「ミルクを飲む人より、運ぶ人のほうが健康になる」はイギリスのことわざだそうです。
牛乳は健康によい食品です。それを定期的に飲む人は健康になります。そのためには、その牛乳を毎日家まで運んでくれる、牛乳配達がいます。自転車で、あるいは自転車を降りて戸口(大门)まで運んでくる人です。その人は、暑い寒いに関わらず、いつも身体を動かしているから丈夫になる、そして、飲む人以上に健康になります。
裏方(后台人员)の仕事も、目立たない仕事も、単にほかの目的のための手段に過ぎないのでなく、必ず報いられるようになっている。従属的で馬鹿らしいと思わずに、こつこつすれば、時がたつと、それ自体が大したものになっている、そういうことです。
かつて、私は、ある人に、「この頃は、雑用ばかりやらされて、嫌になってしまう」と嘆いたら、「世の中に雑用はない。すべては本来の仕事である」と諭された(告诫)ことがありますが、その通りで、仕事に雑と本はないのです。そのように考えれば、どんな仕事も、おろそかにせずに打ち込むむ(投入)ことが出来ます。
ただ、現時の世の中は、そのようになっていません。職業には貴賎があり、あるいは、貴賤と言わないまでも割のよいものとそうでないものがあり、報酬も大いに違います。しかし、このように、仕事を序列化させて、その優劣を競う(特に報酬において)というのではなく、全体のなかでそれぞれの仕事の役割を平等に問う、(ア)、どの仕事においてでも、意欲を持ち、勤勉に働く人が、それなりに報いられる社会が、あって欲しい社会といえましょう。
1.文中に「ミルクを飲む人より、運ぶ人のほうが健康になる」とあるが、正しい理解はどれか。A.ミルクの品質は低くなったから |
B.ミルクを飲むより、むしろ運動する。 |
C.ミルクマンがミルクを運んでいるうちに、体が丈夫になった。 |
D.ミルクマンが人のミルクを飲んだから |
A.助けの手を差し伸べた人は、感謝されるようになること。 |
B.悪事をした人が懲罰を受けること。 |
C.努力しなかったので、目立たない仕事をすること。 |
D.目立たない仕事をしても、大したものになること |
A.裏方の仕事や目立たない仕事が従属的だ。 |
B.すべては本来の仕事だ。 |
C.職業には貴賤があり、差がある。 |
D.仕事には割の良いものとそうでないものがある。 |
A.しかし | B.すると | C.だから | D.そして |
A.従属的な仕事は往々にして報いられるようになる。 |
B.雑用の仕事の従事者は馬鹿にされないべきだ。 |
C.仕事に雑と本があるが、どんな仕事も、おろそかにせずに打ち込むべきだ。 |
D.仕事にかかわらず、勤勉者が報いられる社会があるべきだ。 |
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【推荐1】先日、日本の子供のお弁当を題材に日本文化を論じた論文を読みました。日本の子供が学校や幼稚園に持っていくお弁当のことです。まず、子供の学校での昼食の取り方というのが、アメリ カと日本では非常に違うので、給食がないところでは、みんなが一斎にお弁当を持っていくというのがアメリカ人にとっては少し驚きのようです。アメリカでは、お弁当を持っていってもよいし、学校の売り店で買ってもよいし、お弁当を持っていったうえで、何かを買ってもかまいません。
そして、何よりもアメリカ人にとって驚きであり、この論文のメイン・テーマ(主题)ともなっていることは、日本の子供のお弁当が芸術品のように素晴らしく、それは母親の腕の見せどころだという事実なのです。そこから、この著者は、日本社会における「母親」という役割の重要性、お弁当の優秀さで母親の優秀さが測られること、母子の緊密な関係、そして、誰も同じように素晴らしいお弁当を持たなければならないという集団主義、また日本文化における女性のあり方などについて議論を広げていきます。
お弁当というものをそういうふうには 考えたことがなかったので、大変面白く感じました。( ア )、本当にこれは母親や女に関する日米の文化的差異からくるのでしょうか。私はまず、根本は食文化の違いだと思います。日本には、「お弁当」という芸術的食物を作る文化があるでしょう。アメリカにはそもそもそれが存在しないので、美しい子供のお弁当が生まれる余地がないのです。
そうだとすると、母親や女について考える前に、まず、なぜ日本には美しい「お弁当文化」があるのか、ということを問題にしなければならないようですね。
1.文中に「日本文化を論じた論文」とあるが、筆者が読んだ「論文」のメイン・テーマは何か。A.給食がないところでは、みんなが一斎にお弁当を持っていくということ |
B.日本の子供のお弁当が芸術品のようで、母親の腕の見せどころだということ |
C.日本には「お弁当」という芸術的食物を作る文化があるということ |
D.日本とアメリカ、両国のお弁当文化を比較しながら、日本文化を論じたということ |
A.日本社会での家族の緊密な関係 |
B.日本社会での「母親」という役割の重要性 |
C.同じように素晴らしいお弁当を持つという集団意識 |
D.お弁当で母の素晴らしさが測れるということ |
A.しかし | B.だから | C.それより | D.むしろ |
A.サンドイッチ、豚カツ、ポテトチップ |
B.お握り、ハンバーガー、野菜 |
C.パンダの顔のお握り、兎の形のりんご、たこの形のソーセージ(香肠) |
D.餃子、豚カツ、ポテトチップ |
A.筆者は日本のお弁当文化に驚いた。 |
B.アメリカには美しいお弁当を作る文化がそもそもない。 |
C.優秀な母や女がいるから、日本のお弁当文化は大きな発展を遂げた。 |
D.筆者は日本のお弁当文化は母子関係、女性のあり方などとは関係ないと思っている。 |
【推荐2】一人の人間の中には、いろいろな自分がいます。(ア)、「仕事に行かなきゃいけない」と思う自分と「今日は休みたい」と思う自分。何か一つの出来事に対しても、喜怒哀楽に収まらないさまざまな気持ちや感情が湧くものです。
もし「自分を肯定することなんてできない」と感じるとしたら、子どもの頃や大人になってからの不適切な体験が関係しているかもしれません。人間は、赤ん坊のときに不快な気持ちを泣くことで周りの人に伝えます。泣き声を聞いた大人に、温かく世話をしてもらう体験から、安心感と信頼感を得るのです。赤ちゃんのときだけではありません。育つ過程で、何か失敗をしても「大丈夫」と温かく受け入れ、励まし、愛してもらうことで、私たちは自己肯定感を獲得していくのです。
けれど、もし叱られたり、失敗が許されないというような子育てがされたらどうでしょうか。子どもはいつも緊張し、自己防衛しないといけないと感じるでしょう。
「自分を縛る」言葉は、そのような不当な環境で誰にも助けてもらえなかったときに、自分を厳しくすることで自分を守ろうとして生まれてくるのです。それにしても、家庭で適切な子育てをしてもらえなくても、学校で信頼できる友だちや先生などとの温かい交流を通じて、(イ)感覚を育てることができます。
1.文中の(ア)に入れるのに最も適当なものはどれか。A.でも | B.そして | C.つまり | D.たとえば |
A.笑うこと | B.泣くこと | C.怒ること | D.寝ること |
A.赤ちゃん | B.大人 | C.学校の先生 | D.友だち |
A.成長過程で愛されたから | B.成長過程で厳しくされたから |
C.周りの環境が危なかったから | D.自分を肯定できないから |
A.自分を縛る | B.自分を不安にさせる | C.自分を肯定する | D.自分を守る |
【推荐3】私が現在の「ゆとり教育」を恐れているのは、それが生徒の個性も含めて、すべてを評価しようという考えに基づいているからだ。成績だけで子どもを判定するのはよくない。子どもの性格や積極性や優しさ、あるいはひらめき(灵感)までをも評価し、伸ばしてやりたいという、その精神はすばらしいと思う。(ア)、そういうことまで学校にできるという考えは、不遜(傲慢)なのではないか。また親や社会がそんなことまで学校に求めるとしたら、そんな要求は過酷だし、無謀である。
「ゆとり教育」は偏差値教育(以提高学生成绩为主的教育)への反省から立案された。成績だけがすべてではないという考えが正しいとして、それ以外のことまで学校で評価しようというのは、本末転倒(本末倒置)である。学校に限らず、人間存在をまるごと評価するなんて、誰にもできるはずはない。その自明性に立てば、それはあくまで一面的評価にすぎない(学問そのものの評価でさえない)と認めることが、まず必要だったのではないか。
1.文中に「私が現在の『ゆとり教育』を恐れている」とあるが、その理由はどれか。A.「ゆとり教育」が成績だけで子どもを判定するから |
B.「ゆとり教育」が偏差値教育より過酷で無謀だから |
C.「ゆとり教育」が子どものすべてを評価しようとするから |
D.「ゆとり教育」で子どもの性格・積極性などを伸ばすことができないから |
A.さらに | B.なお | C.そして | D.だが |
A.子どもの成績を上げること |
B.成績で子どもを判定すること |
C.性格・積極性などで子どもを判定すること |
D.子どもの性格・積極性なども評価し、伸ばしてやること |
A.成績だけがすべてではないということ |
B.人間存在をまるごと評価するのは誰にもできないということ |
C.成績以外のことまで学校が評価しようというのは、本末転倒だということ |
D.親や社会が子供のすべての評価を学校に求めるのはよくないということ |
A.今の「ゆとり教育」は偏差値教育より過酷で無謀だ |
B.子どものすべてを学校が評価しようとすべきではない |
C.子どもの性格・積極性などを学校が評価するのは難しい |
D.子どものすべてを評価するのは誰にもできるはずはない |