実力テストを受けたがらない学生がいる。その理由を聞くと、「もう少し実力を付けてから受けたい」と言う。気持ちは分からないでもない。でも、そんなふうに思っていると、いつまでも受けられない。例えば、着物の着方を習っている人が、上手になったら着物を着て出かけようと思う。しかし、どの程度で上手になったと言えるのか、判断ができない。それよりもまず着物を着て出かけてみるといい。例えば、ちょっと緊張するような場所に。もし最後まで着崩れ(穿走形)しなければ、それで自信がつく。語学にしても、まずはレベルに合わせて使ってみることだ。笑われても気にしない。そうしているうちにレベルも上がってくる。料理も同様、(ア)。批評されながら腕(本领)を磨けばいいのだから。
1.文中に「そんなふうに思っている」とあるが、思っている内容はどれか。A.実力があってもなくても受けたい | B.実力ができてから受けたい |
C.実力テストならいつでも受けたい | D.実力がそれほどなくても受けたい |
A.物事は実際にやってみるうちに上手になるものだ。 |
B.何事でも実際にやる前にちゃんと準備する必要がある。 |
C.何事も人に批評されると、自信がなくなってしまう。 |
D.物事は下手でもやると、人に迷惑をかける。 |
A.着物を着て出かけてみるといい | B.最後まで着崩れしないといい |
C.行かないほうがいい | D.行かなくてもいい |
A.自信がないうちに | B.笑われても使ってみるうちに |
C.難しい言い方に挑戦してみるうちに | D.レベルのことを気にしながら使ってみるうちに |
A.自信がなければ、人に食べさせないほうがいい |
B.自信があっても、人に食べさせないほうがいい |
C.自信ができたら、人に食べさてみるといい |
D.自信がなくても、人に食べてもらうといい |
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【推荐1】「ゴミ」というのは、何でしょうか。いつもあまり考えずに、使っている言葉ですが、いきなり聞かれると、その説明は意外と難しいです。一緒に考えてみましょう。
ここで、あなたたちの教室の床に鉛筆が1本落ちていたとします。名前が書いてあれば、持ち主が分かりますから、持ち主に返されて、ゴミにはなりません。もし、その鉛筆が道端に落ちていたらどうでしょうか。誰かが拾って、学校に届けてくれて、持ち主に戻されれば、やはりゴミにならないでしょう。でも、その鉛筆が溝に落ちて流されていったら、まだ書ける鉛筆だとしても、ゴミに① でしょう。このように、「もの」としての性質が変わったわけではなくても、人との関わりが切れて、誰も使う人がいなくなった時、「もの」はゴミになってしまいます。
また、まだ使える鉛筆であっても、あなたがもうこの鉛筆は要らないと思うと、その鉛筆はゴミ箱に捨てられて、ゴミになってしまいます。「もの」として利用できても、私たちが「要らない」と見なすことで、ゴミになります。② 、「もの」は人の意識によって、ゴミになってしまうのです。このように考えてみると、本来ゴミである「もの」はほとんどないことがわかります。それにもかかわらず、大量にゴミを出し続けているのが現代の日本です。
1.文中に「名前」とあるが、何の名前を指すか。A.ごみ | B.教室 | C.鉛筆 | D.持ち主 |
A.ならない | B.なった | C.なってしまう | D.なりたい |
A.人に嫌われるものになった | B.人と親しくないものになった |
C.人が使えないものになった | D.人がわからないものになった |
A.つまり | B.これから | C.ところが | D.それに |
A.鉛筆が落ちても、持ち主に返されれば、ゴミにならないように考える。 |
B.鉛筆が溝に落ちたら、必ずゴミになってしまう、というように考える。 |
C.「もの」としての性質が変わったら、ゴミになる、というように考える。 |
D.「もの」がごみになるかどうか、人の意識による、というように考える。 |
【推荐2】現在、日本の子供たちに一番不足しているのは、個性に合わせて長所を伸ばすことのできるチャンスである。私事で恐縮だが、僕は中学時代、ある作文のコンテストに入賞した。( ア )、文章をより専門的に学べるような高校がないかと探したのだが、見つからない。ほかの生徒と同じく、普通科に進むしかなかった。
確かに、特技だけを伸ばせばいいというものではないだろう。しかし、特技を伸ばせないのはもっと問題である。テストというのは 100 点までしか計れない。150 点、200 点の生徒だっているのに、それは学校では評価してもらわない。社会では 200 点、300 点取れないと、長所とは認められないのだ。
技術開発の仕事においては、高校レベルの数学で満点を取れるのは、単なるスタート地点に過ぎないのだという。そこに何百点上乗せできるかが、現実社会の競争に求められているレベルの能力なのだ。しかし、社会に出て、必要なはずのレベルの能力が、受験では評価されない。
実際、受験では苦手科目で大きく点数を落とすと致命的だから、得意科目を伸ばすのを後回しにしても、全教科で均質に点を稼ぐ生徒ばかりが合格できるシステムになっている。いくら得意でも、受験では一科目 100 点までしか稼げないのだから。このやり方で、どうしたら個性が伸びるというのだろう。
1.(ア)には一番相応しいものはどれか。A.それで | B.そこで | C.ところで | D.だからといって |
A.テストの満点は 100 点だけだから。 |
B.長所は学校に認められないから。 |
C.100 点以上は取れないから。 |
D.特技を伸ばしたくないから。 |
A.素晴らしい。 |
B.もっと頑張らなければならない。 |
C.現実社会の競争にふさわしい能力が身につく。 |
D.分からない。 |
A.中学時代、筆者は専門的な高校に入った。 |
B.社会で必要な能力は受験では評価されている。 |
C.もし受験のためなら、苦手科目を伸ばしたほうがいい。 |
D.全教科で均質に点を稼ぐ生徒だけは合格できる。 |
A.現実社会の競争では、特技を伸ばせばいい。 |
B.個性を伸ばすシステムを作ることは大事だ。 |
C.数学の成績がだめなら、技術開発の仕事が従事できない。 |
D.学校は点数だけで生徒を評価してはいけない。 |
【推荐3】進学や進路の自己決定をするには、「自分のやりたいこと」を、分かっている必要があります。大前提として、自由に選択できる環境が整っていなければいけませんが、「自分は何が好きなのか」「何をやりたいのか」が分かっていないと、さまざまな選択肢の中から、何かを選んで決定することはできません。
小さな頃から自分のやりたいことを自分で考え、選び、それを探求するというプロセスを続けてきた子は、進学や就職など、人生の大事な分岐点でもスムーズに自己決定ができるでしょう。探求と自己決定は切っても切れない関係といってもいいかもしれませんね。
とはいえ、進学・就職なんて、まだまだ先の話だと思ったお父さん、お母さんもいらっしゃるでしょう。ただし、「自分で好きなことを探して、決める」という“自己決定”の機会は、小さな頃から(ア)。
小さい時から、親が何でもお膳立て(做准备工作)をしたり、子供のやりたいという気持ちを無視して、指示や命令をしていては、子供のやる気や自律性は育ちません。毎日の生活の中で、できるだけ自分で決める経験をさせることが大切です。
自己決定できる子に育てるには、親にも覚悟が必要なときがあります。
「子供にはよりよい将来を」と願うあまり、子供の進路や就職先などに口を出してしまう保護者は少なくありません。(イ)、その行動は、必ずしも子供のためにならない可能性があるのです。
「親がやるべきことは、子供が幸せな人生を歩んでいけるように、「やりたいこと」を見つけて、それを選ぶ力をつけるためのサポートをすることなのです。
1.文中に「何かを選んで決定することはできません」とあるが、それはなぜか。A.自由に選択できる環境が整っていないから。 |
B.自分の好きなことややりたいことが分かっていないから。 |
C.子供は小さい頃から探求するというプロセスを経験したことがないから。 |
D.小さい頃から親から何でもお膳立てしてくれるから。 |
A.小さい時から、何でもお膳立てをしてあげます。 |
B.生活の中で、子供自分で決める経験をさせる。 |
C.子供の進路や就職先などに口を出す。 |
D.子供のやりたい気持ちを無視して、指示や命令をする。 |
A.たくさんあります。 | B.めったにありません。 |
C.親に無視された。 | D.自分で決められない。 |
A.ですから | B.でも | C.一方 | D.それに |
A.自己決定をするには、自由に選択できる環境が整っていなければならない。 |
B.探求と自己決定は切っても切れない関係といってもいい。 |
C.親は、子供の自分のやりたいことの見つけに協力してあげるべきだ。 |
D.小さい子供の親にとって、進学や就職を考えるのはまだ早い。 |