1 . 「我を忘れる」という表現がある。自分のことを忘れる、というのだから変な感じがするが、考えてみるとなかなかうまい表現だなと思う。映画などを見ていると、知らないあいだに主人公に同一化してしまって、主人公が苦境に立つと、こちらも胸が苦しくなったり、知らないあいだに手を握り締めていて、汗が出たりする。①それは別に映画の話であって、自分が椅子に座ってそれを見ているのだから、何のことはない、と言えばそれまでだが、そんな観客としての自分のことは忘れてしまっているのだ。
子供の劇場の仕事をしている人たちと雑談していると、面白いことを聞かせていただいた。最近の子供たちは、劇を見ていても、それに入り込まずに、いろいろなことを言って、やじ(起哄)で劇の流れを止めようとする。ピストル(手枪)を見ると、「あんなのおもちゃだ」と言う。人が死んでも、「死ぬ真似しているだけ」と叫ぶ。悲しい場面のときに、妙な冗談を言って笑わせる。要するに、「クライマックス(剧情高潮)に達していくのを、何とかして妨害しようとしている」としか思えない。こうなると劇をする人も非常に演じにくいのは当然である。
主催者の人たちがもっと驚き悲しくなるのは、そのような子供たちがやじで騒いで喜んでいた後で、その子の親たちが、「今日は子供たちがよくノルしていましたね」と喜んでいるのを知ったときであった。この親は「ノル」ということをどう考えているのだろう。子どもたちは騒いで楽しんでいるかのように見える。しかし、実のところは劇の展開に「ノル」のに必死で抵抗しているのだ。「我を忘れる」のが怖いのだ。
1.①それは何を指しているか。A.主人公が苦境に立っている状況。 | B.映画を見ている状況。 |
C.胸が苦しくなったり、汗が出たりすること。 | D.主人公に同一化すること。 |
A.満足している。 | B.驚きと悲しみ。 |
C.興奮している。 | D.完全に無関心。 |
A.最近の子供たちはすぐ「ノル」ので、劇をする人は演じやすい。親もそのことを喜んでいる。 |
B.最近の子供たちはやじで騒ぐので、劇をする人は演じにくくて困る。しかし、子どもが楽しんでいるのだから、親と同様に演じる側も喜ぶべきである。 |
C.最近の子どもたちは、映面や芝居の世界に入り込んで「我を忘れる」、ということが少ない。親もそのことに気づいている。 |
D.最近の子どもたちは、映面や芝居の世界に入り込んで「我を忘れる」、ということが少ない。 |
A.積極的に望んでいる。 | B.完全に受け入れている。 |
C.恐れている。 | D.全く気にしていない。 |
A.必要ないと思っている。 | B.文化の違いだと思っている。 |
C.良い体験だと肯定している。 | D.人との関わりがないと批判している。 |
2 . チーム全員で物事を成すというのは本当に面白いが、ときにはチームが一つにまとまらず、あるメンバーがチームの足並みを乱す要因になってしまうこともある。大変残念なことだが、もしそうなったら、リーダーはその現実から絶対に目を背けないことだ。
周りのメンバーから「NO」を言われた人については、その人がどうしても変われないなら、リーダーとしてのあなたがチームから外すことを決断する勇気もときに必要だ。
ただし勘違いしてはならない。外すという決断は、決して軽々しくしていいものではない。そもそも、周りと合わない人がチームにいるというのはよくあることだ。それはまだ、本人に「変わる」余地がいくらでもある状態であり、まずはあなたがその人を変えていけばいい。
たとえば私は、他のメンバーの反応がよくない人ほど、1対1で何度も話し合うようにしている。その席では「周りがこんな不満を感じている」ということを率直に伝え、こうして話し合っていることをメンバーにも分かってもらっている。そのうえで、数か月後に周囲との関係が改善されていなければ、本人に異動の意思を尋ねる。(ア)残念な結果になっても、周りのメンバーも納得できるし、誰でも受け入れやすくなると考えているのだ。つまり、チームからあるメンバ一を外すなら、外すという決断の「重み」を本人にも周囲にも感じてもらえるように、まずあなたが正面切ってその人に何度も働きかけることが先なのだ。
1.文中に「目を背けない」とあるが、それに一番意味が近いのはどれか。A.目線を離さない | B.目を盗まない | C.目が回らない | D.目にあわない |
A.リーダーが勘違いしたこと | B.周りと合わない人がいること |
C.決断を軽々しくすること | D.その人を変えること |
A.それでは | B.なぜなら | C.ところで | D.それならば |
A.他のメンバーに何度も話し合うようにする。 |
B.直接に本人に異動をさせるようにする。 |
C.本人にコミュニケーションを取って、改善してもらうようにする。 |
D.他のメンバーと話し合って、本人を外す決断するようにする。 |
A.リーダーとしての決断は軽々しくしてもいいことだ。 |
B.外すという決断は重いから、本人に何度も働きかけることが大切だ。 |
C.周りのメンバーが納得できるように、リーダーは他のメンバーに何度も話し合うことだ。 |
D.本人は周りとの関係が改善しても、リーダーは本人に異動をさせることだ。 |
3 . 今の地球の平均気温は約15˚Cです。もし地球に空気がなかったら、何度ぐらいになるでしょうか。答えは−20˚Cです。①この温度では、人は住めません。また、木も草も育たないでしょう。
空気の中には、水蒸気とCO2があります。この2つのおかげで、35˚Cも温度が高くなっているのです。この2つは、太陽の光をガラスのように通します。しかし、地球から出る赤外線は通しません。ガラスと同じように吸収します。そして、熱の一部を地球に戻します。②これは、野菜などを作る「温室」と同じなので、「温室効果」と言われます。このようにして、35˚Cも温度が高くなっているのです。水蒸気の量はこれからもあまり変わらないようです。しかし、CO2の量はだんだん増えているのです。その原因は、石油や石炭を使うためだと言われています。今のまま使い続けると、10年ごとに約0.3˚Cずつ気温が高くなります。21世紀の終わりごろには、約3˚C高くなるわけです。
気温が高くなると、海面も高くなります。1958年から2030年までに約18cm、2050年までに約44cm、21世紀の終わりには66cmも高くなると言われています。今から6000年前には、今の気温より3˚Cぐらい高かったそうです。その時、今の東京の半分ぐらいは海の中だったと言われています。また、この100年の間に15cm海面は上昇したと言われています。21世紀の終わりには、今歩いている所は、海になっているでしょうか。
1.文中に①「この温度では、人は住めません」とあるが、それはなぜか。A.地球に空気がないから |
B.気温が低すぎるから |
C.水蒸気とCO2が少なくなったから |
D.赤外線が多くなったから |
A.ガラスの家を作って、太陽の光を通し、熱を吸収すること。 |
B.温室効果を利用して、野菜栽培の温室を作ること。 |
C.太陽の光と赤外線による熱の一部を利用して、ガラスの温室を作ること。 |
D.太陽の光を通し、赤外線による熱の一部を吸収すること。 |
A.石油と石炭が増えること |
B.CO2が増えること |
C.水や草をあまり植えないこと |
D.ある国は石油や石炭をたくさん使うこと |
A.温室効果を起こすのはガラスのせいだ。 |
B.太陽からの光が弱くなるのは温室効果のせいだ。 |
C.地球の平均気温が15˚C前後になっているのは空気のおかげだ。 |
D.太陽からの光が見えるのは、温室効果のおかげだ。 |
A.約4cm | B.約18cm | C.約44cm | D.約66cm |
4 . どうして人は眠るのでしょうか。私たちは、一日の約3分の1を眠って過ごします。人間の寿命を75年(①)すると、何と私たちは25年間も眠って過ごすことになる(②)です。では、この25年間について、ちょっと考えてみることにしましょう。
眠りについては昔から、多くの学者がいろいろと考えながら研究を進めてきました。しかし、③それらは、例えば目の運動とか呼吸の状態などで考えられていたのです。④これがもっと科学的に研究されるようになったのは、1929年に脳波が発見されてからの(⑤)です。脳波というのは、脳が働くときに起こる、非常に弱い電流の変化を記録したものです。
脳波を研究することで、今日では眠りについて、いろいろなことがわかってきました。(⑥)眠りの形、少し難しく言うと、眠りの段階は大きく4つに分けることができます。つまり、眠りに入る段階から深い眠りの段階まで、4つの段階があるということです。そして、この4つを1つのサイクルとして、人は1晩にこれを4、5回繰り返すのです。ついでに言うと、私たちが夢を見るのは、4番目の深い眠りから、最初の眠りに入る段階に戻る(⑦)なのです。また、蛇は眠るけれども、魚は眠らないということも分かっています。
ところで、先に書いた25年間を眠らないで過ごしたら、どうなるでしょう。もっと勉強するなんていやだとか、仕事が増えて困るとか、遊ぶ時間が増えるからいい、などといろいろな声が聞こえてくるようです。でも、実際に死ぬまで全然眠らないというのは、無理なことです。11日間ずっと眠らなかった人の例が記録に残っていますが、それでもたった11日間なのです。やはり私たちの心や体は明日の活動のために疲れを取ろうとして眠るのでしょう。もし眠れなくても、そんなに心配する必要はありません。眠らなくても静かに目を閉じているだけで心身は安らかになります。⑧そういう時は、眠りの不思議についてちょっと考えてみてください。
1.(①)の中に何が入りますか。A.を | B.と | C.が | D.で |
A.とき | B.もの | C.こと | D.わけ |
A.眠りについて研究してきた多くの学者 |
B.昔からあった眠りについての考え |
C.多くの学者が今までにしてきた研究 |
D.多くの学者がしようと思っている研究 |
A.学者 | B.眠り | C.目の運動 | D.呼吸 |
A.こと | B.とき | C.もの | D.ところ |
A.しかし | B.つまり | C.たとえば | D.それでは |
A.わけ | B.はず | C.もの | D.とき |
A.明日のために、ゆっくり眠ろうと思っているとき |
B.疲れを取ろうとしているのに、取れないとき |
C.疲れないので、静かに目を閉じているとき |
D.心や体がとても安らかになっているとき |
5 . 「勤勉こそ美徳である」という言葉は、21世紀には死語にしたい。「心豊かに生きることこそ美徳である」という言葉をそれに代えたい。
これまで日本人はよく働く国民であると世界的に評価されてきた。ところが、最近は事情がだいぶ変わってきた。日本人は働き過ぎだというのである。働くことだけに一生を費やしてしまう日本人は、「働きバチ」にたとえられ、非難の対象にさえなっている。もちろん、「働きバチ」にも言いわけがないわけではない。狭い国土、高い人口密度、乏しい地下資源。日本という国が生き延びていくには、とにかく働くしかなかったのである。これを支えてきたのは、勤勉以外の何ものでもない。
しかし、そうは言っても、世の中というのは常に動いている。20世紀の日本と21世紀の日本が同じはずはない。勤勉さのおかげで物質的に恵まれた日本は、そのことを土台にして新しい方向へと進んでいかなければならない。( ⑤ )というこれまでの考え方は、当然、反省されなければならないし、働きさえすればあとはどうでもいいという思想も改めなければならない。例えば、過労死の問題。人間は生きるために働くべきなのに働いたために死んでしまう人がいる。何かを変えなければならない時に来ているのである。
そこで考えられるものの一つがコンピュータである。コンピュータという言葉と聞いただけで、何か難しい、面倒臭いというイメージを持つ人がいるが、そういう人に会って話を聞いてみると、たいていこれまでの考え方を変えずにコンピュータを頭から嫌っている。これまでの考え方というのは、もちろん勤勉こそ美徳であるという考え方である。なぜコンピュータを使うのか、その最も大事なところがきりんと理解されていない場合が多い。つまり仕事をこれまでよりもたくさんするためにコンピュータを使うのだと考えているのである。しかし、これは大きな間違いである。間違いと言って悪ければ、改めるべき習性といってもいいかもしれない。
私は長年、コンピュータの開発に努めてきたが、使う人の仕事量を増やすために開発を急いできたのではない。まったくその逆である。少しでもみんなの仕事量を減らそうと思って努力してきたのである。コンピュータの最大の利点は、仕事にかかる時間を短縮するということである。例えば、これまで2日かかった仕事が、コンピュータのおかげで2時間で済んでしまう。利用者はこの点をもっとよく考えてほしい。あとの時間はすべて遊べとは言わないが、少なくとも何時間かは仕事以外のことに使えるはずである。その何時間かをいかに豊かに使うかにこれからの日本がかかっていると言っても過言ではないのである。
1.「事情がだいぶ変わってきた」とあるが、これはどういうことか。
A.よく働く国民の一生の過ごし方が変わった。 |
B.世界の日本人に対する見方が変わった。 |
C.働くことに対する日本人の意識が変わった。 |
D.日本人の働き過ぎだという評価が変わった。 |
A.働かなかったら日本は生き延びただろうという言いわけ |
B.働かなければ日本の国土は狭くなっただろうという言いわけ |
C.働かなければ日本は生き延びられなかっただろうという言いわけ |
D.働かなかったら日本の人口はますます増えただろうという言いわけ |
A.勤勉だけである |
B.勤勉以外の何かである |
C.勤勉と何かである |
D.勤勉だけではない |
A.「働きバチ」と言われること |
B.物質的に恵まれたこと |
C.勤勉こそ美徳である |
D.地下資源が乏しいこと |
A.勤勉よりも物質 |
B.物質がすべて |
C.物質よりも勤勉 |
D.土台がすべて |
6 . 数学に関してぜひとも言っておきたいことがあります。
数学が嫌い人が多い理由の一つは、数学はできるかできないかがはっきりしているためです。できないとどうしても嫌いになるのです。そこで、ぼくがどうやって数学を勉強したか、それについて話をします。
ぼくは、14歳のとき、夏休みにずっと親の別荘にいて、昼間ずっと数学の問題を解いていました。数学の分厚い問題集の中の問題を解く。これはけっして日本人ができないことではありません。ただし、日本人の多くの学生は、問題をちょっとだけ考えて、すぐできればいいけれども、できなかったらすぐに解答のページをめくって「ああ、なるほど」と納得して、つぎの問題に移るのです。これではダメです。(中略)それでは頭の中に残りません。自分にとっては、どちらかというと失敗の体験なのです。問題は解けなかった。解答を見てわかったけれども、解かなかったのです。
ぼくはそうではありませんでした。ぼくは問題は自分の力で解くべきだと考えて、それを断固実行したのです。5分や10分でできた問題もあれば、30分も1時間もかかった問題もよくありました。1時間でもできない問題の場合には、ぼくはベッドの下の引き出しに入りました。横になってふたを下ろすと、まったく暗闇の中です。その身動きができない状態で数学の問題を考えたのです。
ぼくは、問題が解けないかぎり、ここから出ないと決心しました。頭の中では数学の問題をずっと考えて、そして結局、解けたのです。さもなければ、いまごろはミイラになっているでしょう。
そんな悠長なことはしていられない。自分が一つの問題を5時間も考えているうちに、ほかの人は20問も答えがわかってしまう。それでいいのだろうかと思う人がいるでしょう。でもちがうのです。
「問題を自分の力だけで解いてしまうことができた。やった!」と、大きな喜びを感じられます。そして、数学にもっと興味がわいてくるのです。数学はおもしろいな、楽しいなと思えるのです。かんたんな問題でもいい。それを自分の力で解くことによって、興味がつぎつぎにわいてくるものです。それはポジティブな記憶になります。ポジティブな記憶は、頭の中に残るのです。
逆に、解答を見て20問がわかったとしても、「結局できなかった」と虚しさが残るだけなのです。この記憶はネガティブな記憶ですから、脳が忘れてしまうのです。
このように、ポジティブな記憶を残していくこと、そのためにいろいろな方法を自分なりに考えてください。そして実行してみて、自分に合わないとわかれば、別の方法を探せばいいのです。ぼくのとった方法もぜひ参考してみてください。
(ピーター・フランクル『ピーター流らくらく学習術』岩波書店による)
1.筆者は数学が嫌い人が多くのはなぜだと言っているのか。A.できるまでに長い時間がかかるから |
B.できてもできなくてもわからないから |
C.できるかできないかのどちらかだから |
D.できるかできないかがよくわからないから |
A.夏休みに昼間ずっと親の別荘にいること |
B.数学の問題集にある問題を解いていくこと |
C.数学の問題をちょっと考えてすぐ解いてしまうこと |
D.親と一緒に数学の分厚い問題集の中の問題を解くこと |
A.問題が多いすぎて頭の中に残らないから |
B.解答を見ても納得できず、解かなかったから |
C.問題が解けなかったという失敗の体験になるから |
D.解答をみて解き方が失敗だということがわかったから |
A.5分や10分でできる問題をたくさん解くこと |
B.問題が解けるまでずっと何時間も考えつづけること |
C.ベッドの引き出しの中で身動きもせず横たわっていること |
D.解答のページをめくって、わからない問題の答えを調べること |
A.ネガティブな記憶は、頭の中に長くとどまらない。 |
B.ポジティブな記憶は、ネガティブな記憶ほど残らない。 |
C.ネガティブな記憶は、いやな体験として長く記憶される。 |
D.ポジティブな記憶は、長い時間をかけて初めて得られる |
7 . 私の周囲には「現職教員」という別名をもつ大学院生が大勢いる。その人たちとの日頃のおしゃべりから伝れる教育現場は、ひどく窮屈で、ときに非人間的と思えることさえある。ある小学校では、食事のあいだは一言も口をきいてはならない、というきまりがあるが、『これは、初めのうちはなかなかむずかしいけれど、何度か教師が注意をしていると、そのうち黙って食べられるようになる。そうすることで、生徒にむずかしいことでもやればできるという①自信をもたせたい』、という②教育的配慮のもとにおこなわれているのだそうだ。そういえば、「子どもたちに、自主的に取り組ませる(取り組む+させる)」という③言語的矛盾ともいえる表現を教師は、頻繁に使う。この場合、自主的というこばは、「やる」「やらない」を含めて、子ども自身がすべてをきめるときに、本来の意味にかなうと思うのだが。
④これは極端な例外的ケースだと願いたいが、子どもの教育に携わる者の中には、子どもの両側に狭い幅で柵をもうけ、正しい道からそれないように、正しい目的地に最短距離で到着するように導いてやることが、おとなの使命であると確信している人が少なからずいる。( ① )、そのような操縦は子どもに「自分が自分でなくなる」危うさをかんじさせることにつながりかねないことを、おとなは十分に認識すべきである。自尊感情は、個人に、失敗する自由、やらない自由、できなく悔しがる自由など、いろんな自由があって、自分で何かを決定し、少しずつ自分が自分自身になじんだうえで生まれてくる、「これでやっていける自信」のようなものなのだと思う。したがって、子どもの側にどのようにいきるか、どのように行動するか、どのように感じるかの自由がほとんど残されていないとき、自尊感情は育ちようがないであろう。
これまでの研究によれば、おとなの介入が大きければ大きいほど、子どもの自尊感情は低く、うまくできるようになろうとする意欲が乏しく、自分で自分を制御することが困難であるという。自尊感情は、幼いときの養育者のあたたかなしつけの態度と関連しているという研究もある。これら研究が示唆するところは、周囲のおとながあたたかく見守り、子どもに任せる部分を大きくすることが、自尊感情が育つうえで最低限必要だ、ということである。
そもそも、おとなの介入によって、成功を体験させることができるのは、人間が生涯において繰り広げる多様な能力や行動のほんのわずかである。そのほんのわずかのプレゼントを送るために、子ども自身の自律を損ねてはならない。
むろん、そうするためには、子どもをおとなの「自尊感情」を高めるための道具にせず、おとな自身が自立していなければならないのだが。
1.「自信を持たせたい」と思っているのは誰か。A.筆者 | B.大学院生 | C.教師 | D.子ども |
A.子どもが教師の指示に従うように |
B.食事のマナーを身につけさせるように |
C.間違った行動をとらせないように |
D.子どもに自信をつけさせるように |
A.自主的に決めるということと、強制的にさせるということ |
B.むずかしいことをさせるということと、自信を持たせるということ |
C.大学院生であるということと、現職教員であると言うこと |
D.「やる」と決めることと、「やらない」と決めること |
A.矛盾した表現を使うこと |
B.食事中に話をさせないこと |
C.子どもに決定をさせること |
D.むずかしいことをさせること |
A.だから | B.しかし | C.つまり | D.そのため |
8 . ①目は口ほどにものをいう。それは単なる慣用句(注1)ではなく間違いない真理(注2)である。新人の役者で、やがて売れるなと思える人には、間違いなく目に力がある。私たちは「目力」といったりする。だから、稽古(注3)で役者の「目力」を鍛(きた)え(注4)ようとしている演出家もいる。
しかし②私はその訓練にはあまり意味を感じない。役者の「売れる」「売れない」は、生得的な部分大きいように思うからだ。主役タイプか脇役(注5)タイプかは、キャリア(注6)を積んでくれば、大体わかってくるものだ。無理やり「目力」をアップさせようとしてできるものだとは、思えない。
マンガ家も同じだ。売れるマンガ家の作品は、主人公の目に力がある。主人公の目が生きている。読者は、主人公の生き様にも共鳴する(注7)が、表情の中のとりわけ目に共感が持てないと③物語に入ってこない。
残念ながら生身の人間では正徳的な部分は変えられない。だが、コミュニケ−ションの技術としてのアイ・コンタクト(注8)は変えることができる。
子供のころに、よく大人から「相手の目を見て話しなさい」と教えられる。私は、子供の頃から気の強い方ではなく、相手の目を見るのが苦手だ。何とか、頑張って自分を変えなければ役者に申し訳ない、と一念発起(注9)して、意識して相手の目を見て話すようになったのが、四十代の半ば近くになってからである。それでも、ストレスは大きい。
よく考えてみると、目を見て話すというが、実際にはどの程度見ればいいのか。それを具体的に教えてくれた人はいない。まったく相手と目を合わさずに話すのは論外だが、相手をじっと見つめて話したら、やはり奇妙である。
実際に会話の最中に目を見ている時間は意外に短い。二者間の会話で、通常は30〜60%である。60%見たら、相当親密な関係だといっていい。では、両者の目が合っている時間はどのくらいか。そのうちの10〜30%である。その辺りが「目を見て話す」状態である。だから、それほど目を見ているわけではない。
また、連続して目と目が合う時間は、一秒程度である。それ以上合うとストレスが生じる。若い恋人たちは、お互いの目を信じられないほど長く見合っているが、あれは「恋の病」という病気ゆえである。
一般には、女性の方がアイ・コンタクトの時間が長い。そして、自分が話しているときより、聞いているときの方が相手を見ている時間が長い。この女性の特性がわからないと、相手の発している④ノンバーバル・メッセージを取り違えてしまう。「あんなにじっと目を見て話してくれているんだから、自分に好意を持っているに違いない」というのがそういう勘違いの代表例である。そもそも女性にはそういう特徴がある、と肝に銘めいじておいたほうがよい。
(竹内一郎『人は見た目が9割』新潮新書刊)
(注1) 慣用句:よく使われる決まった表現
(注2) 真理:本当のこと
(注3) 稽古:練習
(注4) 鍛える:練習して強くする
(注5) 脇役:演劇や映画などで、主役を助ける役
(注6) キャリア:仕事などの経歴
(注7) 共鳴する:他の人の考えなどに同感すること
(注8) アイ・コンタクト:目と目が合うこと、目で意志を伝え合うこと
(注9) 一念発起:思い立って何かをしようとすること
1.①「目は口ほどにものをいう」はなぜ「間違いない真理である」のか。
A.役者はみんな新人の時には目に力があるから |
B.役者の目を見ればその人がどんな役をやりたいかがわかるから |
C.実際に売れる可能性がある役者は目に力があるから |
D.目の力が強い役者の人は何の役でもできるから |
A.役者の才能は生まれつきで、目の力をトレーニングしても効果がないから |
B.役者が目の力を訓練するのは大変なことなので、あまり効果がないから |
C.役者には目の力が強くなくても成功している人がたくさんいるから |
D.役者の目の力は自分で訓練して強くしていくしかないから |
A.マンガのストーリーが読者にはわかりにくいということ |
B.マンガが読者の経験とは違うということ |
C.マンガを読む人と描く人では目の力が違うということ |
D.マンガの読者がそのマンガの内容に引き込まれないということ |
A.相手の女性の「あなたの話をよく聞いていますよ」というメッセージ |
B.相手の女性の「あなたの話はおもしろいですね」というメッセージ |
C.相手の女性の「あなたの話が好きですよ」というメッセージ |
D.相手の女性の「あなたのことが好きです」というメッセージ |
A.日本人の会話の中では「相手の目を見て話す」ことはあまりない。 |
B.「相手の目を見て話す」のは、ストレスが大きいからやめた方がいい。 |
C.親しい関係以外では、実際の会話の中で目を合わせる時間はとても短い。 |
D.男性は女性より、好きな相手を長く見つめる特徴がある。 |
9 . 合格発表を待つとき、人前でスピーチするとき、好きな人に告白するとき、人はさまざまな場面でド キドキ(心扑通扑通跳)しています。
このドキドキが起こるとき、私たちの体の中では、どんなことが起きているのでしょう。緊張・興奮したり、不安になったりすると、まず脳の奥深くにあって情動の表出や意欲・記憶などを司る「大脳辺縁系」(大脑边缘系统)というところが興奮します。次に、この興奮が交感神経・副交感神経機能及び内分泌機能を調節している「視床下部」(下丘脑)に影響を与え、全身の交感神経を優位にします。こうして心臓の交感神経が心臓の収縮を強くして、拍動(跳动)を速めることになります。呼吸もいつもより浅くなるそうです。
しかし、恋愛に関するドキドキは、単純に緊張・不安・興奮した時とは違うそうです。なんと人がときめきを感じた瞬間に、ドキドキ発生システムが活発化するという、不思議な特徴を持っています。しかも、その特徴は、誰かに恋をした時の本当のときめきにしか反応しないのだそうです。ある実験では、外見が魅力的な素敵な人に会っただけでは、何の反応もなかったのに、相手を異性として意識し始めた瞬間から、その人に会ったり、その人を想ったりするだけでも、ドキドキしてしまう、という結果が出たそうです。つまり恋愛のドキドキは、人が恋愛をするという自覚を持った時、初めて現象として出るようになるということです。
(ア)、シニアの方(老年人)がドキドキする場合は、注意が必要です。いろいろな病気の可能性が考えられます。動悸を引き起こす病気には、心臓病のほか、高血圧や貧血、感染症などが挙げられます。
1.「ドキドキが起こるとき」体の中で、どんなことが起きているのか。A.「視床下部」に影響を与える一拍動を速める一「大脳辺縁系」が興奮する |
B.「視床下部」に影響を与える一「大脳辺縁系」が興奮する一拍動を速める |
C.「大脳辺縁系」が興奮する一拍動を速める一「視床下部」に影響を与える |
D.「大脳辺縁系」が興奮する一「視床下部」に影響を与える一拍動を速める |
A.外見が魅力的な素敵な人に会ったとき、恋愛のドキドキが発生する。 |
B.人が恋愛をするという自覚を持った時、恋愛のドキドキが発生する。 |
C.恋愛のドキドキは緊張・不安・興奮した時と同じドキドキ発生システムだ。 |
D.誰かに恋をしたとき、ドキドキはしない。 |
A.一方 | B.しかし | C.それで | D.つまり |
A.病気の可能性があるから | B.年齢が高いから |
C.健康に悪いから | D.危険性が高いから |
A.シニアの方がドキドキする場合、医師に相談して、適切な治療を受けたほうがいい。 |
B.ドキドキが起こるとき、心臓の副交感神経が心臓の収縮を強くする。 |
C.相手を異性として意識し始めた瞬間から、その人に会ったりするだけでも、ドキドキしてしまう。 |
D.ドキドキが起こるとき、呼吸はいつもより浅くなるそうだ。 |
10 . 試験というもので、いったい何を調べようとしているのだろうか。たぶん、「学力」といったものだろう。しかし、その「学力」というのが、知識や技能かというと、少し違うような気がする。
おそらく、例えば数学なら数学の世界が、心の中にどれだけ豊かに広がっているか、それが「学力」というものなのだと思う。( ア )、その数学の風景の一部としては、知識や技能もあるかもしれない。しかし、それ以上に、知識を忘れてもなんとかなり、技能でつまずいても(即使失败、受挫)回復できるほうが、「学力」のような気がする。①それは、この景色の内面化のあり方にかかわっている。
それはいくらか、個人の心にかかわってもいる。同じ知識を得るにも、そこに歓びがあったか、同じ技能を得るにも、それを楽しんで身につけたか、そのことが彼の心に刻み付けられている。( イ )、試験というもので、そこまで見るのは無理だろう。むしろ、そこを断念すべきかもしれない。試験というものは、幾分かは断念の上にだけ成立する。心には踏みこまないというのが、試験の限界と考えるべきかもしれない。ぼくの心を他人に図られるのはいやだ、②そう言って拒否してもよさそうだ。
それでも、良質な試験としては、できるだけ彼の世界を判断しようとすることはできよう。例えば数学の試験というと、世間では答えの正否だけのように考えられかねないが、実際には答案の表現のあり方から彼の心の世界を探ろうとするものだ。現実の大学入試の探点でも、そうしたことは試みられている。
1.文中の( ア )に入れるのに最も適当なものはどれか。A.そこで | B.しかし | C.ところが | D.たしかに |
2.文中の( イ )に入れるのに最も適当なものはどれか。
A.しかし | B.つまり | C.それで | D.それとも |
3.①「それ」とあるが、何を指すのか。
A.豊かな知識や技能 | B.心の中の数学の世界の一部 |
C.たとえば数学なら数学の世界 | D.ただの知識や技能ではない本当の学力 |
4.②「そう言って」とあるが、どのように言うのか。
A.知識や技能の内面化は難しい。 | B.自分の心の中は見られたくない。 |
C.試験は知識や技能を見られない。 | D.試験というものには限界がある。 |
5.この文章で筆者が一番言いたいことは何か。
A.心の中の豊かさまでも調べられるのがいい試験だ。 |
B.どのぐらい知識や技能があるかを、詳しく調べられるのがいい試験だ。 |
C.数学なら数学の知識や技能を、楽しみながら調べられるのがいい試験だ。 |
D.知識や技能がまったくなくても、よく考えれば答えられるのがいい試験だ。 |