「走る」ことは、一見単純で誰にでもできる運動ではあるが、「速く走る技術」となると、なかなか身につけることが難しい。教えられたように走るフォームを改善することが簡単ではないからだ。
誰でもできる運動なのに、なぜその改善が難しいのだろう。
実は、普段慣れている動作ほど、その動作に対する神経支配がしっかりとできあがっているからだ。運動の技術やフォームを改善することは、その運動を支配する神経回路を組みかえることになるので、そう簡単にはいかない。
コーチは、腕の振り、膝の運び方、上体の前傾の取り方など、フォームを矯正しようと指導し、指導を受けるランナー(赛跑运动员)も指摘された体の動きの修正に意識を向けてトレーニングするのが普通である。(ア)、動作の修正には多くの時間と繰り返しが必要であり、またその効果が上がらないことも多い。そして、トレーニングの効果が上がらない人は、「運動神経」が良くないということになる。
この場合、運動技術の修正は、「運動の神経回路を修正する」ことであると考えることによって、解決の糸口がみつかる。
スポーツ技術や「身のこなし」の習得には、神経回路に直接的に刺激を与えるようなトレーニング上の工夫が必要である。
工夫をいろいろと重ねるうちに、「動作をイメージし、それを体感する」ことが、運動の神経回路を改善するのにきわめて有効であることがわかってきた。
1.文中に「身につけることが難しい」とあるが、それはなぜか。A.走るフォームは一度固定されると変えられないから |
B.走るフォームを指導する方法があまり改善されていないから |
C.走るための神経の仕組みはすでにできていて変えにくいから |
D.走るための神経の仕組みは他の動作とは違う特殊なものだから |
A.しかし | B.そして | C.それで | D.例えば |
A.練習に十分な時間が取れない場合 |
B.練習の効果がうまく現れない場合 |
C.走り方の改善に集中できない場合 |
D.コーチの指導が理解できない場合 |
A.体の動かし方 | B.速く走る技術 |
C.運動神経回路の修正 | D.走るフォームの改善 |
A.速く走る動きを頭に描いてその感覚を体で感じるようにする。 |
B.頭で考えるよりも、何度も練習を重ねて体で覚えるようにする。 |
C.神経の仕組みに直接刺激を与えるためにいろいろな走り方を試す。 |
D.コーチの指導を受けながら走り方の修正に全神経を集中させて走る。 |
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【推荐1】あなたの周囲でも、①こんな人がいるでしよう。あっちが痛いこっちが苦しいと言っているなのに、意外と長生きをしていませんか。
先日、同窓会の席で友人が、「最近、一病息災を体験させてもらったよ。胃がんだったけくど、早期だったので内視鏡で治してもらったんだ。②これも高血圧で通院していたおかげだな」としみじみと(认真地)言っていました。
病気のほとんどが治らなかった時代には、「無病息災」ということわざがありました。そのことわざがいまは、「一病息災」に変わりました。かつては、一家に災いをもたらす病気にならないことが第一とされていたのでしょうが、ほとんどの病気が治るようになった現在は、「無病息災」である必要はありません。
それどころか、「無病息災」はむしろ損なことが多く、病気が一つくらいあって、定期的に通院している「一病息災」のほうが得です。
「無病息災」というのは時代遅れのことわざと言えます。だからといって健康な方に病気になりなさいと言うのも無理な話ですが、丈夫で健康な方も医者嫌いを自慢しないほうがいいでしょう。
1.①「こんな人」とあるが、どんな人を指しますか。A.病気になりがちだが、長生きする人 | B.ほとんど病気にならなくて、長生きする人 |
C.医者をしていて、長生きする人 | D.胃がんがあったけど、長生きする人 |
A.胃がんになること | B.胃がんが治療されたこと |
C.高血圧になること | D.長生き |
A.友人は胃がんで入院してから治された。 |
B.友人は医者に内視鏡で高血圧を治された。 |
C.友人は自分が病気になりやすい体質に気づいた。 |
D.友人は意外に自分が胃がんになったこと気づいた。 |
A.元気だと医者嫌いになるから |
B.病気であることが自慢できるから |
C.重い病気を早く発見できることがあるから |
D.病気になると休むことができるから |
A.昔から「一病息災」がいいことだとされてきた。 |
B.健康な人も病気になったふりをしたほうがいい。 |
C.長生きできるように、積極的に病気になるべきだ。 |
D.健康でいるためには病院に行った方がいい。 |
【推荐2】信頼できる友人ができないという悩みを持つ人がいる。たしかに、心から信頼できる友人を得るのはなかなかむずかしいことだ。考えてみれば人生には多くの出会いがあり、知人を得るチャンスは数多くある。学校時代に席を同じくしたというだけの仲なら、それこそ星の数ほどの出会いがある。だが、そのように数多くの人たちと出会っても、その中で本当の親友呼べる人は、ごくわずかな人びとのみである。
だからといって、自分には絶対に本当の友人はできないものだと決めてかかるのもよくない。だいいち、友人は雑草のように、何の手を加えなくても自然に生えてくるものではなく、自分で種をまいて、水をやり肥料をやらねば育てられないものである。つまり、友人を得るためには、本人の努力が必要だということだ。「信頼できる友人がいない」と嘆く人は、たいていの場合、この努力を怠り、自分の殻に閉じこもっていることが多い。自分から積極的に友人を得ようとするのではなく、自分の肩を優しくたたいてくれる人を待ち望んでいるだけだ。①それで友人ができるのなら、そんな虫のいい話はない。友人を得るためには、こちらからパフォーマンをもって、相手に近づいていく努力をしなければ決して得られるものではない。
では、どんな努力をすればいいかというと、やはり人が多く集まる場所に出かけて、多くの人と話をするのが早道だ。
私はどうやらパーティーが好きなようだ。少なく( )、嫌いではない。たしかに私はパーティーにお呼びがかかると、少々疲れていようが頑張って出席する。風邪などを引いて体調が悪いときでも、立ち上がれないようなとき以外はできるだけ出席する。
あなたも、何もパーティーに出席しろとは言わないが、積極的にさまざまな会合に出席してみることだ。同好会やサークル、あるいはカルチャーセンターの講座などに通ってみるのもいい。いろいろな場所に何度も足を運んで人と話をすることが、真の友人を得るきっかけになる。②食わず嫌いということばがあるが、黙って考えているよりは、まずは、そうした積極的な努力をすることが必要なのである。
1.①「それで友人ができるのなら、そんな虫のいい話はない」とはどのようなことか。
A.そんなに簡単に友人ができるものではない。 |
B.そのようにして友人を作るのが一番いい方法だ。 |
C.そのような態度から、植物に虫がついてしまうのだ。 |
D.そのような人は、雑草につく虫のように小さな存在だ。 |
A.積極的に友人を得ようと努力しても、なかなか友人ができない。 |
B.積極的に友人を得ようと努力すれば、必ず友人が得られる。 |
C.積極的に友人を得ようと努力しないため、人に嫌われる。 |
D.積極的に友人を得ようと努力せず、友人はできないと決めてかかる。 |
A.パーティーで優しく相手の肩をたたくこと |
B.風でも、パーティーには必ず出席すること |
C.人の集まるところへいき、多くの人と話すこと |
D.自分で水をやったりして植物を育てること |
A.食わず嫌い |
B.人間の魅力の育てる方 |
C.信頼できる友人 |
D.積極的な努力をすることが必要 |
A.とも | B.でも | C.ても | D.て |
【推荐3】はじめて日本で、日本語で研究発表をしたときのことです。どういう問題を扱うかを説明して、文例資料を検討しつつ、まだ知られていない言語の規則を明瞭に定式化し結論を述べました。わたしとしては発表を終えたつもりでしたが、そこにいた①出席者からはなんの反応もありません。皆、おとなしく待っているだけでした。結論が言われたということがわからないのは、わたしが述べた論証が全然理解できなかったからだろうと思って、もう一回それまでの説明の大筋を要約しました。しかし後で考えて、必要だったのは、終わりの言葉だったとわかりました。もし最後に「以上です」と言っていれば、皆にも発表が終わったことが明らかになっていたでしょう。(中略)
実際、儀式では言うまでもなく、格式張らないパーティーのときでも、スピーチと拍手、さらに最後には一本締めだか、三本締めだかで、つねに時間の流れを区切ってリズムをつくるのが日本的作法のように思えます。そういう習慣を見ると、日本人は②はっきりした句点がないと、すぐ(ア)になる人たちに見えます。
論証:何かが正しいかどうかを論理的に明らかにすること※一本(三本)締め:儀式などで、最後に皆で一緒に一回(三回)手拍子を打つこと
1.著者が日本で初めて日本語で研究発表をした際、どのような問題が発生しましたか。
A.著者が話す言語が聴衆に理解されなかった。 |
B.著者の発表が長すぎて聴衆が飽きた。 |
C.著者が発表の終わりを明示しなかったため、聴衆が混乱した。 |
D.著者が話した内容が聴衆にとって新しすぎた。 |
A.発表の論証が理解できなかったから。 |
B.発表が終わったことを示す言葉がなかったから。 |
C.一本締めや三本締めがなかったから。 |
D.周りの人が皆おとなしく待っているから。 |
A.リズムが正確ではない。 |
B.時間通りに物事を始めたり終えたりしない。 |
C.時間の流れを区切る目印になるものがない。 |
D.作法が日本的ではない。 |
A.日本人は時間の区切りに敏感で時間に正確である点を、ほかの国の人も見習うべきである。 |
B.日本で発表する人は、日本的作法に従って、最後に「以上です」と言うべきである。 |
C.日本の研究会で、発表者が結論を述べても反応を示さないのは、困ったものである。 |
D.決まった言葉や行動によって時間の流れを区切ることが、日本人にとっては大切らしい。 |
A.不器用 | B.不安 | C.安心 | D.リッラクス |