1 . 今はまだ、コンピューターは人間が命令しないと動きません。① 将来はコンピューターが自分で考えて動くようになるでしょう。②この技術を使ってロボットを作る計画があります。現在、ロボットだけのサッカーチームを作って、人間と試合をするという研究が進められています。2050年までには、人間のチームに勝てる、強いロボットのサッカーチームができるそうです。
ロボットは、サッカーだけでなく、③ほかのこともできるようになります。ロボットは、例えば火事や海の中など、人間には行きにくい場所に行くごとができるようになります。そして、人間を助けたり資源を探したりすることもできるようになるでしょう。また、将来は、どこの家もロボットを持つようになるでしょう。料理を作るロボット、掃除をするロボット、買い物をするロボットなどができるでしょう。人間の仕事をロボットがするようになったら、人間は何をしたらいいのでしょう。未来の人間にとって、自分が何をするかを考えることが、一番たいへんな仕事になるかも知れません。
1.文中の① には何を入れますか.A.それから | B.しかし |
C.それでは | D.しかも |
A.ロボットが人間と試合をする技術 |
B.コンピューターが人間を助ける技術 |
C.コンピューターが自分で考えて動く技術 |
D.ロボットが料理する技術 |
A.火事や海の中など、人間には行けない場所に行く |
B.人間のために、資源を作ったり、試合をしたりする |
C.人間の代わりに、自分が何をするかを考える |
D.人間のために、どんなことでもやってくれる |
A.もつといいロボットを研究すること |
B.ロボットに自分が何をしたらいいかを考えさせること |
C.ロボットにもつと多くの仕事をさせること |
D.自分が何をしたらいいかを考えること |
A.今のロボットは人間の命令通りに動く |
B.現在のロボットチームは人間と試合できる |
C.未来のロボットは人間に色々なことをしてくれることができる |
D.ロボットが色々なことをしてくれても、人間は自分で考えることが必要だ |
2 . 心理学には「予言の自己成就効果」というものがあります。これは、過去に予言された通りに、人間は行動を起こしてしまう傾向があるという現象を指します。この予言の自己成就効果は、私たちも活用することができます。予言が実際に成就するのであれば、「いい予言」をすればいいわけです。
たとえば、往年の美人女優のソフィア.ローレンは、以前はそれほど美しくなかったそうですが、毎日鏡に向かって「私は美しい」と自己暗示をかけた結果、とても美しくなったそうです。
このことからもわかるように、予言の自己成就効果は一種の「暗示」だったわけです。そして、「いい予言=暗示」をすれば、実際にその通りになるのです。この現象は、体内のホルモンバランスが暗示によって変化するためと考えられています。暗示は、人間の行動だけでなく、内面や細胞をも変化させてしまうのです。(ア)、自分に自己暗示をかければ、今よりもっときれいになることも、話し上手になることも不可能ではないのです。「話し上手になって、たくさんの人に愛される。」今日からすぐに、そう自分に言葉をかけましょう。
1.文中の「予言の自己成就効果」とは何か。A.人間は自分の予言通りに行動を起こしてしまう。 |
B.人間は周りの人の予言通りに行動を起こしてしまう。 |
C.自分に自己暗示をかければ必ずいいことが起こる。 |
D.自己暗示をしないと実際に成就することができない。 |
A.自分の夢は将来必ず実現できるという自信を持つ。 |
B.自分にみんなに愛されているという自信を持つ。 |
C.「自分は話し上手になる」と自分に言い聞かせる。 |
D.「自分は以前よりきれいになった」と自分に言い聞かせる。 |
A.毎日鏡に向かうことできれいになったこと。 |
B.美しくない人は自己暗示をかけても美しくならなかったこと |
C.自分は美しくないという暗示をかけて美しくなったこと |
D.自分は美しいという暗示をかけて以前より美しくなったこと |
A.体内のホルモンバランスが暗示によって変化するから |
B.体内のホルモンバランスが内面や細胞を変化させるから. |
C.自己暗示によって不可能なことが可能になるから |
D.実際にあったことはすべて過去に予言された通りであるから |
A.一方 | B.つまり | C.あるいは | D.すると |
3 . あなたの周囲でも、①こんな人がいるでしよう。あっちが痛いこっちが苦しいと言っているなのに、意外と長生きをしていませんか。
先日、同窓会の席で友人が、「最近、一病息災を体験させてもらったよ。胃がんだったけくど、早期だったので内視鏡で治してもらったんだ。②これも高血圧で通院していたおかげだな」としみじみと(认真地)言っていました。
病気のほとんどが治らなかった時代には、「無病息災」ということわざがありました。そのことわざがいまは、「一病息災」に変わりました。かつては、一家に災いをもたらす病気にならないことが第一とされていたのでしょうが、ほとんどの病気が治るようになった現在は、「無病息災」である必要はありません。
それどころか、「無病息災」はむしろ損なことが多く、病気が一つくらいあって、定期的に通院している「一病息災」のほうが得です。
「無病息災」というのは時代遅れのことわざと言えます。だからといって健康な方に病気になりなさいと言うのも無理な話ですが、丈夫で健康な方も医者嫌いを自慢しないほうがいいでしょう。
1.①「こんな人」とあるが、どんな人を指しますか。A.病気になりがちだが、長生きする人 | B.ほとんど病気にならなくて、長生きする人 |
C.医者をしていて、長生きする人 | D.胃がんがあったけど、長生きする人 |
A.胃がんになること | B.胃がんが治療されたこと |
C.高血圧になること | D.長生き |
A.友人は胃がんで入院してから治された。 |
B.友人は医者に内視鏡で高血圧を治された。 |
C.友人は自分が病気になりやすい体質に気づいた。 |
D.友人は意外に自分が胃がんになったこと気づいた。 |
A.元気だと医者嫌いになるから |
B.病気であることが自慢できるから |
C.重い病気を早く発見できることがあるから |
D.病気になると休むことができるから |
A.昔から「一病息災」がいいことだとされてきた。 |
B.健康な人も病気になったふりをしたほうがいい。 |
C.長生きできるように、積極的に病気になるべきだ。 |
D.健康でいるためには病院に行った方がいい。 |
4 . 誰かから教えられ、覚えたものが知識である。つまり、知識は自分自身で考え出したものではなく、理解のことだと言っていいだろう。
ある人が一つのことを考え出した場合、その考えたことがみんなに理解されなければ、まだ知識とは言えないであろう。したがって、知識とは人間共通のものになった理解のことと言ってもいいかもしれない。知識を身に付けるということは、自分自身の力で考え抜くことではない。人間共通の理解となったものを自分も覚えることである。
新しく一つのことがみんなの知識となるためには、( ア )、そのことを最初に考え出した誰かがいるはずである。だから、どんな知識でも、その元をたどって(追溯)いけば、必ず考え出してくれた人がいる。しかし、その知識を受け取る人は、自分で考えなくて、他人の考え出したことを覚え込んだに過ぎなかった。
「考える」ということは知識とは違う。①それは知識を身に付けることのように、すでにあるものを教えられたり覚えたりすることではない。②それは自分の頭と心を持って自分自身の力で思うことである。
「知識を覚える」ということと「ものを考える」ということをはっきり分けて理解しておくことが、人間としての成長のためには大切なことだと私は思っている。
1.文中に「知識」とあるが、「知識」について正しい説明はどれか。A.人間共通の理解となったもので、誰かに教えられて覚えたもの |
B.自分自身の力で考え出し、それを他人に教えたもの |
C.自分自身の力で考え出したが、まだみんなに理解されていないもの |
D.自分自身の力で考え出したものと誰かが考え出したもの |
A.まず | B.つまり | C.だから | D.たとえば |
A.「考える」とは、知識を習い覚えることだ。 |
B.「考える」とは、自分自身の力で思うことだ。 |
C.知識を受け取るには、自分で「考える」必要がある。 |
D.「知識を身に付けること」は「考え抜くこと」と同じで、人間共通の理解を覚えることだ。 |
A.両方とも知識を身に付けることを指している。 |
B.両方とも考えるということを指している。 |
C.①は知識を身に付けること、②は考えることを指している。 |
D.①は考えること、②は知識を身に付けることを指している。 |
A.人間共通の理解となった知識を覚えることは、自分で考えることより重要だ。 |
B.自分自身の力で考え抜くことは、知識を覚えることよりも重要だ。 |
C.知識を覚えることと考えることの違いをはっきり理解することが重要だ。 |
D.知識を覚えることと考えることのどちらが大切か、はっきり理解することが重要だ。 |
5 . 日本はもともと、①流動性の低い社会の中で、「分かり合う文化」を形成してきた。誰もが知り合いで、同じような価値観を持っているのならば、お互いがお互いの気持ちを察知して、小さな共同体がうまくやっていくための言葉が発達するのは当然のことだ。それは日本文化の特徴であり、それ自体は、卑下すべきことではない。
明治以降の近代化の過程も、価値観を多様化するというよりは、大きな国家目標に従って、価値観を一つにまとめる方向が重視され、教育も社会制度も、そのようにプログラミング(设计程序、制定计划)されてきた。均質化した社会は、短期間での近代化には好条件だ。日本は明治の近代化と、戦後復興という二つの奇跡を成し遂げた。
しかし、私たちはすでに大きな国家目標を失い、個人はそれぞれの価値観で生き方を決定しなければならない②時代に突入している。このような社会では、価値観を一つに統一することよりも、異なる価し値観を、異なったままにしながら、その価値観を摺り合わせ(相互摩擦、比较整理)、いかにうまく共同体を運営していくかが重要な課題となっている。
いま、あらゆる局面で、コミュニケーション能力が重視されるのは、ここに原因がある。「分かり合う文化」から、「説明し合う文化」への転換を図ろうということだろう。
(ア)、ここに一つの③落とし穴がある。
表現とは、単なる技術のことではない。間雲(胡乱、莽撞)にスピーチの練習を繰り返しても、自己表現がうまくなるわけではない。
自己と他者とが決定的に異なっている。人は一人ひとり、異なる価値観を持ち、異なる生活習慣を持ち、異なる言葉を話しているということを、痛みを伴う形で記憶している者だけが、本当の表現の領域に踏み込めるのだ。
1.文中の「①流動性」とは何の流動のことか。A.川 | B.人口 | C.情報 | D.品物 |
A.価値観を一つに統一した時代 | B.近代化を成し遂げた時代 |
C.異なる価値観を持つ時代 | D.自己表現がうまくなる時代 |
A.だが | B.それに | C.また | D.ゆえに |
A.コミュニケーション能力が重視される。 |
B.表現とは、単なる技術のことだと思う。 |
C.「分かり合う文化」から、「説明し合う文化」への転換。 |
D.自己と他者との違いを把握する。 |
A.日本は流動性の低い社会だ。 |
B.明治以降の日本では価値観が多様化してきた。 |
C.あらゆる局面で、コミュニケーション能力が重視される。 |
D.表現の核は他者との違いを認識すること。 |
6 . 日本では昔から箸が使われてきたと言われています。( ① )、古代の箸は、今のような2 本の棒状の箸ではなく、1 本の細く削った竹をたわめて(弯曲)ピンセットのような形にしたもので、それで食べ物を挟んでいたようです。このとき、竹の端と端を向かい合わせることから、鳥のくちばし説とは別に、「端」が箸になったという説もあります。
日本では古代の箸は、おもに神へのお供え物を移動させるためのものでした。後に、日 常の食事に用いられるようになったほか、儀式や行事には特別な箸が使われるようになり、宮廷行事には竹、節句などには柳の箸、月見の宴には萩の箸が使われるようになりました。
江戸の末期ごろになってスギの割箸が現れ、大正時代に入ると、他人が一度使った箸は二度と使わないという意味の②「衛生割ばし」の名前で割り箸が広く普及するようになり、現在に至っています。
ちなみに、( ③ )、かつては天皇や皇族が用いた箸の付属品だったと言われています。
1.文中の(①)に入れるのに最も適当なものはどれか。A.それでは | B.そして | C.ただ | D.それに |
A.月見の宴 | B.儀式や行事 |
C.神へのお供え物の移動 | D.天皇や皇族の食事 |
A.割り箸が広く普及してきた。 |
B.他人が一度使った箸は二度と使わない。 |
C.日常の食事の時には箸置きや箸箱などはない。 |
D.江戸の末期ごろになってスギの割箸が現れた。 |
A.スギの割箸などは |
B.箸についたものをとろうとして |
C.食事の途中、箸を食器の上に渡して |
D.今も使われている箸置きや箸箱などは |
A.日本は中国よりもっと早く箸を使うようになった。 |
B.大正時代に入ると、スギの割箸が現れた。 |
C.衛生割ばしは天皇や皇族しか使わなかった。 |
D.古代の箸は細く削られた竹で作られ、ピンセットのようなものだった。 |
7 . 植物には、春になると花を咲かせるものが多い。毎日の気温が少しずつ上がり、道ばたに花が咲いているのを見かけるようになると、「あ、春が近いな」と心が軽くなってくる。しかし、どうして植物は春に花を咲かせるのであろうか。春になると花が咲くのは当然のことだと思っていたが、それにも理由があくるはずである。その答えは、どうやら植物の生きる術に関係があるらしい。
日本には四季があり、春の次には夏が来る。夏は暑く、30度以上になる日も多い。春に花を咲かせる植物は、夏の客さに弱い植物である。植物は花が咲いた後に種ができるが、花と種ではどちらが暑さに強いだろうか。想像がつくと思うが、種の方が暑さに強い。だから、春に花を咲かせる植物は、春が過ぎると種になり、暑さに強い種の状態で夏をやり過ごすのである。
ここでまた疑問が生まれる。では、植物はどうやって夏が近づいてくることを知るのか。それは、植物が夜の長さを測れることに関係がある。
3月20日は日本では春分の日である。春の訪れを告げる日だが、この日に昼の長さと夜の長さが同じになる。春分の日を過ぎると少しずつ(ア)。そして6月の夏至の頃になると、最も夜が短くなる。植物は夜の長さが短くなっていることを感じ取って、やがて夏が来ることを知る。そして暑い夏に向けて種を準備するのである。
春に花が咲くのは、花が気まぐれに(随意地,随便地)咲いているのではなく、その後に来る暑さに向けての準備であったのである。同じように考えると、秋に花を咲かせる植物が多いことも理解できるであろう。
1.「心が軽くなってくる」とあるが、筆者のどんな気持ちが読み取れるか。A.さびしい気持ち | B.くやしい気持ち |
C.うれしい気持ち | D.はずかしい気持ち |
A.種になる | B.昼夜の長さを測る | C.花を咲かせる | D.想像する |
A.昼も夜も長くなっていく |
B.昼も夜も短くなっていく |
C.昼が長くなって、夜が短くなっていく |
D.昼が短くなって、夜が長くなっていく |
A.種がどれほど強いか分かったから |
B.花が気まぐれに咲いている理由が分かったから |
C.春になると花が咲くのは当然のことだと分かったから |
D.春に花が咲く理由が分かったから |
A.種の強さ | B.植物の生きる術 | C.日本の四季 | D.昼夜の長さの変化 |
8 . 最近、国際交流とか異文化交流という言葉がよく使われています。国や言葉の異なる人たちの交流の難しさや大切さがよく話題になります。たしかに、世界中の国々が仲良く平和に生活していくためには、言葉や文化の違いがあっても、理解し合って、話し合いをしなければなりません。私たちのまわりの動物たちでさえ異文化交流の例がたくさんあります。 ① 、家族の一員として生活しているペットたちを見てみましょう。
犬や猫をはじめ、さるや小鳥など、いろいろなペットがいます。飼い主が外から家に帰ると、犬がすぐにしっぽを揺れて、迎えに近づいてきます。それらのペットたちはそれを飼っている人たちの交流は、人と人の交流と同じぐらいの深い愛情で結ばれていると言ってもいいです。では、動物と動物との交流はどうでしょうか。親のいない子猫を母親のように温かく育てている犬もいるし、背中に小鳥を止まらせている犬の後ろに猫と鶏が続いて散歩しているのも、たまには見かけます。私たち人間は ② に負けないように、広くて温かい心で世界中の人と交流しましょう。
1.文中の ① のところに入れるのに、最も適当なものはどれか。A.それから | B.たとえば | C.したがって | D.しかし |
A.ちゅう | B.なか | C.じゅう | D.うら |
A.犬や猫を主として | B.犬もいて猫もいて |
C.犬や猫をのぞいて | D.犬や猫を飼う前に |
A.犬や猫 | B.ペットたち | C.人間 | D.動物 |
A.現在、異文化という言葉が使われるようになった。 |
B.犬や猫などの動物の間にも人間のような交流がある。 |
C.世界中の国々と異文化の交流を大切にするべきだ。 |
D.人は人との交流以外に、動物とも交流するべきだ。 |
9 . 外国語を勉強している私としては国際結婚というのは「理想」そのものであった。苦労しなくても外国語ができるし、その社会の一員として自然に溶け込めるだろうと思ったからだ。さらに子供もニヶ国語はもちろん、様々な経験を通して国際的な感覚を持つようになると思った。国際結婚についてこれ以上には考えたことがない。
しかし、結婚は現実、思ったとおり甘くいくわけがないだろう。二、三十年問まったく違う環境で育った二人だから、相手の国と自分の国との文化の差を克服するのも大変だと思うし、相手の国の言葉が上手だとしても、自分の細かい気持ちを全部伝えるのは難しいだろう。夫婦の間に気持ちが十分に伝わらないというのも結婚生活のトラブル(纠纷)の原因にもなり得る。そのほかに、歴史も幼い時の思い出も一緒に共感することができないのも寂しい。愛する家族や親しい友達に会いたい時に会えるという人生の楽しみの一部分を放棄せざるを得ない。また、子供にも人と違う目分のことについて悩ませる結果になるかもしれない。結婚は人生をかけた冒険だと思う。国際結婚はもっと(ア)冒険。成功すれば楽しさも二倍、失敗すれば辛さも二倍。
しかし、冒険しないと何もない。そういうわけで、幻想だけでなく、その要にある辛さもしっかり考えた上での国際結婚ならば、また、失敗しても後侮しない自信がある国際結婚ならば反対する理由はないと思う。
1.文中の「思ったとおり甘くいくわけがない」の意味は何か。A.思ったとおりに外国人の結婚相手に会えるのは無理だ。 |
B.外国人は感情は薄くて、結婚しても幸せにはならない。 |
C.国際結婚はいいことばかりではなく、意外や不調和もある。 |
D.国際結婚はいいとしても、それをしたくない人が大勢いる。 |
A.日常の会話や温かい言葉がだんだん少なくなっている。 |
B.相手の国の文化や習慣を尊重しているから、自分の考えが言い出せない。 |
C.夫婦の一方だけ相手の言葉ができて、長い時間その言葉で交流していると、疲れている。 |
D.外国の言葉は難しい技術ですから、やはり自分の話したいことが全部話せない。 |
A.共感 | B.友達 | C.文化の差 | D.言葉の違い |
A.難しい | B.易しい | C.面白い | D.めずらしい |
A.国際結婚は不幸が多いので、できればしないほうがいい。 |
B.国際結婚は理想的なもので、自分にも子供にも有利なほうが多い。 |
C.国際結婚は人生をかける冒険だが、冒険がないと成功もないので、とにかくしてみる。 |
D.国際結婚は利点と不利の点もあるので、心の準備を持っていればその道を選んでもいい。 |
10 . 先日、①半分用事もあって、友人たちといっしょに信州追分へ五日ほど行ってきた。追分は、夏は大勢の避暑客がおとずれる軽井沢のはずれにある。たった二駅だが、そんな季節でも中心地の賑わいからは離れ、ひっそりとした山奥の雰囲気があって好きな所だ。美しい新緑が見られるのを楽しみにして行ったが、新緑はもちろん美しかったし、また、夏には知らずにいることが初めて分かったりもした。
軽井沢を通るとき、沿線になし(梨)の花に似た白い花の木があちこちに見えていた。似ているけれど、なしとも違うような気がする。何の花だろう、綺麗だねとみんなで話し合っていた。追分へ着いてから、さっそく友だちの一人が、近所の土地でその花を見つけて、一枝折ってきた。淡紅(たんこう)の小さな花が枝いっぱいについて、素朴な可憐さである。
「小なしやそう[注1]よ。何本もあるわ。」と大阪から来た友人が言うので、私も小なしの花を見に出かけた。土地の人は、こんな木どこにもある、と言って、私たちが珍しがるのを笑っている。真つ白の花もあり、淡紅もあって、ふだんはだれがながめるでもない場所にいっぱい咲いていた。が、注意して見始めると、②そこまで行ってながめるまでもなく、近くでもたくさん咲いている。
夏は、なんの雑木やらと気にもかけずにいた木である。松や落葉樹や白樺に混じっているそんな雑木には目もくれずにいたのに、その木がこの季節には、こんな美しい花をつけるのかと分かって、③小なしの木にすまないことをしたような気がした。また夏には、あやめ(菖蒲),やはぎ(萩)やその他いろいろな野の花が咲くが、今はそのあやめが小さな愛らしい葉を出している。うっかりすると足の下に踏みそうになってしまった。ぴっくりして足を止めた。なんという私などはうっかりものだろうと思う。花が咲いていなければ目につかずに、花の終わった木は雑木かと思い、これから紫の花をつける新しい芽は、道端の草かと踏みそうになる。
そのくせ、小なしの花の美しさには、得がたいほどの思いをして、東京まで持ち帰った。
汽車を降りてわが家まで来る途中、町の花屋の前で、友達が言う。
「山の花を見てきたら、花屋の花が造花みたいで、なんや、ちっとも美しゅうない「注2]わ。」
それを聞くと確かにそんな気もするが、わが家の花びんに、大輪の白いしゃくやく(芍薬)が三本生けてあるのを見たら、やはり美しいと思った。そして私は、山で折ってきた小なしの枝を花びんに生けた。それは、しゃくやくとはまた別の感じで、ここでも美しかった。なにげなく見過ごしていた木も、季節にはこの美しい花をつけるのだと気づくと、なにか④私は自分の心に一つ拾いものをしたような気になる。
注:1小なしやそう/小なしだそうだ。 2美しゅうない/美しくない。
1.①半分用事もあってとはどういう意味か。
A.仕事を半分して |
B.半分し残した仕事がある |
C.用事をすることも兼ねて |
D.友人と半分ずつ用事を持つ |
A.信州追分というところ |
B.土地の人が教えてくれたところ |
C.軽井沢の沿線のところ |
D.友だちが花を折ってきたところ |
A.あやめやはぎよりも美しい小なしの花に気づかなかった悔しい気持ち |
B.信州追分に来るまで小なしの花の美しさを知らないでいた悔しい気持ち |
C.あやめやはぎ、そしてしやくやくに関心を寄せている行為を詫びる気持ち |
D.これまでは、小なしという雑木に目もくれないでいたことを詫びる気持ち |
A.これまで全く価値を感じず、目を止めることもしなかった物に、思いがけない美しさを発見してうれしくなったという意味 |
B.すでに自分が持っているものにさらに新しいものを増やすことができて心がいっそう豊かになって幸せに感じるという意味 |
C.あやめやはぎなどしか知らなかった筆者が今度の旅によって小なしの花の美しさに接することができたという意味 |
D.家の花びんに生けてあるしやくの中に小なしの花を入れてみたら、これまでにない美しさを発見したという意味 |
A.山にいっぱいに咲いている花のほうがきれいなものだ。 |
B.どこにあっても、花が持っているその美しさは楽しめるのだ。 |
C.小なしなどの花を発見し、これまでにはない貴重な体験をした。 |
D.季節には本当に美しい花をいっぱい咲かせている小なしに気づき感動した。 |