A.か | B.が | C.と | D.を |
A.に | B.で | C.の | D.が |
A.こそ | B.しか | C.さえ | D.も |
「もう 。」
A.買ってありますよ | B.買ってきますよ | C.買っていますよ | D.買っておきますよ |
A.あげて | B.くれて | C.やって | D.もらって |
写作要点:
1.与山田老师寒暄并简单叙述一下自己的近况。
2.说明发这封邮件的原因。
3.结束语。
写作要求:
1.字数为300~350字。
2.格式正确,书写清楚。
3.使用「です·ます」体。
7 . 晴れたり、曇ったり、雨が降ったり、雪が降ったり、風が吹いたり、天気はさまざまに変化します。この天気の変化は、わたしたちの生活に深い関係があります。
朝、学校へ行くとき、傘を持っていこうか、持っていかないかと、空を見上げて考えたことはありませんか。(ア)遠足や運動会の前の日に、天気を心配して、てるてる坊主(晴天娃娃)を作ったことはありませんか。
からりと晴れ上がった日には、わたしたちの気持ちも爽やかになります。じめじめした雨の日には、わたしたちの気持ちも滅入りがちです。急に寒くなれば、風邪を引きやすく、暑さが続けば、胃腸を壊しやすくなります。天気は、わたしたちの気分や体の具合にも関係があるのです。
天気は、単に、わたしたちの普段の生活に関係があるだけではありません。世の中には、毎日の仕事をするために、いつも天気のことに気を配っていなくてはならない人たちがたくさんいます。
農家の人たちは、種まきをするのにも、肥料をやるのにも、天気のことを考えなければなりません。雨が多すぎれば、作物の成長が遅れるし、日照りが続けば枯れてしまいます。せっかく実った作物が、風水害に遭う心配もあります。
漁業に携わる人たちは、何よりも天気のことを心配します。雨や風が強くて海が荒れれば、港から船を出すことができません。風の吹き方によって、魚がたくさん取れたり、取れなかったりすることもあります。
1.文中の(ア)に入れるのに最も適当なものはどれか。A.しかし | B.また | C.それとも | D.または |
A.じめじめした雨の日には私たちの気持ちも滅入りがちだ。 |
B.急に寒くなれば、風邪を引きやすい。 |
C.暑さが続けば、胃腸を壊しやすくなる。 |
D.傘を持っていこうか、持っていくまいかと空を見上げて考える。 |
A.風の吹き方によって、魚がたくさん取れたり、取れなかったりすることもあるから |
B.作物の成長や風水害などに遭う心配があるから |
C.じめじめした雨の日に農作業をすると、風邪を引きやすいから |
D.からりと晴れ上がった日に農作業をすると、気持ちが爽やかになるから |
A.船の出港と魚の捕獲に影響を与えるから |
B.雨や風が強い天気だと、魚の成長が遅れるから |
C.からりと晴れ上がった日には、船が出港できないから |
D.悪い天気だと、漁民の調子が悪くなるから |
A.天気の変化はわたしたちの生活にしか深い関係がない。 |
B.天気の変化はわたしたちの気分や体の具合にまったく関係がない。 |
C.日常生活では天気の変化に気を配らなくてもかまわない。 |
D.毎日の仕事のためいつも天気のことに気を配っていなくてはならない人たちが多くいる。 |
8 . 自分の人生の演出家になる
人間というものは世の中に合わせて生きているうちに、( ア )、自分を見失ってしまうことがよくある。
自分を見失うと、外側にある刺激に振り回されたり、他人に感化されたりしやすくなる。自分らしい人生を送りたければ、自分で自分の人生の演出家にならなければならない。
ただし、演出家といっても、役者の個性も考えず、役者をみずから(自己)の構想を実現するためのコマ(棋子)としか見なさないような演出家もいる。そのような演出家になってしまうと、あなたの個性は抑圧されてしまう。
個性を引き出す演出家になるには、自分の中の才能をよく観察してみなければならない。観察するだけではなく、実際にいろいろと挑戦してみることも必要だろう。人生をなんどでもやり直しができる舞台稽古だと思えばよい。やりやすい役だけをしていたのでは、役者としての成長はなく、せっかくの個性も花開かない。
個性を引き出すには多少難しい役を与えてみることも必要なのだ。逆境という試練は、まさにいろいろなことが要求されるだけに、演出家としての腕を見せどころであり、役者として成長するよいチャンスでもある。
1.文中の(ア)に入れるのに最も適当なものはどれか。A.いつでも | B.いつまでも | C.この間 | D.いつの間にか |
A.この花は、あまり水をやらなくてもいいらしい。 |
B.学生なら学生らしくしなさい。 |
C.どうやら事実らしい。 |
D.この絵はピカソが描いたものらしいが、本物かどうかわからない。 |
A.やりやすい役だけをしている演出家 |
B.世の中に合わせて生きている演出家 |
C.役者の才能をよく観察し、いろいろと挑戦してみる演出家 |
D.役者の個性も考えないで、役者を自分自身の構想を実現するためのコマとしか見なさないような演出家 |
A.役者の個性を考えず、難しい役を与えること |
B.やりやすい役だけをしていて、穏やかな生活を求めること |
C.自分の中の才能をよく観察して、実際にいろいろと挑戦してみること |
D.逆境という試練が要求されないで、やすい役を与えること |
A.役者をみずからの構想を実現するためのコマと見なす。 |
B.人生を何度でもやり直しができる舞台稽古としないで、決まった役を演じれば十分だ。 |
C.自分の中の才能だけをよく観察してみるのは十分だ。 |
D.個性を引き出すには、難しい役をしているだけではなく、いろいろな試練も必要だ。 |
9 . 「障害は不便ですが、不幸ではありません。」
これは、見ることも、話すことも、聞くこともできない三重苦を乗り越えて生きたへレン・ケラーの言葉である。
(ア)、あなたが何かの事故で、身体の一部を失ってしまうという事態に陥ったら、どうするだろう。ほとんどの場合、悲嘆に暮れてしまうはずだ。
このヘレン・ケラーの言葉は、そんなハンディキャップ(身体残疾)を一つの身体的特徴と見なす(看作)考えから生まれたもの。これは本当にいい言葉だ。
ハンディキャップを恨んだり、僻んだりしないで、(イ)。おそらく、こう言えるのは、ハンディキャップを受け入れられ、自分が愛されたという経験が、前提として大きくあるからだろう。だからこそ、こうした前向きの言葉が生まれたのだ。
この言葉は大いに、私たち健常者を鼓舞してくれる。この言葉を前にしたら、健常者である私たちの苦しみなど、実にちっぽけ(不足挂齿)に思えてくる。
1.へレン・ケラーはどうして「障害は不便ですが、不幸ではありません」という言葉が言えるのか。A.ハンディキャップを恨んだり、僻んだりしたから |
B.ハンディキャップを一つの身体的特徴と見なしたから |
C.三重苦を乗り越えなかったから |
D.悲嘆に暮れてしまったから |
A.もし | B.そして | C.では | D.確かに |
A.実に前向きに生きている。 | B.悲嘆に暮れてしまう。 |
C.生活に消極的である。 | D.孤独感に陥る。 |
A.見ることも、話すことも、聞くこともできない。 |
B.健常者である私たちの苦しみなど、実にちっぽけに思えてくる。 |
C.私たち健常者を鼓舞してくれる。 |
D.障害は不便ですが、不幸ではありません。 |
A.へレン・ケラーの言葉は私たち健常者から見て実にちっぽけに思えてくる。 |
B.へレン・ケラーの言葉は私たち健常者を大いに鼓舞してくれる。 |
C.へレン・ケラーはハンディキャップを受け入れて、前向きに生きていた。 |
D.へレン・ケラーは話すことも、聞くことも、見ることもできない。 |
A.5月4日 | B.5月5日 | C.5月6日 | D.5月7日 |