写作要点:
1.说明一下就业活动时,职业资格为什么变得很重要?
2.列举一下有些什么样的职业资格。
3.叙述一下你打算将来获取什么样的职业资格。
写作要求:
1.字数为280~320字。
2.格式正确,书写清楚。
3.使用「です・ます」体。
2 . 「今=ここ」主義。思想家の加藤周一が指摘した、日本人のものの考え方の特徴である。外国人が 1 (驚)くほどのコンビニの普及は、日本人ならではの考え方 2 深く結びついている。
簡単に言えば、いま目の前にあるものが大事だと考え、 3 (簡単)便利をよしとする「簡便志向」が 4 (強い)。おにぎり、おでんは家々で作り方も味も違う食べ物だった。それらがコンビニの定番商品として成長した理由も簡便志向にある。かくして「家庭の味」はほぼ消滅し、伝統的な食文化さえ変わってしまった。
コンビニはまた日本人の生活を深夜型に変えた。単身者や共働き(双职工)夫婦が増えて、人々の活動時間帯が夜間に延びていくのと軌を一にした 5 違いない。
近くの 6 (ようちえん)が終わると、お母さんたちは子どもを連れて、コンビニにやってくる。子どもは店内のどこに何を売っているかをちゃんと 7 (知る)。レジでモノとお金のやりとりも見ている。コンビニは園児が初めて「経済」を学ぶ場にもなっている。
高齢者には「癒やし(治愈)の空間」なんだよ。常連(常客)が集まり、おしゃべりしている最近はイートイン(店内)で食べることもでき、住民票も 8 (取る)し、ATMもある。冷蔵庫代わり、台所代わり、公共トイレ代わり、役所代わり、銀行代わりと機能も多様化した。もはや商業空間ではなく、公共空間化している。
それならばコンビニと行政、利用する住民という三者の共同関係 9 つくって、失われた共同体を 10 (復活する)一つの契機になるかもしれない。
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3 . 小学生のころ、おばあちゃんと一緒に買い物 1 行くと、途中で、おばあちゃんは、私の知らない色々な人と挨拶をしていた。それが子供心にとてもかっこよく見えた。物語に出て 2 市長さんや名士は、色々な人と挨拶しているではないか。おばあちゃんが名士のように見えた。私は学校に行けば50人のクラスメートがいる 3 、外で友達に会うことはめったにない。おばあちゃんはいつ、 4 、この人たちと知り合いになったのだろう。 5 私も道を歩くとき色々な人と挨拶ができたらいいなと思った。
今 6 、近所の人たちが夕飯の買い物に出る時間帯を歩いて、挨拶を交わしていた 7 のだが、会社勤めの間はこういったことは難しい。朝早く会社に行き、夜遅く家に帰る生活は近所の人たちとも、めったに顔を 8 ことはない。
長い会社勤めが終わりを告げた(告一段落)後、私は自治会に参加したり、地元でサークル活動、ボランティアなどに励んだりした結果、色々な人と挨拶する 9 。
今ではどこで知り合った人 10 と混乱してしまうことがあるが、これも小さいころの夢を叶えたといえるのだろうか。
1.( )A.に | B.が | C.を | D.で |
A.ある | B.くる | C.いく | D.おく |
A.ので | B.ため | C.から | D.のに |
A.どうにも | B.なぜなら | C.どうやっ | D.どうし |
A.いつも | B.いつか | C.いつでも | D.いつに |
A.思えば | B.思って | C.思えて | D.思わせて |
A.にしかたがない | B.に違いない | C.にすぎない | D.にしかない |
A.合う | B.合わせる | C.合わす | D.合える |
A.ことにした | B.ことになる | C.ようにした | D.ようになった |
A.だった | B.だっけ | C.だ | D.だが |
4 . 先日、職場でひとしきり身長の話に花が咲いた。「私2ミリも縮みました」「僕に5ミリ」。春の健康診断で測った背丈のことだ。そんなことがあるのかと私も測ったら、何と8ミリの減。老化だろうか。
「いやいや、大人も一日の中で身長が変わります。若者なら朝から晩で2センチ縮むこともあるくらい」。整形外科医の下出真法さんが教えてくれた。伸縮するのは、背骨を構成する24の椎骨の間にある椎間板なるクッション(缓冲物)。重力がかかると水分を出して縮む。「逆に無重力の空間で宇宙飛行士は5センチ前後伸びると言われます。」
700万年前、人類は二足歩行を始めた。4本足の動物の背骨が「梁」とすれば、人類の背骨は「柱」だ。背骨に垂直方向に負荷がかかり、椎間板は無理を強いられ続けるという。
コロナ下で背骨は新たな受難の時代を迎えた。「若い世代の腰痛患者さんが急に増えました」。東京・板橋の金谷整形外科の金谷幸一院長は話す。在宅勤務が増えて、ファや床に座った無理な姿勢でパソコン作業をしたと話す人が多かった。
もう一つの敵が運動不足だ。骨には適度な負荷がかかると強くなる性質がある。外出機会が減れば骨も筋肉も弱くなる。「感染を恐れて引きこもりがちな高齢者は背骨を痛めやすい」
ある試算では、腰痛で労働生産性が低下し、その経済損失は年3兆円に上るという。当方も腰痛とはかれこれ20年来のお付き合いだ。腰のみならず、背骨もいたわら(爱惜)なきゃなと自分に言い聞かせた。
1.文中に「花が咲いた」とあるが、これと同じ意味の文はどれか。A.昔話に花が咲く。 |
B.諦めずに頑張ればいつか花が咲く日も来るだろう |
C.春がきて、花が咲く。 |
D.庭に花が咲いている。 |
A.僕は身長が5ミリ伸びましたという意味 |
B.僕は身長が5ミリ縮みましたという意味 |
C.僕は足が5ミリ伸びましたという意味 |
D.僕は足が5ミリ縮みましたという意味 |
A.身長が伸びること | B.腰が伸びること | C.身長が縮むこと | D.腰が縮むこと |
A.在宅勤務が増えたから | B.コロナ下だから | C.運動不足だから | D.骨が弱いから |
A.大人は一日中の身長は同じだ。 |
B.若者の背骨は伸縮しない。 |
C.腰痛の原因の一つは運動不足だ。 |
D.コロナ下で人々の外出が増えている。 |
5 . 1人で山に登るのが危ないことは数字が示している。単独行の遭難で死亡・行方不明になる割合は、パーティーを組んで(结伴)登る場合の2倍を上回るという。滑落によるけがや熱中症など、1人ではどうにもならないことがあるからだ。
「誰か仲間といっしょに登っていたら、命を落とすこともなかっただろうに」。フリーライター(自由作家)の羽根田治さんが書いた『ドキュメント単独行遭難』に、そんな救助関係者の言葉がある。山小屋まで、助けを求めに行ける仲間がいれば。似たような危険は、もしかしたら飲食店のワンオペ勤務(一人值班)にも潜んでいるのかもしれない。牛井チェーン(连锁店)すき家の名古屋市内の店で1月の早朝、1人で勤務していた女性が心筋梗塞で亡くなった。
防犯カメラの映像によると、その50代の女性は午前5時半ごろに店の厨房で倒れたらしい。別の従業員が出勤するまで誰にも見つけられることなく、3時間以上が経っていた。すぐに誰かが介抱し(照顾)、救急車を呼んでいたらと考えてしまう。
すき家のワンオペ勤務は「トイレもままならない」「強盗に狙われやすい」などと批判され、(ア)は廃上していた。しかし早朝帯では続いており、この件を受けて改めるという。後手に回った対応は、客の少ない時間帯に人を置きたくないという損得勘定が優先したのか。
羽根田さんの本には、けがで動けなくなったところを通りかかった登山者に発見され、命拾いした人の話がある。山でなく都会の片隅では、それもありえなかったか。
1.「1人で山に登るのが危ない」理由は何か。A.滑落によるけがや熱中症など、1人ではどうしようもないことがあるから |
B.1人ではきついから |
C.山登りは危険だから |
D.山道は険しいから |
A.別の従業員が助けてくれなかったから | B.救急車が遅かったから |
C.過労だったから | D.心筋梗塞が発作したから |
A.早朝帯 | B.深夜帯 | C.昼間帯 | D.休日帯 |
A.1人で勤務していた件 |
B.深夜に1人で勤務していた件 |
C.早朝に1人で勤務していた女性が心筋梗塞で亡くなった件 |
D.昼間に1人で勤務していた件 |
A.1人での勤務を避けるべきだ。 | B.1人での勤務を推獎すべきだ。 |
C.1人での登山を推獎すべきだ。 | D.仲間との登山を避けるすべきだ。 |
6 . JR三鷹駅(東京)から歩いて5分。雑居ビルの地下1階に「中華そばみたか」はある。10人も座れば満席の小さなラーメン店だ。全国の飲食店と同じくコロナという強い逆風にさらされた。
最大の試練は春と夏に出された緊急事態宣言で、お酒を出せなくなったこと。いわゆるラーメン居酒屋で、夜になれば客たちはビールを楽しむ。宣言下で1日7ケース(箱)分あった注文が消え、客足も遠のいた(远离)。「自分で3代目。経営して12年目ですが、売り上げが半減するのは初めてでした」と店主の橋本重光さん。
支えは常連客だった。「ビールの代わりに」と、あえてサイダー(汽水)やノンアルコールビール(无酒精啤酒)を注文して助けてくれる人。「店がなくなったら困る」と毎回お釣りを受け取らない人もいた。お土産用の麺を買って帰る客も絶えない。橋本さんは「コロナ下で人情の連鎖が心に染みました」と話す。
自家製の太麺、しょうゆ味の素朴なスープ(汤底)。店の近くに住んでいた大学時代、私もよく通った。地方勤務中も出張のたび、のれんをくぐった(穿过暖,光顺)。今回、全国から届く手紙を見せてもらった。〈長く続くコロナ禍で、心の支えです〉。手書きの文字が温かい。
コロナに関連した今年の倒産は1700件。昨年の倍である。業種別で最も多いのは欧食店。小麦粉や食用油など原料高が拍車をかけ(加速)、オミクロン株(奥密克戎变异株)への不安も募る(激化)。
先日、寒い夜に頼んだのはいつもと同じ卵人りラーメン。学生時代と変わらぬ味に毎回出会える幸せをかみしめた(品芸)。
1.「『中華そばみたか』」の説明について、正しいのはどれか。A.そば屋である | B.居酒屋である | C.ラーメン店である | D.中華料理屋である |
A.注文が消えたから |
B.緊急事態宣言が出されたから |
C.売り上げが半減しているから |
D.ノンアルコールのビールを提供しているから |
A.お酒 | B.ノンアルコールビール | C.サイダー | D.ラーメン |
A.お酒を出さなくなること |
B.売り上げが半分下がること |
C.緊急事態宣言が出されたこと |
D.注文が消えること |
A.昨年のコロナに関連した倒産の件数 |
B.昨年のコロナに関連した倒産飲食店の件数 |
C.今年のコロナに関連した倒産飲食店の件数 |
D.今年のコロナに関連した倒産の件数 |
7 . 丸は止まれ、線は進め。点字ブロック(盲道)の誘導サイン(导航信号)である。目の不自由な人々に欠かせない足もとの道標が、日本から世界へ広がったことはあまり知られていない。
生みの親は三宅精一さん。復員後、岡山市で旅館経営の傍ら発明家として活躍した。1364年、白杖をつく人が横断歩道でないところを渡り、間近を車がかすめる(擦肩而过)様に驚く。「交通戦争」が深刻化していた。
同じ頃、友人の岩橋英行さんが失明宣告を受ける。三宅さんは友に手を貸しながら、足の裏の感覚や杖の使い方を熱心に尋ねた。発明家のひらめき(灵光一闪)と友への思いから点字ブロックが誕生。1967年、盲学校近くの交差点に230枚を寄贈した。普及への道のり(前进的道路)は険しかった。試作に私財を費やし、もう限界かと悩む日が続く。福祉史に詳しい本間律子さんによると、1970年に大阪の盲学校職員らの運動で、駅ホーム(车站站)への敷設が実現。2年後、東京都を皮切り(开始)に自治体による導入が相次いだ(相継)。「視覚障害者が街へ出るようになり、ニーズ(需求)が生まれた。時代の変化も後押ししました(推动)。」
点字ブロック発祥の地となった岡山の交差点を歩いた。記念碑に埋め込まれわたブロックを見て、当初は灰色だったと知る。弱視の人が見分けられるよう黄色に改良された。三宅さんが1982年に死去した後も、弟の三郎さんがさらなる普及に尽くす。
きょうで点字ブロックの規格が制定されて丸20年。いまもなお突起の形や寸法の異なる古いブロックが混在する。道しるべ(路标)の統一が急がれる。
1.「丸は止まれ、線は進め」とは何のサインか。A.点字ブロックの誘導サンである | B.横断歩道の誘導サイン |
C.学校の誘導サイン | D.駅ホームの誘導サイン |
A.点字ブロックの当初の色は灰色であること |
B.点字ブロックの生みの親は日本人であること |
C.点字ブロックの道標がまだ統一されていないこと |
D.点字ブロックは日本から世界へ広がったこと |
A.岩橋英行 | B.三宅三郎 | C.本間律子 | D.三宅精一 |
A.岡山にある旅館の近くの交差点 | B.岡山にある盲学校の近くの交差点 |
C.大阪府にある盲学校の近くの交差点 | D.東京都にある駅ホーム |
A.点字ブロックは日本から世界へ広がったのではない。 |
B.三宅精一さんは岡山市で旅館経営をせずに発明家として活躍した。 |
C.点字ブロックは弱視の人が見分けられるよう灰色から黄色に改良された。 |
D.点字ブロックの普及への道のりは容易だった。 |
1.男の人は最初何を買いたかったのですか。
A.豚肉のお餅 | B.牛肉のお餅 | C.砂糖のお餅 |
A.2 | B.3 | C.5 |
A.牛肉のお餅は評判がいい |
B.砂糖のお餅はあまり甘くない |
C.豚肉のお餅はまだ残っている |
1.今は何時ですか。
A.10時 | B.11時 | C.11時半 |
A.車を持っていないから |
B.免許を持っていないから |
C.道に雪が積もっているから |
A.電車で | B.タクシーで | C.地下鉄で |
1.どうして今日は家から出ないほうがいいのですか。
A.外は大雨だから | B.霧が濃いから | C.台風が来るらしいから |
A.実験室に行かなくてもいい | B.外が危ない | C.宿題を出してください |
A.授業を休む | B.メールを書く | C.宿題をする |