1 . ①外国人に日本語を教えていると、自分の母語である日本語を、常に「外国語」として意識する必要に迫られる。
「今、彼に手紙を書いています」と言えば、それは動作が進行中のことだが、「あつ、 まだドアが開いています。よかった、間に合った」という時の「開いています」は進行中の動作とは言いがたい。何故なのだろうかと。
留学生の日本語クラスでは、この類の質問が次々に出てくる。私は一生懸命辞書や国 語文法の参考書をひいたりするが、②答えが見つかることはめったにない。なぜなら、 我々がこれらの言葉の使い分けを覚えたのは、おそらく学齢期に達する前のことである。 言語形成期に、無意識かつ体系的に我々の頭にインプットされた「文法」については、 国語文法で「既知のこと」として扱われることが多いからだ。
留学生からの質問は、まるで鋭い光のように、海中深く眠っている「見えない文法」 をくっきりと浮かび上がらせる。音声や語彙(③)同様だ。留学生の質問に答えて いくということは、まるで「謎解きの世界」で、難しいクイズに挑戦しているようだ。
『外国語としての日本語』
1.①「外国人に日本語を教えている」と、どのようなことが起こるのか。
A.日本語が難しいと思うこと |
B.自分の母語を「外国語」として意識すること |
C.外国人が勉強熱心だと思うこと |
D.日本語の文法が教えにくいと思うこと |
A.辞書に書いていないから | B.文法書に書いていないから |
C.学齢期の前にすでに覚えたから | D.質問があまりにも難しいから |
A.無意識にインプットされた。 |
B.体系的にインプットされた。 |
C.国語文法では既知のこととして扱われる。 |
D.国語文法ではない。 |
A.としても | B.にしても | C.にとって | D.に対して |
A.鋭いからいやだ。 | B.鋭いから答えたくない。 |
C.難しいからいやだ。 | D.鋭いが挑戦したい。 |