A.あげた | B.もらった | C.くれた | D.やった |
A.のに | B.ので | C.から | D.ため |
1.男の人はコマーシャルの何が問題だと思っていますか。
A.量 | B.内容 | C.費用 |
A.コマーシャルが嫌いだ。 |
B.コマーシャルがあって便利だ。 |
C.コマーシャルはおもしろくない。 |
4 . 生物学に「適者生存」という概念があります。「生物は環境に最も適した者が生き残る」というもの。
有名な例えは「キリン(长颈鹿)の首」です。キリンの首はなぜ長いのか。適者生存で考えると、首が長くなったほうが遠くまで見渡せて外敵から身を守れるし、高い木の葉っぱを食べやすくなるから。環境がキリンの首を長くしたのだ、と考えます。
これとは対照的なのが「運者生存」の概念で、文字どおり「運のいい者が生き残る」というものです。( ア )魚のマンボウは一度に約2.7億の卵を産み、このうち親になるまで成長できるのは1~2匹といわれています。
適者生存で考えると「生き残った1匹はほかの卵より環境に適していたのだ」となり、運者生存で考えると「生き残った1匹はほかの卵より運がよかったのだ」となる。この場合、無数の卵のうちのたった1匹だけに、遺伝的な適合性があったと考えるのは奇妙で、非常に不自然です。この1匹が生き残ったのは、まさに(イ)からにほかならのです。
長い長い時間や種全体の存続、といったマクロ的な(宏观的)視点からみると、やはり適者生存説は現象をうまく説明しています。しかし、人間の一生くらいの短い時間や、比較的少ない個体数といった集団の規模での現象を観察すると、運者生存が当てはまる(符合)ケース(事例)が少なくありません。
さて、「運者生存」というと、自分には、何もできることはない、努力して何とかなるものではないのではないかなどと思うかもしれません。しかし、私はそう思わないのです。運·不運というのは、誰の身にも公平に起きていて、その運をどう生かすかを少なくとも人は主体的に関わっていける、というのが私の考えです。
1.「適者生存」に当てはならないのはどれか。A.温室で育った菊の花は春節に咲いた。 |
B.恐竜は絶滅したが、鰐はまだ生き残っている。 |
C.野生のパンダの数はだんだん少なくなっている。 |
D.マンモス(猛犸象)は消えたが、象はまだ地球に生存している。 |
A.しかし | B.そして | C.例えば | D.だから |
A.奇妙であった |
B.運がよかった |
C.環境に適していた |
D.個体数が少なかった |
A.長い時間から見れば、運者生存の例が多い。 |
B.種全体の存続を観察すれば、運者生存の例が多い。 |
C.マクロ的な視点から見れば、運者生存の例が少なくない。 |
D.個体数の少ない集団を観察すれば、運者生存の例が少なくない。 |
A.「運者生存」は不公平だ。 |
B.「運者生存」だから努力しても無駄だ。 |
C.人間は主体的に自分の運を生かすことが可能である。 |
D.運がいつ起きるか分からないから、人生を運に任せるしかない。 |
「せっかくですが、 。」
A.ぜひ行ってみたいです | B.行かせてください |
C.行かせていただきます | D.忙しくてちょっと······ |
A.さしあげました | B.くださいました |
C.いただきました | D.召し上がりました |
A.べき | B.はず | C.しか | D.さえ |
A.駅 | B.学校 | C.工場 |
9 . 一般的に言って、状況認識は正しかったり間違っていたりするものである。窓の外を見て「曇りだ」と思ったが、外に出てみると小雨が降っていたとしよう。この時、「曇りだ」という認識は間違っていたことになる。そして、間違った認識に基づいた行動は失敗する可能性が高い。曇りだと思って傘を持たずに玄関を飛び出すと濡れてしまい、「しまった」と思うだろう。
感情にも同じことが言える。危害を加えられたと思って怒ったが、実際には危害はなかった場合、その怒りは間違ったものとなる。更に、その時の対処行動も失敗したものとなってしまう。
例えば、廊下を歩いている時に、近くの部屋から悪口(坏话)が聞こえてきたとしよう。その悪口は自分に向けられたものだと思い、怒りが生まれた。そして、「文句があるなら直接言え!」と部屋に怒鳴り込んだ。( ア )、その悪口は自分ではなく他の人についてのものだった。勘違い(误会)で怒ってしまったのである。
こうした間違いはどのような結果を生み出すだろうか。まず、間違った怒りは相手の怒りを買うのだろう。そのため、勘違いで怒鳴られた人には怒る正当な理由があり。過度な反撃をしてしまうかもしれない。そうすると、元々自分が悪かった人も正当に怒る理由がいくらか与えられてしまう。
このようにして、怒りは更なる怒りを呼ぶ。最初は些細な失敗から始まった怒りも、やりとり(争执)を続けていくうちにエスカレート(升级)していくだろう。こうしたやりとりを繰り返すうち、何が悪かったのか、どちらが悪いのかよく分からなくなってくる。
1.文中に「間違った認識に基づいた行動」とあるが、それに合っている例はどれか。A.小雨と聞いて傘を持って出かけた。 |
B.面白いと思って読んでみたら、つまらなかった。 |
C.仕事場ヘパソコンを忘れ、弁当だけ持って行った。 |
D.会議中に指名され、意見を求められた時に寝ていた。 |
A.正しい認識に基づいた行動は必ず成功する。 |
B.正しい認識に基づいた行動は必ず失敗する。 |
C.間違った認識に基づいた行動は成功することが多い。 |
D.間違った認識に基づいた行動は失敗することが多い。 |
A.だから | B.つまり | C.しかし | D.その上 |
A.悪口を言われたから |
B.悪口を耳にしたから |
C.褒めるつもりなのに勘違いされたから |
D.相手のことを言っていないのに怒鳴られたから |
A.正しい状況認識は大切だ。 |
B.怒りが更なる怒りを呼ぶ。 |
C.失敗は些細な怒りから始まる。 |
D.勘違いは怒りの結果を生み出す。 |
10 . ある百姓が鷲の卵をみつけた。しかし、百姓はそれが鷲の卵とは知らず、鶏の小屋の雌鶏の巣の中に入れた。雌鶏はそれが鷲の卵とは知らず、ほかの卵と同じように扱った。まもなく鷲の子が生まれたが、雌鶏はほかの雛たちと同じように育てた。
鷲の子は自分が鶏だと思い込み(确信)、鶏の真似(模仿)をして暮らした。ある日、鷲の子は空を見上げると、大きな鳥が空を舞っているのに気づいた。鷲の子が「あれは何?」と尋ねると、雌鶏は「鷲だよ」と答えた。鷲の子が「( ア )」と言うと、「それは無理だ。君は鶏なんだから」と言った。鷲の子はうなだれて(垂下头)「そうだね」とつぶやいた(嘟囔)。
結局、鷲の子は大きくなっても自分が鷲であることに気づかず、「自分は飛べない」と思い込み、大空を羽ばたく(展翅)ことなく生涯を終えた。
多くの人がちっぽけな(渺小)自分で満足しているのはなぜか。なぜ大きな夢を追い求めないのか?
私たちは何かをしようと思うとき、自分の能力を疑いがち(往往)だ。多くの場合、その原因は自分を限定する信念にある。大志を抱いて「夢を実現したい」という願望は持っていても、つい恐れを感じてしまい、「自分には夢を実現する能力がない」と思い込むようになる。
大志を抱くということは、それを成し遂げる(实现)ことができるという証である。夢をみる能力が備わっているなら、その夢を実現する能力も備わっているからだ。大きな夢を抱き、勇気を出して行動を起こそう。あなたは偉業に向かって飛躍するために生まれてきたのだ。夢に向かって邁進しよう。
1.文中に「鶏の真似をして暮らした」とあるが、それはなぜか。A.鷲の卵は鶏の卵と同じだから |
B.鷲の子は雛たちに育てられたから |
C.鷲の子は自分が鷲であることに気づいたから |
D.鷲の子は自分が鷲だと知らず、鶏だと思ったから |
A.あれは鷲だね |
B.ぼくは鶏なんだね |
C.ぼくもあんなふうになりたい |
D.ほくも母さんのようになりたい |
A.信念が強く、頑張っている。 |
B.目標を立てて夢を追い求める。 |
C.自分が平凡のままでいいと考える。 |
D.平凡だが、いつか偉業を達成できると信じる。 |
A.大志 | B.能力 | C.勇気 | D.偉業 |
A.自分に満足することが最も大事だ。 |
B.大志がなくても、勇気があれば成功できる。 |
C.鷲の子は飛ぶ能力がないから、空を飛べない。 |
D.私たちは大きな夢を抱いて、前に進むべきだ。 |