1 . 電話が苦手な若い人が増えています。「今自分がしていることを、途中で一度やめなければならない」「話の途中で切りにくい」などが理由だそうです。彼らは電話に気がついても出ないで、あとから「用事は何でしたか」とメールで聞きます。一番ストレスがないのがメールだからです。携帯電話のいいところでも連絡できることですが、これで は意味がありません。
また、会社や人の家にかけるのは、もっと苦手なのだそうです。この場合、本人以外誰かと話をして、相手を呼び出してもらわなければいけません。それを難しく感じるようです。携帯電話で相手に直接つながることに慣れてきた人間には、このようなこともストレスになるのでしょう。また、会社などで、自分が話している内容を人に聞かれたくないと思う人もいるそうです。
頼みにくいことはメールで伝える方が楽だという人もいますが、大切なことはやはり電話のほうがいいでしょう。恥ずかしくてちょっと言いにくいことも、そうです。それが本当に大切なことなら、直接言いましょう。その方が、相手に 伝わります。
1.これとは何か。A.電話ではなく、メールで人に質問すること |
B.携帯電話を持つことを面倒に思うこと |
C.携帯電話にかかってきても出ないこと |
D.メールをする場合のストレスに気をつけること |
A.その人 | B.あの人 | C.自分 | D.相手 |
A.会社で、みんなの前で電話をすること |
B.話したい人とすぐ話ができず、待たされること |
C.電話で話している内容を他人に聞かれてしまうこと |
D.電話をかけて、最初によく知らない人と話さなければならないこと |
A.メールにはない電話の良さを理解しておくべきだ |
B.電話に比べ、メールの方が言いたいことを簡単に伝えられる |
C.仕事では、電話よりメールの方が間違いがなくていい |
D.言いやすいことは電話で、言いにくいことはメールでと使い分けるとよい |
A.すっかり | B.きっちり | C.うっかり | D.しっかり |
2 . 今山形県では耕地面積がほんのわずかながら減少して、①山が増えていると思う。それは農業の近代化の(②)、利益にならない畑などが見捨てられ、もう一度山に返っているかららしい。農業の大型化、機械化という人工の技術が、逆にもともと山だった畑をもう一度山に戻していると聞いて、なるほどと思った。
人間は必然的に自然を人工化し、自然を巧妙に人工の風景に変えてゆく。それが人間が豊かに住むための新しい環境なのだとすれば、止めることはできまい。そうして、いつの間にか、山などの土地は人間の目的に従った人工の風景に変わってゆく。
しかし、人の手がちょっと抜けると、山はすぐに元の姿に返ってゆこうとする。③人間と自然との勝負は決まってはいないのだ。自然の復元力というのが、今でもひそかに働いていることを知って、④私は少し安心した。
『自然と人工』多田富雄 新編国語総合
1.①「山が増えている」原因にならないのは次のどれか。A.農業の近代化 | B.農業の大型化 | C.農業の機械化 | D.自然の人工化 |
A.おかげで | B.せいで | C.わりに | D.くせに |
A.人工の風景は手入れしなければ、元の姿に戻ってしまう。 |
B.人工の風景は手入れさえしなければ、元の姿に戻らない。 |
C.人工の技術さえあれば、簡単に自然を変えることができる。 |
D.人工の技術がなくても、人間は自然の力に勝つことができる。 |
A.人間との自然の勝負は決まってはいないから |
B.自然の復元力が今でも役割を果たしているから |
C.自然の復元力を知って、自分も働いているから |
D.自然が必然的に人工化され、人工の風景に変えたから |
A.耕地面積が減少したのは人の数が減ったからである。 |
B.耕地面積が減少すると自然の力がさらに強くなる。 |
C.人工の力と自然の力は常に対等に戦い合っている。 |
D.人が手入れすることによって自然の復元力を失う。 |
3 . 日本では、電車に乗るという場面でも、①一定のタイドが要求される。「白線の内側に二列に並んで、前の人から順序よくお乗りください」という拡声機の指示に従って、電車が来る前から、それなりの構えを示し、いざ電車が来ると、人の足を踏もうと人を押しのけようと、迅速に乗り込まなければならない。そこでも一定の演技が要求されていることは明らかだ。勝手な方向に向かって立っていたりしては乗せてもらえない。白線がホームだけでなく日本中の道路に引かれている上に、いろいろな指示が拡声機から間断なく流され、またそこら中に表示してある——「白線の内側まで下がってお待ちください」だの、「危ないですから駆け込み乗車はやめましょう」だのと、車内でも、「吊り革や手すりにおつかまりください」「戸袋に手を引き込まれないように」と念を押してある。ところが、たいていの外国では、拡声機からの指示もなければ注意書きもない。電車を待っている人たち一定の構えを示すということもない。そんなことにまで一定の形が要求され、それが当然とされるのは、一言で言えば、均質志向のせいである。たいていの外国では、人々が宗教や民族や階級による多様性に富んでいて、まともに一定の形を要求することなどできるわけがない。ところが、日本人は自分と他人を比べて、②「人のフリ見て、わがフリ直せ」という。フリというものは厳密に規定されていて、それから外れるのが許されないということであるフリやタイドにおいて逸脱していると見られるならば、学校においてはイジメの対象にされてしまう。普通よりちょっと動作が鈍いとか、給食を食べるのが遅いというわけで、いじめられることになる。そういう子供は仲間からいじめられるだけでなく、先生からもしょっちゅう注意されるということが多い。子供の個性を見て伸びと育てるのではなく、型に入れるというのが教育の根本とされている以上、不可避的に起こることと見られる。これが日本のシッケ共同体の一端であり、日本を支えると 縛っているのだ。
1.①「一定のタイド」にあてはまらないものはどれか。A.指示に従い、構えを示すこと |
B.白線の内側に二列に並ぶこと |
C.人を押しのけて迅速に電車に乗り込むこと |
D.勝手な方向に向かって立つこと |
2.②「人のフリ見て、わがフリ直せ」とあるが、ここでいう「フリ」の意味で最も適当なものを選びなさい。
A.洋服 | B.態度 | C.スタイル | D.顔 |
3.日本の「シッケ共同体」からどのような教育が生まれるか。正しいものを選びなさい。
A.自分と他人を比べられる子に育てる教育 |
B.学校でいじめのない教育 |
C.個性をのびのび育てる教育 |
D.子どもを型に入れる教育 |
A.同時に | B.だけに | C.ことに | D.わりに |
5.この文書の内容と当てはまるのは次のどれか。
A.虐められないように周りの皆と同じことをすればいい |
B.規定されているフリを準ずれば、少なくとも学校ではいじめの対象にならない |
C.個性を持つ子どもは学校ではよく先生に褒められることが少なくない |
D.型に入れるのは日本のシッケ共同体の一端の一つとして、日本を支えるつつある |
4 . はじめて訪れる土地を移動する時、我々は地図なしでは目的の場所を発見することができない。いくら歩きまわっても数時間の探求の経験 44 では、未知の土地全体を表象するような、確かな空間のイメージをつくりあげることはできまい。地図を見ることで、初めて自分の位置、そしてそのまわりにひろがる空間の具体的な像が描ける。
45 、熟知した街では事情がまったくことなる。はじめての道を発見しても、それが全体の空間のなかでどのあたりに位置するのかはすぐにわかる。近道をしたり、いつもとはことなるルートを取ったりと、自由自在に空間のナビゲーションを楽しむことも 46 。慣れ親しんだ光景に満たされた空間のなかならば、考えごとをしながらでも知らぬ間に目的地に達することができる 47 である。
48 ような体験は、我々がこころのなかに「地図」をもっていることを示している。
(佐々木正人『からだ:認識の原点』東京大学出版会)
1.A.から | B.の | C.見 | D.し |
A.ところで | B.ことなる | C.すると | D.それから |
A.できない | B.できる | C.可能 | D.ない |
A.もの | B.はず | C.こと | D.の |
A.そう | B.あの | C.この | D.どの |
5 . 「今みていた夢には,女性が登場しましたね?」このように夢の内容を解読できる技術がATR脳情報研究所の神谷之康室長ら( 44 )開発された。睡眠中の脳の活動パターンを解析することで、夢にあらわれた物体の情報を高い精度で言い当てられるという。夢の内容を客観的に知る技術ははじめて。成果は科学誌『Science』オンライン版(アメリカ東部時間2013年4月4日発行)に掲載される。
研究では、脳の血流の変化などを( 45 )活動量を計測できるfMRI(機能的磁気共鳴画像)装置内で、脳の活動を記録しながら被験者に眠ってもらった。頭部に装着した脳波計で眠っているかどうかをモニターして、夢と関連の強い脳波が出た時点で被験者に声をかけて起こし、直前にみていた夢の内容を30秒ほどで口頭で報告してもらう。この一連の過程を、3人の男性被験者それぞれに対してのべ200回ほど行った。
次に、報告された夢の内容に含まれる「男性」や「本」、「道路」といった約20のカテゴリーの名詞に対応する画像を被験者に見せ、そのときの脳活動のパターンもfMRIで記録した。( 46 )、それぞれの名詞に対応する脳活動のパターンのデータベースを被験者( 47 )つくりあげた。それをもとに夢をみていた際の脳活動を分析した( 48 )、男性や本、道路といった特定の物体が夢に登場したかどうかを、おおむね70%以上の精度で当てられたのである。
科学雑誌Newton 2013年4月5日(金)3時13分配信
1.A.にとって | B.にたいして | C.によって | D.につれて |
A.もとに | B.もって | C.めぐって | D.はじめ |
A.こうして | B.そうして | C.ああして | D.どうして |
A.たびに | B.ごとに | C.ことに | D.おきに |
A.かわりに | B.しだい | C.くせに | D.ところ |
6 . ずっと一つの疑問が解けないままだった。
「最もエネルギーにあふれているはずの自分のからだが、なぜこんなにもだるく疲れているのだろうか」
二十代のある日、野口晴哉の本の一節を読んだとき、ひっかかっていたこの問題が氷解した。私の記憶に残る一節の趣旨は、こういうことだ。
だるい状態とは、エネルギーがなくて疲れている状態ではなく、むしろ逆にエネルギーが過剰な状態である。私たちは、しばしば、だるさと疲れを混同してしまっているが、両者は正反対の状態なのだ。疲労しているならば休む必要があるが、だるいときは動く必要がある。
これを読んだときに、なぜ中学以来あれほど「かったるかった」かが理解できた。あれは、疲労感ではなく、エネルギーを注ぐ場所を見いだすことができずに、エネルギーが滞留した不快感だったのだ。いわば、きちんと疲労することができないでいる状態が、あのかったるい身体であった。心地好く疲れる場所を探していたのだ。
、疲労感とだるさが対照的な感覚であるとすると、二つを混同してしまう私たちの身体感覚は、いかにも鈍すぎはしないか。この感覚の鈍さは、つまり、次に自分は休むべきなのか、それとも動くべきなのか、が自分でわからないということでもある。エネルギーの充電と放散のリズムが掴めない身体感覚の鈍りは、近代的身体に固有の現象ではないか。だるさと疲れを感じさせる何かの仕組みがあるのではないか。
(齋藤孝『くんずほぐれつ』文藝春秋による)
1.「だるく」感じるのはどのような状態のときか。A.体力がなくなっている状態 |
B.力が必要以上にたくさんある状態 |
C.疲れているため気持ちが悪い状態 |
D.エネルギーが切れそう状態 |
2.筆者は、自分のからだがだるくなる理由をどうとらえているか。
A.疲れて不快だと感じていたから |
B.疲れたとききちんとからだが感じなくなっていたから |
C.エネルギーを消費できないでいる状態だったから |
D.心地よく疲れがとれる場所が見つからなかったから |
3.この文章で筆者が言いたいことは何か。
A.若者のエネルギーにあふれている身体はだるいと感じやすいのではないか |
B.十代や二十代の若者にとってだるい身体を休める場所を探すのが難しいのではないか |
C.疲労感とだるさを混同してしまうのは若者固有の現象ではないか |
D.身体の感覚の鈍さは昔からあったものではなく、最近になって表れたものではないか。 |
A.それとも | B.それから | C.それにしても | D.加えて |
A.だるい身体 | B.だるくない身体 | C.疲れた身体 | D.疲れていない身体 |