1 . 子供たちは、春休みに入り、7ヶ月(44 )に岩手の祖母のところに行く準備をしています。宿題もなく、それに今年は三人ともそろって卒業も入学もないため、気軽な春休みです。(45 )岩手の旅も手足を(46 )存分に楽しむことができます。次女もみんなといっしょに旅ができるのはうれしいのですが、ただひとつ(47 )があるとすれば、往復の特急の窓が開かないことです。それを(48 )、次女はさびしくなってしまいます。
『新編国語総合春は夜汽車の窓から』1.
A.ぶり | B.たび | C.ごと | D.おき |
A.だから | B.それに | C.もっとも | D.つまり |
A.飛ばして | B.伸ばして | C.曲げて | D.動かして |
A.望み | B.苦しみ | C.悩み | D.喜び |
A.見れば | B.聞こえて | C.すると | D.思うと |
2 . ①外国人に日本語を教えていると、自分の母語である日本語を、常に「外国語」として意識する必要に迫られる。
「今、彼に手紙を書いています」と言えば、それは動作が進行中のことだが、「あつ、 まだドアが開いています。よかった、間に合った」という時の「開いています」は進行中の動作とは言いがたい。何故なのだろうかと。
留学生の日本語クラスでは、この類の質問が次々に出てくる。私は一生懸命辞書や国 語文法の参考書をひいたりするが、②答えが見つかることはめったにない。なぜなら、 我々がこれらの言葉の使い分けを覚えたのは、おそらく学齢期に達する前のことである。 言語形成期に、無意識かつ体系的に我々の頭にインプットされた「文法」については、 国語文法で「既知のこと」として扱われることが多いからだ。
留学生からの質問は、まるで鋭い光のように、海中深く眠っている「見えない文法」 をくっきりと浮かび上がらせる。音声や語彙(③)同様だ。留学生の質問に答えて いくということは、まるで「謎解きの世界」で、難しいクイズに挑戦しているようだ。
『外国語としての日本語』
1.①「外国人に日本語を教えている」と、どのようなことが起こるのか。
A.日本語が難しいと思うこと |
B.自分の母語を「外国語」として意識すること |
C.外国人が勉強熱心だと思うこと |
D.日本語の文法が教えにくいと思うこと |
A.辞書に書いていないから | B.文法書に書いていないから |
C.学齢期の前にすでに覚えたから | D.質問があまりにも難しいから |
A.無意識にインプットされた。 |
B.体系的にインプットされた。 |
C.国語文法では既知のこととして扱われる。 |
D.国語文法ではない。 |
A.としても | B.にしても | C.にとって | D.に対して |
A.鋭いからいやだ。 | B.鋭いから答えたくない。 |
C.難しいからいやだ。 | D.鋭いが挑戦したい。 |
3 . はじめて訪れる土地を移動する時、我々は地図なしでは目的の場所を発見することができない。いくら歩きまわっても数時間の探求の経験 44 では、未知の土地全体を表象するような、確かな空間のイメージをつくりあげることはできまい。地図を見ることで、初めて自分の位置、そしてそのまわりにひろがる空間の具体的な像が描ける。
45 、熟知した街では事情がまったくことなる。はじめての道を発見しても、それが全体の空間のなかでどのあたりに位置するのかはすぐにわかる。近道をしたり、いつもとはことなるルートを取ったりと、自由自在に空間のナビゲーションを楽しむことも 46 。慣れ親しんだ光景に満たされた空間のなかならば、考えごとをしながらでも知らぬ間に目的地に達することができる 47 である。
48 ような体験は、我々がこころのなかに「地図」をもっていることを示している。
(佐々木正人『からだ:認識の原点』東京大学出版会)
1.A.から | B.の | C.見 | D.し |
A.ところで | B.ことなる | C.すると | D.それから |
A.できない | B.できる | C.可能 | D.ない |
A.もの | B.はず | C.こと | D.の |
A.そう | B.あの | C.この | D.どの |
4 . あすは、わが子の入学試験の発表があるという、その前の晩は、親としての一生のなかでも、いちばん落ち着かなくてつらい晩のひとつにちがいない。もう何十年もまえ、ぼくが中学の入学試験をうけたとき、発表の朝、父がこんなことをいった。「お前、きょう落ちていたら、欲しがっていた写真機を買って 」ふとおもいついたといった調子だったが、それでいて、なんとなくぎごちなかったへんなことをいうなあ、とおもった。おとうさんは、ぼくが落ちたらいいとおもってるのだろうか、という気がした。そのときの父の気持ちが、しみじみわかったのは、それから何十年もたって、こんどは自分の子が入学試験をうけるようになったときである。おやじも、あの前の晩は、なかなか寝つかれなかったんだな、とそのときはじめて気がついた不覚であった。おやじめ、味なことをやったなとおもった。あまり好きでなかったおやじが、急になつかしくなった。(中略)もし入学試験に落ちたら、いちばんつらいのは、もちろん親よりも本人である。それを、①親が失望のあまりついグサッと胸につきささるようなことをいったら、ということになる。よし、おやじにまけるものかと決心した。ぼくはすぐ感情を顔に出し怒り声になるタチである、落ちたときいた瞬間にいう言葉を、二、三日前から、ひそかに②練習した。「そうか( ③ )、こんなことぐらいでがっかりするんじゃないよ」くりかえしているうちに、自分が、まず落ち着いてきたのが妙だった。
1963年2月3日付朝日新聞朝刊による
1.①「親が失望のあまりついグサッと胸につきささるようなことをいったら」のあとには言葉が省略されている。どんな言葉を続けたら意味がよく通るか。
A.息子がかわいそうだ |
B.息子が安心してしまう |
C.息子が落ち着くだろう |
D.息子が死んでしまう |
A.息子が、試験に不合格になってしまうと困るから。 |
B.自分の不安な気持ちを知られるのがはずかしいから。 |
C.自分が感情をはっきり顔に出してしまうと困るから。 |
D.不合格だろうと思っていることを知られると困るから。 |
A.頭が悪いからだ、それで |
B.お前はだめだ、だから |
C.残念だったな、しかし |
D.よかったな、しかも |
A.さしあげよう | B.くれよ | C.やろう | D.もらおう |
A.親である以上 | B.親になればこそ分かる |
C.もし落ちたら | D.試験に絶対合格 |