目は口ほどにものをいう。それは単なる慣用句ではなく間違いない真理である。新人の役者で、やがて売れるなと思える人には、間違いなく目に力がある。私たちは「目力」といったりする。だから、稽古で役者の「目力」を鍛えようとしている演出家もいる。
しかし私はその訓練にはあまり意味を感じない。役者の「売れる」「売れない」は、生得的な部分が大きいように思うからだ。主役タイプか脇役タイプかは、キャリアを( ① )くれば、大体わかってくるものだ。無理やり「目力」をアップさせようとしてできるものだとは、思えない。
マンガ家も同じだ。売れるマンガ家の作品は、主人公の目に力がある。主人公の目が生きている。読者は、主人公の生き様にも共鳴するが、表情の中のとりわけ目に共感が持てないと物語に入ってこない。
残念ながら生身の人間では生得的な部分は変えられない。だが、コミュニケ-ションの技術としてのアイ・コンタクトは変えることができる。
子供のころに、よく大人から「相手の目を見て話しなさい」と教えられる。私は、子供の頃から気の強い方ではなく、相手の目を見るのが苦手だ。何とか、頑張って自分を変えなければ役者に申し訳ない、と一念発起して、意識して相手の目を見て話すようになったのが、四十代の半ば近くになってからである。それでも、ストレスは大きい。
よく考えてみると、目を見て話すというが、実際にはどの程度見ればいいのか。それを具体的に教えてくれた人はいない。まったく相手と目を合わさずに話すのは論外だが、相手をじっと見つめて話したら、やはり奇妙である。
実際に会話の最中に目を見ている時間は意外に短い。二者間の会話で、通常は30~60%である。60%見たら、相当親密な関係だといっていい。では、両者の目が合っている時間はどのくらいか。そのうちの10~30%である。その辺りが「目を見て話す」状態である。だから、( ② )。
また、連続して目と目が合う時間は、一秒程度である。それ以上合うとストレスが生じる。若い恋人たちは、お互いの目を信じられないほど長く見合っているが、あれは「恋の病」という病気ゆえである。
一般には、女性の方がアイ・コンタクトの時間が長い。そして、自分が話しているときより、
聞いているときの方が相手を見ている時間が長い。この女性の特性がわからないと、相手の発しているノンバーバル・メッセージを取り違えてしまう。「あんなにじっと目を見て話してくれているんだから、自分に好意を持っているに違いない」というのがそういう勘違いの代表例である。そもそも女性にはそういう特徴がある、と肝に銘じておいたほうがよい。
(竹内一郎『人は見た目が9割』新潮新書 刊)
51.
「目は口ほどにものをいう」はなぜ「間違いない真理である」のか。A.役者はみんな新人の時には目に力があるから |
B.役者の目を見ればその人がどんな役をやりたいかがわかるから |
C.実際に売れる可能性がある役者は目に力があるから |
D.目の力が強い役者の人は何の役でもできるから |
52.
「私はその訓練にはあまり意味を感じない」と筆者がいうのはなぜか。A.役者の才能は生まれつきで、目の力をトレーニングしても効果がないから |
B.役者が目の力を訓練するのは大変なことなので、あまり効果がないから |
C.役者には目の力が強くなくても成功している人がたくさんいるから |
D.役者の目の力は自分で訓練して強くしていくしかないから |
53.
( ① )に入る適当なことばはどれか。54.
「物語に入ってこない」とは、どういうことか。A.マンガのストーリーが読者にはわかりにくいということ |
B.マンガが読者の経験とは違うということ |
C.マンガを読む人と描く人では目の力が違うということ |
D.マンガの読者がそのマンガの内容に引き込まれないということ |
55.
( ② )に入る適当なものはどれか。A.少しは目を見ているわけである |
B.そんなにも目を見ているわけである |
C.少しも目を見ていないわけではない |
D.それほど目を見ているわけではない |