1 . 気候の特性は、人がみずから自覚している以上にわれわれの体験の深みにからみ合っているものである。植物でさえも顕著に①それを示している。
日本においてわれわれが見る新緑は、春をまちかねた心が鮮やかな新芽の色を心ゆくばかり見まもる暇もないほど迅速に、伸び育ち色を増す。柳が芽をふいたと気づいてから②それが青々と繁りだすまでは、実にあわただしいと思うほど早い。
しかるにヨーロッパの新緑はちょうど③時計の針を見まもるような感じを与える。新芽は育っているに相違ないし、一月たてばかなり変わりもするが、決してわれわれの胸を打つような変化を示さない。④紅葉もまたそうである。八月にはもう黄ばんだ葉がからからと音をさせている。しかし、艶のない黒ずんだ緑は相変わらず陰鬱に立っている。そうして、いつ変わるともなく緑の色が徐徐に褪せて弱弱しい黄色に変わっていく。十月下旬にあらゆる落葉樹の葉が黄色になるまでのあいだ、かつてわれわれの目を見はらせるということがない。夜の間の気温の激変で初霜がおり、一夜のあいだに樹の葉が色づくというようなあの鮮やかな変化は決して見られない。
植物におけるこのような人の中に身を置いたとき、われわれ自身がいかにはなはだしく気分の細やかな変化を必要とする人間であるかに驚かざるを得なかった。単調になれたヨーロッパ人はちょうど樹の芽が落ち着いていると同じように落ち着いている。ヨーロッパ人のうちで最も興奮性に富むと言われるイタリア人ですら、その言葉の抑揚や身振りが変化に富んでいるほどにはけっして気分の細かな変化を求めない。もとより⑤この落ち着きは、偉い禅僧が獲得しているであろうような、根深い人格的な落ち着きではない。ただ気分の単調に憧れているというだけの、いわば気分の持続性である。それに比してわれわれは、夏の日に蝉の声を聞かず秋になっても虫の音を聞かぬというようなことにさえ著しく寂しさを感じるほどに、日常生活にさまざまの濃淡陰影を必要とする。
ヨーロッパの近代文明を忠実に移植している日本人が、衣食住においては結局充分な欧化をなし得ず、着物や米飯や畳に依然として執着しているということは、それが季節や朝夕に応じて最もよく気分の変化を現し得るという理由にもとづくのてはないであろうか。
(和辻哲郎「風土」による)
1.①「それ」とは何を指すか。A.気候の特性 |
B.人がみずから自覚していること |
C.われわれの体験 |
D.気候はわれわれの体験に深くからみ合っていること |
A.新緑 | B.柳の芽 | C.新芽の色 | D.春 |
A.ヨーロッパの新緑は早く緑になること |
B.ヨーロッパの新緑はいつ緑になるかわらないこと |
C.ヨーロッパの新緑は一月たてばかなり変わりもすること |
D.ヨーロッパの新緑は育っていることが、われわれの胸を打つような変化を示さないこと |
A.新緑と同じく、早く黄色になっていく |
B.新緑と同じく、一月たてばかなり変わりもする。 |
C.新緑と同じく、決してわれわれの胸を打つような変化を示さない |
D.新緑と同じく、時計の針を見まもるような感じを与える。 |
A.ヨーロッパ人の落ち着き |
B.イタリア人の落ち着き |
C.日本人の落ち着き |
D.われわれの落ち着き |
2 . いつものことだが、家で一人、仕事をしている私は、気分転換のために近くの本屋へ行く。駅前の少し大きな本屋なのだが、最近おもしろいことに気が( ① )。
店内をゆっくり歩いて、辞書のコーナーに行くと、思わず「ウーン」とうなってしまった。私が学生だったころ――30年ほど前のことなのだが――は、こんなに多くの辞典はなかった。学習辞典や外国語の辞典がほとんどで、しかもその外国語辞典は、英語が中心であった。
②本屋の主人に言わせると、最近はちょっとした辞典ブームだそうである。何でも辞典になるというのだ。学習辞典や外国語辞典など、以前からあるものはもちろんだが、食べ物から動物、ファッション(時装)、スポーツ、メーキャップ(化粧)、オーディオ、インテリアやマナーなど、いろいろな辞典が③びっしりと並んでいる。④これらはもちろん「事典」なのだが、国語辞典にしても、種類がとても( ⑤ )。英語の事典など、大少を含めて20種類くらいはある。もちろん、もっと大きな本屋なら、とても⑥これだけではすまないだろう。
どうしてこんなに多くの辞典が作られるのだろう。帰る途中、私はあれこれと考えてみた。そして、ああ、なるほどと思ったことがある。それは、よく言われる情報化社会の生んだものだという( ⑦ )だ。進歩の速い世の中に、人々の知識や意識がついていけなくなっているのである。その⑧どうしようもない差をうめるのに、辞典は便利で役に立っているのだろう。そう言えば、私もいいものが書きたくて、この一冊の辞典を買いに来たのだった……。
1.( ① )の中に何が入りますか。A.した | B.あった | C.かかった | D.ついた |
A.本屋の主人に話してみると |
B.本屋の主人の話によると |
C.本屋の主人に話をさせると |
D.本屋の主人が話をさせると |
A.駅前にはビルがびっしりと建っている。 |
B.雨が朝からびっしりと降っている。 |
C.人々が電車の中でびっしりとテレビを見た。 |
D.昨日は一日中びっしりとテレビを見た。 |
A.辞典ブーム |
B.食べ物や動物、ファッションなどの辞典 |
C.学習辞典や外国語辞典 |
D.国語辞典や英語の辞典 |
A.大きい | B.広い | C.多い | D.深い |
A.辞典ブームで何でも辞典になること |
B.食べ物や動物、ファッションなどいろいろな辞典があること |
C.国語辞典に、いろいろな種類があること |
D.英語の辞典が20種類くらいあること |
A.こと | B.もの | C.とき | D.ところ |
A.私の考えが、どうしても帰る途中でまとまらなかったこと |
B.今と30年前とでは辞典の数がぜんぜん違っていること |
C.世の中の進歩が速すぎて、人々がそれについていけなくなっていること |
D.情報化社会が私たちの社会とかなり違ったものになってしまったこと |
3 . 高校時代の三年間は、毎日が小さな旅だった。一時間かけての電車通学。ひとつずつ止まる駅には、それぞれの表情があった。始発の武生を出て四つ目に上鯖江という駅がある。いつもそこから乗ってくる親子がいた。足が不自由らしい少年を、かなりの年配と見うけられる母親がおぶってくるのである。
田舎の電車とはいえ、一応朝のラッシュ時である。武生駅でほぼ座席は埋まってしまい、二つ目以降の駅で乗る人はみな立つことになる。通勤や通学の人間がほとんどなので、なんとはなしにそれぞれの定位置があって、互いに言葉こそ交わさないが、その時間のその車両での顔見知りといった関係になる。
どんなに混雑していても、上鯖江まで空いている座席があった。二両目の真ん中あたり。そこが少年をおぶってくる母親の定位置なのである。はじめのうちは、乗ってくるたびに誰かが席を譲っていたのだろう。が、そこに乗りあわせる人たちの暗黙の了解みたいなものがいつのまにかできて、どんなに混みあってもその席には座る人はいなかった。
座席の色が違うわけでもない。「お年寄りや体の不自由な人に席を譲りましょう」そんなシールがでかでかとはってあるわけでもない。お互いに名前も知らない。何をしているのかも知らない。( ① )一日の中のある時間を共有している。そこから生まれた不思議なつながり。そこから生まれたシルバーシート。
高校を卒業してから七年になる。あの電車に乗りあわせる人々の顔ぶれもずいぶん変わったことだろう。今でも上鯖江で、あの親子は乗ってくるのだろうか。ならば今でも上鯖江まで、あそこの席は空いているのだろう。二両目の真ん中あたり。
1.「乗りあわせる人たちの暗黙の了解みたいなもの」とあるが、どういうことか。A.どんなに混雑していても、上鯖江まで空いている座席があったこと |
B.そこが少年をおぶってくる母親の定位置であること |
C.お年寄りや体の不自由な人に席を譲ること |
D.少年をおぶってくる母親が上鯖江から乗ってくること |
A.その電車に乗る人たち |
B.親子と筆者 |
C.筆者とその電車に乗るほかの人たち |
D.親子とその電車に乗るほかの人たち |
A.ところで |
B.それに |
C.けれど |
D.それで |
A.武生始発の電車 |
B.上鯖江まで空いている座席 |
C.一日の中のある時間を共有していること |
D.上鯖江という駅 |
A.朝のラッシュ時、電車は通勤や通学の人間がほとんどである。 |
B.二つ目以降の駅でその電車に乗る人は、みな立たなければならない。 |
C.少年をおぶってくる母親が上鯖江から乗ってくるたびに、誰かが席を譲っていた。 |
D.どんなに混雑していても、二両目の真ん中あたりの席がいつまでも空いている。 |
4 . 暖かな師走の一日、小さな墓地の横を散歩していた。
と、身の丈に余るほうきで、墓の周りを掃いている男の子がいた。近付いて「ボクえらいね。だれのお墓?」と聞くと、「母さんの」と答えた。上着に小2の名札がある。
「魂のすみかと信じいるごとく7歳の子は母の墓掃く」。何かの本に載っていた、心を揺さぶられた短歌を思い出した。
そこへ桶に花束を入れた父親が現われた。頭を下げ「いじらしいですね」というと、「雨の日、この子の雨靴を持って学校へ行く途中、車にはねられました。33歳でした」
私は若いお母さんの墓に手を合わせた。父親と並んで立った少年が「ありがとうございました」ときっぱり言う。
クリスマス、お正月と子供にとって楽しい季節がやってくる。( ① )、この子には母親を思い出す悲しい日々になるだろう。
男の子に「元気を出してお父さんと仲良くね」と声をかけ、墓を後にした。
いい話だ。しかし、それにしても以前見たことがある短歌とそっくりのシーンが目の前に展開した、そのことに驚く。きっと偶然なんだろうけど、ちょっと出来過ぎた話だ、なーんて思ってしまうのは私のひねくれた根性です。
(朝日新聞「天声人語」2001年による)
1.「師走」とは何月か。A.正月 | B.四月 | C.六月 | D.十二月 |
A.ところで |
B.それに |
C.でも |
D.それで |
A.墓の後ろへ行った。 |
B.墓の後ろを掃除した。 |
C.墓の後ろに立った。 |
D.墓から離れた。 |
A.少年は父親と一緒に墓の前に並んで立ったシーン |
B.男の子が母の墓の周りを掃いているシーン |
C.私は若いお母さんの墓に手を合わせるシーン |
D.何かの本に載っていた心を揺さぶられた短歌を思い出したシーン |
A.ほかの子供にとって楽しい季節が、この子にとって母親を思い出す悲しい日々になること |
B.暖かな師走の一日、男の子が墓の周りを掃いていたこと |
C.「魂のすみかと信じいるごとく7歳の子は母の墓掃く」という短歌を思い出したこと |
D.以前見たことのある短歌とそっくりの場面を見たこと |
5 . ここ数年、わたしにはクジラと象を撮影する機会がとても多かった。特に意識的に選んだつもりはないのに、結果としてそうなってきた。理由を考えてみると、これは、クジラや象と深く付き合っている人たちが皆、人間としてとても面白かったからだ。
人種も職業もそれぞれ異なっているのに、彼らには独特の共通した雰囲気がある。彼らは、クジラや象を、自分の知的好奇心の対象とは考えなくなってきている。クジラや象から、何かとてつもなく大切なものを学び取ろうとしている。そして、クジラや象に対して、畏敬の念を抱いているように見える。
人間がどうして野生の動物に対して畏敬の念まで抱くようになってしまうのだろうか。この、人間に対する興味から、わたしもクジラや象に興味を抱くようになった。そして、自然の中でのクジラや象との出会いを重ね、彼らのことを知れば知るほど、わたしも、クジラや象に畏敬の念を抱くようになった。
今では、クジラと象は、わたしたち人類にある重大な示唆を与えるために、あの大きな体で(現在の地球環境では、体が大きければ大きいほど生きるのが難しい)数千万年もの間この地球に生き続けてきてくれた、とさえ思っている。
大脳新皮質の大きさとその複雑さから見て、クジラと象と人はほぼ対等の精神活動ができると考えられる。( ア )、この3種類は、地球上で最も高度に進化した「知性」を持った存在だといえる。実際、この3種類の誕生から、成長過程はほぼ同じで、あら冲る動物の中で最も遅い。1歳は1歳、2歳は2歳、15、16歳でほほ一人前になり、寿命も60、70歳から長寿のもので100歳まで生きる。
1.文中に「そう」とあるが、その指すことはどれか。A.クジラや象を撮影する機会がとても多くなってきた。 |
B.クジラや象を意識的に選んで撮影するようになってきた。 |
C.クジラや象と深く付き合うようになってきた。 |
D.クジラや象を人間として面白くなってきた。 |
A.クジラと象と人がよく似た雰囲気 |
B.クジラや象に対して、知的な好奇心を感じている雰囲気 |
C.クジラや象に畏敬の念を抱いているような雰囲気 |
D.クジラや象を愛するあまり、人間を嫌悪する雰囲気 |
A.ところが | B.いっぼう | C.なぜなら | D.すなわち |
A.だいたい成人前になる | B.だいたい成人になる |
C.だいたい一人の分が食べられる | D.だいたい一人の前で食べられる |
A.クジラと象は人間に対して畏敬の念を抱く |
B.野生動物は体が大きいほど精神活動が複雑になる |
C.クジラと象と人は地球上で最も高度に進化した「知性」を持っている |
D.クジラと象は人間の成長より遅い |
6 . 中学に入ってから3度目の冬がやってきた。12月は暖冬で雪が降らず、スキー場が困っているというニュースが報じられたが、年が明けても、一向に冬らしくならない。
「地球が熱くなるかもよ。」相原が地球をきれいにする「クリーン計画」を言い出したのは、たしか去年の今頃だったと思う。
「相原は、あれからずっと環境のことを考えているのか。」
「そうでもないけど。」
相原も今は高校受験のことで頭がいっぱいなのかもしれない。N校に入るために今は必死になって勉強している。小学校のときから塾や家庭教師についてもらって勉強している奴に比べると、金車やっても無駄な気がするが、それでもやらないわけにはいかない。
「相原くん!菊地くん!」という声が道路の反対側からする。瞳と久美子と純子が手を振っている。こちらも手を振って応えた。3人が行くところはわかっている。河川敷だ。
今日は西脇先生がくるというのでみんなで集まることにした。西脇先生が学校を辞めたのは去年の夏。夏休みだったから、みんなには何も言わず、偶然学校に来なく父 った。
それでも、西脇先生は僕らに「すまない」と思っているのか知らないけれど、たまに河 川敷に来て勉強を教えてくれる。
1.文中に「冬らしくならない」とあるが、それはどうしてですか。A.毎日雨が降らないから。 | B.家に暖房がないから。 |
C.雪がぜんぜん降らないから。 | D.みんながまだ半袖を着ているから。 |
A.環境のことをずっと考えている。 |
B.環境のことは忘れていた。 |
C.環境のことをずっと考えているわけではない。 |
D.環境のことはどうでもよくなった。 |
A.学力はもともと高くないことを知っているから。 |
B.小学校の時から塾などで勉強したわけではないから。 |
C.学力があっても、お金がないことがわかっているから。 |
D.入りたい学校は誰でも人れるわけじゃないから。 |
A.みんなで勉強がしたいから。 | B.西脇先生が来てくれるから。 |
C.西脇先生が来いと言っているから。 | D.みんなは河川敷がとても好きだから。 |
A.みんなには何も言わないで学校を辞めたから。 |
B.みんなの反対を聞かずに学校を辞めたから。 |
C.みんなよりも先に仕事を辞めてしまったから。 |
D.みんなの好意に応えられないと思ったから。 |
7 . ①外国人に日本語を教えていると、自分の母語である日本語を、常に「外国語」として意識する必要に迫られる。
「今、彼に手紙を書いています」と言えば、それは動作が進行中のことだが、「あつ、 まだドアが開いています。よかった、間に合った」という時の「開いています」は進行中の動作とは言いがたい。何故なのだろうかと。
留学生の日本語クラスでは、この類の質問が次々に出てくる。私は一生懸命辞書や国 語文法の参考書をひいたりするが、②答えが見つかることはめったにない。なぜなら、 我々がこれらの言葉の使い分けを覚えたのは、おそらく学齢期に達する前のことである。 言語形成期に、無意識かつ体系的に我々の頭にインプットされた「文法」については、 国語文法で「既知のこと」として扱われることが多いからだ。
留学生からの質問は、まるで鋭い光のように、海中深く眠っている「見えない文法」 をくっきりと浮かび上がらせる。音声や語彙(③)同様だ。留学生の質問に答えて いくということは、まるで「謎解きの世界」で、難しいクイズに挑戦しているようだ。
『外国語としての日本語』
1.①「外国人に日本語を教えている」と、どのようなことが起こるのか。
A.日本語が難しいと思うこと |
B.自分の母語を「外国語」として意識すること |
C.外国人が勉強熱心だと思うこと |
D.日本語の文法が教えにくいと思うこと |
A.辞書に書いていないから | B.文法書に書いていないから |
C.学齢期の前にすでに覚えたから | D.質問があまりにも難しいから |
A.無意識にインプットされた。 |
B.体系的にインプットされた。 |
C.国語文法では既知のこととして扱われる。 |
D.国語文法ではない。 |
A.としても | B.にしても | C.にとって | D.に対して |
A.鋭いからいやだ。 | B.鋭いから答えたくない。 |
C.難しいからいやだ。 | D.鋭いが挑戦したい。 |