1 . そもそも①家族介護において完璧な状態なんてないと思いませんか?「こうすれば完璧」という答えがあるわけではありません。
それにもかかわらず、完璧にやろうとすると、むしろできないと感じることのほうが多く、「②介護者として完璧じゃない自分」という思いが目立ってしまい、自分一人で悩み、つらくなってしまうばかりです。
何事も完璧に成し遂げることなど、できるものではありません。やれることをやればいいのです。できないことばかりに目を向けるのではなく、ちょっとしたことでもできたことを喜び、自分を褒めてあげましょう。
( ア )、自分にできないことがあれば、周囲に頼ればいいのです。そう考えれば、気持ちが楽になるのではないでしょうか。
家族への思いやりが行きすぎてしまうと、どうなるのでしょうか。
あれも、これも自分ですることによって疲れてしまい、「私がこれだけ大変な思いをしているのに、③この人は何もしてくれない」という思いに囚われてしまうのも、仕方のないことです。
そんな疲れ切った介護をされていると、介護される側も「『ありがとう』と感謝しているのに、その思いが伝わっていない」と感じるようになってしまう。そんな思いのすれ違いの中で、互いが見返り(抵偿)を求めてしまい、「自分は相手をこんなに思いやっているのに」という、いわば「思いやりの一方通行」になっている例を数え切れないほど見てきました。思いやりの一方通行を進んだ先に待っているのは、「苦しみの袋小路」です。
1.「①家族介護」について、筆者はどう考えているか。A.一生懸命努力すれば、家族介護は完璧になる |
B.完璧な介護は家族への愛に基づいている |
C.家族を介護することは子供の避けない責任だ |
D.完璧な家族介護は存在しない |
A.完璧ではない自分に焦点を当てて、完璧にやろうとするべきだ |
B.介護される人に感謝や褒め言葉を求めるべきだ |
C.自分を肯定し、人の力を借りながらやれることをやり遂げるべきだ |
D.悩んでいる時は、完璧な介護を目指して一人でやり抜くべきだ |
A.しかし | B.そのため | C.だって | D.そしで |
A.介護される人 | B.介護する人 |
C.介護で疲れている人 | D.完璧な介護が欲しい人 |
A.介護される側の感謝の気持ちが介護する側まで伝わっていないから |
B.介護する側もされる側も、相手が自分の思いやりを感じていないと思ったから |
C.介護する側は自分だけが疲れているという考えに囚われてしまったから |
D.介護される側は家族への思いやりが行きすぎてしまったから |
2 . 午前、知人と喫茶店で話していた時、面白い話を聞いた。知人は大学時代に留学の機会を得て、アメリカに留学した 1 が、帰国する時、心に残る思い出ができた。
アメリカに 2 時は飛行機だったが、帰りは船に乗って 3 、貨客船で帰ることにした。基本的に貨物であるが、乗客も11人まで乗せる貨客船に乗ってアメリカの西海岸の港 4 出て横浜に向かった。
飛行機で外国 5 到着した時に時計を調節するのが普通であるが、船旅では横浜に着くまで、毎日寝る前に1時間時計を遅らせるように船員に 6 。つまり(换言之)、1日25時間になった。 7 、日付(日期)変更線を越える時に日付を1日先に進めることになって、1日失われたのである。
その船には息子さんと一緒に日本へ旅行に行く朴さんという女性が乗っていた。そして、朴さんの誕生日が日付変更線を越える時に失われた1日だったのである。これを知った船長が、朴さんの 8 にパーティーを開く 9 、みんなで朴さんを励まして、パーティーを楽しむことができて、なかなか経験できない船旅となった。
私はこの知人の話を聞いて、 10 船旅も悪くないと思った。今は仕事で忙しく、時間の余裕がないが、私も船旅をしてみたくなった。
1.( )A.そうだ | B.ようだ | C.らしい | D.そうな |
A.行き | B.行く | C.行った | D.行って |
A.おきたく | B.いたく | C.みたく | D.ありたく |
A.を | B.で | C.に | D.が |
A.から | B.まで | C.で | D.に |
A.言われた | B.言わせた | C.言わされた | D.言った |
A.では | B.だから | C.それに | D.そこで |
A.ため | B.よう | C.せい | D.おかげ |
A.ことにして | B.ことになって | C.ようにしていて | D.ようになって |
A.このような | B.このように | C.このみたいな | D.このみたいに |
3 . 「我を忘れる」という表現がある。自分のことを忘れる、というのだから変な感じがするが、考えてみるとなかなかうまい表現だなと思う。映画などを見ていると、知らないあいだに主人公に同一化してしまって、主人公が苦境に立つと、こちらも胸が苦しくなったり、知らないあいだに手を握り締めていて、汗が出たりする。①それは別に映画の話であって、自分が椅子に座ってそれを見ているのだから、何のことはない、と言えばそれまでだが、そんな観客としての自分のことは忘れてしまっているのだ。
子供の劇場の仕事をしている人たちと雑談していると、面白いことを聞かせていただいた。最近の子供たちは、劇を見ていても、それに入り込まずに、いろいろなことを言って、やじ(起哄)で劇の流れを止めようとする。ピストル(手枪)を見ると、「あんなのおもちゃだ」と言う。人が死んでも、「死ぬ真似しているだけ」と叫ぶ。悲しい場面のときに、妙な冗談を言って笑わせる。要するに、「クライマックス(剧情高潮)に達していくのを、何とかして妨害しようとしている」としか思えない。こうなると劇をする人も非常に演じにくいのは当然である。
主催者の人たちがもっと驚き悲しくなるのは、そのような子供たちがやじで騒いで喜んでいた後で、その子の親たちが、「今日は子供たちがよくノルしていましたね」と喜んでいるのを知ったときであった。この親は「ノル」ということをどう考えているのだろう。子どもたちは騒いで楽しんでいるかのように見える。しかし、実のところは劇の展開に「ノル」のに必死で抵抗しているのだ。「我を忘れる」のが怖いのだ。
1.①それは何を指しているか。A.主人公が苦境に立っている状況。 | B.映画を見ている状況。 |
C.胸が苦しくなったり、汗が出たりすること。 | D.主人公に同一化すること。 |
A.満足している。 | B.驚きと悲しみ。 |
C.興奮している。 | D.完全に無関心。 |
A.最近の子供たちはすぐ「ノル」ので、劇をする人は演じやすい。親もそのことを喜んでいる。 |
B.最近の子供たちはやじで騒ぐので、劇をする人は演じにくくて困る。しかし、子どもが楽しんでいるのだから、親と同様に演じる側も喜ぶべきである。 |
C.最近の子どもたちは、映面や芝居の世界に入り込んで「我を忘れる」、ということが少ない。親もそのことに気づいている。 |
D.最近の子どもたちは、映面や芝居の世界に入り込んで「我を忘れる」、ということが少ない。 |
A.積極的に望んでいる。 | B.完全に受け入れている。 |
C.恐れている。 | D.全く気にしていない。 |
A.必要ないと思っている。 | B.文化の違いだと思っている。 |
C.良い体験だと肯定している。 | D.人との関わりがないと批判している。 |
4 . チーム全員で物事を成すというのは本当に面白いが、ときにはチームが一つにまとまらず、あるメンバーがチームの足並みを乱す要因になってしまうこともある。大変残念なことだが、もしそうなったら、リーダーはその現実から絶対に目を背けないことだ。
周りのメンバーから「NO」を言われた人については、その人がどうしても変われないなら、リーダーとしてのあなたがチームから外すことを決断する勇気もときに必要だ。
ただし勘違いしてはならない。外すという決断は、決して軽々しくしていいものではない。そもそも、周りと合わない人がチームにいるというのはよくあることだ。それはまだ、本人に「変わる」余地がいくらでもある状態であり、まずはあなたがその人を変えていけばいい。
たとえば私は、他のメンバーの反応がよくない人ほど、1対1で何度も話し合うようにしている。その席では「周りがこんな不満を感じている」ということを率直に伝え、こうして話し合っていることをメンバーにも分かってもらっている。そのうえで、数か月後に周囲との関係が改善されていなければ、本人に異動の意思を尋ねる。(ア)残念な結果になっても、周りのメンバーも納得できるし、誰でも受け入れやすくなると考えているのだ。つまり、チームからあるメンバ一を外すなら、外すという決断の「重み」を本人にも周囲にも感じてもらえるように、まずあなたが正面切ってその人に何度も働きかけることが先なのだ。
1.文中に「目を背けない」とあるが、それに一番意味が近いのはどれか。A.目線を離さない | B.目を盗まない | C.目が回らない | D.目にあわない |
A.リーダーが勘違いしたこと | B.周りと合わない人がいること |
C.決断を軽々しくすること | D.その人を変えること |
A.それでは | B.なぜなら | C.ところで | D.それならば |
A.他のメンバーに何度も話し合うようにする。 |
B.直接に本人に異動をさせるようにする。 |
C.本人にコミュニケーションを取って、改善してもらうようにする。 |
D.他のメンバーと話し合って、本人を外す決断するようにする。 |
A.リーダーとしての決断は軽々しくしてもいいことだ。 |
B.外すという決断は重いから、本人に何度も働きかけることが大切だ。 |
C.周りのメンバーが納得できるように、リーダーは他のメンバーに何度も話し合うことだ。 |
D.本人は周りとの関係が改善しても、リーダーは本人に異動をさせることだ。 |
5 . 合格発表を待つとき、人前でスピーチするとき、好きな人に告白するとき、人はさまざまな場面でド キドキ(心扑通扑通跳)しています。
このドキドキが起こるとき、私たちの体の中では、どんなことが起きているのでしょう。緊張・興奮したり、不安になったりすると、まず脳の奥深くにあって情動の表出や意欲・記憶などを司る「大脳辺縁系」(大脑边缘系统)というところが興奮します。次に、この興奮が交感神経・副交感神経機能及び内分泌機能を調節している「視床下部」(下丘脑)に影響を与え、全身の交感神経を優位にします。こうして心臓の交感神経が心臓の収縮を強くして、拍動(跳动)を速めることになります。呼吸もいつもより浅くなるそうです。
しかし、恋愛に関するドキドキは、単純に緊張・不安・興奮した時とは違うそうです。なんと人がときめきを感じた瞬間に、ドキドキ発生システムが活発化するという、不思議な特徴を持っています。しかも、その特徴は、誰かに恋をした時の本当のときめきにしか反応しないのだそうです。ある実験では、外見が魅力的な素敵な人に会っただけでは、何の反応もなかったのに、相手を異性として意識し始めた瞬間から、その人に会ったり、その人を想ったりするだけでも、ドキドキしてしまう、という結果が出たそうです。つまり恋愛のドキドキは、人が恋愛をするという自覚を持った時、初めて現象として出るようになるということです。
(ア)、シニアの方(老年人)がドキドキする場合は、注意が必要です。いろいろな病気の可能性が考えられます。動悸を引き起こす病気には、心臓病のほか、高血圧や貧血、感染症などが挙げられます。
1.「ドキドキが起こるとき」体の中で、どんなことが起きているのか。A.「視床下部」に影響を与える一拍動を速める一「大脳辺縁系」が興奮する |
B.「視床下部」に影響を与える一「大脳辺縁系」が興奮する一拍動を速める |
C.「大脳辺縁系」が興奮する一拍動を速める一「視床下部」に影響を与える |
D.「大脳辺縁系」が興奮する一「視床下部」に影響を与える一拍動を速める |
A.外見が魅力的な素敵な人に会ったとき、恋愛のドキドキが発生する。 |
B.人が恋愛をするという自覚を持った時、恋愛のドキドキが発生する。 |
C.恋愛のドキドキは緊張・不安・興奮した時と同じドキドキ発生システムだ。 |
D.誰かに恋をしたとき、ドキドキはしない。 |
A.一方 | B.しかし | C.それで | D.つまり |
A.病気の可能性があるから | B.年齢が高いから |
C.健康に悪いから | D.危険性が高いから |
A.シニアの方がドキドキする場合、医師に相談して、適切な治療を受けたほうがいい。 |
B.ドキドキが起こるとき、心臓の副交感神経が心臓の収縮を強くする。 |
C.相手を異性として意識し始めた瞬間から、その人に会ったりするだけでも、ドキドキしてしまう。 |
D.ドキドキが起こるとき、呼吸はいつもより浅くなるそうだ。 |
6 . 試験というもので、いったい何を調べようとしているのだろうか。たぶん、「学力」といったものだろう。しかし、その「学力」というのが、知識や技能かというと、少し違うような気がする。
おそらく、例えば数学なら数学の世界が、心の中にどれだけ豊かに広がっているか、それが「学力」というものなのだと思う。( ア )、その数学の風景の一部としては、知識や技能もあるかもしれない。しかし、それ以上に、知識を忘れてもなんとかなり、技能でつまずいても(即使失败、受挫)回復できるほうが、「学力」のような気がする。①それは、この景色の内面化のあり方にかかわっている。
それはいくらか、個人の心にかかわってもいる。同じ知識を得るにも、そこに歓びがあったか、同じ技能を得るにも、それを楽しんで身につけたか、そのことが彼の心に刻み付けられている。( イ )、試験というもので、そこまで見るのは無理だろう。むしろ、そこを断念すべきかもしれない。試験というものは、幾分かは断念の上にだけ成立する。心には踏みこまないというのが、試験の限界と考えるべきかもしれない。ぼくの心を他人に図られるのはいやだ、②そう言って拒否してもよさそうだ。
それでも、良質な試験としては、できるだけ彼の世界を判断しようとすることはできよう。例えば数学の試験というと、世間では答えの正否だけのように考えられかねないが、実際には答案の表現のあり方から彼の心の世界を探ろうとするものだ。現実の大学入試の探点でも、そうしたことは試みられている。
1.文中の( ア )に入れるのに最も適当なものはどれか。A.そこで | B.しかし | C.ところが | D.たしかに |
2.文中の( イ )に入れるのに最も適当なものはどれか。
A.しかし | B.つまり | C.それで | D.それとも |
3.①「それ」とあるが、何を指すのか。
A.豊かな知識や技能 | B.心の中の数学の世界の一部 |
C.たとえば数学なら数学の世界 | D.ただの知識や技能ではない本当の学力 |
4.②「そう言って」とあるが、どのように言うのか。
A.知識や技能の内面化は難しい。 | B.自分の心の中は見られたくない。 |
C.試験は知識や技能を見られない。 | D.試験というものには限界がある。 |
5.この文章で筆者が一番言いたいことは何か。
A.心の中の豊かさまでも調べられるのがいい試験だ。 |
B.どのぐらい知識や技能があるかを、詳しく調べられるのがいい試験だ。 |
C.数学なら数学の知識や技能を、楽しみながら調べられるのがいい試験だ。 |
D.知識や技能がまったくなくても、よく考えれば答えられるのがいい試験だ。 |
7 . 個性の重視ということが注目されるようになって以来、「子どもの興味を尊重し、一人一人の子どもが興味を持つこと、「やってみたい」ということを好きにやらせることが、個性の重視である」という解釈が広がりました。しかしその結果、社会生活上のしきたり(注 1)や習慣を教える機会を失ったと悩む教師と、好きなことしかやりたがらない子どもをつくってしまったということはないでしょうか。個性の重視とは、「二人と同じ人間はいない、つまり人は一人一人異なる存在である。(ア)、一人一人が異なった興味や価値観を持つのは当然である」という考え方を肯定する人間観を意味しているのです。
(中略)
子どもの興味や関心は日々変化する可能性があります。しかし、何らか(注 2)の形でその対象を知る機会がなかったなら、興味を持つこともないのです。小学生はまだまだ経験の幅が狭いものです。ですから、おのずと(注 3)興味や関心を持つ対象も、非常に限られた範囲のものになります。さまざまなものに興味を持つのを待つばかりでなく、興味が持てるように、さまざまな体験ができるようにすることが大切です。
(渡辺三枝子『キャリア教育-自立していく子どもたち』による)(注 1)しきたり:昔からの決まり
(注 2)なんらかの:何かの
(注 3)おのずと:自然と
1.文中の「その」の指すことはどれか。
A.「やってみたい」ということを好きにやらせること |
B.一人一人の子どもが興味を持つこと |
C.子どもの興味を尊重すること |
D.個性の重視への解釈が広がったこと |
A.すると | B.でも | C.だから | D.それに |
A.個性の重視ということが間違って解釈されている点 |
B.個性の重視ということが注目されている点 |
C.個性の意味についての解釈が定まっていない点 |
D.教師が社会生活上のルールを教えていない点 |
A.それぞれの望むことを自由にさせる。 |
B.それぞれの興味や価値観を尊重する。 |
C.他人より優れた点を高く評価する。 |
D.他人との違いが大きいほうがよいとする。 |
A.子どもの興味や関心は変わりやすいので、注意深く観察することが必要だ。 |
B.子どもの興味や関心が広がるように、多様な体験の機会を与えることが重要だ。 |
C.子どもの自主性を尊重し、自身で新しい興味や関心を見つけ出すのを待つべきだ。 |
D.子ども自身が見つけた興味や関心に注目し、それを集中して経験させたほうがよい。 |
8 . 少し前のことですが、こんな記事を新聞で読んだことがあります。小学三年生の子どもを毎日プ一ルに連れてきている母親の話。なぜ、そんなことをするのか。「将来の受験のために体力を作るのです」というのが、その答えです。子どもの時代は受験のための待ち時間にすぎない、ということなのです。受験地獄という言葉があります。教育の歪みも、いまでは、ここまで来たのか。――これが、その記事を読んだ時の率直な印象でした。
もちろん、限られた人生ですから、未来のために長い目を持ち、しっかり準備すること は、大切です。しかし、それが行き過ぎますと、現在という時が、つねに固有の意味を失 って、将来のための準備の時になってしまう。そうすると、現在を本当に大切に生きるこ とが、見逃される恐れが出てくるのではないでしょうか。もしそんな形で、それぞれの時 期に固有の意味を持った人間形成ができないのなら、うまく成長できず、幼児的な人間が
作られるだけではないでしょうか。そして未成熟の大人になり、老化していくだけの人生 になるのではないでしょうか。実際、最近の子どもたちは勉強に追われて遊ぶことを忘れ、学校でもクラブ活動をあま りしたがらないということをよく聞きます。そこからはいろいろな問題が出てくるように 思えるのです。
普通、子どもたちは遊ぶ時に自分で創意工夫して、想像力を働かせ、豊かな世界を創り 出すものです。たとえば、部屋の隅にぶら下がっている使い古した箒を誇ると、それが馬 に化ける。あるいは広場に転がっている板切れが魔法の鏡に化ける。そのように、子ども たちは、もともと自由な創意を加えて楽しく遊ぶ術をよく知っている世代です。自由な遊 びを通して彼らは想像力を養い、また集団の行動を通して仲間作りの力や、あるいはリー ダーシップの能力を開発されもするのです。
こうした遊びの世界や自由に遊ぶ喜びを忘れるということは、子どもの時代に身につけ るべき社会性や創造性が失われてしまうことを意味しています。ひいては、非個性的な人 間になってしまうのが落ちでしょう。
1.下線の「ここ」の指すところはどこか。A.教育が歪んでくるところ |
B.受験地獄という言葉が作られるところ |
C.小学三年生の子どもを毎日プ一ルに連れてくるところ |
D.子ともの時代は受験のための待ち時間にすぎない、と考えるところ |
A.未来のことを頭に置きながら、若い時から準備すること |
B.限られた人生を大切にして毎日を楽しく過ごすこと |
C.未来のことを頭に置きながら、若い時から体力を作ること |
D.未来のために長い目を持って人生の計画を立てること |
A.若い時、毎日の努力によって生まれた意義 |
B.現在ではなく未来という時点にだけ人生特有の意義 |
C.それぞれの時期に習うべきものを身につける体験や楽しさなど |
D.将来のためにしっかり準備していろいろと体験するおもしろさ |
A.現在を大切にして生きていく形 |
B.現在を大切に生きることを見失う形 |
C.将来のことより現在のことを重視する形 |
D.将来のための準備を急ぐより現在を大切にする形 |
A.子どものころから将来の受験に備えて体力を作るのは大切なことである。 |
B.人生というものは、その時その時を大切にして生きることが必要である。 |
C.人間は、幼少から創造性を持っていなければ、人生の意味を失ってしまう。 |
D.子どもに自由な遊びをさせるため、クラブ活動は極力控えるべきである。 |
9 . 成功するためにはどうしたらいいだろうか。成功者の話を聞くことも役に立つが、わたしは、失敗者の話を聞くほうが成功への近道になるのではないかと思って いる。
成功者はどのように成功したのか。もちろん準備を整え、努力して成功した人もいるだろう。(ア)、ちょっとしたチャンスを逃さなかった幸運な人もいれば、トラブルもなく苦労せずして成功した人もいる。
成功を山の頂上にたえれば、成功者は山の頂上まで辿り着いた人のことだ。登頂者の中には、天候に恵まれ、技術も経験もある案內者の後を付いて行っただけで頂上まで辿り着いた人もいる。これに対して失敗者は、様々な事情で頂上まで登ることができなかった人たちのことだ。このことから、成功者と失敗者の話の違いが想像できる。運よく登頂できたのんきな話を聞いても、自分が山に登る時の参考にはならない。そんな人の話より、いろいろな困難に遭い、予測できない事が起きて登頂できなかった人の話のほうが、今後役に立つ。(イ)、登頂できなかった原因は何なのか、その対策を立てることで、登頂成功に近づけるからだ。
成功者になるためには、失敗者が失敗した原因を知り、それを避ける方法を考える必要がある。それができれば、成功できる可能性は高くなる。成功したければ失 敗者の話を聞くべきだというのは、そういうことなのだ。
1.文中の(ア)に入れるのに最も適当なものはどれか。A.こうして | B.それでは | C.だから | D.しかし |
A.成功者の話をよく聞いて、真似をするといい。 |
B.成功者の話より、失敗者の話を参考にするといい。 |
C.山に登頂できなかった人といっしょに山に登るといい。 |
D.失敗した話を聞いても無駄なので、登山のトレーニングをするといい。 |
A.運よく登頂できた人の、のんきな話 |
B.困難に遭い、登頂できなかった人の話 |
C.予測できない事が起きて、登頂に失敗した話 |
D.登頂に失敗した原因を考え、対策を立てる話 |
A.けれども | B.なぜなら | C.そして | D.そのため |
A.失敗者の話からは、成功できない理由や事情について知ることはできないが、なんとなく成功する可能性が高くなりそうだから |
B.無事に運よく成功した者の話は、自分も簡単に成功できると思わせてくれるから |
C.失敗した原因を知り、それを避けるようにすることで、成功する可能性を高くすることができるから |
D.失敗者の話は、成功するのがそんなに簡単でないことを教えてくれ、自分も頑張らなくてはいけないと思わせてくれるから |