1 . 私はちょうど20歳の時に、日本に来ました。当時の私は「おはようございます」「こんにちは」など、挨拶程度の日本語しかできませんでした。だから、しばらく外に出るのがとても怖く、ずっと家の中にいて、朝から、晩までテレビばかり見て毎日を過ごしていました。
だんだん日本の生活に慣れてきた頃、看護師として働いてみないかと言われました。私は子供の頃から、看護師になるのが夢で、そんな私の気持ちをよく理解してくれている叔父さんからの話でした。私はあまりにも急な話で、すぐには答えることができませんでした。実は当時の私が迷っていた本当の理由は言葉の問題でした。
しかし、これは看護師になるいい機会ですから、私は心配しながら病院で働き始めました。絶対にやっていこうという気持ちで努力しましたが、看護師という仕事に完全に慣れるまでには、とても時間が掛かりました。ポケットにいつも電子辞書を入れて仕事をする毎日が続きました。
今でも、はっきり覚えていますが、それは、自分がやっと立派な日本語の会話ができたと思えた日のことです。仕事が終わって、寮に戻り、嬉しさのあまり、とうとう大きな声で泣いてしまいました。嬉しくて涙が止まりませんでした。私は立派に日本語が話せた嬉しさで胸がいっぱいでした。そして、これからも、頑張っていこうと思いました。日本で看護師として働いたことはいつまでも忘れない思い出として残るでしょう。
1.「ずっと家の中にいて」とあるが、その理由は次のどれか。A.日本に来たばかりだから |
B.日本のことは詳しくないから |
C.日本語はちょっとしかできないから |
D.日本のテレビ番組を見るのが大好きだから |
A.電子辞書は軽いから |
B.まだ仕事が完全に慣れなくて、仕事中でも電子辞書を使うから |
C.電子辞書は高いから |
D.電子辞書を大切にしたいから |
A.もう日本に慣れたこと |
B.看護師になったこと |
C.日本語でうまく話すことができると感じた日のこと |
D.病院の仕事はもう慣れたこと |
A.看護師としての仕事 |
B.日本の病院での仕事のこと |
C.日本での生活 |
D.日本語の勉強と私の努力 |
A.看護師になることは私の夢です |
B.日本の病院での仕事は苦しいです |
C.努力すれば、夢が実現できます |
D.日本語の学習は絶対必要です |
2 . 19世紀末から20世紀初めの中国において、最も早く対外開放された広東は近代芸術改革の最も進んだ地域だった。新中国画の革新はまさにそこから始まった。中国と西洋の文化が互いにぶつかり影響し合う( ア )、一部の芸術家は伝統的な中国画の表現技法や道具、材料、ひいては観念までに対して革新を進め、独特の風格をつくり上げ、近代以来の中国美術の発展に重要な影響をもたらした。広東における100 年来の美術の発展は中国美術の発展の縮図であり、中国美術が伝統から現代に方向を変え、外来芸術を吸収する過程において、広東美術は大きく貢献したと言える。
これと同時に、中国の近代美術学校の建設計画と組織管理でも、広東の美術家たちの大きな功績があった。1918年4月に創立された国立北京美術学校(中央美術学院の前身)は、中国史上初の国立の美術教育学校です。20世紀前半、祖国を滅亡から救い存続を図るという歴史的背景の下、広東の美術家たちは毅然として中国美術発展の重責を担ったのだった。
展覧会がなぜ100 年前を起点にしたかについて、開催者は次のように述べた。「1916 年、中国民主革命の先駆者で広東籍の画家である何香凝が日本で孫文や宋慶齢と面会した後、芸術に関する一連の観点を提起しました。その時から数えて、すでに100 年が経っています。それは新文化運動の開始よりも少し早く、皆が認める広東美術発展の節目でもあります。」
1.「広東は近代芸術改革の最も進んだ地域だった」とあるが、その理由ではないのはどれか。A.広東は最も早く対外開放されたところだから。 |
B.当時の広東では中国と西洋の文化が互いにぶつかり影響し合うから。 |
C.一部の芸術家は伝統的な中国画の革新を進め、独特の風格をつくり上げたから。 |
D.外来芸術を吸収しなかったから。 |
A.につれて | B.にとって | C.によって | D.にたいして |
A.表現技法 | B.道具、材料 | C.観念 | D.種類 |
A.中国美術が伝統から現代に方向を変えること。 |
B.外来芸術を吸収すること。 |
C.新文化運動を開始すること。 |
D.中国の近代美術学校の建設計画と組織管理。 |
A.100年前に祖国を滅亡から救い存続を図るという歴史的背景があるから。 |
B.何香凝が芸術に関する一連の観点を提起したから。 |
C.新文化運動開始の影響があるから。 |
D.100年前に中国史上初の国立の美術教育学校が創立されたから。 |
3 . 秋になり、文房具屋に来年の手帳が並ぶようになった。一般的に、手帳を選ぶ場合に重要なのは、書きやすさ、見やすさだろう。大きさも大切な点だ。だが、私がいちばん大切にしているのは、表紙だ。絵や柄で選ぶ人もいるが、私は色で選ぶ。
いつも手帳を持ち歩く私は、手帳の色に影響を受けていると感じることがある。予定を書いたり、友達と会う場所を確認したりするため、一日に何度もかばんから取り出すが、そのたびに表紙の色が目に入るからだ。( ア )、この数年は元気が出るように派手な表紙のものを選んできた。今使っているのも、明るいオレンジ色だ。考えてみると、手帳は家族や親友より、一緒にいる時間も長いのだ。
でも、今年は手帳選びに時間がかかっている。30 歳になり、もっと落ち着いた気持ちで仕事をしたいと思うようになってきたのだ。そうは言っても、ストレスのたまる仕事なので、やはりこのまま元気の出る赤や黄か、気分の落ち着く黒や茶か、なかなか決められないでいる。
1.一般的に、手帳を選ぶ場合に重要ではないのはどれか。A.書きやすさ | B.見やすさ | C.表紙の色 | D.大きさ |
A.元気が出るから。 |
B.予定を書いたり、友達と会う場所を確認したりするから。 |
C.一日に何度もかばんから取り出して表紙の色が見えるから。 |
D.もっと落ち着いた気持ちで仕事をしたいから。 |
A.それで | B.それから | C.すると | D.また |
A.落ち着いた気持ちで仕事をすること。 |
B.ストレスのたまる仕事をすること。 |
C.手帳選びに時間がかかっていること。 |
D.手帳を選ぶ時、赤や黄色かにすること。 |
A.一緒にいる時間は家族や親友ほど長くないが、自分の気持ちに影響を与えるもの。 |
B.一緒にいる時間は家族や親友よりも長く、自分の気持ちに影響を与えるもの。 |
C.一緒にいる時間は家族や親友ほど長くないし、自分の気持ちにも影響を与えないもの。 |
D.一緒にいる時間は家族や親友よりも長いが、自分の気持ちに影響を与えないもの。 |
4 . 日本ではごみは、「燃えるごみ」「燃えないごみ」「リサイクルできる物」などに分けて出さなければいけません。でも、日本で初めてごみを出すとき、私はそのルールのことがまだあまりよく分かっていませんでした。それで、ごみを分けずに出してしまったのです。
朝、出かける時、アパートの前の決められた場所にごみを出しました。ところが、夕方帰宅すると、私のごみは回収されずに残っていました。
その日の夜、大家さんが来て、紙などの「燃えるごみ」、ガラスなどの「燃えないごみ」、ペットボトルなどの「リサイクルできる物」を分けなければいけない理由を説明してくれました。ごみの中には、もう一度資源( ア )使える物もたくさんあります。それをきちんと分ければ、大切な地球の資源が守れるということが分かりました。
それ以降は、きちんとごみを分けるようにしています。最近は物を買う時に、これは燃えるか、リサイクルできるか、と考えたりもします。ごみを分けるのは少し大変です。でも、今まで深く考えたことのなかった環境問題が少し身近になったような気がします。
1.文中に「私のごみは回収されずに残っていました」とあるが、それはなぜか。A.決められた場所にごみを出さなかったから。 |
B.ごみを分類せずに出してしまったから。 |
C.ごみの分類が間違ったから。 |
D.初めてごみを出したから。 |
A.ガラス | B.ペットボトル | C.紙 | D.テレビ |
A.として | B.について | C.に対して | D.にとって |
A.大家さんがごみを分けなければいけない理由を説明してくれたこと。 |
B.自分でごみについて調べたこと。 |
C.環境問題が身近になったと感じたこと。 |
D.ごみを分けずに捨てるようになったこと。 |
A.小学生 | B.環境問題の研究者 | C.大家さん | D.留学生 |
5 . 私にとっては、往復2時間ほどの満員電車の中が、自分に戻るよいチャンスだ。多くの人は満員電車が苦痛だと言うが、私はあまり苦痛にはならない。電話はないし、人は話し掛けないし、( ア )と自分のことを考えて、これから何をしたいのか、自分の計画をしたりする。
「孤独」という言葉から孤立感を連想する人が多い。しかし、「孤独」と「孤立」は( イ )。「孤独」には人生から切り離されたという寂しさがない。「孤立」には他人から拒否されて1人ぼっちという寂しさがある。私が言うのは前者のほうである。
また、孤独は自分をゆっくり取り戻せるので、人恋しさも出てきて、人と交わることが楽しくなっていく。いつでもどこでも人と交わっていたら、人と付き合うのが嫌になる。したがって、適度に孤独の時間を持つことは非常に大事なことである。
1.文中の( ア )に入れるのに最も適当なものはどれですか。A.さっぱり | B.びっくり | C.すっかり | D.ゆっくり |
A.同じ意味だ。 | B.少し似っている。 |
C.少し違う。 | D.違うことはない。 |
A.昔の自分を取り戻せること。 |
B.孤立感がある自分を取り戻せること。 |
C.自分のことを考えたり計画したりすること。 |
D.人と交わることが楽しくなること。 |
A.満員電車が苦痛だから。 |
B.人間は孤立感が必要だから。 |
C.人生から切り離されたという寂しさがあるから。 |
D.いつでもどこでも人と交わっていたら、人と付き合うのが嫌になるから。 |
A.筆者にとって満員電車があまり苦痛にならない。 |
B.「孤独」には他人から拒否されて1人ぼっちという寂しさがある。 |
C.孤独は自分をゆっくり取り戻せるのだ。 |
D.適度な孤独の時間は必要だ。 |
6 . 物心(懂事)ついた時からずっと一緒だった猫が病気になった。
いつものように私が名前を呼んでも、腕の中に飛び込んで来る元気も無くなり、お医者さんにも「もう長くはない」と告げられた。
「今は悲しむ(ア)、最期までこの子の傍に居よう」
私がそう決心して間も無く、猫は家から消えた。家中捜しても見当たらない。
父が、「猫は死ぬ間際、自分の死に場所を探しに旅に出ると言うからね。きっとあの子も死期を悟って、自分に合った場所を探しに出掛けたんだよ」と慰めるように言ったが、当然私は受け入れられず、あの子の名前を呼びながら町中を捜し回った。
途中で頭を過るあの子との思い出に涙が溢れても、転んで足を擦り剥いても、ひたすら名前を呼びながら捜し回った。
やがて日も暮れ、母に「一度家に戻ろう」と言われ家に戻ると、庭の向こうから私以上にボロボロになり、泥だらけになったあの子がこちらに近付いて来た。
涙で霞む目を何度も擦って確認したが、間違い無くうちの猫だった。
枯れた声で名前を呼ぶと、ふらつき(揺揺晃晃)ながらも精一杯の力で、私の腕の中に飛び込んで来てくれた。
どれくらい経っただろう。やがてあの子は、私の腕の中で眠るように息を引き取った。
「この子は我が家で暮らして来て幸せだったのかもしれないな」と父が言った時、悲しさが少しだけ嬉しさに変わった。
私もそう思えた。
この子は最期も私の腕の中を選んでくれたのだから。
1.文中の(ア)に入れるのに最も適当なものはどれか。A.かぎり | B.よりも | C.だけ | D.ほど |
A.猫のことを気にしない父の態度に腹が立ったからだ |
B.お医者さんが猫はまだしばらく生きられると言ったからだ。 |
C.猫が外で死んで、死ぬまで二度と会えなくなるのが怖かったからだ。 |
D.猫が怪我をしたので、外にいるのが心配だったから。 |
A.猫の名前を呼びながら町中を探し回った | B.母と一緒に庭で探していた |
C.父と一緒にパークで探していた | D.ずっと家で猫を待っていた |
A.意識がはっきりしている | B.思いとおりにならなくて焦っている |
C.心身とも疲れ切っている | D.意外なことに驚いている |
A.消えた猫が家に戻るから | B.猫が眠るように息を引き取ったから |
C.猫が死後に生き返るから | D.猫は我が家で幸せに暮らしていたから |
食べ物の習慣や伝統も、土地によって変わります。日本人にとって美味しい物でも、外国人にとっては、「え、これ本当に食べられるの?」と思うものが多いようです。
例えば、日本人が大好きな「納豆」です。ネバネバしていて、臭い納豆を、嫌いな外国の人が多いようです。
また「卵かけごはん」。外国には、生の卵を食べる習慣は、あまりないようです。( ア )、多くの外国の人が、日本人が、ごはんの上に生卵をかけて食べているのを見て、驚くようです。
一つ一つは美味しいけれど、組み合わせがおかしい、と思われている物もあります。それは、ご飯のおかずに、「お好み焼き」を食べることです。ごはんも、お好み焼きも、全部炭水化物なので、外国の人は、「どうして、炭水化物と、炭水化物を一緒に食べるの?」と思います。
でも、「変だな、嫌いだな、これ食べられるのかな」と思われているのは、日本の食べ物だけでなく、他の国の食べ物にもあります。例えば、韓国のキムチは、日本では、人気がありますが、匂いが強くて、辛いので、苦手な外国の人も多いようです。
外国の美味しい食べ物は、旅行に行った時の、一番の楽しみです。でも、珍しい食べ物を探してみるのも、面白いかもしれません。
「所変われば、品変わる」という諺で、始まったこのお話ですが、「郷に入れば郷に従え」、という諺で、終わりたいと思います。その意味は、「違う土地に行ったら、その土地の習慣に合わせなさい」です。せっかく外国に行くなら、「これ食べられるの?」と思っても、一度挑戦してみましょう。
1.( ア )のところに入れるのはどれか。A.それでは | B.そうすると | C.ですから | D.ところが |
A.ご飯 | B.お好み焼き | C.卵 | D.納豆 |
A.日本では人気があります | B.ネバネバしている |
C.好きではない外国人もいる | D.匂いが強くて辛い |
A.日本の食べ物は外国人にとっては変だ |
B.日本人は炭水化物と炭水化物を一緒に食べることがある |
C.外国には生の卵を食べる習慣はあまりない |
D.食べ物の習慣は土地によって変わる |
A.「所変われば品変わる」 | B.「郷に入れば郷に従え」 |
C.美味しい食べ物を食べるのが楽しい | D.外国の食べ物を食べたほうがいい |
8 . 私の父と母は、広島市でお店を開いています。お客さんにお酒やお料理を出すお店なので、父と母は、夜遅くまで一生懸命働いています。だから、私は三歳の頃から、母の家がある青森市で、祖母と母の兄と私の三人で暮らしています。小さいころは、さみしくてよく泣いていました。「さみしくないの?」と、クラスのみんなからよく聞かれます。ほかの人が親と仲良く歩いていると、羨ましくて会いたくなってしまいます。
私が広島に長くいられるのは、春・夏・冬休みの三回です。一年にたった三回だけです。だから、私が五歳のときに、「七夕が三回だね。」と言ったことがありました。すると、母が、「夜、いつもお月さまを見て、杏歌も同じお月さまを見ているのかなあと思うと泣きそうになる。」と、笑顔で言ってくれたことがあって、すごくうれしかったのを覚えています。( ア )、私も小さい頃からお月さまを毎日見るようになりました。お月さまを見ると、どんなに離れていても、心は一緒だと思えます。
今年の夏休みは、親のお店の手伝いをします。まだ子どもなので、お皿洗いくらいしかできないけれど、一生懸命頑張って、少しでも役に立ちたいです。私は、広島から青森に帰るときは、いつも後ろを見ないようにしています。見るとさみしくなるからです。でも、今年はちゃんと後ろを見て、「ありがとう。」って言おうと思います。いつだって、私のことを考えていてくれる家族が、私の世界の宝物です。
1.文中に「祖母と母の兄と私の三人で暮らしています。」とあるが、作者はなぜ親と一緒に暮らせないのか。A.作者の親は離婚したから | B.作者の親は仕事で忙しいから |
C.作者は親に捨てられたから | D.作者の親は外国に行ったから |
A.親のいる広島に長くいられるのは、春・夏・冬休みの三回だけだから |
B.親のいる青森に長くいられるのは、春・夏・秋休みの三回だけだから |
C.親のいる広島に長くいられるのは、春・夏・秋休みの三回だけだから |
D.親のいる青森に長くいられるのは、春・夏・冬休みの三回だけだから |
A.しかし | B.それなのに | C.だから | D.すると |
A.見ると嬉しくなるから | B.見るとさみしくなるから |
C.見ると悔しくなるから | D.見ると恥ずかしくなるから |
A.作者にとって、家族がとても重要な存在だ。 |
B.作者は三歳の頃から親のお店の手伝いをし始めた。 |
C.作者の両親は青森市でお店を開いている。 |
D.作者は子供の頃、よく親と旅行に行った。 |