①最近、子供が外でスポーツをする時間が減ってきたと思います。ぼくはその理由に運動できる場所が減ったことが挙げられると思います。
サッカーがしたくて公園に行けば、サッカーや野球禁止という看板があります。違う公園に行けば、草などが伸びすぎてボールが止まってできません。だから、少し広い道路などに行きます。しかし、コンクリート(水泥)では転ぶ場合を恐れて②よく遊べません。
すると、周りの友達はスポーツができなくなって、つまらなくなり、外で遊ぶ回数が少しずつ減ってしまいました。
ぼくは家にいるより外で運動したいので、道さえあれば(只要有道路)できるマラソンをしています。でも、マラソンだけでは飽きます(厌烦)。③_____、安全を考えながらスポーツできる公園や環境を確保してほしい。そうなれば、多くの子供が外で遊ぼうとするのではないでしようか。
1.①「最近、子供が外でスポーツをする時間が減ってきた」とあるが、それはなぜか。A.室内ゲームが流行っているから |
B.公園の数が减っているから |
C.運動のできる場所が減っているから |
D.広い道路が危険になったから |
A.遊ぶ時間が少なくなったから |
B.コンクリートでの場所で転ぶとけがをしやすいから |
C.一緒に遊ぶ友達がいないから |
D.遊ぶことが好きではないから |
A.だから | B.それなのに | C.それでは | D.それに |
A.サッカーができる場所 | B.スポーツができる環境 |
C.野球ができる場所 | D.マラソンができる道路 |
A.指導者 | B.環境 | C.予算 | D.用具 |
相似题推荐
【推荐1】給料をもらいすぎだと考える人はほとんどいません。たいていの人は「安い給料でよく頑張っている」と思っているそうです。自分の給料に満足できないのはなぜでしょうか。給料をもらうことに慣れて、当たり前の感覚になっているからです。当たり前の感覚になると「こんなに頑張っているのだから、もっともらうのは当然だ」と考え始めます。慣れは恐ろしいもので、人を傲慢にします。
これは経営者側の考え方かもしれません。働く側には働く側の言い分(说法)があるでしょう。わたしもかつては①もらう側でしたから、その心理はわかります。
そこで提案です。自分のしている仕事に対して「給料が安い」と感じている人は、「よし、会社への貸しだぞ」と考えてはどうでしょうか。
(中略)
自分の給与が適正かどうかは次のように判断するといいでしょう。他所の会社に移ったとして、今の30%アップの給与が取れるか。その自信があるなら、あなたは会社に貸しを作っています。
マイナス30%であれば会社から借りている、(ア)もらいすぎです。いつリストラ(裁员)されても文句は言えません。
貸しがあれば恐ろしいものはない。いつも堂々としていられるし、仕事もばりばり(积极)やれる。会社には貸しを作ったほうが絶対得です。
1.「もらう側」とあるが、何か。A.経営者 | B.働くもの | C.給料が高い人 | D.給料に満足している人 |
A.または | B.それとも | C.つまり | D.だって |
A.貸しがあれば、いつも恐れずに堂々としていられるし、仕事もよくやれるから |
B.貸しがあれば、会社の経営者に給料を上げてもらえるから |
C.貸しがなければ、必ずいつかリストラされるから |
D.貸しがなければ、ほかの会社に移るしかないから |
A.人は給料をもらうことに慣れたから、もっともらいたいと思っている |
B.ほかの会社に移ったら、給与がマイナス30%になる人は、リストラされてもおかしくない |
C.自分の給料に満足できないのは、ほかの会社ではもっと高い給料をもらえるからだ |
D.会社に貸しを作る人は会社で堂々としていられるし、仕事もうまく処理できる |
A.転職すれば給料をもっともらえる人は、今の安い給料を会社への貸しと思えばいい |
B.転職すれば給料をもっともらえる人は、今の会社を辞めればいい |
C.傲慢にならないように、安い給料をもらったほうがいい |
D.今の安い給料に満足しない人は転職すればいい |
【推荐2】人はときに優しく残酷な嘘をつく。「人は顔じゃないよ」「人間は平等だ」という希望のあるメッセージにも聞こえるが、外見にコンプレックスを持ち、整形に1200万円をかけ私にとってはとても残酷で、都合よく突き放すような言葉としか思えない。大人は嘘つきだ。
私は元々声優を目指していた。演技に命を吹き込む仕事。声を武器にする仕事。よくそんなふうに言われていた。そうであるはずだったんだ。
どんなに演技が上手くてもデビューのチャンスをつかむことができる人はごく少数だった。その上運がある人だけ。(ア)、有利だったのはやはり顔がいい人だったように思う。飲み会に誘われる機会も多く、レッスンの順番も優先。可愛く、またはかつこよくステージもこなせファンがつきそうな人たちから事務所に引き抜かれていく。
後に私は声優になる夢当諦めた。この体験談を話す時って言われるのは「顔のせいで叶えられなかったなんて言い訳だ。」確かに私が声侵になれなかった理由は大部分が努力不足だ。顔のせいだけではない。
勝手に自信を失った自分が悪いし、元々声優などなれない面があったのだ。何とか私が伝えたいのは、確かに外見主義の世界は存在したということだ。
注:コンプレックス:自电感 突き放す:甩开 デビュー:出道 ステージ:舞台
1.「私」について、以下の言い方で正しくないのはどれか。
A.自分の外見にコンプレックスを持っており、自信がない |
B.自分の顔がとても嫌いだったので、整形に1200万円をかけた |
C.むかしからの夢であった声侵になることを諦めた |
D.元々漫画家になりたかったが、今では声優になりたい |
A.そして | B.そこで | C.それで | D.すると |
A.演技が上手な人 | B.顔がいい人 | C.声がいい人 | D.ファンが多い人 |
A.あまりきれいではない顔のせいだ |
B.透き通らない声のせいだ |
C.真面目に仕事をする自信がなかったから |
D.自分自身の努力が足りなかったこと |
A.見た目よりも大切なことは性格である |
B.どんなにできなくても、自信を失うのは良くない |
C.外見を重視する世界は、実際に存在する |
D.外見を気にする世界は存在するが、とても少ない |
【推荐3】日本人の食べる物が変化してきたのはいったいいつのころからだったろう。私は奈良という地方都市に生まれ育っているが、たしかコンビニができたのが中学1年生のころ、つまり1982年のことだった。いつでも開いていて何でもそろっていて、一人暮らしの人間に適する分量の品物が多い。当時、50歳になろうかという母が近所の八百屋より、コンビニで買い物をするようになろうとは思ってもみなかったことだった。便利になることはいいことだと思っていたらしい。そのうえ、安くてすむのだから、それ以上のことはないんじゃないかしらとも。
あれから30年近く経ち、私は今、手作りの料理のおいしさをしみじみ(深切)感じるようになった。田舎へ行くと、取れたての(刚采摘的)野菜がテーブルに並ぶ。それを口にした時の感謝と感激といったら言葉では表現しがたい(难以)ほどだった。味が濃く新鮮で、味付けせずとも(即使不)食べられる良質な食材が体を元気にしてくれたことに驚いた。今はどうして私たちはこのおいしさを失ってしまったのだろうかと涙が出るぐらいだ。
それらを食べながら、故郷を思い、まだ見ていない国や場所を感じるのを楽しみとしているのだから、地方はその土地を守り、生活を続けていくことで本物を作り続けていくことに着目すべきだ。そうすれば、本物を求める人々が集まってくる。または注目されるに違いない。
1.コンビニについて正しいのはどれか。A.年中無休はいいが、品数が少ない。 |
B.買い物に便利なうえ、値段が安くてすむ。 |
C.便利だが、お年寄りに適するものは少ない。 |
D.特に50歳ぐらいの女性に親しまれる。 |
A.筆者 | B.筆者のお母さん | C.買い物客 | D.コンピニの店員 |
A.失った田舎料理のおいしさ |
B.今の便利な生活ぶり |
C.見えなくなった新鮮な野菜 |
D.おかあさんの手作り料理 |
A.母の手作りの料理 | B.おいしい郷土料理 |
C.体を元気にしてくれる料理 | D.生のままで食べられる料理 |
A.もう過ぎた昔の生活様式を回復すべきだ。 |
B.都会でも田舎風のものが食べられるようになってほしい。 |
C.観光客を集めるために、特色のある料理を開発すべきだ。 |
D.地方はその土地を守り、本場の物を作り続けてほしい。 |