私が中学二年生のときのことである。父の仕事の都合で、生まれ育った大阪から、福井へ引っ越した。当然、福井の中学校のクラスメートは、みんな福井弁を話す。授業中、私が教科書を( ア )たりすると、教室のあちこちから、くすくす笑い声が聞こえてくる。いちばんショックだったのは、英語の時間。英語は私の得意科目だったし、特に読むほうは自信があった。私は、大阪の中学校では、学校代表で英語のスピーチコンテストに出場したくらい、英語が好きだった。
( イ )、名前を呼ばれて、私がテキストを読み始めると、いっせいに、くすくす。読み終えるころには、もっと大きな声で、げらげら。
先生まで困った顔をして、「なんか、大阪っぽいなあ。」と言ったのだ。
私が、大阪のおばさんを思い出したのはそのときだった。私が、ショックから立ち直ったのは、おばさんのおかげである。子どものころ、おばさんはよく、私の話を聞いて、「この子は、ほんとうにきれいな大阪弁をしゃべるなあ。なにもまざってない、ほんものの大阪弁や。」と言ってくれた。私は、心の中で自信を取り戻した。
1.文中の( ア )に入れるのにもっとも適当なものはどれか。A.読まれ | B.読まされ | C.読ませ | D.読まなかっ |
A.英語の授業中、みんなに笑われたこと |
B.英語の先生に大きな声で笑われたこと |
C.みんなのように福井弁が話せなかったこと |
D.英語のスピーチコンテストに出られなくなったこと |
A.それで | B.それでは | C.それなのに | D.それにしても |
A.英語の発音が少し変だという意味 | B.英語の発音がすばらしいという意味 |
C.日本語の発音が少し変だという意味 | D.日本語の発音がすばらしいという意味 |
A.大阪の言葉は、福井の言葉よりきれいだとわかったから。 |
B.大阪のおばさんが話す大阪弁は、とてもきれいだったから。 |
C.自分の大阪弁を褒めてくれた大阪のおばさんを思い出したから。 |
D.大阪では、英語のスピーチコンテストに出たことを思い出したから。 |
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【推荐1】今の人は、自分の感覚よりも、知識を頼りにしています。知識は、信じやすいし、人と共有(共享)しやすいです。誰しも(谁都,不论谁)、学ぶことで、知識を蓄えることができます。たとえば、美術館で絵画を鑑賞するときも、こういう時代背景で、こういうことが描かれていると、解説を頭に入れます。そして、解説のとおりであるかを確認しながら鑑賞しています。 ① 、それは鑑賞ではなく、頭の学習です。鑑賞を心から楽しむためには、 ② も必要です。感覚を磨いている人は非常に少ないように思います。感覚は、自分で磨かなくてはならない。絵画を鑑賞するときは、解説は忘れて、絵画が発しているオーラ(气场)そのものを、自分の感覚の一切で包み込み、受け止めるようにします。このようにして、感覚は、自分で磨けば磨くほど、そのものの真価を深く理解できるようになります。感覚を磨いている人は、日常生活にでも、有利に働きます。まず、間違いが少なくなります。知識や経験に加えて、感覚的にも判断することができるので、身の回りの危険、トラブル(困难)などを察知し、さっさと上手に避けることができます。昔は人間にも動物的な勘(直觉)が備わっていましたが、文明の発達で、勘を使わなくても生きていけるようになったので、鈍ってしまったと言われています。世の中の風潮は、頭で学習をすることが主体で、自分の感覚を磨く、ということはなおざりにされています(被忽视)。たいへん残念なことです。
1.文中の ① に入れるのに最も適当なものはどれか。A.ただ | B.その上 | C.しかし | D.または |
A.知識 | B.感覚 | C.解説 | D.学習 |
A.解説を頭に入れてから自分の感覚で受け止めること |
B.解説のとおりであるかを確認しながら絵画を鑑賞すること |
C.解説を忘れて自分の知識を頼りにして絵画を鑑賞すること |
D.解説ではなく自分の感覚で絵画のオーラを受け止めること |
A.ほかの人より芸術の価値を深く理解できるから |
B.勘を使わなくても生きていけるようになったから |
C.感覚的にも判断できるので、危険を察知し避けられるから |
D.感覚は知識や経験より物事を正しく判断することができるから |
A.感覚は日常生活にも役立ち、自分で磨かないと得られない。 |
B.知識や経験と違って、感覚は頼りにならない場合が多い。 |
C.文明が発達している社会では感覚を磨く必要がなくなる。 |
D.知識と違って、感覚は人間が本来持っているものである。 |
【推荐2】お茶は数千年の歷史がある 41 です。今から1200年ほど前に陸羽 42 人が『茶経』という本を書きました。その本にはお茶の飲み方や 43 方が書いてあります。
中国と日本はその頃にも交流があって、日本人が中国へ勉強 44 来ていました。その人たちはお茶を飲んで、薬になることを知って日本に持って帰りました。しかし、とても 45 ものだったので、飲むことができた人は少ししかいませんでした。
それから400年ほど過ぎて、栄西という日本人が中国へ勉強に来て、お茶を飲みました。この頃のお茶は今の緑茶に 46 なっていて、栄西は 47 日本人のロに合うだろうと思いました。お茶 48 作り方を勉強してお茶の木の種を日本に持って帰りました。その後、日本ではお茶の木も増えて、飲む人もだんだん多くなりました。そして、お茶は日本で一つの文化になって、「茶道」 49 できました。こうして中国のお茶は日本に伝わりました。
お茶の 50 は、緑茶、紅茶、ウ一ロン茶になって、アジアへ、そして世界へ広がりました。今、世界中の人がそれぞれの飲み方でお茶を楽しんでいます。
1.A.編み物 | B.飲み物 | C.食べ物 | D.果物 |
A.にある | B.がある | C.という | D.と思う |
A.作り | B.作る | C.作った | D.作らない |
A.は | B.で | C.に | D.を |
A.変な | B.寂しい | C.可愛い | D.珍しい |
A.近い | B.近いの | C.近く | D.近かった |
A.きっと | B.もし | C.しっかり | D.きちんと |
A.も | B.に | C.で | D.の |
A.が | B.は | C.と | D.へ |
A.枝 | B.ルート | C.葉 | D.茎 |
【推荐3】田に囲まれた畦道を縫うように続く葬列の中に私はいた。毎年、親戚が集まる中で、いつも優しい笑顔で迎えてくれるおじいちゃんが亡くなった。今年で七十才のおじいちゃんは物静かで、曾祖母の月命日にもお墓参り(扫墓)を欠かさない本当に優しくて温かい人だった。
私は葬儀の始まる前に母から話を聞かされ声が出ないくらいに驚いた。おじいちゃんは私遠とは血のつながりのない他人であること。おじいちゃんが三十才ぐらいの頃、曾祖母が面倒を見てあげるようになったこと。誰よりもおじいちゃんと仲が良かったので、私は今までおじいさんが親戚の一人であることを疑うことがなかった。
母の話は、四十年前にさかのぼった。曾祖母の家は、よそから来た人が歩いていると、誰だと、うわさになるくらい、住民も少なかった。ある日、家のそばの海岸で、何時間もじっとしていたおじいちゃんに声をかけたのが曾祖母だった。おじいちゃんの身体には、入れ墨(刺青)があった。そこは、深いわけがあるとわかったという。刑期を終えた日に曾祖母と出逢ったらしい。
「曾祖母は、ほっとけなかった(置之不理)んだって。きっと、おじいちゃんの外見じゃなくて中身を見てたんだろうね。」
当時、親戚は、みんな猛反対したが、隣に住む所を提供し、一緒に三度の食事も、取るようになった。しばらくして、仕事も見つけ、休日も畑仕事の手伝いをし、ずっと独身で曾祖母と忙しく毎日を過ごした。
「どの親戚よりも、曾祖母を大切に大切にしてくれたおじいちゃんだよね。」
母の言葉に私は大きくうなずいた(点头)。曾祖母と出逢う前のおじいちゃんの人生は、どんなものだったのだろう。おじいちゃんの中では、ずっと何かに苦しんでいるのかもしれない。それを、大きな心で優しく包んであげた曾祖母は、本当にすごい人だ。私は母の話を聞きながら、涙が止まらなかった。
1.文中に「驚いた」とあるが、それはなぜか。A.おじいちゃんがなくなったから |
B.おじいちゃんは私達とは血のつながりのない他人だったから |
C.今年で七十才のおじいちゃんは、曾祖母の月命日にもお墓参りを欠かさないから |
D.なくなったおじいちゃんが私たちの親戚だから |
A.おじいちゃんが三十歳の頃から、曾祖母は面倒を見てあげたから |
B.おじいちゃんとの仲が良すぎたから |
C.おじいちゃんは本当に優しくて温かい人だったから |
D.おじいちゃんは曾祖母と四十年も暮らしてきたから |
A.理由 | B.意思 | C.条理 | D.結果 |
A.親戚は、みんな猛反対したこと |
B.おじいちゃんは刑罰を受けたこと |
C.おじいちゃんはずっと独身していて苦しんでいること |
D.おじいちゃんはずっと何かに苦しんでいること |
A.いつも優しい笑顔で迎えてくれる。 |
B.身体には、入れ墨があった。 |
C.ずっと仕事を探しているけど無職のままだ。 |
D.どの親戚よりも、曾祖母を大切にしてくれた。 |