1 . 秋になると、山の木の葉が黄色や赤に変わる。これを「紅葉」と言う。この季節になると、きれいな「紅葉」を見るために、山へ行く人がたくさんいる。でも、どうして「紅葉」する木の葉は黄色や赤になるだろう。今まで緑色だった( 26 )、急に色が変わってしまうのはなぜだろう。この理由は難しいことではない。本当は、葉の色は( 27 )黄色や赤なのだ。「葉緑素」というものが葉の中にたくさんあると、葉が緑色に見える。しかし、葉が死んで、「葉緑素」が( 28 )と、初めの色に戻る。( 29 )「紅葉」は、葉に他の色が( 30 )付くのではないのだ。
1.A.たら | B.から | C.のに | D.のは |
A.今 | B.必ず | C.後から | D.初めから |
A.ある | B.できる | C.なくなる | D.変わる |
A.そして | B.しかし | C.それに | D.だから |
A.新しく | B.もう一度 | C.たくさん | D.もう |
2 . 多くの人が数学の才能があるかないかと言うことを学生時代の数学のテストの点数で論じているのだ。しかし、小学校の算数から始まって、大学までの数学を理解するのに、才能も何も関係ない。それを理解する能力は、日常生活をきちんと遅れる能力とあまり変わらない。そう私は思っている。「数学の才能」と呼ぶのにふさわしい能力の持ち主は、歴史に名前を残しているような大数学者のことを言うのであって、百年に1人いるかいないかだというのが私の考えなのだ。
では「大学程度までの数学を理解する能力」、すなわち「日常生活をきちんと送れる能力」とは、どんな能力だろうか?大体次の四つのことができる能力と考えればいいだろう。それができれば、後は努力によるものである。
その四つとは、「辞書を引くことができる」、「自分のかばんを自分のロッカーに入れられる」、「料理を作れる」、「地図を描ける」である。なぜ、これらの能力があれば大学までの数学は理解できると言えるのか。
例えば、「英語の辞書が引ける」ということは、アルファベット(英文字母)26文字の順序関係を理解できることだ。「自分のロッカーが使える」ということは、すなわち、「一対一」対応の考え方を理解できるということだ。「料理を作れる」ことは、ものを観察し、予測する力があることを意味し、「地図を描ける」ことは、線や記号を使って実際の空間を平面にする能力、すなわち、抽象化する能力を意味しているのだ。
だから、これらの四つの能力があるのに、数学ができないという人は、数学を理解する能力がないということではなくて、単に努力をせず、怠けていただけだと思うのだ。
1.文中の「それ」の指すのはどれか。A.テスト | B.才能 | C.数学 | D.日常生活 |
A.大学の数学を理解する才能 |
B.線や記号で空間を平面にする才能 |
C.日常生活をきちんと遅れる才能 |
D.大数学者が持つ特別な才能 |
A.歴史的に有名な数学者がたくさんいること |
B.数学才能のある人の数が分からないこと |
C.数学才能のある人はめったにいないこと |
D.数学能力の持ち主は歴史に名前を残したこと |
A.抽象化することができない人 |
B.まじめに勉強し頑張った人 |
C.努力せず怠けていた人 |
D.対応の考え方を理解できない人 |
A.数学を理解するには、日常生活を送れる能力があれば十分だから、努力によっては大数学者になれる。 |
B.数学の能力は、学校の数学を理解する能力とは関係がないのだから、日常生活を送れる能力とも関係がない。 |
C.日常生活を送れる能力がなければ、数学は理解できないから、学校ではその基本能力を学ばせるべきだ。 |
D.大学までの数学を理解するには、日常生活を送れる能力があれば十分で、後は本人の努力によるものだ。 |
3 . 请以「十年後の私」为题,写一篇作文。
要点如下:
1、想像した理由を書いてください;
2、想像した内容をはっきり書いてください;
3、想像が実現したら何をするかが具体的に書いてください。
注意事项:
1.字数300-350字左右;
2.格式正确,书写清楚,语法正确、语句连贯;
3.上述内容在文章中要有所体现;
4.文中不得出现真实的地名、校名和人名等信息;
5.使用「です」、「ます」体。
A.とおりに | B.ために | C.ところ | D.まま |
A.だけ | B.ぐらい | C.まで | D.から |
例文:2人はとても仲がよかったので、祖父を失った祖母の悲しみが思われます。
A.柳の木を見ると、田舎での生活を思い出されるそうです。 |
B.中国の伝統芸能は古くから多くの人に楽しまれています。 |
C.わたしたちの劇を楽しまれたでしょうか。ちょっと心配です。 |
D.ハルビンが昔のヨーロッパの雰囲気が感じられる。 |
写作要点:
1.写出你赞成哪种观点
2.写出自己观点的理由。
写作要求:
1.格式正确,书写清楚;
2.字数不少于 300 字;
3.使用「です、ます」体。
A.までを | B.までで | C.までに | D.までも |
A.読んでやり | B.読ませてあげ | C.読んでくれ | D.読ませてもらい |
10 . 今でも忘れられぬ新聞記事がある。
20 年前の年末、全身が凍えるほど寒い夜のこと。あまり流行らない蕎麦屋が閉じるころ、額に皺が出た女の人と食べ盛りと見える少年と少女の母子 3 人が入ってきた。注文したのはたった 1 杯の蕎麦だけ。蕎麦屋の夫婦は心を痛め、そっと蕎麦を多めに入れてあげた。
3 人が 1 杯の蕎麦を 3 人で分け合って食べ終えた。と言っても、女の人は残りの汁を飲んだだけで、子供たちが食べるのをじっと見ているだけだった。女の人は本当にすまなそうに財布から小銭を出して払った。3 人が店を出る時、主人はそっと男の子の手に数枚の千円札を握らせ、聞こえないような声で、「お子さん、① でまた食べにおいで」と言った。
蕎麦屋の中年夫婦は②「思わず互いに顔を見合せずにはいられなかった」との記事を書いていた。
時間の経つのは速いもので、あれから 20 年経った。あの 3 人が再び、あの蕎麦屋に立ち寄ったそうである。男の子は国会議員に、女の子は銀行員になっていた。そればかりか、それぞれ妻も夫も一緒で幼い子どもたちまで伴ってきたのである。女の人と言えば、白髪のよく似合う老婦人になっていたのです。その婦人を中心にして一家はにぎやかにテーブルを囲む形で腰を下ろした。今度は人数分の蕎麦を注文したそうである。蕎麦屋の老夫婦にとっては③思いがけない(没有想到)温かい幸せな一時だった。そして、またお互いにしみじみと顔を見合せずにはいられなかった。これは作り話ではなく、本当にあったことなのである。
1.① には何を入れるか。A.これ | B.それ | C.あれ | D.どれ |
A.うるさい母親に感動した | B.子供たちの食欲にびっくりした |
C.貧しい母子に同情した | D.お金を払ってもらえて安心した |
A.蕎麦がおいしかったから | B.あれから 20 年目だから |
C.蕎麦屋夫婦に会いたかったから | D.蕎麦の代金を払いたかったから |
A.子供たちがすっかり立派になっていること |
B.20 年も経つのに、家族が覚えていてくれたこと |
C.20 年も店を続けてきたこと |
D.女の人がやさしい白髪の婦人になったこと |
A.1 杯の蕎麦 | B.仲良し蕎麦屋 | C.国会議員の誕生 | D.母親の皺 |