これは終戦後間もないころ、①友人から聞いた話である。彼はだいたい慎重な運転をする男だったが、ある日のこと、横町から突然、そば屋の青年が自転車で飛び出してきて,彼の自動車と衝突してしまった。
幸い青年に怪我はなかったが、自転車はめちゃめちゃ。早速大勢の人垣ができ、警察官もやってきた。友人が「私に責任はない。その青年の不注意だ。」と主張すると、その話を聞いた警察官は、②「とにかく5000円払えば立ち去ってもよい。」と言ったという。
友人が、「ちょっと待ってください。私には落ち度がないのに、なぜ罰金を・・・・・・」と③問い返すと、彼は「いや、罰金じゃない。青年がかわいそうじゃありませんか。」と答えた。その青年はおそらく店にいられなくなるだろう、だからせめてめちゃめちゃになった自転車の代金の一部だけでも、と警察官は考えたのだろう。
④悪くすると、これは大きなトラブルになりかねない。友人は根が日本びいきで、日本語も日本人的心情も理解していたから、それ以上の論争にはならなかったが、そちらがよいか悪いかの問題ではなく、西洋と日本では、法や正義に対する考え方が、全く違うことが分かる。この警察官の考え方の中には、正義とか法とかいう理念よりも、きめて日本的な情けや情けといったものが深く入り込んでいたのである。
これは、実に人間味のある態度、考え方で、友人の話を聞いた私は⑤大いに感動した。理屈や理性だけで判断を下すのではなく、その前後の事情や個々の状況を参考にして、より人情味にあふれる決定を下すというのは、まさに人道的だと思う。
西洋的な法の観念に慣らされた者が、このような日本的心情を理解するのはかなり難しいことであるが、こういった不合理な部分が許されるからこそ、日本は世界でも珍しく住みよい、人間の触れ合いのある国でいられるのではないだろうか。これらは、日本人の自らの長所として、もっと自覚し、誇りをもってよいことである。
しかし同時に、こういった情けは、何とも定義しにくいものであり、客観的な法の理念の中に入れることは、なかなか難しい。そして、もしそれを許すなら、しまいには人権を守ることさえできなくなってしまう。
1.①「友人から聞いた話」の内容に含まれるのは、次のどれか。A.事故で大勢の人が死んだ。 | B.事故でけがをした人はいない。 |
C.事故で友人は大怪我をした。 | D.事故で自動車が使えなくなった。 |
A.大勢の人が見ていたから。 |
B.自転車は当時5000円くらいだったから。 |
C.筆者の友人には責任がないから。 |
D.青年の立場に同情したから。 |
A.自分に罪はないと思ったから。 |
B.まわりの人々に罪があると思ったから。 |
C.青年に罪はないと思ったから。 |
D.警察官に罪があると思ったら。 |
A.青年がその事故で病気になったりすると |
B.警察官がその青年にお金をあげたりすると |
C.私がそれをほかの人に話したりすると |
D.友人がそれを法的に問題にしたりすると |
A.青年には怪我がなかったから。 |
B.法と正義の理念が実現されたから。 |
C.警察官のやり方が人道的だったから。 |
D.友人がそれ以上論争しないかったから。 |
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【推荐1】日本では少し前までアイスクリーム(冰淇淋)は夏の食べ物でした。夏は暑いから、冷たいものを食べました。寒いときには暖かいものを食べたのです。ですから、それを冬(ア) と思った人はホテルや喫茶店などへ行かなければなりませんでした。自分のうちの近くのスーパーにはありませんでした。
(イ)今では違います。私たちは雪が降っているときでも、食べることができます。部屋の中は冬でも暖かいから、ときとき冷たいものも食べたくなります。それでスーパーへ行って買ってきます。今ではホテルや喫茶店へ行かなくてもいいのです。私は今、食べたいと思った時に、いつでもアイスクリームを買うことができるのです。しかし、一年中あるものは(ウ)、塩や醤油と同じです。子供の時は、夏に食べると、次の夏までは食べられませんでした。20年ぐらい前まではそうだったのです(①)。子供たちはアイスクリームが食べられる季節になるのも長い間待っていました。たぶん、待っていたことがよかったのでしょう。いつでも食べられるものより、それ(②)はおいしいのです。
1.(ア)に入れるのに最も適当なものを選びなさい。A.食べない | B.食べられない | C.食べよう | D.食べる |
A.また | B.しかし | C.したがって | D.だから |
A.珍しくありません |
B.アイスクリームだけではありません |
C.買いません |
D.値段が高くありません |
A.長い間待っていたのです | B.食べたいと思ったのです |
C.珍しくなかったのです | D.大人しか食べられなかったのです |
A.ホテルの高いアイスクリーム |
B.長い間待っていたアイスクリーム |
C.冬食べたアイスクリーム |
D.塩や醤油 |
【推荐2】昔、ハチ公は東京大学農学部の教授だった上野英三郎という博士の家の犬で、子犬の時に博士の家にもらわれてきました。博士が大学に出かける時、ハチ公は家の近くの渋谷の駅1. 毎日必ず博士を待っています。夜、博士が帰って来る時間になると、また駅へ博士を迎え2. 行くのです、ハチ公はどんなに3. (遅い)ても、必ず駅の前で待っているのです。
でも、1925年5月21日、ハチ公に送られて大学へ4. (行く)た博士が、突然倒れてしまったのです。みんなはすぐに博士に手当をしましたが、博士は助かりませんでした。博士は死んでしまいましたが、ハチ公にはその事が5. (分かる)ないのです。ハチ公は6. (夕方)になると博士を迎えに駅までやって来くるのです。このまま、十年が過ぎました。毎日毎日、弱った7. (からだ)で帰って来ない博士を待っているのは8. (大変だ)事です。でもハチ公はずっと頑張っていました。1935年3月8日午前6時過ぎ、9. (帰る)て来ない博士を10. (待つ)続けたハチ公は死んでしまったのです。
でも、悲しむ事はありません。天国へ行ったハチ公は、大好きな博士と一緒に暮らしているからです。
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【推荐3】今年の夏、私は妻と息子と山の中にあるホテルに泊まりました。
駅からホテルの近くのバス停まで、バスで1時間以上( ア )。バス停からホテルまでは、細い道を20分歩きました。ホテルは小さくて古かったですが、中にはとてもきれいな庭があ ります。ホテルに着いて、息子は「ゲームがしたい」「テレビが見たい」と言いました。しかし、このホテルはテレビもインターネットもなく ( イ )でしたが、山や川でいろいろなことができました。
部屋の窓を開けると、川から凉しい風が入ってき末した。昼寝をしてから、まだ明るかっ たので、散歩に出掛けました。空気が新鮮で、景色も美しかったです。夜は、星がとてもきれいでした。ホテルにいる間は每日、家族で散歩をしたり、昼寝をしたり、虫をとったり、川で泳いだりしました。
ホテルには3日間いました。私たちは「楽しかったね。こんな生活もたまに(偶尔)はいいね」と話しながら、家に帰りました。
1.( ア )のところに何が入りますか。A.まとめました | B.かかりました | C.かぞえました | D.おぼえました |
A.駅から20分バスに乘って、バス停から1時間以上歩きました。 |
B.駅から20分バス停まで歩いて、バスに1時間以上乘りました。 |
C.駅から1 時間近くバスに乘って、バス停から 20分以上歩きました。 |
D.駅から1 時間以上バスに乘って、バス停から20分歩きました。 |
A.便利 | B.不便 | C.具合 | D.都合 |
A.まだ遊びたかったので、散歩に出掛けました。 |
B.まだ早いので、散歩に出掛けました。 |
C.まだ帰りたくなかったので、散歩に出掛けました。 |
D.まだ散歩したかったので、散歩に出掛けました。 |
A.ホテルの周りの景色はとてもきれいでした。 |
B.ホテルは古かったので、もう行かないです。 |
C.ホテルに三日間いて、楽しかったです。 |
D.ホテルの周りで釣りをしなかったです。 |