授業で日本人の先生にも聞きました。先生が「どういたしまして」は、「大したことをしなかったから、気にしないでください」という意味の言葉なのだと答えました。そう考えると、数百円の買い物をしたぐらいで、「どういたしまして」と言うのはなんだか変(奇怪)に思えます。
私はコンビニで「ありがとうございました」と言われた時、今では笑顔を返すようにしています。すると、店員もにっこりしてくれて、笑顔が国境を超えることを実感するのが、私の毎日の小さな楽しみになっています。
1.「大笑いされてしまいました」とあるが、どうしてか。
A.コンビニでお握りとサラダを買ったから |
B.店員に「ありがとうございました」と言ったから |
C.店員に「いいえ、どういたしまして」と答えたから |
D.店員に買ったお握りやサラダを袋に入れてもらったから |
A.「どうもありがとう」と答える。 | B.「どういたしまして」と答える。 |
C.「どうも」と答える。 | D.丁寧にお辞儀をする。 |
A.「どういたしまして」と言うこと | B.「どうも」と言うことやお辞儀だけでいいこと |
C.店員に笑顔を返すこと | D.授業で先生に「ありがとう」と言うこと |
A.笑顔で挨拶する。 | B.「どうも」と答える。 |
C.軽くお辞儀をする。 | D.お辞儀をしながら、「どうも」と答える。 |
A.元気な声で挨拶すること | B.コンビニに買い物に行くこと |
C.笑顔の役割を実感すること | D.コンビニの店員が微笑んでくれること |
北野:大学のクラス会、今度の土曜日ですね。一緒に行こうと言っていましたが、私は行けなくなるかもしれません。ごめんなさい。
ザラ:そうなんですか。どうしたんですか。
北野:最近、仕事が忙しくて…。土曜日も会社に行かなければならないことがある(有时会……)んですが、それが分かるのが前日なんです。
ザラ:それは大変ですね。では、行けるかどうか(能否)、金曜日にメールをください。楽しみにしていたので、もし会えなかったら残念です。
北野:もし行けなかったら、別の日に、二人で食事に行きましょう。久しぶりですから、色々と話したいですね。
1.北野さんはどうしてザラさんにメールをするのか。
A.食事の時間を確認するから |
B.クラス会の時間を知らせるから |
C.自分が行けないかもしれないことを伝えるから |
D.自分の調子が悪いことを伝えるから |
A.体の調子が悪いので、クラス会は欠席する。 |
B.ザラさんに会いたがっている。 |
C.土曜日にザラさんに連絡する。 |
D.ザラさんと二人で食事に行く約束があった。 |
A.クラス会のこと | B.ザラさんがクラス会に行かないこと |
C.食事のこと | D.土曜日にも会社に行かなければならないこと |
A.ザラさんにメールをする。 | B.残業に行く。 |
C.ザラさんと食事する。 | D.クラス会に行く。 |
A.北野さんが絶対にクラス会に行けない。 |
B.ザラさんは今、仕事がとても忙しい。 |
C.北野さんは、毎週土曜日に会社に行く。 |
D.ザラさんは北野さんからのメールを待つ。 |
3 . 日本は、横断歩道(人行横道)や信号が多いです。日本の信号は、赤の時は止まって、青になったら行きます。日本人は信号をとてもよく守ります。昨日、私が横断歩道を渡ろうとしたら(刚要过马路)、信号が赤になりました。その道はあまり広くなくて、車も来ませんでした。私は、その時、走って渡ろうと思いました。( ア )、他の人たちは待っていたので、止めました。その後も、車は1台も来ませんでしたが、誰も横断歩道を渡りませんでした。青になってから、ようやく(终于)みんな渡りました。私の国には、横断歩道や信号があまりありません。信号が赤の時でも、みんな気にしません(不在意)。車が来なければ渡ります。危ない時もよくあります。だから、日本に来て、とてもびっくりしました。
1.「その時」とは、どんな時か。A.信号が赤で、車が来ない時 | B.信号が赤で、車が来た時 |
C.信号が青で、車が来ない時 | D.信号が青で、車が来た時 |
A.だから | B.そして | C.でも | D.それで |
A.車が来たから | B.信号が青だから |
C.他の人に止められたから | D.他の人は渡ろうとしなかったから |
A.赤の信号の時間が長いことにびっくりした。 |
B.自分の国と違う横断歩道を渡る習慣にびっくりした。 |
C.日本の横断歩道や信号が多いことにびっくりした。 |
D.日本人も赤い信号に気にしないことにびっくりした。 |
A.筆者は横断歩道を走って渡った。 |
B.昨日、筆者は、車に乗って信号を待っていた。 |
C.筆者の国のほうが、日本より横断歩道が少ない。 |
D.昨日、信号が青になってから車が来て、危なかった。 |
4 . きょうは1日中とてもいい天気で、気持がよかった。午後からテニス部の友達の百合子さんの家に遊びに行った。百合子さんの家に行くのは初めてだったので、百合子さんが駅まで迎えに来てくれた。百合子さんの家族は6人で、みんないい人たちだ。
私が行ったら、みんな喜んでくれて、いろいろなことをしてくれた。お姉さんは 着物の着かたを教えてくれたし、おとうとさんは日本の歌を教えてくれた。日本の歌が少し歌えるようになって、[とてもうれしかった。]おとうさんがビデオを撮ってくれたので、国の家族に送るつもりだ。
7時ごろお母さんが作ってくれた晩ご飯をみんなで食べた。とてもおいしかった。10時ごろまで遊んで、帰りは百合子さんのおとうとさんに車で家まで送ってもらった。
きょうは とても 楽しい1日だった。[今度、百合子さんの家族がオーストラリアに来た時、いろいろなことをしてあげたい]と思った。
1.「とてもうれしかった。」のはだれですか。A.百合子さん | B.百合子さんの おとうさん |
C.百合子さんのお姉さん | D.わたし |
A.去年 | B.先週 | C.将来 | D.今 |
A.友達のおとうさんが家までおくってくれました。 |
B.友達のおとうとさんが家までおくってくれました。 |
C.木村さんと私は同じクラスにいます。 |
D.自分でバスで帰りました。 |
A.以前わたしは百合子さんの家に行ったことがあります。 |
B.ははが作ってくれた晩ご飯はとてもおいしかったです。 |
C.きょうわたしははじめて百合子さんの家で晩ご飯を食べました。 |
D.きょうわたしは百合子さんの家族といっしょに写真をとりました。 |
A.私も百合子さんもテニスができます。 |
B.百合子さんの家族は6人です。 |
C.百合子さんはもうオーストラリアにきた。 |
D.百合子さんのおとうとさんは日本の歌を教えてくれた。 |
5 . 最近犬や猫などのペット(宠物)と一緒に住めるアパート(公寓)が増えています。10年前、この町にはペットと住めるアパートがほとんど(几乎)ありませんでしたが、去年は全部のアパートの半分以上になりました。___、今も増え続けているそうです。
先月、花田さんと奥さんがこの町のアパートに引っ越しました(搬家)。引っ越してから、犬2匹と一緒に住んでいます。花田さんは65歳で、仕事を辞めてから元気がありませんでしたが、犬と一緒にいて気持ちが明るくなりました。奥さんは体が丈夫になりました。引っ越す前は足が悪くて、ほとんど家の中にいましたが、今は毎日犬と一緒に散歩しています。2人は嫌なことがあっても、かわいい2匹を見ると気持ちが優しくなって、毎日楽しく生活できると言っています。
ペットは毎日世話(照顾)が大変です。食べ物やトイレの世話があって、病気の時は病院に連れて行かなければなりません。でも、花田さんの話を聞いて、これから私もペットと住んでみたいです。(動詞てみたいです:想试着做某事)
1.___には何を入れますか。A.そして | B.それで | C.でも | D.それでは |
A.今はペットと一緒に住めるアパートのほうが多い。 |
B.今はペットと一緒に住めないアパートのほうが多い。 |
C.今はほとんどのアパートにペットと一緒に住めない。 |
D.今は全部のアパートにペットと一緒に住める。 |
A.仕事を辞めたので、生活が楽しくなりました。 |
B.この町に引っ越してから足が悪くて、ほとんど家の中にいます。 |
C.10年前から犬2匹と一緒に住んでいます。 |
D.この町に引っ越してから前より元気になりました。 |
A.ペットの世話が10年前より簡単になったから |
B.ペットと一緒に生活するのは楽しいから |
C.ペットと住めるアパートが最近増えてきたから |
D.ペットは食べ物やトイレの世話があるから |
A.減り続けます | B.今と同じです | C.増え続けます | D.以前と同じです |
6 . みなさんは、毎日どれくらい歩いていますか。日本で、大人の男性と女性が毎日どれくらい歩いているか、歩数を調べました。2014年、男性は、7,043歩、女性は、6,015歩でした。男性は、30代が一番多くて、8,488歩でした。しかし、40代からは、だんだん減っています(減少)。男性は、30代のとき、よく歩いたり、動いたりして働きますから、歩数も多いです。(ア)、40代くらいから、座って仕事をすることが多くなりますから、歩かなくなってしまうのでしょう。また、女性は、20代、40代、50代がほとんど同じです。30代だけ少ないのは、小さい子どもの世話(照顾,照料)で、歩く機会が少なくなるからでしょう。そのあとは、50代まで、ほとんど歩数は変わりませんが、子どもの世話や、仕事が終わる60代になると、急に歩数が少なくなります。
普通、1日に、男性は9,000歩、女性は8,500歩くらい歩くと健康にいいと言われています(普遍认为)。わたしは、今、1日4,000歩くらいしか歩いていません。休みの日を利用して、もっと歩きたいと思います。
(厚生労働省「国民健康 栄養調査(平成26年)」を参考に作成)
1.文中に「40代からは、だんだん減っています」とありますが、どうしててすが。A.男性は、40代くらいから座って仕事をすることが多いですから |
B.男性は、40代くらいから子どもの世話をしますから |
C.男性は、40代くらいから歩くのが嫌になりますから |
D.男性は、40代くらいからあまり働かなくなりますから |
A.そして | B.それで | C.それに | D.でも |
A.50代の男性 | B.50代の女性 | C.60代の男性 | D.60代の女性 |
A.50代の女性は、40代の男性より歩数が多いです。 |
B.女性は、20代から60代まで、ほとんど歩数が変わりません。 |
C.普通、1日に、男性は9,000歩、女性は8,500歩くらい歩くといいです。 |
D.男性は、30代が一番歩数が多くて、女性は、30代が一番少ないです。 |
A.4000歩 | B.4500歩 | C.5000歩 | D.5500歩 |
7 . 今から千年以上前に、日本人の留学生がたくさん中国へ行きました。学生たちは中国で勉強したいろいろな制度や文化を日本に伝えました。京都も奈良も中国の長安をまねて作った町です。漢字も中国から日本に伝わった文字です。中国の文化は日本の文化に大きい影響を与えました。現在ではおおぜいの人々が両国の間を行ったり来たりしています。文化の交流のほかに、経済や技術の交流が盛んになりました。両国が共同で製作した映画やテレビ番組も多くなりました。中国と日本の交流は新しい時代を迎えたのです。
备注:①真似る[まねる] 模仿
②大勢[おおぜい] 大批(的人),众多(的人)
1.今から何年前日本人の留学生がたくさん中国へ行きましたか。
A.今からちょうど千年前です | B.今から千年以上前です |
C.今から千万年前です | D.長い歴史があります。 |
A.中国で文化と制度を勉強しました。 | B.漢字を勉強しました。 |
C.経済や技術の交流が盛んでした。 | D.文化だったり制度だったりです。 |
A.ペキンでした。 | B.シャンハイでした |
C.長安でした。 | D.いろいろな町をまねて作ったのです。 |
A.はい、よく行きます。 | B.いいえ、ほとんど行きません。 |
C.昔ほど行きません。 | D.ぜんぜん行きません。 |
A.はい、同じです。 | B.いいえ、同じではありません。 |
C.中日交流は昔より少ないです。 | D.今は文化の交流のほうが多いです。 |
8 . 私は中学生で、17歳の女の子です。来年高校に行きます。
私の趣味は写真です。私は住んでいるところは港町です。毎年夏の時、友達といっしょによく海へ行って泳ぎます。海の景色はとてもすばらしくて、写真を「____」撮りました。
私は旅行も好きです。去年の夏休みには家族といっしょに京都へ行きました。京都にはお寺や古い建物がたくさんあります。「金閣寺」は京都にあります。そこで写真を撮りました。その写真を授業でクラスメートたちに見せました。
今は高校の入学試験の準備で忙しいです。高校はもっと忙しいと思います。でも、学校が休みの時、いろいろな所へ行って、前よりもっといい写真をたくさん撮りたいです。
(✱高校:高中 港町:港口城市 準備:准备)
1.この人はいつ高校に入りますか。A.いま | B.来年 | C.今年 | D.来月 |
A.見学 | B.水泳 | C.勉強 | D.写真 |
A.おおぜい | B.とても | C.たくさん | D.おおきい |
A.大阪 | B.東京 | C.京都 | D.奈良 |
A.小学生 | B.中学生 | C.高校生 | D.会社員 |
9 . 中学3年生のとき、こんなことがありました。仲良くしていた友だちのひとりに、教室の片すみで、「実は私、病気みたいなの」と打ち明けられたのです。両足を閉じて目をつむると倒れてしまう、と。「へえ、だったらやって見せてよ」と私。友だちは、ちょっとおどろいた顔をしたけれど、小さくうなずきました。目の前で足を閉じ、目をつむったとたん、棒のようになって倒れてしまいました。あっというまの出来事でした。
抱き起こすと、その顔は苦痛にゆがんでいました。「ごめん。本当にごめんね…」何度もあやまりながら、なんてひどいことをしてしまったんだろうと、胸の奥が(ア)痛みました。友だちの言ったことを信じなかった私。興味本位で実演をねだって、病気の身をまるで案じてあげられなかった私。それなのに、彼は自分が苦痛を味わうと知りつつ、おろかな友を受け入れてくれたのです。
友情とは何か。ちょっと前までそんなことを論じていた自分が、恥ずかしくなりました。友情は理屈じゃない。この人を本当に大切にしよう。なんとしてもこの友情に終わりを迎えさせてはならない。そんを熱い思いが、心の底からわいてきました。私は、この出来事を一生忘れないでしょう。
注:目をつむる:闭上眼睛興味本位:只把有趣与否作为判断基准的倾向ねだる:死乞白赖地要求案じる:担心理屈:道现
1.文中にある「こんなこと」とはどのようなことか、。
A.友逹が教室で自分のことを病気扱いしてきたこと |
B.中学3年生の友達が、自分に相談してきたこと |
C.友達が自分に病気であることを打ち明けてきたこと |
D.友達が教室にいるときに、倒れ、病気になったこと |
A.友達が足を閉じて目をつむった瞬間倒れてしまったこと |
B.友達が棒のようになって話すことができなくなってしまったこと |
C.私が目をつむったら友達は私のことを棒のようだと言ったこと |
D.先生が目をつむった瞬間私が思わず倒れてしまったこと |
A.ドキドキ | B.きりきり | C.はらはら | D.わくわく |
A.友だちの言ったことを信じなかった |
B.友逹にひどいことをしてしまった |
C.友達に病気であると騙された |
D.友達の病気を理解できなかった |
A.友情は理屈じゃなく、心で感じる物でそれに理由はないという思い |
B.友情とは何かを友達が教えてくれて、それを忘れないようにしようという思い |
C.彼が自分を助けてくれたことによる、彼に対する感謝と感激の思い |
D.この友達との友情を絶対になくならせてはいけないという思い |
10 . 自分で行動してみようと思えば、意外とできるものだ。(ア)、私の例をひこう。
私は子どものころから引つ込み思案で恥ずかしがりだった。人前で話をするなんてとんでもない。人前に出ると、顔を赤らめ、ぼそぼそしゃべるばかりだった。とにかく、人の前に出てなにかをするというのが苦手だったのだ。(イ)、予備校で教えることになったときも、「人前で話をするなんて無理ではないか」「人前でもし失敗してしまったら、もう立ち直れないのではないだろうか」と思った。特に、予備校でパフォーマンスを行いながら、みんなにわかるように説明することなどできそうもなかった。が、とりあえずやってみた。ところが意外と才能があった。一生懸命やってみると、人並みにはできた。もっと工夫していると、いつのまにかカリスマ講師と言われるようになった。そして、「小論文の神様」と呼ばれるまでになっていた。そんなものなのだ。
あのとき、自分でしり込みしていたら、少なくとも今の私はなかった。その後の私の人生が、ある程度成功だったとすると、この成功を導いたのは、自分ができることの限界にこだわらなかったことが要因の一つに挙げられる。自分はこうたと思い込んでしり込みするのでなく、何かに挑戦して、新しい自分を作っていくこと。それこそが大切なことなのだ。
注:引つ込み思案:畏缩不前;パフォーマンス:表演、演出;人並み:普通;カリスマ:超凡的;しり込みする:撤退・退缩。
1.(ア)の中に入れるものとして、一番適切なのはどれか。
A.それから | B.また | C.例えば | D.でも |
A.引つ込み思案で恥ずかしがりだった |
B.人前で話をするなんてとんでもないと思っていた |
C.人前に出ると顔を赤らめ、ぼそぼそしゃべるばかりだった |
D.人の前に出てなにかをするというのがわりと得意だった |
A.すると | B.だから | C.それに | D.しかし |
A.予備校の講師は、難しく見えて実は節単なものだ |
B.人間はみんなやればできるし、なんとかなるものだ |
C.カリスマになるのは難しいが、小論文は簡単だ |
D.演説をするのは一度やってみたら意外に楽しいものだ |
A.自分ができることに限界を設けず、一生懸命にやった |
B.自分ができることの限界にこだわり、そこまで頑張った |
C.自分はこうだと思い込んで、その通りになるようにした |
D.新しいことに挑戦しない人を見て、アドバイスするようにした |