、病人の身体は、一日で変化しているので、同じ条件で何回も繰り返したのではない。それでB再現可能の原則は、近似的にしかなり立っていないのである。(中略)しかし、こういう場合に、科学はそれを取り扱う方法をもっている。それは統計という方法である。
それではこの問題を、実際にはどういうふうに取り扱っているかというと、それは同じような病気にかかっている大勢の人に飲ませてみるのである。大勢の人に飲ませてみて、百人のうち九十九人までの人が治ったとすれば、これは確かに効いたと言わざるを得ないし、また現に薬が効くというのは、Cそういう事なのである。これは一人の人間が何度も繰り返す代わりに、大勢の人間を一度に使ったので、やはり統計的な取り扱い方である。少し 違った条件にあるたくさんの例についておこなった実験の結果を、少しずつ違う条件にある一人の人について繰り返した場合と、同級に扱っているわけであるが、これは一つの仮定なのである。
1.А一人の熱のある病人の例で、薬が効いたと言いきれないのはなぜか。
A.もし効果が長く続く薬だったら、飲まない場合を設定するのが困難だから |
B.熱のある状態と下がった状態を厳密に区別することはできないから |
C.体質も病状も一定で、条件が同じでなければ効果がわからないから |
D.一人だけの例では環境に左右されるので、条件を限定できないから |
A.すぐ繰り返して実行すれば、誰でも同様の理論が導けるということ |
B.起こったことについて正確に記したら、見えないものでもよいということ |
C.同じ条件で同様におこなったら、再び同じ結果が出るだろうということ |
D.自然界のある事象が、どのような手段を用いても同じように出現すること |
A.確かに薬が効いたと言わざるを得ない場面 |
B.同じ病気の百人が薬が飲んで、九十九人が治ったという結果 |
C.統計の方法を、実際にどういうふうに取り扱うかという問題 |
D.一人の人間が何度も繰り返して同じことをするという実験 |
A.ずつ | B.ごとに | C.おきに | D.ことに |
A.病気が治った原因とは薬にあるとは限りません |
B.病人の身体は、一日にして変化しているので、同じ条件で何回も繰り返した |
C.科学や統計などどちらかというと前者のほうが圧倒的信用されている |
D.大勢の人間を一度にも使っていないので、やはり統計的な取り扱い方ではないと。 |
7 . 信頼できる友人ができないという悩みを持つ人がいる。たしかに、心から信頼できる友人を得るのはなかなかむずかしいことだ。考えてみれば人生には多くの出会いがあり、知人を得るチャンスは数多くある。学校時代に席を同じくしたというだけの仲なら、それこそ星の数ほどの出会いがある。だが、そのように数多くの人たちと出会っても、その中で本当の親友呼べる人は、ごくわずかな人びとのみである。
だからといって、自分には絶対に本当の友人はできないものだと決めてかかるのもよくない。だいいち、友人は雑草のように、何の手を加えなくても自然に生えてくるものではなく、自分で種をまいて、水をやり肥料をやらねば育てられないものである。つまり、友人を得るためには、本人の努力が必要だということだ。「信頼できる友人がいない」と嘆く人は、たいていの場合、この努力を怠り、自分の殻に閉じこもっていることが多い。自分から積極的に友人を得ようとするのではなく、自分の肩を優しくたたいてくれる人を待ち望んでいるだけだ。①それで友人ができるのなら、そんな虫のいい話はない。友人を得るためには、こちらからパフォーマンをもって、相手に近づいていく努力をしなければ決して得られるものではない。
では、どんな努力をすればいいかというと、やはり人が多く集まる場所に出かけて、多くの人と話をするのが早道だ。
私はどうやらパーティーが好きなようだ。少なく( )、嫌いではない。たしかに私はパーティーにお呼びがかかると、少々疲れていようが頑張って出席する。風邪などを引いて体調が悪いときでも、立ち上がれないようなとき以外はできるだけ出席する。
あなたも、何もパーティーに出席しろとは言わないが、積極的にさまざまな会合に出席してみることだ。同好会やサークル、あるいはカルチャーセンターの講座などに通ってみるのもいい。いろいろな場所に何度も足を運んで人と話をすることが、真の友人を得るきっかけになる。②食わず嫌いということばがあるが、黙って考えているよりは、まずは、そうした積極的な努力をすることが必要なのである。
1.①「それで友人ができるのなら、そんな虫のいい話はない」とはどのようなことか。
A.そんなに簡単に友人ができるものではない。 |
B.そのようにして友人を作るのが一番いい方法だ。 |
C.そのような態度から、植物に虫がついてしまうのだ。 |
D.そのような人は、雑草につく虫のように小さな存在だ。 |
A.積極的に友人を得ようと努力しても、なかなか友人ができない。 |
B.積極的に友人を得ようと努力すれば、必ず友人が得られる。 |
C.積極的に友人を得ようと努力しないため、人に嫌われる。 |
D.積極的に友人を得ようと努力せず、友人はできないと決めてかかる。 |
A.パーティーで優しく相手の肩をたたくこと |
B.風でも、パーティーには必ず出席すること |
C.人の集まるところへいき、多くの人と話すこと |
D.自分で水をやったりして植物を育てること |
A.食わず嫌い |
B.人間の魅力の育てる方 |
C.信頼できる友人 |
D.積極的な努力をすることが必要 |
A.とも | B.でも | C.ても | D.て |
8 . 日本人が大きな政府を嫌う理由として考えられるのは、日本人の公共心が、家族や職場、地域社会など狭い範囲に( 44 )及ばないということが考えられます。見知った者同士であれば助け合いの心があるのに、国という大きな単位では互助的な精神が生まれ( 45 )のかもしれません。
ただし、日本人の国民性がもともと競争嫌いで、貧しい人に冷たいということではないと思います。高度成長期に形成された価値観が、低成長や少子高齢化にうまく対応できていないということ( 46 )。
格差や競争( 47 )価値観も今後、時間をかけて変わっていくでしょう。価値観が経済システムを規定する( 48 )、経済状況が変われば価値観もまた変化するのです。ただし、社会の変化に価値観の変化が追いつかず、ギャップが生じる時期が生じます。そういう時期には制度もうまく改革できないので、さまざまな社会問題が生じてくるでしょう。1.
A.だけ | B.ばかり | C.しか | D.のみ |
A.にくい | B.やすい | C.がたい | D.っぽい |
A.ではないでしょう | B.ではありません |
C.ではないと思います | D.ではないでしょうか |
A.に関して | B.に関する | C.に対して | D.に対する |
A.ように | B.とおり | C.みたい | D.ために |
9 . ひとりの子どもの話です。仕事で疲れ切って、家ではごろごろしてテレビばかりを見ている父親はあまり存在感がない、まるで透明人間みたいだ、という子の文章がありました。これではいけない。子どもたちに、父親が働いている姿を見せたらどうか。そういう意見もあって、ある母親は子どもを連れて、父親が働く工場へ行くのです。その子が参観の日記を書きました。「友だちのおとうさんが、どこかの課長さんだとか、放送局につとめているとかいうとき、私はいつもだまっていました。『わたしのおとうさんは工場のコックさんだ』というのが、なんだかはずかしくてならなかったのです。でも、わたしは、きょうからそれが平気でいえるような気がします。」その子は初めて、白いコック帽をかぶった父親の働いている を見ます。野菜サラダを作っている。ぴっくりするほど早い手つきでてきぱきと仕事をすすめている。「今まで、あんなおとうさんを見たことがありませんでした。何かよその人のような気がするくらいでした。でも、やっぱりわたしのおとうさんでした。おとうさんは、はずかしそうな顔などちっともしていません。わたしだけが、なんではずかしがっていたのかと思うと、なんかわるいことをしていたような気がしました。」お昼のサイレンが鳴る。大勢の工員さんたちが集まる。「大勢の工員さんたちが、待ちかまえていたように食べているのを観ると、わたしまでなんだかうれしくなりました。みんな残さず食べてもらえるかと、じっとそれを見ていました。」現場を踏んだことで、子どもの父親観が変わるのです。みんなが残さずに食べてくれるだろうか。そう思ってじっと見ている子の心臓の音が伝わってきます。「お父さんの働く場所」という現場で、( )は家にいる父親とは別の父に出あうことができたのです。
1.「よその人のような気がするくらいでした」とあるが、それはなぜか。A.家で何もしない父親が生き生きと仕事をしていたから。 |
B.子どもが来たのに父親が無視して仕事をしていたから。 |
C.父親が会社の課長か放送局の人間のように見えたから。 |
D.父親に白いコック帽があまリ似合っていなかったから。 |
A.友だちに対してずるい |
B.父親に感謝したい |
C.友だちに対してひきょうだ |
D.父親にもうしわけない |
A.工員さんたち |
B.コックさんたち |
C.子どもたち |
D.工場の昼食 |
A.の | B.すがた | C.こと | D.もの |
A.子ども | B.課長 | C.母親 | D.工員さん |
10 . 2年前の話です。当時4歳の息子と、まだ首も据わらね3か月の娘を連れて、引っ越し直後の街で買い物をしました。
帰り道、1時間に2,3本のバスを待ち、いざ乗り込もうとしたら、ベビーカーが乗り口を通りません。運転手さんは冷たく「ベビーカーは畳んで」と言う。子どもたちに買い物袋、大きなベビーカー。乗客はわずか2人。私はバスを諦めました。
タクシーで帰宅しましたが、しばらく外に出るのが嫌いになりました。1カ月後、バスを乗り継ぐで約1時間かかる電気店へ行く用事ができ、怖かったけれどもバスに乗りました。
帰りのバスは夕方で混雑していました。半ば諦めかけていると、運転手さんが「大変だね。後ろのドアに回って」。続けてマイクで「お子様連れでベビーカーをお持ちの方が乗ります。おてすきの方はご協力を」と言ってくれました。会社員風の男性がベビーカーを持ち上げ、女性は息子の手を引いてくれました。
とても心が温まり、涙が出そうになりました。あの時名前を見て、お礼をしたかったと今でも思います。
(佐々木七海の分より)
1.「しばらく外に出るのが嫌いになりました」のわけは何か。A.バスが1時間に2,3本しかないから |
B.ベビーカーでバスに乗れないから |
C.バスの運転手が冷たいから |
D.タクシー代が高いから |
A.バスに乗ること | B.電気店に行くこと |
C.バスを待つこと | D.家に帰ること |
A.運転手の名前を忘れたので、お礼ができない |
B.運転手の名前を調べてお礼をしたい |
C.運転手にお礼をするのに、名前を見ておけばよかった |
D.運転手が覚えやすい名前だったら、お礼できたのに |
A.限らなく | B.仕方なく | C.言葉なく | D.かまわなく |
A.二人の運転手を比べてください |
B.ベビーカーでバスに乗れるようにしてください |
C.女の人が二人の子どもを育てるのは大変なのです |
D.助けてくれた人々に感謝しています |