去年、春休みに私は故郷の九州の福岡市へ1 (帰る)。東京から福岡まで、飛行機で1時間40分 2 (ぐらい)かかります。福岡は日本の南にあります。しかし、あまり暖かくなかったです。少し 3 (寒い)かったです。
私は福岡私立博物館へ行きました。博物館は新しい建物でした。この博物館に 4 (珍しい)物があります。漢の倭の奴の国王の金印です。箱の中にその小さい金印がありました。
昔、1世紀ごろ、九州の北に倭の国がありました。倭の国の大臣は漢の国へ船で行きました。漢の国で皇帝にあいさつをしました。 5 (いろいろ)なプレゼントをあげました。そして、倭の国王は漢の光武帝から金印をもらいました。それはとても 6 (重要だ)ものでした。福岡市立博物館の金印はその時の金印です。
その時から今まで2000年も経ちました。この2000年は日本と中国の交流の歴史 7(だ)。金印は小さいです。しかし、その中に2000年の歴史があります。とても大切です。そして、これからも日本と中国の関係はとても大切です。将来、機会が 8 (ある)ば、私は北京の故宮へ 9 (行く)つもりです。故宮はすばらしいと 10 (聞く)ていますから。
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【推荐1】むかし、むかし北の国に住む一人の若者が父親と雪の中、狩りに出かけました。突然、天気が悪くなったので、二人は山小屋で夜をあかし、天気が回復するのを待ちました。
真夜中のことです。寝ていると入り口がバタンと開き、白い着物を着た一人の色白の女の人がそこに立っていました。
若者が話しかけようとすると、その女の人は父親に白い息を吹きかけたところ、父親は白くなり、一瞬で凍ってしまいました。恐怖のあまりに、若者は身動きできませんでした。
「若者よ、お前は助けてやるが、今日のことは決して誰にも話してはいけない。」そう言うと、雪の中に消えてしまいました。次の朝、目が覚めると父親は凍って死んでいました。実は、この山小屋は雪女の住処で、親子が勝手に入ったことを怒ったのです。
それから一年が経ったある雨の日のことです。美しい女の人が軒下で雨宿り(避雨)していました。若者は女の人を家の中に入れてあげて経緯を聞いた。
「名前は何と言う。これからどこに行くのか。」
「名前は「おゆき」と言い、私には身内(亲人)がいません。これから行くところもありません。」それを聞いて心配した若者はしばらく家におゆきをおいておくことを決めました。こ人はやがて恋に落ち、結婚して子供もでき、幸せな日々を送っていました。
ある雪の日のこと、若者はうっかりとあの日の山小屋でのことを話してしまいました。おゆきは悲しい顔で言いました。「(ア)話してはいけないと言ったのに話してしまいましたね。」
そう言うと、おゆきは彼のもとから消えました。おゆきこそ雪女だったのです。それ以来おゆきの姿を見たものは一人もいませんでした。
1.文中に「若者は身動きできませんでした」とあるが、理由はどれか。A.寒くて体の知覚がなくなったから。 |
B.雪女の吐く息で凍ってしまったから。 |
C.怖すぎて体が動かなくなった。 |
D.女の人の美しさに魅了されたから。 |
A.命を救う | B.許してあげる | C.援助する | D.手伝う |
A.おゆきこそ雪女だと知っているから。 |
B.行くところもない女の人を心配するから。 |
C.女の人と婚約があるから。 |
D.外で激しい雨が降っているから。 |
A.これほど | B.あれほど | C.それほど | D.どれほど |
A.父親が窓から入ってきた女の人に殺された。 |
B.雪が降ったとき、若者が父親と山登りに行った。 |
C.若者が話をかけたから、助けてもらった。 |
D.若者が約束を守らなかったから、雪女が姿を消した。 |
【推荐2】以前、ヨーロッパを旅行したとき、こんな経験をした。観光バスに乗ってあちらこちら見て回った時のことである。私は三歳の孫を抱いていた。バスに乗り合わせた四十人ばかりの乗客はみな外国人だった。子供をかわいがる人たちだと見えて、私のそばを通る時に、孫の顔を見てにっこり笑ったり、手を振ったり、孫の手を握ったり、あるいは自国の言葉で声をかけたりしてくれる。
そのうちに、一人の中年の婦人が突然孫のほうに顔を寄せて、日本語で「こんにちは」と言った。意外なことに私はびっくりしてしまった。いかにも人の良さそうな笑顔だった。おそらくその人は日本に来たことがあるのだろう。日本語を覚えていて、 (ア)、私たちが日本人であることを知って、わざわざ日本語であいさつをしてくれたのだろう。私はこういう人たちに大変親しみを感じた。
こんな時、日本人だったらどうだろうか。知らない人同士がバスに乗り合わせたら、互いにあいさつをするだろうか。どちらかと言うと、あまり話をしないのではないかと思われる。とくに私たちみたいな子供連れの外国人がいたら、その人たちに対してどんな態度を取るだろうか。おそらく積極的に声をかける人は少ないだろう。知らない人と話すのは恥ずかしい、めんどうだなどと大部分の人が思ってしまうのではないか。
1.観光バスに乗った時、乗客たちの行動に合わないものはどれか。A.孫に手を振った | B.孫の手を握った |
C.日本語で声をかけた | D.孫ににっこり笑った |
A.つまり | B.しかも | C.そのため | D.それとも |
A.中年の婦人が日本に来たことがあるから |
B.中年の婦人が孫に顔を見てにっこり笑ったから |
C.中年の婦人がわざわざ日本語で挨拶をしてくれたから |
D.中年の婦人が私たちが日本人であることを知ったから |
A.日本語であいさつされた時 |
B.私は大変親しみを感じた時 |
C.お互いにあいさつをする時 |
D.知らない人同士がバスに乗り合わせた時 |
A.子供連れの外国人がいたら、積極的に声をかける日本人は少ない |
B.知らない人同士がバスに乗り合わせたら、日本人はあまり話をしない |
C.日本人は知らない人とバスに乗ったら、互いにあまりあいさつをしない |
D.全部の日本人は知らない人と話すのは恥ずかしい、めんどうだなどと思う |
【推荐3】現在、夫と息子、そして私の父の4人暮らしです。夫は、自宅の一室を事務所にして、①そこで働いています。息子は外で働いています。私は、前は働いていたのですが、今は、年に数回、頼まれた時だけ働きに出る( ア )です。父は94歳です。ここ数年、体が少し弱り、家で過ごすことが多くなりました。父親の世話は私の役割ですが、私が外出している時、夫が食事の準備や世話をしてくれます。
近くに、長女と次女の家族が住んでいて、孫が4人います。長女は働いているので、よく孫の面倒を見ています。夫は仕事の合間を見て、長女の家に孫を迎えに行ったり、送って行ったりします。また、小学生になる孫とは、映画や山登り等、よく遊びに行きます。
自分たちが子育てをしていた時は、夫が積極的に子供と遊ぶことはあまりありませんでした。孫が生まれて、夫は変わりました。「忙しくても時間を見つけて孫と遊ぼうという気持ちになった。年を取って心に( イ )が出てきたからかな。」と夫は話しています。私の世代は、妻が家事や育児など家庭のことを全てするのが普通のことです。なので、夫婦の役割に不満を持ったことはありません。それでも、孫が生まれて、夫が「育ジイ」になったことは②嬉しい驚きです。
1.文中に①「そこ」とあるが、どんな所を指していますか。A.会社 | B.自宅 | C.外 | D.居間 |
A.くらい | B.ところ | C.ごろ | D.ほど |
A.財産 | B.余裕 | C.時間 | D.感動 |
A.家族4人とも外で働いている |
B.私は毎日仕事が忙しいので、夫は父親の世話をしてくれる |
C.夫は忙しくても、時間を見つけて、孫と遊ぶ |
D.私はよく孫と山登りに行く |
A.筆者の世代では妻が家事を全てするのは少ないから |
B.孫が生まれて、夫は変わったから |
C.夫が積極的に子供と遊ぶことができないから |
D.夫が仕事が忙しくて大変だから |