私と同じ会社の田中さんも、よく歩いています。初めは運動が好きではなかったけどれも、歩くのが楽しくなって、走ることも始めたそうです。田中さんに「最近、公園を走っているけど、気持ちいいよ。1回見てみたら?」と言われて、日曜日にその公園へ行ってみたら、走っている人がいっぱいでびっくりしました。田中さんは、一緒に走る友達もいて楽しそうでした。
来月、田中さんは初めてマラソン大会に出るそうです。前はとても遅くしか走れませんでした。②_____、少し速く走れるようになったから、10キロを1時間で走れるようになりたいと話していました。
子供の時から運動の好きな人が、大人になっても走るのだと思っていましたが、そんなことはないようです。私もこれから歩くことから始めてみようと考えています。
1.筆者はどんな考えを①「いい考えだ」と思ったのか。
A.運動する人が増えるだろうと考え |
B.乗り物に乗らないで歩こうという考え |
C.スポーツクラブに通わないほうがいいという考え |
D.忙しくて時間がないなら、運動しなくてもいいという考え |
A.それに | B.それで | C.しかし | D.また |
A.筆者と一緒によく走っている。 |
B.子供の時から走るのが好きで、楽しんで走っていた。 |
C.最近、10キロを1時間で走れるようになった。 |
D.まだマラソン大会で走ったことがない。 |
A.今は特に何もしていないが、運動は好きだ。 |
B.乗り物に乗らないで、歩くようにしたい。 |
C.最近、公園に行って走るようになった。 |
D.公園を走るという習慣を持っている。 |
A.走るのが毎日ではなくても、体が丈夫になること |
B.運動が好きではなかった人も、楽しく走れるようになること |
C.頑張って運動を続ければ、マラソン大会に出られること |
D.公園で楽しく走るようにすれば、友達が見付けられること |
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【推荐1】以前、日本に来たある国のビジネスマンが「東京は大都会なのに、町の真ん中に大きい森があって、びっくりしました」と言っていました。大きい森とは明治神宮のことでした。高い所から東京を見渡すと、ところどころに緑のかたまりが見えます。それは木々がたくさん集まっている場所で、その一つが明治神宮の森です。この場所に明治神宮が建てられると決まったころ、このあたりは作物があまり育たない荒れた土地でした。そこに神社にふさわしい森を作ろうと言うことになって、庭づくりの専門家たちがいろいろ考え、計画を立てて木を植えたのです。ここは人の手で作られた林のようには見えません。自然に近い森を作るために、東京に大昔から自然に生えていた種類の木々を植えたからです。初めは12万本植えたそうですが、今は3万6千本に減っています。それは木々同士の競争が自然に起こって、弱いものは育たなかったからです。昔からある自然の森と同じことが起こるようにと考えた庭づくりの専門家たちの計画どおりでした。競争に勝ち残った木は、今ではとても大きな木に成長しています。
ここでは、たとえ木が倒れても人は何もしません。ただ見守っているだけだそうです。すべてを自然のままにしているのです。今、ここを管理する人がしていることは落ち葉を掃き集め、それを森の木々の根元に戻すことだけです。何もない荒れた土地に木を植えて100年、森は大きく成長しました。これは100年前の人たちから私たちへの贈り物なのです。
1.文中に「緑のかたまり」とあるが、何を指すか。A.大きい木 | B.緑の山 | C.緑の建物 | D.森のような所 |
A.自然に近い森を作ろうという計画 |
B.大きくなる木を植えようという計画 |
C.東京に自生する木を植えようという計画 |
D.荒れた土地を木が育つ土地にしようという計画 |
A.いろいろな種類の木が大きく育つこと |
B.荒れた土地でも大きく育つ木もあること |
C.何種類かの木しか大きく育たないこと |
D.木々同士の競争が起こり強いものだけが残ること |
A.生えている葉 | B.落ち葉 | C.倒れた木 | D.勝ち残った木 |
A.ほとんどのことを自然のままにしている |
B.自然な森に見えるように苦労をしている |
C.弱い木も大きく育つように手を入れている |
D.誰もまったく何もしない |
【推荐2】「フランス料理」という通常のカタカナ表記(标明)では特別な語感は生じないが、漢字で「佛蘭西仏料理」と書くと、漢字の重々しい雰囲気で高級そうな感じになる。店の看板が「佛蘭西仏料理」となっていると、値段が心配になって、店の前で財布の中を調べたくなるような高級感が漂う。敢えてその表記を使った店主の気概(魄力)も感じられるような気がする。「カレーライス」でも「カレー」でもなく、特に「カリー」という表記を打ち出した看板にも、どこにでもあるカレーとは違う本場(正宗)の味を主張している雰囲気があり、客のほうも店主の自負を感じるかもしれない。
東京にイタリア料理のピッツァの店が登場した昭和三十年代中ごろには、まだ「ピザ」という語はなく、「ピッツァ」という用語は単に珍しい食べ物を指す外来語であるという以外に、特別な語感は働かなかった。だが、その後、その料理が広まり、特にアメリカ型の宅配ピザが流行りだしてからは、日本中で「ピザ」という語が一般的になり、今では「ピッツァ」と呼ぶ人はめったに見かけない。そういう時代になった今、敢えて「① 」という本場イタリアの言葉を看板に揚げる店を見ると、あちこちの「② 」とは違って、なんとなく職人の自負を感じる。その語を特に選んで使う客のほうにも、ある種のこだわりがあるのだろう。言葉は情報とともに、そういう自負や拘りも相手に送り届ける。
1.「フランス料理」ではなく、「佛蘭西仏料理」と表記することでどのような効果があるか。A.他の多くの店と味が違いそうだと感じさせる効果 |
B.重々しい雰囲気の店だという印象を与える効果 |
C.本場の食材を使っていることを示す効果 |
D.店主の調理技術の高さを保証する効果 |
A.値段が高すぎて、自分のお金を奪われる心配があるから |
B.財布の中におかしいものがあるかどうか確認したいから |
C.財布の中に入っているお金が足りるかどうか確認したいから |
D.自分が持っている財布は高級感があるかどうか心配するから |
A.①:ピザ②:ピッツァ |
B.①:ピザ②:ピザ |
C.①:ピッツァ②:ピッツァ |
D.①:ピッツァ②:ピザ |
A.昭和三十年代中ごろ |
B.珍しい食べ物を指す外来語が出たころ |
C.「ピッツァ」と呼ぶ人は見かけたころ |
D.「ピザ」という語が一般的になったころ |
A.「カレー」より「カリー」のほうが本格的(正式的)な印象がある |
B.昔は「ピザ」という語は一部の人が使う珍しい言葉であった |
C.宅配ピザが広まったのは昭和三十年代中ごろのことである |
D.言葉から受けるイメージは人によってかなり異なる |
【推荐3】わたしが小さい頃、母はよく彦星と織姫のラブストーリーを聞かせてくれました。幼いわたしは天の川に掛けられた橋を渡って再会する話ほど美しい物語はないと思いました。
その後、小学生になったわたしは天文学の本でアルタイルとベガについて知りました。その時、織姫はわたしが想像していたような美しい女神ではなく、また彦星もハンサムな男子ではないということに気づいてしまいました。アルタイルとベガというただ2つの恒星だったのです。( ア )わたしは昔の人がなぜこの2つの星でこんな美しいラブストーリーを作ったのかと疑問に思いました。
ところで、わたしが「恋しい」という思いを初めて、知ったのはホームステイで日本に行った時でした。慣れない土地での生活で、少しホームシックになっていました。夏の夜の涼しい風に誘われて部屋を出たわたしは庭のベンチに座りました。
ふと顔を上げるとどこまでも続く天の川が目に映りました。そして、その天の川を隔てて見つめ合う織姫と彦星、( イ )海を隔てた母とわたしではありませんか。わたしは母が恋しいと思ったのです。この時わたしは昔の人がなぜこの美しい物語を作ったのかが分かりました。星は天の川によって隔てられていますが、人の思いは距離なんかでは変わりません。こういう思いを込めて、昔の人は物語を作ったのでしょう。
織姫と彦星はなんと16光年も離れています。この物語が千年も語り継がれてきたのは愛の絆であるからだとわたしは信じています。時代がどのように変わろうとこの絆は変わりませんし、この絆がある限りわたしたちがどこにいても心と心は繋がっています。
1.( ア )に入れるのに最も適当なものはどれか。A.後悔した | B.希望した | C.満足した | D.失望した |
A.まるで | B.だいぶ | C.しっかり | D.ぜったい |
A.昔の人も織姫と彦星がただ2つの恒星だということ |
B.昔の人がどうして織姫と彦星の物語を作ったのかということ |
C.この話は織姫と彦星が一年に一度会えるという物語だということ |
D.織姫と彦星は天の川にある16光年も離れている2つの恒星だということ |
A.変わることはない絆 |
B.離れている者の愛の絆 |
C.千年も語り継がれてきた物語 |
D.織姫と彦星は繋がっていること |
A.天の川にある2つの星の織姫と彦星はなんと10光年も離れている。 |
B.織姫と彦星は天文学的な引力で引かれ合う関係にある2つの惑星だ。 |
C.この物語が語り継がれてきたのは時代が変わっても愛の絆は変わらないからだ。 |
D.恋しいという思いを初めて知ったのはホームステイでアメリカにいた時だった。 |