ある日、友だちの吉崎さんが突然「卵は立つと思いますか」と言い出すのです。
「立春の卵という話は聞いたことがあるけどね。」
「卵は立春であってもなくても立ちます」吉崎さんは断言します。
翌日,吉崎さんはいくつかの卵を持って来ました。机の上で卵を立てようとする。コロンブス(哥伦布)はゆで卵(煮鸡蛋)の先を潰して立てたそうですが、吉崎さんは、生のままの卵を、そのままの形で立てようとしている。1分、2分、やはりだめじゃないかと言おうとしたその瞬間、卵は立ったのです。吉崎さんは満足そうに笑っています。「なるほど、立つのか。」
家に帰って。冷蔵庫から卵を取り出して実験を繰り返しました。焦っていると、なかなか立たない。心を静かにして落ち着いてやると、やはり立つのです。全部ではないが、いくつかは、立ちました。
机の上にすっきりした形で立つ卵をじっと見ながら、わたしはこう考えました。
先入観(先入为主)というのはおそろしいものです。コロンプスの卵の話があるために卵は細工(加工)をしないと立たないという思い込み(深信不疑)が広がりました。それと、立春の卵の話が重なります。立春のころになると、ときどきそのことが話題になります。すると、おかしなことに人々はこう思い込んでしまったのです。「立春の日に立つか立たないかが話題になる、ということは立春の日以外は当然、卵は立たないのだ」と。
1.文中の「言おうとした」人はだれか。A.吉崎さん | B.筆者 | C.コロンブス | D.筆者以外の人々 |
A.卵が立つなんて、どうしても考えられない。 |
B.卵が立つという事実を発見してうれしい。 |
C.卵が立たないという先入観はいけない。 |
D.卵が立つわけない。 |
A.生の卵の話とゆで卵の話 | B.立つ卵の話と立たない卵の話 |
C.先を潰した卵の話と細工した卵の話。 | D.コロンプスの卵の話と立春の卵の話 |
A.生の卵は立春の日にだけ立つのだ。 | B.生の卵は立春の日にだけ立たないのだ。 |
C.ゆで卵は立春の日にだけ立つのだ。 | D.ゆで卵は立春の日にだけ立たないのだ。 |
A.どんなことでも、焦らずにやればできるものだ。 |
B.卵が立たないという思い込みは間違っている。 |
C.人間には普通先入観があるので、気をつけよう。 |
D.卵が立たないのは一般的だが、例外もある。 |
相似题推荐
【推荐1】みなさんは、分数が得意だろうか。分数と聞くだけで、嫌だと思う人もいるかもしれない。実はコンピューターでさえ分数は苦手だとか。でも、この話を読めば、きっと分数に興味を持つようになるだろう。
昔、アラビア(阿拉伯)のある村で年老いた商人が3人の息子に(ア)言葉を残して亡くなった。「私が死んだらラクダ(骆驼)をお前たちにやろう。長男は1/2、次男は1/3、三男は1/9とする。」ところが、ラクダの数は17頭だったので、2でも、3でも9でも割り切れない。3人はけんかを始めてしまった。
そこへ旅の老人がラクダに乗ってやってきた。そしてけんかの理由を聞き、「それなら私のラクダを貸してあげよう。」と言った。父親の残したラクダに1頭足すと18頭になったので、長男は9頭、次男は6頭、三男は2頭で父親の言葉どおりに分けることができた。余った1頭は元通りに旅の老人が連れていった。
何年か後、同じように11頭のラクダを持っている老人が「長男には1/2、次男には1/3、三男には1/6のラクダを。」と言い残して死んでしまった。そこで、前述の話を思い出した近所の人が自分のラクダを連れてきて解決してみせようとした。長男には1/2の6頭、次男には1/3の4頭、三男には1/6の2頭。ところが、今度は3人のラクダを合計すると6+4+2=12頭となり、連れてきたラクダを持って帰ることができず、損をしてしまった。前の話では1/2+1/3+1/9=17/18になるのに対し、1/2+1/3+1/6=1となり、(イ)に気づかなかったのだ。
1.この話とはどんな話か。A.分数の苦手な人の話 | B.ラクダの分配の話 |
C.分数に興味を持った人の話 | D.アラビアの老人の話 |
A.このような | B.そのような | C.あのような | D.どのような |
A.馬鹿みたいだが優しい人 | B.分数が得意でかしこい人 |
C.数学が得意だがずるい人 | D.親切だが欲張りな人 |
A.長男 | B.次男 | C.三男 | D.近所の人 |
A.数が少なくなること | B.数が多くなること |
C.割りきれて余りがなくなること | D.また割りきれなくなること |
【推荐2】(二)
人は死んだらどこへ行くのか。小さなころからずっと考えてきた。昨年、母方の祖父が亡くなった。遊びに行くといつも満面の微笑みで迎えてくれたじいちゃんが眠っていた。もう笑わない。それがとても寂しかった。こんなとき、母になんて声をかければいいのだろう。母は父を亡くしたのだ。その悲しみは計り知れない(不可估量的)。
そんなことを思いながら、時が過ぎた。ある日、母に話しかけるとき、何気なく(无意中)じいちゃんの真似(模仿)をして話しかけた。じいちゃんになって、じいちゃんが母に話しかけるように。母はびっくりしたが、笑った。私は( ア )機会があるたびに真似をした。すると母が、「そんなに長い時間、一緒にいたわけじゃないのに、覚えているものだね」と言った。その時、小さなころからのあの謎が解けたように思った。
人は人の記憶の中にいる。私はこれからもじいちゃんの真似をして、母にじいちゃんを会わせたいと思っている。
1.文中の「その悲しみ」の指すのはどれか。A.私が母を亡くした悲しみ |
B.私が祖父を亡くした悲しみ |
C.母が自分の父親を亡くした悲しみ |
D.母になんて声をかければいいのかわからないという悲しみ |
A.そういうと | B.それから | C.こうすると | D.それでも |
A.母が私のことを覚えている。 | B.私が母のことを覚えている。 |
C.祖父が母のことを覚えている。 | D.私が祖父のことを覚えている。 |
A.人は死んだらどこへ行くのかという謎 |
B.私はなぜ祖父の真似をしたのかという謎 |
C.母になんて声をかければいいのかという謎 |
D.母は祖父の死をどう考えているのかという謎 |
A.親を失った悲しみは計り知れない。 |
B.人は死んでも人の記憶に残っている。 |
C.亡くなった人の真似をするのはいいことだ。 |
D.人が成長するにつれて過去の謎は解けるようになる。 |
【推荐3】ある日、私は学校から帰ると、机の上に置いてあったおやつを食べてしまいました。夕食のとき、父親に声をかけられました。
「ゆうた、おやつを食べたのは君だったんだね。それは僕のものだったんだよ。」
「別にいいだろうか。」
しかし、父親は(ア)表情で「他人のおやつを勝手に食べてはいけない。」と言いました。「親子なのに?」
「他人のものを大切にしよう。小さいうちにそれを意識しないと。次からは気をつけてね。」私は父親の言葉を心に留めました。友達がたまに学校におやつを持ってくるけど、その誘惑に何度も負けそうになりましたが、父親の言葉を思い出して、自制心を保つことができました。また、家族全員で食事をするときにも、他人のお皿や料理に手を出さないように気を付けるようになりました。
その後、私は段々理解しました。自分のものが他の人に触られたくないと同様に、他人から尊重を得たい場合、まず相手を尊重することを学ばなければならないということを。父の言葉は正しかったです。
1.文中に「父親に声をかけられました」とあるが、それはなぜか。A.夕食を食べなかったから | B.机を片付けなかったから |
C.学校から帰ってくるのが遅かったから | D.父のおやつを食べたから |
A.厳しい | B.楽しい | C.嬉しい | D.恥ずかしい |
A.学校におやつがあること | B.友達がおやつをくれること |
C.父の言葉を忘れること | D.勝手に友達のおやつを取ること |
A.他人のものを勝手に使ってはいけない。 |
B.他人から尊重を得るためには、相手を尊重する必要がある。 |
C.自分のものを大切にするだけでなく、他人も大切にするべきだ。 |
D.相手が自分を尊重してくれないなら、自分は相手を尊重する必要はない。 |
A.言葉の力 | B.おやつの争い | C.尊重は小さいことから | D.親子関係の正しいあり方 |