1 . 「雪月花の時最も友を思ふ。」
これは川端康成氏がノーベル文学賞を受けた時、スウェーデン学士院で行った「美しい日本の私」という講演の中に挿入した詩の一行であった。
この詩句について、ある時私は、川端氏に誰の作かと尋ねたことがある。すると川端氏は、あの大きな眼をぎろりと光らせて、「そんなこと、知るもんですか」と、にべもない(冷漠无情)返事だった。だが私はまもなく、それが矢代幸雄氏の名著『日本美術の特質』から孫引きされた(间接引用)白楽天の詩句であり、原詩が少し間違って引用してあることを知った。
さらにまた、その詩が『和漢朗詠集』に収められていて、平安時代にその詩句は極めて人口に膾炙し、『枕草子』にはそれについての一挿話を書きつけていることに気づいた。
極めて日本人的な美意識とはいえ、その原作者は中唐の高名な詩人であった。最も白楽天の詩句など、特に日本人に好かれやすい性質を持っているのかも知れない。朗詠には「交友」の章に、「琴詩酒ノ友皆我ヲ抛チ雪月花ノ時最モ君ヲ憶フ」という対句として挙げられている。詩の題は「殷協律ニ寄ス」。江南で生活していた頃、琴、詩、酒をともに楽しんでいた友だちは、すべて私を見棄てどこかへ行ってしまった。自分は今一人になって、雪、月、花に対しながら、これをともに見て楽しむ友として、切に君(殷氏)のことを思う、というのだ。
この詩がもとで、日本では「琴詩酒」とか、ことに「雪月花」とか、言われるようになった。言わば、日本人の風雅思想の形成の上で、この詩句は大事な役割を果したと言える。それに、その後日本人が四季の代表的な景物を言う時、この三つに夏の時鳥をも加えて挙げるのが常で、今も私たちは何かというと雪月花と言っている。
1.文中の「雪月花」が表している季節の組み合わせとして最も適当なものはどれか。A.雪―冬 月―秋 花―春 | B.雪―春 月―冬 花―秋 |
C.雪―秋 月―春 花―冬 | D.雪―冬 月―夏 花―春 |
A.そんなこと、わかるわけがない。 |
B.そんなこと、わかるはずだ。 |
C.そんなこと、知らないわけがない。 |
D.そんなこと、知るものだ。 |
A.その詩句は、多くの人々に知られていること |
B.その詩句は、多くの人々に批判されていること |
C.その詩句は、多くの人々に愛唱されていること |
D.その詩句は、多くの人々がよく口にしていること |
A.白楽天は江南で生活していた時、『和漢朗詠集』を書いた。 |
B.白楽天は友人を見棄て自分一人で琴を弾いたり、詩を作ったりして遊んだ。 |
C.一人になった白楽天は雪月花を見て友人を懐かしく思った。 |
D.矢代幸雄氏は『枕草子』に「殷協律ニ寄ス」を書きつけている。 |
A.川端康成氏はノーベル文学賞の受賞式での講演に白楽天の詩を引用した。 |
B.「雪月花」は日本独自の文化から生み出された日本人の風雅思想のことだ。 |
C.「雪月花ノ時最モ君ヲ憶フ」という詩が『和漢朗詠集』に載っている。 |
D.「雪月花」は自然を身近な生活の中に感じ取る日本人の美意識のことだ。 |
2 . 四季の中で、わたしは秋という季節が一番好きだ。これは、ほとんどの人に共通の好みだろう。日本という国は、気候的にあまり住みやすい国ではない。夏は湿気が多く、蒸暑い。春は空が低く憂鬱であり、冬は寒さがすこしひどすぎる。日本の気候では、秋だけが快適で、よく人間の生活環境に適している。
だがわたしが秋が好きなのは、こうした一般的な理由以外に、特殊な個人的の意味もあるのだ。というのは、秋が戸外の散歩に適しているからだ。わたしは趣味のない人間だ。釣りやテニスなどという趣味娯楽は、わたしがまったく知らないところだ。碁、将棋が好きだが、友人との交際がないわたしは、めったに手合せする相手がいないので、結局それもしない。旅行ということも、わたしはほとんどしたことがない。嫌いというわけではないが、準備が複雑で、それに外に泊ることが嫌だからだ。こうしたわたしは野良犬のように終日戸外を回っているのだ。これが、わたしの唯一の「娯楽」でもあり、「消閑法」でもあるのだ。
前にわたしは「散歩」という字を使っているが、わたしの場合は少しこの言葉に適合しない。最近流行のハイキングなどというのではないからだ。多くの場合、わたしは行く先の目的もなく方向もなく、失神者のように歩き回っているのだ。(ア)「漫歩」という語がいちばん適切しているのだ。
1.文中に「四季の中で、わたしは秋という季節が一番好きだ」とあるが、その理由はどれか。A.春は空が低く憂鬱だから。 |
B.夏は湿気が多くて蒸暑いから。 |
C.秋は戸外の散歩に適しているから。 |
D.冬は寒さがすこしひどすぎるから。 |
A.秋は戸外の散歩に適している。 |
B.日本の気候では、秋だけが快適だ。 |
C.わたしの唯一の「娯楽」は散歩だ。 |
D.わたしは趣味のない人間だ。 |
A.釣りやテニス | B.碁、将棋 | C.旅行 | D.散歩 |
A.だから | B.それに | C.しかし | D.そして |
A.わたしは碁、将棋が好きで、よく友達とする。 |
B.わたしの唯一の「娯楽」は漫歩だ。 |
C.わたしはよく行く先の目的もなく戸外を回っている。 |
D.わたしは釣りやテニスなどという趣味娯楽がまったく知らない。 |
3 . 彼の家の近くに小鳥屋があった。その小鳥屋に、ある日、1羽のオウムが来た。声はとてもきれいで、その声を聞くと一日中幸せだった。その上、そのオウムはいつも日本語で歌を歌っていた。彼の好きな歌①ばかりだった。毎日このオウムの歌が聞けたら、どんなにすばらしいだろうと彼は思った。そして、とうとう彼はそのオウムを買ってしまった。オウムは一日中歌い続け、彼は幸せだった。
そのうち、友達の家のパーティーに行くことになった。彼はオウムに新しいシャツとネクタイ、黒い服を着せて、パーティーに連れて行った。②友達を驚かそうと思ったのだ。③( )、友達はみんな不満だった。
「どうしてオウムなんて連れてきたんだ?」
「まあ、このオウムの歌を聞いてくれよ。このオウムは日本語で歌を歌えるんだ。」
「そんな、まさか。」
友達は誰も信じなかった。彼は友達の1人にこう言った。
「じゃ、賭けをしよう。日本語で歌わなかったら一万円払うよ。でも、もし歌ったら、君は一万円払うんだ。」
「いいよ。払うよ。」
友達は一万円取り出した。すると、[僕も賭ける。」と言う人が増えて、20人になった。彼はオウムに言った。
「さあ、歌ってくれ。お前のいい声を聞かせてくれ。」
しかし、オウムは歌わなかった。彼は慌てた。結局、彼は賭けに負けてしまった。家に帰ると、彼はナイフを出して、オウムに言った。
「さあ、④今日の夕食はオウムのサンドイッチだ。」
すると、オウムは言った。
「まあ、待ちなさい。」
「待つとどうなるんだ。」
「次のパーティーでは、みんな少なくとも10万円は賭けると思いますよ。」
注:「オウム」:鹦鹉
1.文中の①ばかりの使い方と同じのはどれか。
A.授業中ずっと話してばかりいて、先生に怒られた。 |
B.会議室には3人ばかりの学生がいる |
C.できたばかりのケーキはとても美味しそうだ |
D.日本語ばかりでなく、フランス語もできるなんて、すごい |
A.オウムを買ったこと |
B.オウムに日本語を話させること |
C.オウムに服を着せること |
D.オウムに歌を歌わせること |
A.だから | B.しかし | C.そして | D.それで |
A.オウムの作ってくれるサンドイッチを食べるんだ |
B.オウムの買ってくれるサンドイッチを食べるんだ |
C.オウムにサンドイッチを食べさせるんだ |
D.オウムを食べるんだ |
A.やはり彼に食べられた |
B.やはり友達の前で歌を歌った |
C.次のパーティーで利用される |
D.次のパーティーで賭けをする |
4 . もともと、日本人は詩との出会いがよくないと思う。
大多数の人にとって、詩との出会いは国語教科書の中だ。はじめての体験、新しい魅力、感じとるべきことが多すぎて、詩歌などゆっくり味わう暇のない年齢のうちに、強制的に詩を与えられる。それを「よいもの」「美しいもの」として「読み解くべきもの」だと教えられる。そして、この行にはこういう技巧が使ってあって、それが作者のこういう感情を効果的に伝えている、などと解説される。それが終われば理解度をテストされる。
こんな出会いで詩が好きになるわけないと思う。子どもの大好きな漫画だって、こんなこちこち(僵化)のやり方で技巧を解説され、「解釈」を定められ、学期末のテストで「作者の伝えたかったこと」を書かせられたら、みんな退屈になるにちがいない。詩を読む時の心理的ハードル(难度)はこうして高くなるのだ。
人が何かを突然好きになり、その魅カが感じられる時、その対象の「意味」や「価値」を考えたりはしないものである。意味など分からないまま、ただ格好いい、かわいい、おもしろい、目が離せない、と思うのがあたりまえである。
詩とはそのように出会ってほしい。
1.文中の「それ」は何を指すか。A.詩 | B.魅力 | C.体験 | D.教科書 |
A.詩歌の作者 | B.大多数の読者 | C.国語の教師 | D.詩を読む生徒 |
A.詩の美しさ | B.生徒の年齢 | C.作者の感情 | D.作者の技巧 |
A.解釈が自由だから | B.理解する暇がないから |
C.詩歌ほど面白くないから | D.解説の仕方がこちこちだから |
A.詩の魅力を感じてほしい。 | B.詩の価値を考えてほしい。 |
C.詩の意味が分かってほしい。 | D.詩の技巧が分かってほしい。 |
5 . 昔、楚国に非常に貴重な真珠を手に入れた男がいた。彼はそれを売ってお金を儲ける(赚)つもりだった。真珠がいっそう貴重に見えるために、彼は真珠にふさわしい櫃(椟,木盒)を作りました。それは表面にきれいな模様が彫られていたし、五色の石と素敵な羽の毛で巧みに飾られていたものだった。まごとにそれ以上見事な櫃はないということだった。
男は真珠を櫃の中に入れ、両手で捧げながら市場へ売りに行った。ある鄭国からの男はそれを見たとたん、すぐにまぶしい(光彩夺目)ほどきれいな櫃に気を引かれてしまった。それで、櫃を持って真剣に見た後、大変気に入ったので、つい高い値段で買い取った。鄭国の人は櫃を開けたら、ぴかぴか輝いていた真珠が見えた。しかし、彼は真珠に興味がなさそうに、それを取り出し、売主に渡り返してしまった。( ア )、空っぽな櫃を持つてとっさに(立刻,马上)姿が消えてしまった。
しばらくの間、売主はそれはいったい何なのだろうかとわけが分からなかった。最後、彼は真珠を見つめながら、溜息を吐いた。「もし、人々はみんなこの買主のように、ただ外見を重んじて中身を軽んじるなら、気の毒な真珠よ、もしかしてお前は埃の中に埋められるよりよい運命はないだろう。」と独り言を言った。
1.文中の楚国の男の人が真珠を売ろうとしたのはなぜか。A.櫃を売るから | B.櫃を買うから |
C.お金を儲けるから | D.もっと貴重な真珠を手に入れるから |
A.もっとも高い櫃である。 | B.本当にすばらしい櫃である。 |
C.思ったよりきれいな櫃である。 | D.真珠ほど珍しくない櫃である。 |
A.櫃がきれいで好きだから | B.櫃の中の真珠を手に入れたいから |
C.櫃がまぶしくて高いから | D.櫃を高い値段で他の人に売りたいから |
A.さて | B.それから | C.ちなみに | D.また |
A.真珠が買主の不注意で壊されたから |
B.櫃があまりにも美しくて、売り惜しんだから |
C.真珠が思ったとおりに高い値段で売り出せなかったから |
D.買主は櫃の外見に引かれ、真珠の本当の価値を見失ったから |
6 . 「年」という化け物が一年の最後の日に村に来て、動物や人間を襲うという物語があります。
その「年」は赤い物とか大きい音とかを怖がるそうです。ア、村の人々は赤いものを玄関に飾ったり、一晩中火を燃やしたり、竹を火に投げて大きな音を出したりしました。そうして「年」を追い出しました。それがだんだん変化して、新しい年を迎える現在の習慣になりました。
中国では、旧暦の元日は「立春」と時期が近いので、その日を「春節」と名付けました。「春節」は祝日の中で最も盛大で、1年でいちばんにぎやかに過ごします。新暦は中国人の生活を大きく変えましたが、伝統的な旧暦はわたしたちの生活に影響を与えています。こうして、「春節」は、年越しの文化になって、わたしたちの現在の生活に深く関わっています。
1.文中のアに入れるのに最も適当なものはどれか。A.それから | B.それとも | C.それで | D.それに |
A.「年」は赤い物とか大きい音とかを怖がること。 |
B.化け物は動物や人間を襲うという物語。 |
C.「年」を追い出したこと。 |
D.村の人々は「年」を追い出すために赤いものを飾ったり、火を燃やしたり、大きな音を出したりしたこと。 |
A.「年」は春の時に村に来るので、「春節」と名付けた。 |
B.立春の時に村の人は「年」を追い出したから、「春節」と名付けた。 |
C.旧暦の元日は「立春」と時期が近いので、その日を「春節」と名付けた。 |
D.「年」は春を怖がるから、「春節」と名付けた。 |
A.「春節」はわたしたちの生活に深く関わっている。 |
B.「春節」は新暦の元日だ。 |
C.「春節」は祝日の中で最も盛大ではない。 |
D.「春節」は中国人の生活を大きく変えた。 |
A.村の人はどう「年」を追い出すか分からなかった。 |
B.「年」は何も怖がらないそうだ。 |
C.「春節」は1年でいちばんにぎやかに過ごす。 |
D.今、村の人は毎年「年」を追い出しなければなりません。 |
7 . 亀が、ゆっくりゆっくり道を歩いていました。池のそばで歩いて、自分の家へ帰ります。そこへ兎が、ぴょんぴょんと跳ねながらやって来ました。
「亀君、あなたはほんとうに遅いですね。それでは家に着く前に、日が落ちますよ。」と言いました。
亀は、怒って言いました。「僕でも、いざとなれば、とても早く走ることができます。」
兎は、笑って言いました。「いざの時、いつのことですか。」それから、兎は少し考えてから言いました。「よし、明日の朝、向こうの山の木まで競走しますか。それが君のいざの時ですね。」
「分かりました。競走しましょう。」亀は答えました。
次の朝、亀と兎は向こうの山の木に、セー、ノーと出発しました。兎はぴょんぴょん川を渡り、森を過ぎ、野原を横切って走りました。山に登る坂道まで来た時、兎は振り返りました。亀の姿は見えません。
「ハハハ、亀がここまでまだまだですね。ちょっと休んでもいいよ」兎はそばの草原に寝ました。
亀は少しずつ歩いて、兎の所まで来ました。一生懸命歩いたので、汗がいっぱいです。でも、寝ている兎を見て、笑いながら言いました。
「お先に失礼します。じゃね。」
こうして、兎は亀に負けたのです。
解釈:
ぴょんぴょん 蹦蹦跳跳地 いざとなれば 万一紧急的时候(いざ危机)
セー、ノー 准备时说的话语,相当于“准~备”
横切って走りました 横跨
振り返りました 回头看
1.亀が兎と何をしていましたか。
A.話します | B.競走します |
C.家に帰ります | D.兎の家に行きま |
A.早く走ります | B.早く家に帰ります |
C.川を渡って、森を過ぎます | D.山の木まで先に着きます |
A.森林の中で寝ました | B.川のそばで寝ました |
C.坂道で寝ました | D.野原で寝ました |
A.兎は亀ほど速くないですから。 | B.亀より、兎のほうが遅いですから。 | C.兎は途中で転びましたから。 | D.兎は途中で寝ましたから。 |
A.兎より亀のほうがはやいです。 | B.亀に会ってからすぐ競走しました | C.亀はさきに木のところに着きます | D.兎はさきに木のところに着きます |
作家の柳田邦男さんの講演を聴く機会があった。息子を25歳で亡くしてから児童文学に興味を持ち、特に絵本に傾倒しているという柳田さんは(ア 興味深い)話を紹介した。
東京の病院に急性脳症で脳死状態になった2歳の男児が入院していた。悲しみにくれる母にはもう一つの悩みがあった。8歳の姉と5歳の兄に、弟の死をどう( イ )いいのだろうか。相談を受けた小児科医は、イギリスの作家、スーザン・バーレイの『忘れられない贈り物』を2人に読み聞かせる。死を迎える森の穴熊とほかの動物との暖かい交流を描いた物語。話が終わった時、2人の子供は目に( ウ )涙を浮かべ、「死」の重さを理解するという実話だ。
1.「活字離れ」のもっとも適切な意味は次のどれか。
A.識字率が低い。 |
B.書籍の利用率が低下する。 |
C.文字を読み書きする能力が弱い。 |
D.文字媒体の利用率が低下する。 |
A.読書で親子の心の触れ合いを深める。 |
B.読書で心の豊かな子供を作る。 |
C.読書で人間の交流を強める。 |
D.読書で人間と動物の共存を理解する。 |
A.きょうみぶかい | B.きょうみふかい |
C.しゅみふかい | D.しゅみぶかい |
A.分かったら | B.分からせたら |
C.分かるなら | D.分からせるなら |
A.おおいに | B.おおく | C.いっぱい | D.とても |