「ああ、それなら弟に__くださいませんか。美術学校の学生なんです。」
A.かかせてやって | B.かかれてやって |
C.かかせてもらって | D.かかれてもらって |
2 . 私の周囲には「現職教員」という別名をもつ大学院生が大勢いる。その人たちとの日頃のおしゃべりから伝れる教育現場は、ひどく窮屈で、ときに非人間的と思えることさえある。ある小学校では、食事のあいだは一言も口をきいてはならない、というきまりがあるが、『これは、初めのうちはなかなかむずかしいけれど、何度か教師が注意をしていると、そのうち黙って食べられるようになる。そうすることで、生徒にむずかしいことでもやればできるという①自信をもたせたい』、という②教育的配慮のもとにおこなわれているのだそうだ。そういえば、「子どもたちに、自主的に取り組ませる(取り組む+させる)」という③言語的矛盾ともいえる表現を教師は、頻繁に使う。この場合、自主的というこばは、「やる」「やらない」を含めて、子ども自身がすべてをきめるときに、本来の意味にかなうと思うのだが。
④これは極端な例外的ケースだと願いたいが、子どもの教育に携わる者の中には、子どもの両側に狭い幅で柵をもうけ、正しい道からそれないように、正しい目的地に最短距離で到着するように導いてやることが、おとなの使命であると確信している人が少なからずいる。( ① )、そのような操縦は子どもに「自分が自分でなくなる」危うさをかんじさせることにつながりかねないことを、おとなは十分に認識すべきである。自尊感情は、個人に、失敗する自由、やらない自由、できなく悔しがる自由など、いろんな自由があって、自分で何かを決定し、少しずつ自分が自分自身になじんだうえで生まれてくる、「これでやっていける自信」のようなものなのだと思う。したがって、子どもの側にどのようにいきるか、どのように行動するか、どのように感じるかの自由がほとんど残されていないとき、自尊感情は育ちようがないであろう。
これまでの研究によれば、おとなの介入が大きければ大きいほど、子どもの自尊感情は低く、うまくできるようになろうとする意欲が乏しく、自分で自分を制御することが困難であるという。自尊感情は、幼いときの養育者のあたたかなしつけの態度と関連しているという研究もある。これら研究が示唆するところは、周囲のおとながあたたかく見守り、子どもに任せる部分を大きくすることが、自尊感情が育つうえで最低限必要だ、ということである。
そもそも、おとなの介入によって、成功を体験させることができるのは、人間が生涯において繰り広げる多様な能力や行動のほんのわずかである。そのほんのわずかのプレゼントを送るために、子ども自身の自律を損ねてはならない。
むろん、そうするためには、子どもをおとなの「自尊感情」を高めるための道具にせず、おとな自身が自立していなければならないのだが。
1.「自信を持たせたい」と思っているのは誰か。A.筆者 | B.大学院生 | C.教師 | D.子ども |
A.子どもが教師の指示に従うように |
B.食事のマナーを身につけさせるように |
C.間違った行動をとらせないように |
D.子どもに自信をつけさせるように |
A.自主的に決めるということと、強制的にさせるということ |
B.むずかしいことをさせるということと、自信を持たせるということ |
C.大学院生であるということと、現職教員であると言うこと |
D.「やる」と決めることと、「やらない」と決めること |
A.矛盾した表現を使うこと |
B.食事中に話をさせないこと |
C.子どもに決定をさせること |
D.むずかしいことをさせること |
A.だから | B.しかし | C.つまり | D.そのため |
「黒い帽子を___人が父です。」
A.被って | B.被る | C.被った | D.被っていた |
学生:ありがとうございます。先生がご指導___おかげで、無事に卒業できました。
A.いたした | B.いただいた | C.くださった | D.なった |
5 . ①目は口ほどにものをいう。それは単なる慣用句(注1)ではなく間違いない真理(注2)である。新人の役者で、やがて売れるなと思える人には、間違いなく目に力がある。私たちは「目力」といったりする。だから、稽古(注3)で役者の「目力」を鍛(きた)え(注4)ようとしている演出家もいる。
しかし②私はその訓練にはあまり意味を感じない。役者の「売れる」「売れない」は、生得的な部分大きいように思うからだ。主役タイプか脇役(注5)タイプかは、キャリア(注6)を積んでくれば、大体わかってくるものだ。無理やり「目力」をアップさせようとしてできるものだとは、思えない。
マンガ家も同じだ。売れるマンガ家の作品は、主人公の目に力がある。主人公の目が生きている。読者は、主人公の生き様にも共鳴する(注7)が、表情の中のとりわけ目に共感が持てないと③物語に入ってこない。
残念ながら生身の人間では正徳的な部分は変えられない。だが、コミュニケ−ションの技術としてのアイ・コンタクト(注8)は変えることができる。
子供のころに、よく大人から「相手の目を見て話しなさい」と教えられる。私は、子供の頃から気の強い方ではなく、相手の目を見るのが苦手だ。何とか、頑張って自分を変えなければ役者に申し訳ない、と一念発起(注9)して、意識して相手の目を見て話すようになったのが、四十代の半ば近くになってからである。それでも、ストレスは大きい。
よく考えてみると、目を見て話すというが、実際にはどの程度見ればいいのか。それを具体的に教えてくれた人はいない。まったく相手と目を合わさずに話すのは論外だが、相手をじっと見つめて話したら、やはり奇妙である。
実際に会話の最中に目を見ている時間は意外に短い。二者間の会話で、通常は30〜60%である。60%見たら、相当親密な関係だといっていい。では、両者の目が合っている時間はどのくらいか。そのうちの10〜30%である。その辺りが「目を見て話す」状態である。だから、それほど目を見ているわけではない。
また、連続して目と目が合う時間は、一秒程度である。それ以上合うとストレスが生じる。若い恋人たちは、お互いの目を信じられないほど長く見合っているが、あれは「恋の病」という病気ゆえである。
一般には、女性の方がアイ・コンタクトの時間が長い。そして、自分が話しているときより、聞いているときの方が相手を見ている時間が長い。この女性の特性がわからないと、相手の発している④ノンバーバル・メッセージを取り違えてしまう。「あんなにじっと目を見て話してくれているんだから、自分に好意を持っているに違いない」というのがそういう勘違いの代表例である。そもそも女性にはそういう特徴がある、と肝に銘めいじておいたほうがよい。
(竹内一郎『人は見た目が9割』新潮新書刊)
(注1) 慣用句:よく使われる決まった表現
(注2) 真理:本当のこと
(注3) 稽古:練習
(注4) 鍛える:練習して強くする
(注5) 脇役:演劇や映画などで、主役を助ける役
(注6) キャリア:仕事などの経歴
(注7) 共鳴する:他の人の考えなどに同感すること
(注8) アイ・コンタクト:目と目が合うこと、目で意志を伝え合うこと
(注9) 一念発起:思い立って何かをしようとすること
1.①「目は口ほどにものをいう」はなぜ「間違いない真理である」のか。
A.役者はみんな新人の時には目に力があるから |
B.役者の目を見ればその人がどんな役をやりたいかがわかるから |
C.実際に売れる可能性がある役者は目に力があるから |
D.目の力が強い役者の人は何の役でもできるから |
A.役者の才能は生まれつきで、目の力をトレーニングしても効果がないから |
B.役者が目の力を訓練するのは大変なことなので、あまり効果がないから |
C.役者には目の力が強くなくても成功している人がたくさんいるから |
D.役者の目の力は自分で訓練して強くしていくしかないから |
A.マンガのストーリーが読者にはわかりにくいということ |
B.マンガが読者の経験とは違うということ |
C.マンガを読む人と描く人では目の力が違うということ |
D.マンガの読者がそのマンガの内容に引き込まれないということ |
A.相手の女性の「あなたの話をよく聞いていますよ」というメッセージ |
B.相手の女性の「あなたの話はおもしろいですね」というメッセージ |
C.相手の女性の「あなたの話が好きですよ」というメッセージ |
D.相手の女性の「あなたのことが好きです」というメッセージ |
A.日本人の会話の中では「相手の目を見て話す」ことはあまりない。 |
B.「相手の目を見て話す」のは、ストレスが大きいからやめた方がいい。 |
C.親しい関係以外では、実際の会話の中で目を合わせる時間はとても短い。 |
D.男性は女性より、好きな相手を長く見つめる特徴がある。 |
A.お待ちです | B.お待ちしております |
C.お待ちになります | D.お待ちになさいます |
A.を問わず | B.をくらべて | C.のもとで | D.をかまわず |
A.たら | B.から | C.ものか | D.ことか |
A.普通程度にはできそうだ |
B.かなりの腕の持ち主らしい |
C.まったく興味がないようだ |
D.やれるだけやってみるそうだ |
A.おります | B.いたします |
C.なさいます | D.さしあげます |