1 . 「我を忘れる」という表現がある。自分のことを忘れる、というのだから変な感じがするが、考えてみるとなかなかうまい表現だなと思う。映画などを見ていると、知らないあいだに主人公に同一化してしまって、主人公が苦境に立つと、こちらも胸が苦しくなったり、知らないあいだに手を握り締めていて、汗が出たりする。①それは別に映画の話であって、自分が椅子に座ってそれを見ているのだから、何のことはない、と言えばそれまでだが、そんな観客としての自分のことは忘れてしまっているのだ。
子供の劇場の仕事をしている人たちと雑談していると、面白いことを聞かせていただいた。最近の子供たちは、劇を見ていても、それに入り込まずに、いろいろなことを言って、やじ(起哄)で劇の流れを止めようとする。ピストル(手枪)を見ると、「あんなのおもちゃだ」と言う。人が死んでも、「死ぬ真似しているだけ」と叫ぶ。悲しい場面のときに、妙な冗談を言って笑わせる。要するに、「クライマックス(剧情高潮)に達していくのを、何とかして妨害しようとしている」としか思えない。こうなると劇をする人も非常に演じにくいのは当然である。
主催者の人たちがもっと驚き悲しくなるのは、そのような子供たちがやじで騒いで喜んでいた後で、その子の親たちが、「今日は子供たちがよくノルしていましたね」と喜んでいるのを知ったときであった。この親は「ノル」ということをどう考えているのだろう。子どもたちは騒いで楽しんでいるかのように見える。しかし、実のところは劇の展開に「ノル」のに必死で抵抗しているのだ。「我を忘れる」のが怖いのだ。
1.①
それは何を指しているか。A.主人公が苦境に立っている状況。 | B.映画を見ている状況。 |
C.胸が苦しくなったり、汗が出たりすること。 | D.主人公に同一化すること。 |
2.
子どもたちの劇に対する反応について、主催者の人たちが感じた感情は何ですか。A.満足している。 | B.驚きと悲しみ。 |
C.興奮している。 | D.完全に無関心。 |
3.
この文章の内容として最も適切なものはどれか。A.最近の子供たちはすぐ「ノル」ので、劇をする人は演じやすい。親もそのことを喜んでいる。 |
B.最近の子供たちはやじで騒ぐので、劇をする人は演じにくくて困る。しかし、子どもが楽しんでいるのだから、親と同様に演じる側も喜ぶべきである。 |
C.最近の子どもたちは、映面や芝居の世界に入り込んで「我を忘れる」、ということが少ない。親もそのことに気づいている。 |
D.最近の子どもたちは、映面や芝居の世界に入り込んで「我を忘れる」、ということが少ない。 |
4.
子どもたちが「我を忘れる」ことに対してどのように感じていると考えられますか。A.積極的に望んでいる。 | B.完全に受け入れている。 |
C.恐れている。 | D.全く気にしていない。 |
5.
筆者は「我を忘れる」体験をどう思っていますか。A.必要ないと思っている。 | B.文化の違いだと思っている。 |
C.良い体験だと肯定している。 | D.人との関わりがないと批判している。 |