1 . 2016年4月、熊本県で大変大きな地震が起きました。この地震で多くの人が亡くなり、住む家を失いました。そのとき、熊本の人たちの心を支えになったのが「くまモン」です。
くまモンは熊本県を多くの人たちに知ってもらうためのキャラクター(形象代言人)で、2011年3月に生まれました。初めのころは「熊本にクマはいないのに」とか、「顔が怖い」などの意見もありました。(ア)、熊本を知ってもらうために全国へ出掛けて行って、いろいろなイベントに参加した結果、愛情を感じる人がだんだん増えて、熊本はもちろん、日本中で人気者になりました。
そんなときに起きた、熊本大地震。
熊本を応援する活動に使う場合は、県に届け出る(申报)だけでくまモンの絵が使えるようになりました。(イ)、くまモン自身も多くの熊本応援イベントに参加し、1か月で400以上のイベントに出たこともありました。
今も頑張るくまモンは、熊本だけではなく、東北地方へも何度も出掛けて行って、応援を続けています。私たちもくまモンのように、熊本や東北のために何かできることを考えてみませんか。
1.文中の「くまモン」はどういう目的で作られたのか。A.熊本の人たちの心を支えるため |
B.地震が起きることを予測するため |
C.いろいろなイベントに参加するため |
D.熊本県を多くの人たちに知ってもらうため |
A.けれども | B.そして | C.すると | D.結局 |
A.日本全国へ出掛けて行ったとき |
B.「顔が怖い」などと非難されたとき |
C.地震後、熊本を応援する活動に参加したとき |
D.多くの人に愛され、日本中で人気者になったとき |
A.しかし | B.それで | C.また | D.つまり |
A.くまモンのように有名になりたい |
B.くまモンのように地方の応援に力を入れたい |
C.くまモンのように多くのイベントに参加したい |
D.くまモンのように頑張って、自分の故郷の知名度を上げたい |
2 . 擬音語・擬態語(拟声拟态词)の特色は、発音が意味に直結している(直接关联)ことである。「ぱちぱち」という擬音語は、「ぱちぱち」という発音が、小さくて固い物が立てる音や拍手の音を表しており、意味に直結している。
普通の言葉、( ア )擬音語・擬態語以外の言葉は発音と意味とが約束によって結ばれている。例えば、「歩く」という言葉は、「あるく」という発音が、「足を使って前に進む」という動作を表すと約束したからできた意味である。「約束」を変えれば違う結びも可能である。
ところが、擬音語・擬態語は、発音と意味の結びを変えることができない。発音が意味を決めているからである。こうした性質は次のようなおもしろいことを起こす。それは、ある音が決まった意味に直結する傾向である。たとえば、「きらきら」「さらさら」という清音で表される語は「ぎらぎら」「ざらざら」という濁音で表される語より明るく澄んで軽やかな(清澈明快)印象を持っている。
また、ある音がある意味の語には共通に用いられるということも起こる。例えば、「ぶ」の音。「がぶがぶ」「げぶげぶ」「ざぶざぶ」と2つ目の音に「ぶ」が来るとすべて水や水分に関係のある音や様子を表す語になっている。2音節目の「ぶ」には、そうした意味を与える力があるのだ。
1.文中の( ア )に入れるのに最も適当なものはどれか。A.または | B.つまり | C.そのかわり | D.あるいは |
A.擬音語・擬態語は発音も意味も簡単だ。 |
B.擬音語・擬態語は発音が意味と関連性がない。 |
C.擬音語・擬態語は発音が意味より先に決まった。 |
D.擬音語・擬態語は発音がそのまま意味になっている。 |
A.「あるく」という発音は「足を使って前に進む」という意味に直結している。 |
B.「足を使って前に進む」の意味は「あるく」という発音でしか表すことができない。 |
C.「あるく」の「足を使って前に進む」という意味は他の発音で表す可能性もあった。 |
D.「あるく」という発音で「足を使って前に進む」という動作を表しているわけではない。 |
A.ぐるぐる | B.ざらざら | C.きらきら | D.ごろごろ |
A.くすくす | B.にやにや | C.げらげら | D.ざぶざぶ |
3 . ある日、ぼくは街へ出かけた。
「暇だなあ。本でも見るか」と思い、本屋へ向かっている途中に1人のホームレス(无家可归者)が道端に寝ていた。「邪魔だなあ」と思って歩いていると、そばにいる3歳ぐらいの男の子が急に道路にはしっていった。ちょうどその時、1台の車が猛スピードで走ってきた。その瞬間、さっきまで寝ていたホームレスの男性が突然走りだし、子どもを抱き上げ、車を避けた。
回りを見ると、茫然と立っているおじさん、おばさん。「すごい!」とか言っている若者。ぼくはその時、自分のなさけなさに気づいた。「ホームレスが汚い?生きている意味がない?なんだよぼく……本当に強いのは、このホームレスのおじさんだろうが!」ぼくは拳を握りしめた(握紧)。
その後、男の子の母親が走ってきて、「ありがとうございます。ありがとうございます。これ少ないですけど……」と言って、お金を渡そうとしていた。
( ア )、ホームレスのおじさんは言った。
「すみません、それは受け取れません。でも約束してください。絶対に小さい子から目を離さないであげてください。約束です。」
ぼくは初めて人のあたたかさを知った。
1.文中に「すごい」とあるが、そう言った理由はどれか。A.男の子が道路に走っていったから |
B.ホームレスが子どもを助けたから |
C.車が猛スピードで走ってきたから |
D.おじさんとおばさんが立っているから |
A.ぼくも走ろうと決心したから |
B.ホームレスを殴ろうとしたから |
C.自分のなさけなさに気づいたから |
D.自分はホームレスより強いと思うから |
A.ホームレスに感謝したいから | B.ホームレスが強いと思うから |
C.ホームレスが汚いと思うから | D.ホームレスがかわいそうだから |
A.だから | B.つまり | C.そして | D.すると |
A.人間の愛 | B.夏の暑さ | C.気温の変化 | D.人間のかわいさ |
4 . わたしは小学生時代苦しい経験がありました。祖父が外交官で、祖母はイギリス生まれ、母は中国生まれと、国際的な家庭で育ちました。日本の小学校に通ったのですが、家庭の文化と学校文化がずいぶん違うため、常に不安でした。「失敗したくない、他の子と違う思われたくない」と、いつも周囲の様子を見ながら、他の子の真似(模仿)をしていました。それでまた「キョロキョロしている(东张西望) 」と注意されてしまい、しばらくの間は学校に行こうとするとおなかが痛くなったりしました。そんな私が変わったのは、3年生の時に新しい担任の先生と出会ってからです。その先生は、私の作った物語を見て「すてきなお話」と褒めてくれたのです。それが嬉しくて、褒められたくて、毎日お話を書いて先生に見せました。物語もだんだん長くなり、文章を書くことも楽しくなりました。それが自信となり、給食(学校供餐)もたくさん食べられるようになって体力も付き、気づくと(ア)。
つまり、教員の行動にはそれだけの影響力があるから、これから教員になりたいみなさんに覚えてほしいと思います。教員として日々の自分の言葉や態度を観客的に振り返る(回顾)ことが大切なんだと思います。
1.文中に「他の子の真似をしていました」とあるが、その理由は何か。A.自分は何もできないから |
B.他の子のほうがすばらしいと思ったから |
C.他の子を真似するようにと言われたから |
D.自分が特別な存在だと思われたくなかったから |
A.体が弱いから |
B.学校に行くとつらいから |
C.周囲の様子がおかしいから |
D.日本の食生活に慣れないから |
A.失敗も多くなりました |
B.先生が好きになりました |
C.学校は楽しいところになっていました |
D.自分が他の子と同じようになっていました |
A.自分が正しいことをしているから。 |
B.自分の言葉や態度がよく変わるから。 |
C.自分が正しくないことをしているから。 |
D.自分の言葉や態度が生徒に影響するから。 |
A.小学生 | B.教員になりたい人 |
C.自分の担任の先生 | D.自分の小学校の同級生 |
5 . わたしは毎日自転車に乗っているが、怖い思いをしたことが何度もある。狭い道路を自転車で走っていたときのことだ。車がわたしのそばぎりぎりの所をスピードを出して通り過ぎていき、わたしは倒されそうになった。とても恐ろしかった。その反対に、わたしの自転車が、もう少しで、歩行者とぶつかりそうになり、あわててブレーキをかけたこともある。もし、ぶつかっていたら、大怪我をさせたかもしれないと思うとぞっとする。
自転車が車とぶつかった場合、自転車に乗っている人が受ける被害はとても大きい。車を運転する人は(ア)車体で守られるが、自転車の人は、自分の体を守るものが何もないからである。車にはねられると、自転車に乗っている人は道路に投げ出されてしまうのである。
逆に、自転車が歩行者に被害を与える可能性あるということも考えなければならない。ゆっくり走っていても、ちょっとした不注意で、歩行者を強い力で地面に倒してしまうことがあるのだ。自転車に乗る人は規則を守って乗るべきである。携帯で話しながら乗ったり、歩道の真ん中を走ったりしてはいけない。
(イ)、車、自転車、歩行者は、それぞれが具体的な被害を想像できる力を持つことが望まれる。特に、車を運転する人は、自転車に乗る人はいつも危険を予測することが求められるのである。
1.筆者が自転車に乗っていて怖い思いをしたのは、どんなときか。A.ブレーキをかけたが、歩行者とぶつかってしまったとき。 |
B.車がそばを通ったときに、はねられて道路に逃げ出されたとき。 |
C.車に倒されそうになったときと、歩行者とぶつかりそうになったとき。 |
D.歩道を走っていて歩行者を倒してしまったとき。 |
A.しっかりした | B.はっきりした |
C.ゆっくりした | D.さっぱりした |
A.乗る人の体を守るものがないから、規則を守らなくてもいいもの。 |
B.車との事故では被害を受けるが、歩行者には被害を与える可能性があるもの。 |
C.歩行者にだけ気をつけて、注意して走らなければならないもの。 |
D.車や歩行者と比べると、具体的な被害を与えないもの。 |
A.すると | B.ところで | C.つまり | D.そして |
A.車に追い越されるときはブレーキをかけること。 |
B.大怪我をするので、あわててブレーキをかけないこと。 |
C.歩行者に被害を与えるので歩道を走らないこと。 |
D.いつも危険であることを考えながら乗ること。 |
6 . これまでの教育では,人間の頭脳を倉庫のようなものだと見てきた。知識をどんどんためる。倉庫は大きければ大きいほどよろしい。中にたくさんのものが入っていればいるほどけっこうである。
人間の頭はこれからも,一部は倉庫の役を果たし続けるが,それだけではいけない。新しいことを考え出す工場でなくてはならない。倉庫なら,入れたものをなくさないようにしておけばいいが,ものを作り出すには,そういう保存保管の能力だけでは足りない。工場にどんなものでも入っていては作業能率が悪い。必要でないものは捨てて広い( ア )をとる必要がある。そうかといって,すべてのものを捨ててしまっては仕事にならない。整理が大事になる。
倉庫の整理はそこにあるものを順序よく並べることであるが,( イ ),工場内の整理は,作業の邪魔になるものを捨てることである。
この工場の整理に当たるのが忘却である。人間の頭を倉庫として見る場合,忘却は危険だが,人間の頭を工場としてみる場合,能率をよくしようと思えば,どんどん忘れることが必要である。
1.「これまでの教育」では人間の頭をどう見てきたか。
A.倉庫のようなものだ。 |
B.工場のようなものだ。 |
C.頭が大きければいいものだ。 |
D.新しいことを考え出すものだ。 |
A.継続の能力 |
B.作業の能力 |
C.保存保管の能力 |
D.製品生産の能力 |
A.態度 | B.空間 | C.時間 | D.立場 |
A.あるいは | B.たとえば | C.それでは | D.それに対して |
A.倉庫と工場の整理をしてはいけない。 |
B.知識を勉強する時,忘却が必要である。 |
C.知識を整理する時,忘却も必要である。 |
D.人間の頭は倉庫とまったく同じである。 |