田に囲まれた畦道を縫うように続く葬列の中に私はいた。毎年、親戚が集まる中で、いつも優しい笑顔で迎えてくれるおじいちゃんが亡くなった。今年で七十才のおじいちゃんは物静かで、曾祖母の月命日にもお墓参り(扫墓)を欠かさない本当に優しくて温かい人だった。
私は葬儀の始まる前に母から話を聞かされ声が出ないくらいに驚いた。おじいちゃんは私遠とは血のつながりのない他人であること。おじいちゃんが三十才ぐらいの頃、曾祖母が面倒を見てあげるようになったこと。誰よりもおじいちゃんと仲が良かったので、私は今までおじいさんが親戚の一人であることを疑うことがなかった。
母の話は、四十年前にさかのぼった。曾祖母の家は、よそから来た人が歩いていると、誰だと、うわさになるくらい、住民も少なかった。ある日、家のそばの海岸で、何時間もじっとしていたおじいちゃんに声をかけたのが曾祖母だった。おじいちゃんの身体には、入れ墨(刺青)があった。そこは、深いわけがあるとわかったという。刑期を終えた日に曾祖母と出逢ったらしい。
「曾祖母は、ほっとけなかった(置之不理)んだって。きっと、おじいちゃんの外見じゃなくて中身を見てたんだろうね。」
当時、親戚は、みんな猛反対したが、隣に住む所を提供し、一緒に三度の食事も、取るようになった。しばらくして、仕事も見つけ、休日も畑仕事の手伝いをし、ずっと独身で曾祖母と忙しく毎日を過ごした。
「どの親戚よりも、曾祖母を大切に大切にしてくれたおじいちゃんだよね。」
母の言葉に私は大きくうなずいた(点头)。曾祖母と出逢う前のおじいちゃんの人生は、どんなものだったのだろう。おじいちゃんの中では、ずっと何かに苦しんでいるのかもしれない。それを、大きな心で優しく包んであげた曾祖母は、本当にすごい人だ。私は母の話を聞きながら、涙が止まらなかった。
1.文中に「驚いた」とあるが、それはなぜか。A.おじいちゃんがなくなったから |
B.おじいちゃんは私達とは血のつながりのない他人だったから |
C.今年で七十才のおじいちゃんは、曾祖母の月命日にもお墓参りを欠かさないから |
D.なくなったおじいちゃんが私たちの親戚だから |
A.おじいちゃんが三十歳の頃から、曾祖母は面倒を見てあげたから |
B.おじいちゃんとの仲が良すぎたから |
C.おじいちゃんは本当に優しくて温かい人だったから |
D.おじいちゃんは曾祖母と四十年も暮らしてきたから |
A.理由 | B.意思 | C.条理 | D.結果 |
A.親戚は、みんな猛反対したこと |
B.おじいちゃんは刑罰を受けたこと |
C.おじいちゃんはずっと独身していて苦しんでいること |
D.おじいちゃんはずっと何かに苦しんでいること |
A.いつも優しい笑顔で迎えてくれる。 |
B.身体には、入れ墨があった。 |
C.ずっと仕事を探しているけど無職のままだ。 |
D.どの親戚よりも、曾祖母を大切にしてくれた。 |
相似题推荐
【推荐1】私は今、自分の「好き」をたくさん見つけて、自分のやりたいことを思いきりやっています。好きなテニスをしたり、友達と元気いっぱい遊んだり、家族みんなで楽しい場所に出かけたりして、一日一日を大切に過ごしています。手でいろいろなものにふれることや足を思いっきり動かして全力で走ること、( ア )自分の目で美しい景色をたくさん見ることはとても楽しいです。
( イ )、世界に目を向けるとそんな当り前なことができない人がいるということを私は知りました。私が戦争について見たあるテレビ番組では、戦争で体の自由がうばわれた人がたくさん映されていました。自分じゃなくても大切な人の命までうばわれた人もたくさんいました。その大切な命が消えた時、悲しくて苦しい思いをする人たちはいったいどれほどいるんだろうと思うと、私の心はきゅうっとしてきました。そして番組の最後にある人が言った言葉が、私の心に残りました。その人はばくげきを受け、なんとか命は助かったものの、顔に大きなけがをしていました。その人は番組の最後に、
「あの恐ろしい出来事は、一生忘れられません。私はあんなことがもう二度と起こらないことを願います。」
と話していました。その言葉を聞いて私は、やっぱり戦争は、多くの人の心までうばってしまうんだと思いました。
1.文中の「自分の「好き」」の具体的に指すものはどれか。
A.美味しいものを食べること |
B.自分やりたいこと |
C.いい友達を見つけること |
D.自分の目で富士山の美を見ること |
A.そして | B.だけど | C.しかし | D.ところで |
A.戦争は恐ろしいものだが、二度と起こる可能性がある |
B.戦争は起こっても忘れることができる |
C.再び戦争が起こらないように祈っている |
D.その言葉の意味がわからなかった |
A.何といっても | B.ところが | C.だから | D.これから |
A.自分の好きなことを見つけたほうがいい |
B.命を大切にして一日全力で過ごしたほうがいい |
C.戦争は人の命をうばうもので、もう起こらないほうがいい |
D.毎日楽しく暮らすのは一番大切なことである |
【推荐2】以前、ヨーロッパを旅行したとき、こんな経験をした。観光バスに乗ってあちらこちら見て回った時のことである。私は三歳の孫を抱いていた。バスに乗り合わせた四十人ばかりの乗客はみな外国人だった。子供をかわいがる人たちだと見えて、私のそばを通る時に、孫の顔を見てにっこり笑ったり、手を振ったり、孫の手を握ったり、あるいは自国の言葉で声をかけたりしてくれる。
そのうちに、一人の中年の婦人が突然孫のほうに顔を寄せて、日本語で「こんにちは」と言った。意外なことに私はびっくりしてしまった。いかにも人の良さそうな笑顔だった。おそらくその人は日本に来たことがあるのだろう。日本語を覚えていて、 (ア)、私たちが日本人であることを知って、わざわざ日本語であいさつをしてくれたのだろう。私はこういう人たちに大変親しみを感じた。
こんな時、日本人だったらどうだろうか。知らない人同士がバスに乗り合わせたら、互いにあいさつをするだろうか。どちらかと言うと、あまり話をしないのではないかと思われる。とくに私たちみたいな子供連れの外国人がいたら、その人たちに対してどんな態度を取るだろうか。おそらく積極的に声をかける人は少ないだろう。知らない人と話すのは恥ずかしい、めんどうだなどと大部分の人が思ってしまうのではないか。
1.観光バスに乗った時、乗客たちの行動に合わないものはどれか。A.孫に手を振った | B.孫の手を握った |
C.日本語で声をかけた | D.孫ににっこり笑った |
A.つまり | B.しかも | C.そのため | D.それとも |
A.中年の婦人が日本に来たことがあるから |
B.中年の婦人が孫に顔を見てにっこり笑ったから |
C.中年の婦人がわざわざ日本語で挨拶をしてくれたから |
D.中年の婦人が私たちが日本人であることを知ったから |
A.日本語であいさつされた時 |
B.私は大変親しみを感じた時 |
C.お互いにあいさつをする時 |
D.知らない人同士がバスに乗り合わせた時 |
A.子供連れの外国人がいたら、積極的に声をかける日本人は少ない |
B.知らない人同士がバスに乗り合わせたら、日本人はあまり話をしない |
C.日本人は知らない人とバスに乗ったら、互いにあまりあいさつをしない |
D.全部の日本人は知らない人と話すのは恥ずかしい、めんどうだなどと思う |
【推荐3】絵本を読む時間というのは、その気持ちさえあれば、だれにでもいくらでも見つかるものです。1冊の絵本は5分から10分もあれば読み終えられるのですから。そしてそのひとときは、親と子の気持ちがとても自然に寄りそい、通い合います。こうして私は父親としての気持ちを充分に満足させられ、子どももそれをとても楽しみにしていました。子どもたちが成人した今も、そのときのいろいろの思い出は、親にも子どもにも、心の中にはっきりと残っています。それが人間の絆というものかもしれません。
ア母親も絵本を読んでやっていました。私たち夫婦は、子どもに食べものを与えるのとまったく同じ感覚で、子どもに絵本を読んでやりました。それは特別なことではなく、生活の中に本があることがごく自然だったからです。こうして子どもたちへの本読みは、10年問以上も続きました。しかし子ども自身に早くから絵本を読ませるようには、決して指導しませんでした。
「本」好きの子どもに育てるには、お母さんはどなたも、わが子が本好きで、読書力のある子どもに育って欲しいと願っていらっしゃるでしょう。しかし、現実は必ずしも親の願いどおりにはなりません。どこでどうすれちがう(错过去)のでしょうか。
1.「見つかるもの」 とあるが、何を指すか。A.絵本 |
B.時間 |
C.子供 |
D.親 |
A.幼い子供を持っている父親 |
B.成人した子供を持っている母親 |
C.幼い子供を持っている母親 |
D.成人した子供を持っている父親 |
A.もちろん | B.たとえば |
C.しかし | D.ですから |
A.子供の気持ちを満足させること |
B.子供に食べものを与えること |
C.子どもに絵本を読んでやること |
D.生活の中に絵本がたくさんあること |
A.本好きで、読書力のある子どもに育つこと |
B.早くから絵本が読めること |
C.親と子供の絆を強めること |
D.早く大人になること |