1 . 「雪月花の時最も友を思ふ。」
これは川端康成氏がノーベル文学賞を受けた時、スウェーデン学士院で行った「美しい日本の私」という講演の中に挿入した詩の一行であった。
この詩句について、ある時私は、川端氏に誰の作かと尋ねたことがある。すると川端氏は、あの大きな眼をぎろりと光らせて、「そんなこと、知るもんですか」と、にべもない(冷漠无情)返事だった。だが私はまもなく、それが矢代幸雄氏の名著『日本美術の特質』から孫引きされた(间接引用)白楽天の詩句であり、原詩が少し間違って引用してあることを知った。
さらにまた、その詩が『和漢朗詠集』に収められていて、平安時代にその詩句は極めて人口に膾炙し、『枕草子』にはそれについての一挿話を書きつけていることに気づいた。
極めて日本人的な美意識とはいえ、その原作者は中唐の高名な詩人であった。最も白楽天の詩句など、特に日本人に好かれやすい性質を持っているのかも知れない。朗詠には「交友」の章に、「琴詩酒ノ友皆我ヲ抛チ雪月花ノ時最モ君ヲ憶フ」という対句として挙げられている。詩の題は「殷協律ニ寄ス」。江南で生活していた頃、琴、詩、酒をともに楽しんでいた友だちは、すべて私を見棄てどこかへ行ってしまった。自分は今一人になって、雪、月、花に対しながら、これをともに見て楽しむ友として、切に君(殷氏)のことを思う、というのだ。
この詩がもとで、日本では「琴詩酒」とか、ことに「雪月花」とか、言われるようになった。言わば、日本人の風雅思想の形成の上で、この詩句は大事な役割を果したと言える。それに、その後日本人が四季の代表的な景物を言う時、この三つに夏の時鳥をも加えて挙げるのが常で、今も私たちは何かというと雪月花と言っている。
1.文中の「雪月花」が表している季節の組み合わせとして最も適当なものはどれか。A.雪―冬 月―秋 花―春 | B.雪―春 月―冬 花―秋 |
C.雪―秋 月―春 花―冬 | D.雪―冬 月―夏 花―春 |
A.そんなこと、わかるわけがない。 |
B.そんなこと、わかるはずだ。 |
C.そんなこと、知らないわけがない。 |
D.そんなこと、知るものだ。 |
A.その詩句は、多くの人々に知られていること |
B.その詩句は、多くの人々に批判されていること |
C.その詩句は、多くの人々に愛唱されていること |
D.その詩句は、多くの人々がよく口にしていること |
A.白楽天は江南で生活していた時、『和漢朗詠集』を書いた。 |
B.白楽天は友人を見棄て自分一人で琴を弾いたり、詩を作ったりして遊んだ。 |
C.一人になった白楽天は雪月花を見て友人を懐かしく思った。 |
D.矢代幸雄氏は『枕草子』に「殷協律ニ寄ス」を書きつけている。 |
A.川端康成氏はノーベル文学賞の受賞式での講演に白楽天の詩を引用した。 |
B.「雪月花」は日本独自の文化から生み出された日本人の風雅思想のことだ。 |
C.「雪月花ノ時最モ君ヲ憶フ」という詩が『和漢朗詠集』に載っている。 |
D.「雪月花」は自然を身近な生活の中に感じ取る日本人の美意識のことだ。 |
2 . 一枚の紙が鳥や動物、花や草になります。この本の中で紹介したものは、私が自分で考えて作ったものばかりです。皆さん、どうぞ、一度作ってみてください。しかし、私の好きな鳥や動物を本にしてみたらという話があったとき、そうしてみようと思ったのは、私の作ったものをご紹介しようと思ったからではなく、一枚の紙が教えてくれた「遊びの心」を多くの方に知っていただきたいと思ったからです。
私が紙と遊ぶことを始めたのは、入院していた病院のベッドの上で、一匹の象を作ってからでした。何もすることがなくて古い新聞を読んでいると、その中に、紙でいろいろな動物を作る人の話があり、象の作り方が出ていました。読んでいた新聞を使って、私も作ってみました。簡単そうに書いてありましたが、なかなかできません。そして、やっとできた象も、新聞のものとは少し違います。それで、もう一度、もう一度と思いながら、何度も作ってみました。できた象を並べてみて分かったのですが、どの象も、みんな少し違うのです。強そうな象、ちょっと悲しそうな象、疲れて休んでいるように見える象。一枚の紙ですが、本当に面白いものだなあと、その時思いました。
あれから30年。私は自由な時間があると、紙と遊びます。一枚の紙を前に、まず、頭の中でいろいろな絵をかきます。
(ア)、その紙を使って、頭の中でかいた鳥や動物、花や木の形を作ります。こうすればいいかな、こちらの方がいいかな、などと考えながら紙と遊んでいると、私はとても自由な気持ちになっています。
皆さん、どんな紙でもいいです。手に取って、どんな鳥、どんな花になるか考えてみてください。そして、この本と一緒に自由で新しい世界で遊んでみてください。
1.筆者が初めに作ったものはどれか。A.猫 | B.鳥 | C.花 | D.象 |
A.10年 | B.20年 | C.30年 | D.40年 |
A.ここで | B.そこで | C.あそこで | D.どこで |
A.紙と遊ぶこと | B.本を書くこと |
C.絵をかくこと | D.何をしているか分からない |
A.自分の作ったものをみんなに教えたい。 |
B.古い新聞を読んでもらいたい。 |
C.みんなに自分の好きな本を読んでもらいたい。 |
D.自分の折り紙の本を勧めたい。 |
3 . 彼の家の近くに小鳥屋があった。その小鳥屋に、ある日、1羽のオウムが来た。声はとてもきれいで、その声を聞くと一日中幸せだった。その上、そのオウムはいつも日本語で歌を歌っていた。彼の好きな歌①ばかりだった。毎日このオウムの歌が聞けたら、どんなにすばらしいだろうと彼は思った。そして、とうとう彼はそのオウムを買ってしまった。オウムは一日中歌い続け、彼は幸せだった。
そのうち、友達の家のパーティーに行くことになった。彼はオウムに新しいシャツとネクタイ、黒い服を着せて、パーティーに連れて行った。②友達を驚かそうと思ったのだ。③( )、友達はみんな不満だった。
「どうしてオウムなんて連れてきたんだ?」
「まあ、このオウムの歌を聞いてくれよ。このオウムは日本語で歌を歌えるんだ。」
「そんな、まさか。」
友達は誰も信じなかった。彼は友達の1人にこう言った。
「じゃ、賭けをしよう。日本語で歌わなかったら一万円払うよ。でも、もし歌ったら、君は一万円払うんだ。」
「いいよ。払うよ。」
友達は一万円取り出した。すると、[僕も賭ける。」と言う人が増えて、20人になった。彼はオウムに言った。
「さあ、歌ってくれ。お前のいい声を聞かせてくれ。」
しかし、オウムは歌わなかった。彼は慌てた。結局、彼は賭けに負けてしまった。家に帰ると、彼はナイフを出して、オウムに言った。
「さあ、④今日の夕食はオウムのサンドイッチだ。」
すると、オウムは言った。
「まあ、待ちなさい。」
「待つとどうなるんだ。」
「次のパーティーでは、みんな少なくとも10万円は賭けると思いますよ。」
注:「オウム」:鹦鹉
1.文中の①ばかりの使い方と同じのはどれか。
A.授業中ずっと話してばかりいて、先生に怒られた。 |
B.会議室には3人ばかりの学生がいる |
C.できたばかりのケーキはとても美味しそうだ |
D.日本語ばかりでなく、フランス語もできるなんて、すごい |
A.オウムを買ったこと |
B.オウムに日本語を話させること |
C.オウムに服を着せること |
D.オウムに歌を歌わせること |
A.だから | B.しかし | C.そして | D.それで |
A.オウムの作ってくれるサンドイッチを食べるんだ |
B.オウムの買ってくれるサンドイッチを食べるんだ |
C.オウムにサンドイッチを食べさせるんだ |
D.オウムを食べるんだ |
A.やはり彼に食べられた |
B.やはり友達の前で歌を歌った |
C.次のパーティーで利用される |
D.次のパーティーで賭けをする |
4 . 山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とにかく人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引っ越したくなる。どこへ引っ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない、人である。人が作った人の世が住みにくいと言っても、越す国はない。
越す事ができない世が住みにくいからといって、その中に住んでいる人間は「この世」を住みやすくしなければならない。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。すべての芸術の士は人の世を長閑(舒适)にし、人の心を(ア)にすべきだ。
住みにくい世から、煩いを引き抜いて、美しい世界を写すのが詩である、画である。あるいは音楽と彫刻である。我利私懲の羈絆を掃蕩することができれば、千金の子よりも、万乘の君よりも、すべての俗界の寵児よりも幸福である。
世に住むこと二十年にして、住み甲斐のある世と知った。二十五年にして明暗は表裏のように、日のあたる所にはきっと影があると悟った。三十の今日はこう思っている。-一喜びの深い時悲しみも深く、楽みが大いほど苦しみも大い。これを切り放そうとすると身が持てない。片づけようとすれば世が立たない。金は大事だ、大事なものが殖えれば寝る時も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をしない昔がかえって(反而)懐かしい。うまい物も食べられなければ惜しい。少し食えば足りない。十分に食えばかえって(反而)不愉快だ。
1.誰が「人の世」を作ったのか。A.鬼が作った | B.神様が作った | C.人が作った | D.自然が作った |
A.「人の世」は住みやすい。 |
B.安い所へ引っ越すことができる。 |
C.「人の世」には詩人もなければ、画家もない。 |
D.住みにくいと言っても、越す国はない。 |
A.豊か | B.貧乏 | C.嫌い | D.くよくよ |
A.千金の子だけが我利私慾の羈絆を掃蕩できる。 |
B.万乗の君は我利私慾の羈絆を掃蕩することができない。 |
C.俗界の寵児は幸福ではない |
D.我利私懲の羈絆を掃蕩できる人は幸せだ。 |
A.二十歳ぐらい | B.二十五歳ぐらい | C.三十歳ぐらい | D.六十歳ぐらい |
5 . 気候の特性は、人がみずから自覚している以上にわれわれの体験の深みにからみ合っているものである。植物でさえも顕著に①それを示している。
日本においてわれわれが見る新緑は、春をまちかねた心が鮮やかな新芽の色を心ゆくばかり見まもる暇もないほど迅速に、伸び育ち色を増す。柳が芽をふいたと気づいてから②それが青々と繁りだすまでは、実にあわただしいと思うほど早い。
しかるにヨーロッパの新緑はちょうど③時計の針を見まもるような感じを与える。新芽は育っているに相違ないし、一月たてばかなり変わりもするが、決してわれわれの胸を打つような変化を示さない。④紅葉もまたそうである。八月にはもう黄ばんだ葉がからからと音をさせている。しかし、艶のない黒ずんだ緑は相変わらず陰鬱に立っている。そうして、いつ変わるともなく緑の色が徐徐に褪せて弱弱しい黄色に変わっていく。十月下旬にあらゆる落葉樹の葉が黄色になるまでのあいだ、かつてわれわれの目を見はらせるということがない。夜の間の気温の激変で初霜がおり、一夜のあいだに樹の葉が色づくというようなあの鮮やかな変化は決して見られない。
植物におけるこのような人の中に身を置いたとき、われわれ自身がいかにはなはだしく気分の細やかな変化を必要とする人間であるかに驚かざるを得なかった。単調になれたヨーロッパ人はちょうど樹の芽が落ち着いていると同じように落ち着いている。ヨーロッパ人のうちで最も興奮性に富むと言われるイタリア人ですら、その言葉の抑揚や身振りが変化に富んでいるほどにはけっして気分の細かな変化を求めない。もとより⑤この落ち着きは、偉い禅僧が獲得しているであろうような、根深い人格的な落ち着きではない。ただ気分の単調に憧れているというだけの、いわば気分の持続性である。それに比してわれわれは、夏の日に蝉の声を聞かず秋になっても虫の音を聞かぬというようなことにさえ著しく寂しさを感じるほどに、日常生活にさまざまの濃淡陰影を必要とする。
ヨーロッパの近代文明を忠実に移植している日本人が、衣食住においては結局充分な欧化をなし得ず、着物や米飯や畳に依然として執着しているということは、それが季節や朝夕に応じて最もよく気分の変化を現し得るという理由にもとづくのてはないであろうか。
(和辻哲郎「風土」による)
1.①「それ」とは何を指すか。A.気候の特性 |
B.人がみずから自覚していること |
C.われわれの体験 |
D.気候はわれわれの体験に深くからみ合っていること |
A.新緑 | B.柳の芽 | C.新芽の色 | D.春 |
A.ヨーロッパの新緑は早く緑になること |
B.ヨーロッパの新緑はいつ緑になるかわらないこと |
C.ヨーロッパの新緑は一月たてばかなり変わりもすること |
D.ヨーロッパの新緑は育っていることが、われわれの胸を打つような変化を示さないこと |
A.新緑と同じく、早く黄色になっていく |
B.新緑と同じく、一月たてばかなり変わりもする。 |
C.新緑と同じく、決してわれわれの胸を打つような変化を示さない |
D.新緑と同じく、時計の針を見まもるような感じを与える。 |
A.ヨーロッパ人の落ち着き |
B.イタリア人の落ち着き |
C.日本人の落ち着き |
D.われわれの落ち着き |
6 . いつものことだが、家で一人、仕事をしている私は、気分転換のために近くの本屋へ行く。駅前の少し大きな本屋なのだが、最近おもしろいことに気が( ① )。
店内をゆっくり歩いて、辞書のコーナーに行くと、思わず「ウーン」とうなってしまった。私が学生だったころ――30年ほど前のことなのだが――は、こんなに多くの辞典はなかった。学習辞典や外国語の辞典がほとんどで、しかもその外国語辞典は、英語が中心であった。
②本屋の主人に言わせると、最近はちょっとした辞典ブームだそうである。何でも辞典になるというのだ。学習辞典や外国語辞典など、以前からあるものはもちろんだが、食べ物から動物、ファッション(時装)、スポーツ、メーキャップ(化粧)、オーディオ、インテリアやマナーなど、いろいろな辞典が③びっしりと並んでいる。④これらはもちろん「事典」なのだが、国語辞典にしても、種類がとても( ⑤ )。英語の事典など、大少を含めて20種類くらいはある。もちろん、もっと大きな本屋なら、とても⑥これだけではすまないだろう。
どうしてこんなに多くの辞典が作られるのだろう。帰る途中、私はあれこれと考えてみた。そして、ああ、なるほどと思ったことがある。それは、よく言われる情報化社会の生んだものだという( ⑦ )だ。進歩の速い世の中に、人々の知識や意識がついていけなくなっているのである。その⑧どうしようもない差をうめるのに、辞典は便利で役に立っているのだろう。そう言えば、私もいいものが書きたくて、この一冊の辞典を買いに来たのだった……。
1.( ① )の中に何が入りますか。A.した | B.あった | C.かかった | D.ついた |
A.本屋の主人に話してみると |
B.本屋の主人の話によると |
C.本屋の主人に話をさせると |
D.本屋の主人が話をさせると |
A.駅前にはビルがびっしりと建っている。 |
B.雨が朝からびっしりと降っている。 |
C.人々が電車の中でびっしりとテレビを見た。 |
D.昨日は一日中びっしりとテレビを見た。 |
A.辞典ブーム |
B.食べ物や動物、ファッションなどの辞典 |
C.学習辞典や外国語辞典 |
D.国語辞典や英語の辞典 |
A.大きい | B.広い | C.多い | D.深い |
A.辞典ブームで何でも辞典になること |
B.食べ物や動物、ファッションなどいろいろな辞典があること |
C.国語辞典に、いろいろな種類があること |
D.英語の辞典が20種類くらいあること |
A.こと | B.もの | C.とき | D.ところ |
A.私の考えが、どうしても帰る途中でまとまらなかったこと |
B.今と30年前とでは辞典の数がぜんぜん違っていること |
C.世の中の進歩が速すぎて、人々がそれについていけなくなっていること |
D.情報化社会が私たちの社会とかなり違ったものになってしまったこと |
7 . 高校時代の三年間は、毎日が小さな旅だった。一時間かけての電車通学。ひとつずつ止まる駅には、それぞれの表情があった。始発の武生を出て四つ目に上鯖江という駅がある。いつもそこから乗ってくる親子がいた。足が不自由らしい少年を、かなりの年配と見うけられる母親がおぶってくるのである。
田舎の電車とはいえ、一応朝のラッシュ時である。武生駅でほぼ座席は埋まってしまい、二つ目以降の駅で乗る人はみな立つことになる。通勤や通学の人間がほとんどなので、なんとはなしにそれぞれの定位置があって、互いに言葉こそ交わさないが、その時間のその車両での顔見知りといった関係になる。
どんなに混雑していても、上鯖江まで空いている座席があった。二両目の真ん中あたり。そこが少年をおぶってくる母親の定位置なのである。はじめのうちは、乗ってくるたびに誰かが席を譲っていたのだろう。が、そこに乗りあわせる人たちの暗黙の了解みたいなものがいつのまにかできて、どんなに混みあってもその席には座る人はいなかった。
座席の色が違うわけでもない。「お年寄りや体の不自由な人に席を譲りましょう」そんなシールがでかでかとはってあるわけでもない。お互いに名前も知らない。何をしているのかも知らない。( ① )一日の中のある時間を共有している。そこから生まれた不思議なつながり。そこから生まれたシルバーシート。
高校を卒業してから七年になる。あの電車に乗りあわせる人々の顔ぶれもずいぶん変わったことだろう。今でも上鯖江で、あの親子は乗ってくるのだろうか。ならば今でも上鯖江まで、あそこの席は空いているのだろう。二両目の真ん中あたり。
1.「乗りあわせる人たちの暗黙の了解みたいなもの」とあるが、どういうことか。A.どんなに混雑していても、上鯖江まで空いている座席があったこと |
B.そこが少年をおぶってくる母親の定位置であること |
C.お年寄りや体の不自由な人に席を譲ること |
D.少年をおぶってくる母親が上鯖江から乗ってくること |
A.その電車に乗る人たち |
B.親子と筆者 |
C.筆者とその電車に乗るほかの人たち |
D.親子とその電車に乗るほかの人たち |
A.ところで |
B.それに |
C.けれど |
D.それで |
A.武生始発の電車 |
B.上鯖江まで空いている座席 |
C.一日の中のある時間を共有していること |
D.上鯖江という駅 |
A.朝のラッシュ時、電車は通勤や通学の人間がほとんどである。 |
B.二つ目以降の駅でその電車に乗る人は、みな立たなければならない。 |
C.少年をおぶってくる母親が上鯖江から乗ってくるたびに、誰かが席を譲っていた。 |
D.どんなに混雑していても、二両目の真ん中あたりの席がいつまでも空いている。 |
8 . 暖かな師走の一日、小さな墓地の横を散歩していた。
と、身の丈に余るほうきで、墓の周りを掃いている男の子がいた。近付いて「ボクえらいね。だれのお墓?」と聞くと、「母さんの」と答えた。上着に小2の名札がある。
「魂のすみかと信じいるごとく7歳の子は母の墓掃く」。何かの本に載っていた、心を揺さぶられた短歌を思い出した。
そこへ桶に花束を入れた父親が現われた。頭を下げ「いじらしいですね」というと、「雨の日、この子の雨靴を持って学校へ行く途中、車にはねられました。33歳でした」
私は若いお母さんの墓に手を合わせた。父親と並んで立った少年が「ありがとうございました」ときっぱり言う。
クリスマス、お正月と子供にとって楽しい季節がやってくる。( ① )、この子には母親を思い出す悲しい日々になるだろう。
男の子に「元気を出してお父さんと仲良くね」と声をかけ、墓を後にした。
いい話だ。しかし、それにしても以前見たことがある短歌とそっくりのシーンが目の前に展開した、そのことに驚く。きっと偶然なんだろうけど、ちょっと出来過ぎた話だ、なーんて思ってしまうのは私のひねくれた根性です。
(朝日新聞「天声人語」2001年による)
1.「師走」とは何月か。A.正月 | B.四月 | C.六月 | D.十二月 |
A.ところで |
B.それに |
C.でも |
D.それで |
A.墓の後ろへ行った。 |
B.墓の後ろを掃除した。 |
C.墓の後ろに立った。 |
D.墓から離れた。 |
A.少年は父親と一緒に墓の前に並んで立ったシーン |
B.男の子が母の墓の周りを掃いているシーン |
C.私は若いお母さんの墓に手を合わせるシーン |
D.何かの本に載っていた心を揺さぶられた短歌を思い出したシーン |
A.ほかの子供にとって楽しい季節が、この子にとって母親を思い出す悲しい日々になること |
B.暖かな師走の一日、男の子が墓の周りを掃いていたこと |
C.「魂のすみかと信じいるごとく7歳の子は母の墓掃く」という短歌を思い出したこと |
D.以前見たことのある短歌とそっくりの場面を見たこと |
9 . 「織姫と彦星は離れ離れになって当然だよ。仕事もしないで遊んでばっかりなんだもん。しょうがないよ!」
「え?言われてみればそうだけど……」
子どもたちに七夕のお話を聞かせてあげると、①こんな感想を言う子がいた。「ちなみにぼくはね、落し物を探すのが得意なんだ。だから将来は刑事になる!落し物で困った時はいつでも呼んでね。」と、七夕の感想から続けて②話してくれた。
今晩は知的障害の子どもたちが集まる福祉施設での星空観望会。プラネタリウム解説員という仕事柄、星や宇宙のことなら少しは話せるので、仕事とは別に福祉園で星空案内人として星座解説のボランティアを始めた。
小学生の頃から宇宙の世界に憧れ、渋谷のプラネタリウムに通った。③そんな子どものお願いがちゃんと星まで届いたのか、今は博物館のプラネタリウムで「皆さんが見ていますこの明るい星は……」と解説している。
天気のいい晩は福祉園の庭で星空を眺めながら星座のお話をする。そして、すぐにいろいろな質問が飛んでくる。
「どうして星は光っていないといけないの?」
「どうして星はいっぱいいないといけないの?」
「どうして隕石って固くないといけないの?」
「ん~、え~とっ、それはね……(今晩の質問も手強いなぁ)」
「ジャンケンでパーはグーより強いのはなんで?」
「えっ、ええっ?」
子どもたちが日ごろ抱えている素朴な疑問に突然飛んだ。そんな質問もあるの?というような他の子どもたちからの視線を感じたとたん、さらに難しい質問が次々と……。
私の左手の薬指を見て、その子は聞いた。
「どうして男なのに指輪をしてるの?」
「結婚しているからね。」
「どうして結婚する必要があるの?」
質問するほうも一生懸命、質問されるほうも一生懸命、どちらも通じ合おうと必死である。「どうしてわたしにはお母さんがいるのに、なかなか会いに来てくれないの?」
私の答え方がいけなかったのか、その子は素朴な質問でもするかのように言った。それは質問ではなく、心配事だった。詳しいことは分からないが、施設に入園している子どもたちにはいろいろな家庭の事情があるらしい。
「じゃ、早く会えるように、お星様にお願いしようか!」
てのひらを合わせ、肌寒い晩秋の澄んだ星空に向かって、いっしょにお願いをした。考えてみるとお願い事というのはいつも、家庭や自分のことばかり。でも、今晩はちょっと違う。好きな宇宙の仕事へ進みたいな、というお願いが星に届いたんだから、このお願いもすぐに叶うだろう。
「あっ、お星様!それからもう一つお願い。あの子が将来、いい刑事さんになれますように……」
(村山孝一「おほしさま」『第14回NTTふれあいトーク大賞優秀作品集』NTT 出版による)
1.①「こんな感想」とあるが、何についての感想か。A.仕事についての感想 |
B.七夕についての感想 |
C.遊びについての感想 |
D.刑事についての感想 |
A.筆者が子どもに話した。 |
B.子どもが筆者に話した。 |
C.子どもが仲間に話した。 |
D.筆者が友達に話した。 |
A.男の子が将来刑事になりたい願い |
B.筆者の好きな宇宙の仕事に憧れた願い |
C.博物館のプラネタリウムの解説員になる願い |
D.子どもたちが自分のお母さんに会える願い |
A.子どもたちを施設に入園させる家庭にはそれなりの苦情があることが分かる。 |
B.子どもたちの質問は無邪気で素朴であるが、手強いところがあることが分かる。 |
C.親に捨てられた子どもたちが産んでくれた親のことを恨んでいることが分かる。 |
D.筆者が知的障害者に対して全然関心を持っている親たちを責めることが分かる。 |
A.子どもたちの願いをみな叶えさせてほしい。 |
B.一日も早く正式な解説員にさせてほしい。 |
C.子どもを福祉園に入れた親が来てほしい。 |
D.社会全体が知的障害者を助けてほしい。 |
10 . ここ数年、わたしにはクジラと象を撮影する機会がとても多かった。特に意識的に選んだつもりはないのに、結果としてそうなってきた。理由を考えてみると、これは、クジラや象と深く付き合っている人たちが皆、人間としてとても面白かったからだ。
人種も職業もそれぞれ異なっているのに、彼らには独特の共通した雰囲気がある。彼らは、クジラや象を、自分の知的好奇心の対象とは考えなくなってきている。クジラや象から、何かとてつもなく大切なものを学び取ろうとしている。そして、クジラや象に対して、畏敬の念を抱いているように見える。
人間がどうして野生の動物に対して畏敬の念まで抱くようになってしまうのだろうか。この、人間に対する興味から、わたしもクジラや象に興味を抱くようになった。そして、自然の中でのクジラや象との出会いを重ね、彼らのことを知れば知るほど、わたしも、クジラや象に畏敬の念を抱くようになった。
今では、クジラと象は、わたしたち人類にある重大な示唆を与えるために、あの大きな体で(現在の地球環境では、体が大きければ大きいほど生きるのが難しい)数千万年もの間この地球に生き続けてきてくれた、とさえ思っている。
大脳新皮質の大きさとその複雑さから見て、クジラと象と人はほぼ対等の精神活動ができると考えられる。( ア )、この3種類は、地球上で最も高度に進化した「知性」を持った存在だといえる。実際、この3種類の誕生から、成長過程はほぼ同じで、あら冲る動物の中で最も遅い。1歳は1歳、2歳は2歳、15、16歳でほほ一人前になり、寿命も60、70歳から長寿のもので100歳まで生きる。
1.文中に「そう」とあるが、その指すことはどれか。A.クジラや象を撮影する機会がとても多くなってきた。 |
B.クジラや象を意識的に選んで撮影するようになってきた。 |
C.クジラや象と深く付き合うようになってきた。 |
D.クジラや象を人間として面白くなってきた。 |
A.クジラと象と人がよく似た雰囲気 |
B.クジラや象に対して、知的な好奇心を感じている雰囲気 |
C.クジラや象に畏敬の念を抱いているような雰囲気 |
D.クジラや象を愛するあまり、人間を嫌悪する雰囲気 |
A.ところが | B.いっぼう | C.なぜなら | D.すなわち |
A.だいたい成人前になる | B.だいたい成人になる |
C.だいたい一人の分が食べられる | D.だいたい一人の前で食べられる |
A.クジラと象は人間に対して畏敬の念を抱く |
B.野生動物は体が大きいほど精神活動が複雑になる |
C.クジラと象と人は地球上で最も高度に進化した「知性」を持っている |
D.クジラと象は人間の成長より遅い |