1 . 試験というもので、いったい何を調べようとしているのだろうか。たぶん、「学力」といったものだろう。しかし、その「学力」というのが、知識や技能かというと、少し違うような気がする。
おそらく、例えば数学なら数学の世界が、心の中にどれだけ豊かに広がっているか、それが「学力」というものなのだと思う。( ア )、その数学の風景の一部としては、知識や技能もあるかもしれない。しかし、それ以上に、知識を忘れてもなんとかなり、技能でつまずいても(即使失败、受挫)回復できるほうが、「学力」のような気がする。①それは、この景色の内面化のあり方にかかわっている。
それはいくらか、個人の心にかかわってもいる。同じ知識を得るにも、そこに歓びがあったか、同じ技能を得るにも、それを楽しんで身につけたか、そのことが彼の心に刻み付けられている。( イ )、試験というもので、そこまで見るのは無理だろう。むしろ、そこを断念すべきかもしれない。試験というものは、幾分かは断念の上にだけ成立する。心には踏みこまないというのが、試験の限界と考えるべきかもしれない。ぼくの心を他人に図られるのはいやだ、②そう言って拒否してもよさそうだ。
それでも、良質な試験としては、できるだけ彼の世界を判断しようとすることはできよう。例えば数学の試験というと、世間では答えの正否だけのように考えられかねないが、実際には答案の表現のあり方から彼の心の世界を探ろうとするものだ。現実の大学入試の探点でも、そうしたことは試みられている。
1.文中の( ア )に入れるのに最も適当なものはどれか。A.そこで | B.しかし | C.ところが | D.たしかに |
2.文中の( イ )に入れるのに最も適当なものはどれか。
A.しかし | B.つまり | C.それで | D.それとも |
3.①「それ」とあるが、何を指すのか。
A.豊かな知識や技能 | B.心の中の数学の世界の一部 |
C.たとえば数学なら数学の世界 | D.ただの知識や技能ではない本当の学力 |
4.②「そう言って」とあるが、どのように言うのか。
A.知識や技能の内面化は難しい。 | B.自分の心の中は見られたくない。 |
C.試験は知識や技能を見られない。 | D.試験というものには限界がある。 |
5.この文章で筆者が一番言いたいことは何か。
A.心の中の豊かさまでも調べられるのがいい試験だ。 |
B.どのぐらい知識や技能があるかを、詳しく調べられるのがいい試験だ。 |
C.数学なら数学の知識や技能を、楽しみながら調べられるのがいい試験だ。 |
D.知識や技能がまったくなくても、よく考えれば答えられるのがいい試験だ。 |
2 . 学級崩壊という言葉が使われ始めてから、早いものでもう10年以上経ちます。その原因は「親のしつけにある」とか「教師の指導方法が問題だ」とか、「本人に障害がある」とか言われてきましたが、未だはっきりしません。解決の特効薬は見つからず、大きな社会問題となっています。
学級崩壊した教室の特徴として見られるのは、小学校低学年の子供たちが授業中席につけず、話を聞けないことです。それが、教室活動の妨げにもなっています。学級崩壊の原因は模索中とはいえ、それが見つかるまで子供たちの成長を止めることはできません。大人になる前に、社会生活で必要な知識を身につけなければならないのですから、何としてでも解決策を見つけ出さなければなりません。
( ア )学校の先生たちは、様々な工夫をするようになりました。例えば、問題のある子供が授業に集中できるように、教え方や注意の引き方を変えてみる——言わば児童指導のスキルを磨くこと。また、体を動かしたり、眼球トレーニングをすることで集中力をつけさせるなどです。
それらを実施した学校では、子供たちに好評で少しずつ効果も出てきているようですが、その効果がずっと続くかどうかはわかりません。子供たちの明るい末来のためにも、こういった先生たちの努力のほかに、原因を究明することが欠かせないでしょう。
1.下線の「学級崩壊」を説明するものとして最も適切なものはどれか。A.学級崩壊は、子供たちの学習の機会を奪ってしまう恐れがある。 |
B.学級崩壊は、子供の性格や障害、親のしつけなどに原因がある。 |
C.学級崩壊は、ここ数年で社会問題として取り上げられるようになった。 |
D.学級崩壊は、原因は分かっているが解決方法がまだ見つかっていない。 |
2.文中の( ア )の中に入れるのに最も適当なものはどれか。
A.それに | B.そこで | C.それで | D.そして |
3.先生たちの「工夫」とはどのようなものか。
A.子供たちの注意が授業に向くように、新しいやり方で授業を行うようになった。 |
B.集中力をつけるための訓練を自分たちで開発し、実際に子供たちにやらせてみた。 |
C.子供たちが社会生活で必要な知識を身につけられるような授業を行うようになった。 |
D.授業に集中しないことはよくないことだと子供たちに丁寧に説明するようになった。 |
4.下線の「原因を究明することが欠かせない」とは、どんな意味なのか。
A.原因を究明してはいけない。 | B.原因を究明する必要はない。 |
C.原因を究明するほかはない。 | D.原因を究明しなくてはならない。 |
5.筆者は、学級崩壊についてどのように考えているか。
A.教師は親と協力しあい、原因を見つけるための努力を続けていくことが欠かせない。 |
B.教師の工夫によって改善してきているが、根本的な原因を見つけなければならない。 |
C.教師の努力によって改善してきているが、引き続き教師が努力することが最も重要だ。 |
D.教師だけに任せるのではなく、社会全体で原因を究明しなければ問題は大きくなる一方だ。 |
3 . 「すし」と「てんぷら」は日本食の代表的なものとして知られている。
すしにはいろいろなものがある。普通のご飯に酢・砂糖・塩などで味付けしてできたすし飯を小さく握って、その上に魚や卵などをのせて作ったのが「握り寿司」である。醤油と砂糖で煮た油揚げの中にすし飯を入れて作ったのを「いなりずし」という。種々の野菜を刻んで煮たものをすし飯に混ぜたものが「五目ずし」といわれる。仕上げ方はいろいろだが、酢で味付けした「すし飯」が土台になることだけは変わらない。
中世までは、炊いたご飯と生魚をサンドイッチのようにして漬け込み、長時間保存して発酵させたものが「すし」で、今も彦根(滋賀県)など、一部の地域にこの方法が残っている。この方法は、東南アジアで行われている保存食と共通したもので、生魚を保存するために発酵させる方法だった。現在の日本のすしは、この発酵を、酢を使うことにより簡略化した「一夜ずし」の方法で、江戸時代に発達したものだ。
てんぷらは、魚介類や野菜に、水溶きした小麦粉の衣をつけて油で揚げる料理である。中国から日本に場げ物料理が伝わったのは、7~8世紀のことといわれているが、油が高価であったため寺院の揚げ菓子や調理に用いられたほかは、一般には普及しなかった。しかし、16世紀から17世紀にかけて、ヨーロッパの文化が日本に入ってきたころ、国内での植物性油脂の生産が飛躍的に伸び、ヨーロッパや中国の料理文化の影響もあって、てんぷらが新しい味として国に広まっていった。
てんぷらは油を( ア )にして作った「つゆ」をつけて食べるのがいい。また、ご饭に載せて、だしと油、みりんで味を調えた「たれ」をかけて「天丼」としたり、そばと組み合わせて「てんぷらそば」にしてもおいしく、昼食時の人気の献立となつている。
1.下線の「仕上げ」は次のどの言葉に近いか。A.完成 | B.結束 | C.終結 | D.完了 |
2.下線の「方法で」は前後の文脈から考えれば、次のどの意味か。
A.方法によって | B.方法であり | C.方法で作られ | D.方法で清け込み |
3.下線の「一般には普及しなかった」は次のどの意味か。
A.普通は普及しなかった。 | B.あまり普及しなかった。 |
C.たいてい普及しなかった。 | D.普通の人々には普及しなかった。 |
4.下線の「てんぷらが新しい味として国に広まっていった」のはなぜか。
A.中国から日本に揚げ物料理が伝わったから。 |
B.ヨーロッパの料理文化が日本に入ってきたから。 |
C.日本国内での植物性油脂の生産が飛躍的に伸びたから。 |
D.以上のABC三つの原因だから全日本に広がっていった。 |
5.文中の( ア )の中に入れるのに最も適当なものはどれか。
A.中心 | B.もと | C.はじめ | D.きっかけ |
4 . 個性の重視ということが注目されるようになって以来、「子どもの興味を尊重し、一人一人の子どもが興味を持つこと、「やってみたい」ということを好きにやらせることが、個性の重視である」という解釈が広がりました。しかしその結果、社会生活上のしきたり(注 1)や習慣を教える機会を失ったと悩む教師と、好きなことしかやりたがらない子どもをつくってしまったということはないでしょうか。個性の重視とは、「二人と同じ人間はいない、つまり人は一人一人異なる存在である。(ア)、一人一人が異なった興味や価値観を持つのは当然である」という考え方を肯定する人間観を意味しているのです。
(中略)
子どもの興味や関心は日々変化する可能性があります。しかし、何らか(注 2)の形でその対象を知る機会がなかったなら、興味を持つこともないのです。小学生はまだまだ経験の幅が狭いものです。ですから、おのずと(注 3)興味や関心を持つ対象も、非常に限られた範囲のものになります。さまざまなものに興味を持つのを待つばかりでなく、興味が持てるように、さまざまな体験ができるようにすることが大切です。
(渡辺三枝子『キャリア教育-自立していく子どもたち』による)(注 1)しきたり:昔からの決まり
(注 2)なんらかの:何かの
(注 3)おのずと:自然と
1.文中の「その」の指すことはどれか。
A.「やってみたい」ということを好きにやらせること |
B.一人一人の子どもが興味を持つこと |
C.子どもの興味を尊重すること |
D.個性の重視への解釈が広がったこと |
A.すると | B.でも | C.だから | D.それに |
A.個性の重視ということが間違って解釈されている点 |
B.個性の重視ということが注目されている点 |
C.個性の意味についての解釈が定まっていない点 |
D.教師が社会生活上のルールを教えていない点 |
A.それぞれの望むことを自由にさせる。 |
B.それぞれの興味や価値観を尊重する。 |
C.他人より優れた点を高く評価する。 |
D.他人との違いが大きいほうがよいとする。 |
A.子どもの興味や関心は変わりやすいので、注意深く観察することが必要だ。 |
B.子どもの興味や関心が広がるように、多様な体験の機会を与えることが重要だ。 |
C.子どもの自主性を尊重し、自身で新しい興味や関心を見つけ出すのを待つべきだ。 |
D.子ども自身が見つけた興味や関心に注目し、それを集中して経験させたほうがよい。 |
5 . 少し前のことですが、こんな記事を新聞で読んだことがあります。小学三年生の子どもを毎日プ一ルに連れてきている母親の話。なぜ、そんなことをするのか。「将来の受験のために体力を作るのです」というのが、その答えです。子どもの時代は受験のための待ち時間にすぎない、ということなのです。受験地獄という言葉があります。教育の歪みも、いまでは、ここまで来たのか。――これが、その記事を読んだ時の率直な印象でした。
もちろん、限られた人生ですから、未来のために長い目を持ち、しっかり準備すること は、大切です。しかし、それが行き過ぎますと、現在という時が、つねに固有の意味を失 って、将来のための準備の時になってしまう。そうすると、現在を本当に大切に生きるこ とが、見逃される恐れが出てくるのではないでしょうか。もしそんな形で、それぞれの時 期に固有の意味を持った人間形成ができないのなら、うまく成長できず、幼児的な人間が
作られるだけではないでしょうか。そして未成熟の大人になり、老化していくだけの人生 になるのではないでしょうか。
実際、最近の子どもたちは勉強に追われて遊ぶことを忘れ、学校でもクラブ活動をあま りしたがらないということをよく聞きます。そこからはいろいろな問題が出てくるように 思えるのです。
普通、子どもたちは遊ぶ時に自分で創意工夫して、想像力を働かせ、豊かな世界を創り 出すものです。たとえば、部屋の隅にぶら下がっている使い古した箒を誇ると、それが馬 に化ける。あるいは広場に転がっている板切れが魔法の鏡に化ける。そのように、子ども たちは、もともと自由な創意を加えて楽しく遊ぶ術をよく知っている世代です。自由な遊 びを通して彼らは想像力を養い、また集団の行動を通して仲間作りの力や、あるいはリー ダーシップの能力を開発されもするのです。
こうした遊びの世界や自由に遊ぶ喜びを忘れるということは、子どもの時代に身につけ るべき社会性や創造性が失われてしまうことを意味しています。ひいては、非個性的な人 間になってしまうのが落ちでしょう。
1.下線の「ここ」の指すところはどこか。A.教育が歪んでくるところ |
B.受験地獄という言葉が作られるところ |
C.小学三年生の子どもを毎日プ一ルに連れてくるところ |
D.子ともの時代は受験のための待ち時間にすぎない、と考えるところ |
A.未来のことを頭に置きながら、若い時から準備すること |
B.限られた人生を大切にして毎日を楽しく過ごすこと |
C.未来のことを頭に置きながら、若い時から体力を作ること |
D.未来のために長い目を持って人生の計画を立てること |
A.若い時、毎日の努力によって生まれた意義 |
B.現在ではなく未来という時点にだけ人生特有の意義 |
C.それぞれの時期に習うべきものを身につける体験や楽しさなど |
D.将来のためにしっかり準備していろいろと体験するおもしろさ |
A.現在を大切にして生きていく形 |
B.現在を大切に生きることを見失う形 |
C.将来のことより現在のことを重視する形 |
D.将来のための準備を急ぐより現在を大切にする形 |
A.子どものころから将来の受験に備えて体力を作るのは大切なことである。 |
B.人生というものは、その時その時を大切にして生きることが必要である。 |
C.人間は、幼少から創造性を持っていなければ、人生の意味を失ってしまう。 |
D.子どもに自由な遊びをさせるため、クラブ活動は極力控えるべきである。 |