1 . 私は5歳の時、大きな怪我をしました。一人で自転車に乗っている時に、うっかり転んでしまって、足の骨を折ってしまったのです。その際に、1ヶ月ほど入院をしたのです。毎日同じ部屋で、同じベッドの上で過ごすのは、それは(ア)です。
毎日窓の外を見つめて、今日はどんな人が歩いていたとか、変な形の雲があったとか、そんなことで暇をつぶしていました。しかし、ひとつだけ楽しい時がありました。それは、看護師のお姉さんが来る時です。看護師の人は、毎日私の体調を確認しに来ます。その度に、面白い話をしてくれたのです。子どもの時になりたかった職業の話や、小学校の時に運動会で失敗した話、どうして看護師になったかなど、本当に色々な話を毎日毎日してくれて、それは非常に楽しかったです。
看護師さんは、ただでさえ忙しいと思います。毎日色々な人の病室にお薬を渡しに行ったり、点滴の準備をしたり、常にパタパタ走り回っていました。それなのに、嫌な顔一つせず、毎回来てくれるときは笑顔ですし、私が好きそうな絵本を買ってきてくれたり、毎回面白い話を考えてきてくれました。その時、私は思いました。こんな優しい大人になりたいと。
1.筆者は「5歳の時」に何があったのか。A.病気をして入院をした。 | B.怪我をして学校を辞めた。 |
C.病気をして学校を辞めた。 | D.怪我をして入院をした。 |
A.おもしろかった | B.たのしかった | C.つまらなかった | D.かなしかった |
A.看護師の人が来てくれる時 |
B.お母さんが面白い話をしてくれる時 |
C.友人が本を買ってきてくれる時 |
D.医者の先生が検査をしに来る時 |
A.友達が、忙しいのにいつも病院に来てくれたから |
B.看護師の人が、忙しいのに優しくしてくれたから |
C.医者の先生が、忙しいのに面白い話をしてくれたから |
D.お母さんが、忙しいのに世話をたくさんしてくれたから |
A.私は5歳の時、病気になった。 |
B.看護師さんは絵本を買ってきてくれた。 |
C.いつも友人が来て勉強を教えてくれた。 |
D.病院のご飯はおいしくなかった。 |
2 . わたしの知っている寿司屋の若い主人は、亡くなった彼の父親を今になっても尊敬している。死んだ肉親のことは多くの場合、美化されるのが普通だから、彼の父親の追憶もそれではないかと思っていたが、そのうち考えが変わってきた。
高校を出た時から、彼は父親に寿司の握り方--寿司屋になるすべてを習った。父親は彼のご飯の炊き方が下手だとそれをひっくり返す(掀翻,倒掉)くらい厳しかったが、何と言っても腕に差があるから文句は言えない。だが、ある日我慢できず「なぜぼくだけに辛く当たるんだ」と聞くと、「おれの子どもだから辛く当たるんだ」と言い返されたという。父親が死んだ後、店を継いでみると、その辛く当たられた技術が役に立ち、なるほど、なるほどと彼はわかったそうである。
わたしはこの若主人の話を聞くたびに羨ましいと心の底から思う。そこには我々がある意味で、理想とする父親と子どもの関係があるからである。
子どもはそのとき、技術だけではなく父親の生き方も学んでいく。自分の作る寿司に妥協しない父親、飯の炊き方ひとつにも誠意を持ってやる父親の生き方を技術と同時に習っていく。それが本来父親というものだ。
1.文中の「それ」の指すことはどれか。A.死んだ肉親を美化すること | B.死んだ肉親を追憶すること |
C.死んだ肉親を尊敬すること | D.死んだ肉親を追憶し、尊敬すること |
A.文句を言ったら叱られるから |
B.寿司の握り方を教えてもらえないから |
C.何も教えてもらえないから |
D.必要以上に厳しく叱られるから |
A.店を継いだこと | B.父親と腕に差があること |
C.父親が辛く当たったこと | D.技術を教えてくれたこと |
A.この若主人が寿司屋を継いだこと |
B.この若主人は厳しい父親がいたこと |
C.この若主人は技術の上手な父親がいたこと |
D.この若主人が立派な寿司屋さんになったこと |
A.父親は子どもと同じ仕事をすべきだ。 |
B.父親は子どもに厳しくすべきではない。 |
C.父親は子どもに技術を伝えるべきではない。 |
D.父親は子どもに技術と生き方を伝えるべきだ。 |
3 . 日本人の生活習慣も時代とともに変わっていく。ほんの少し前までは、春や秋になると、畳を乾燥させるために家の中から畳を外に出す光景があちこちで見られたものであり、どんなに忙しい生活をしている人でもこれだけは続けてきた。畳は暮らしの中に季節感を作り出していたのである。
が、最近では畳がだんだん見られなくなってきている。畳の上に座る、畳の上で家族みんなで食卓を囲む、畳の上に布団を敷いて寝る。客が来れば、その畳の上に手をついてあいさつをする。それが当たり前だった生活はつい昨日のようなことである。畳は日常生活とともにあったのである。
畳という言葉は、古い時代の文字や記録にも出ている。昔から日本人の生活の中にあったものと考えてよいのであろうが、そのころは床に敷く布や毛布のようなものを「たたみ」と呼んでいたらしい。(ア)、使わないときは畳んでしまっていた。つまり、「畳む」ものだから畳という言葉が生まれたのだろうと思われる。
また、昔の詩の中に、「旅に出た人の使っていた畳は動かしても汚してもならない」とある。なぜなら人は旅に出ているときでも故郷に自分の心を残しており、その心は畳の上にも残っている。その畳を留守の間に大事にしないと、旅で危険な目にあったり(遇险)、病気になったりする、と信じられていたからだ。昔は畳は自分一人だけで使うものだったのである。
やがて時代は変わり、畳はだんだん現在のような形と大きさのものになっていく。1人の人が寝られるぐらいの大きさが畳の標準となり、それに合わせて部屋の大きさも決められるようになったのである。最近ではすっかり目立たなくなった畳も長い歴史を持ち、日本の生活文化と深いつながり(关系)を持っているのである。
1.文中の「これ」を指す意味はどれか。A.忙しい生活をすること |
B.畳を外に出して干すこと |
C.あちこちで畳が見られること |
D.生活習慣が時代とともに変わること |
A.畳があまり使われなくなった。 |
B.畳をまったく掃除しなくなった。 |
C.畳の上に布団を敷いて寝られなくなった。 |
D.畳の上に手をついてあいさつしなくなった。 |
A.ところが | B.そして | C.では | D.それとも |
A.畳は動かさなければ汚れない。 |
B.畳は動かして汚したら大変だ。 |
C.畳は動かしても汚してもいけない。 |
D.畳は動かしてはいいが汚してはいけない。 |
A.旅に出た人 | B.家にいる人 | C.畳を汚した人 | D.畳を動かした人 |
A.昔の布1枚の大きさ |
B.1人の人が寝るときに必要な広さ |
C.昔の人の標準的な背の高さ |
D.旅のとき自分一人で持てる重さ |
A.畳と日本の旅 | B.畳と日本の気候 | C.畳と日本人の故郷 | D.畳と日本人の生活 |
4 . イヌは飼う人が「こっちへおいで」と呼べば、たいていはちゃんとやってくるが、ネコはそんなことはない。いくら「おいで、おいで」と言っても、ちょっとこっちを見ただけで、ぜんぜん寄ってこようとはしない。
ぼくの家に6匹もネコがいたころ、春や秋の日曜日の昼には、庭の奥でバーベキュー(露天烧烤)をすることがよくあった。すると、まもなくネコたちはみんな家の中から出てきて、ぼくらのいる庭の隅にやってくる。けれどイヌのようにぼくらの足もとに(ア)。近くの物置の上や塀の上に勝手に座りこんだりして、ぼくらの方を見ている。そして、とても満足そうな顔をしているのだ。
かれらは人間といっしょにというか、人間の近くにいたいのである。(イ)ぼくらが留守中のネコの世話を近所の友だちに頼んで、2日ばかり旅行に出かけようとしていると、非常に不安そうな様子になる。ぼくらの気配(情性、迹象)で何か察知しているとしか思えないのである。
1.文中に「そんなことはない」とあるが、その意味はどれか。A.呼んでも来ない。 | B.呼んでも返事しない。 |
C.呼んでも闘こえない。 | D.呼んでもわからない。 |
A.寄ってこないわけではない | B.寄ってくるわけだ |
C.寄ってくるわけではない | D.寄ってくるわけがある |
A.自由に行動できるから |
B.人間の近くにいられるから |
C.おいしい料理が食べられるから |
D.勝手に座りこんだりすることができるから |
A.だから | B.それでは | C.ところが | D.ところで |
A.近所の友だち | B.ぼくの家族 | C.ネコ | D.イヌ |
A.人の言うことを理解することができ、とても頭のいい動物 |
B.人といっしょにいることで幸せを感じ、飼う人の命令に従う動物 |
C.イヌほど命令に従わず、何を考えているかわからない近づきにくい動物 |
D.呼んでも寄ってこないが、飼う人といっしょにいることで満足する動物 |
5 . アインシュタイン(愛因斯坦)は自分の電話番号を覚えていなかったと伝えられている。あれだけ頭のいい人(ア)·…·
「なぜ?」と聞かれたら、かれは「本で調べられるものは覚える必要あるか」と答えて、電話帳を引き始めたという。この話は本当かどうか、はっきりしないところはあるが、ぼくはこの哲学に賛成!ぼくは自分の身長や体重、そして電話番号や住所を覚えようとしないがゆえに、覚えていない。(イ)、バカだからではない。一個しかない脳だから、必要のない作業で使うよりは、世の中の神秘を考えたり、問題を解決したり、何かの大発見に向けて想像したりするために使いたいものだ。
1.文中の(ア)に入れるのに最も適当なものはどれか。A.のため | B.のわけ | C.なので | D.なのに |
A.本で調べられるものでも覚える必要がある。 |
B.本で調べられるものは覚える必要はない。 |
C.頭のいい人でも自分の電話番号を覚える必要がある。 |
D.頭のいい人は自分の電話番号を覚える必要はない。 |
A.原因で | B.仮定で | C.目的として | D.結果として |
A.では | B.それで | C.つまり | D.そして |
A.電話番号を覚えていないのはバカだからだ。 |
B.電話番号を覚えていないのは覚えようとしないからだ。 |
C.「ぼく」はバカだから、電話番号などを覚えていない。 |
D.「ぼく」はバカだから、電話番号など覚えようとしない。 |
A.本で調べられる電話番号なども覚える必要がある。 |
B.脳は物を考えたり想像したりするために使うものだ。 |
C.アインシュタインの哲学は普通の人には理解できない。 |
D.電話番号や住所を覚えることは脳を鍛えるのに役立つ。 |
6 . 中国はいち早く(很早)酒を発明した国の一つで、昔から大切な客をもてなす時に、いい酒は欠かせない。多くの文学作品や歴史物語で、才子の詩情をかき立て(煽动)、英雄の気概を湧き立たせ、友情を深めるのが酒の効用だとされてきた。現在も酒の力を借りて雰囲気を盛り上げることがよくある。最近は「一気飲み」という新しい酒のすすめ方もあり、友達同士で会食するとき、一緒に痛飲することが友情を確かめる豪快なシンボルになっているようだ。
ところで、現代の「酒仙」たちは知らないことかもしれないが、昔の「酒仙」が痛飲したのは現在の「白酒」ではなく、米を醸造した「黄酒」だった。考証によると、「白酒」は長い問「焼酎(焼酒)」とも呼ばれ、元の時代になって初めて現れ、そのアルコール度数は「黄酒」の数倍だ。中国の伝統的な酒文化で、儒家が重んじているのは「酒礼」と「酒徳」だ。「酒礼」は酒を飲むときのマナーとルールを示し、「酒徳」では、特に節度の必要性を強調している。このおかげで、中国では乾杯で酒をすすめすぎる地方もあるにはあるが、ほかの国と比べれば、酔っ払いをあまり見かけない。街頭に酔っ払いが寝転んでいる光景もア
1.昔の人は痛飲したお酒はどれか。A.蒸留酒 | B.焼酎 |
C.白酒 | D.黄酒 |
A.才子の詩情をかき立てること |
B.雰囲気を盛り上げること |
C.英雄の気概を湧き立たせること |
D.人を酔っ払わせること |
A.黄酒のおかげで |
B.「酒礼」と「酒徳」のおかげで |
C.酒のすすめ方のおかげで |
D.友達同士のおかげで |
A.難しい |
B.素晴らしい |
C.多い |
D.少ない |
A.白酒は元の時代になってから現れた。 |
B.中国ではいい白酒で大切な客をもてなす。 |
C.中国では酔っ払いはどこでも見られる。 |
D.中国では儒家文化の「酒礼」はお酒の飲む節度を強調している。 |
7 . 絵本を読む時間というのは、その気持ちさえあれば、だれにでもいくらでも見つかるものです。1冊の絵本は5分から10分もあれば読み終えられるのですから。そしてそのひとときは、親と子の気持ちがとても自然に寄りそい、通い合います。こうして私は父親としての気持ちを充分に満足させられ、子どももそれをとても楽しみにしていました。子どもたちが成人した今も、そのときのいろいろの思い出は、親にも子どもにも、心の中にはっきりと残っています。それが人間の絆というものかもしれません。
ア母親も絵本を読んでやっていました。私たち夫婦は、子どもに食べものを与えるのとまったく同じ感覚で、子どもに絵本を読んでやりました。それは特別なことではなく、生活の中に本があることがごく自然だったからです。こうして子どもたちへの本読みは、10年問以上も続きました。しかし子ども自身に早くから絵本を読ませるようには、決して指導しませんでした。
「本」好きの子どもに育てるには、お母さんはどなたも、わが子が本好きで、読書力のある子どもに育って欲しいと願っていらっしゃるでしょう。しかし、現実は必ずしも親の願いどおりにはなりません。どこでどうすれちがう(错过去)のでしょうか。
1.「見つかるもの」 とあるが、何を指すか。A.絵本 |
B.時間 |
C.子供 |
D.親 |
A.幼い子供を持っている父親 |
B.成人した子供を持っている母親 |
C.幼い子供を持っている母親 |
D.成人した子供を持っている父親 |
A.もちろん | B.たとえば |
C.しかし | D.ですから |
A.子供の気持ちを満足させること |
B.子供に食べものを与えること |
C.子どもに絵本を読んでやること |
D.生活の中に絵本がたくさんあること |
A.本好きで、読書力のある子どもに育つこと |
B.早くから絵本が読めること |
C.親と子供の絆を強めること |
D.早く大人になること |
8 . 先日も、クリニックに通っているお母さんと一緒の小学生が、ファーストフードと炭酸飲料を片手に、これから塾に通うんだと言っていた。手にしたハンーバーガーは、お母さんの運転するマイカーの中で食べるのだそうだ。
塾が終わるのは午後8時を過ぎるので、お腹がすいてしまうという。
「何時に寝るの?」と聞いたら、夜中の1時ごろという答えが返ってきた。
最近、子供の高脂血症が増えている。小学生から高校生までのおよそ5~15パ一セントはコレステロール(胆固醇)が高いと言われている。
運動をせず、学校と塾の往復で、ファーストフードを食べているとコレステロールが高くなるのは当然である。子供の食べている食品の種類が昔に比べて著しく減ってきて、いつも同じものばかり食べている、という報告も発表されたばかり
こんなことでは、子供がフォアグラ(醫鵝肝)になってしまいそうだ。お母さん、英語や漢文もいいけれど、その前にもっと大切なことがありませんか。
子供のころに、おやつに作ってもらった蒸かしたサツマ芋。くたくた(精疲力尽)になるまで走り回った後に食べた夕食の味。そんな楽しみを失ってしまった子供たちは、アである。
1.「マイカーの中で食べる」とあるが、それはなぜか。A.急いで塾に通うから |
B.マイカーの中で食べるのが美味しいから |
C.子供がマイカーが好きだから |
D.店に食べるところがないから |
A.先生 |
B.お母さん |
C.子供 |
D.筆者 |
A.運動したくなくなる |
B.成績がよくなる |
C.コレステロールが高くなる |
D.食品の種類は少なくなる |
A.英語や漢文の勉強 |
B.夕食の味 |
C.生活の楽しみ |
D.食品の種類 |
A.うれしい |
B.気の毒 |
C.健康 |
D.難しい |
9 . 母は、私にいろいろなことを教えてくれました。その中で一番大切なことは、「どうやったら毎日を楽しく、幸せに過ごせるか」ということです。母は、「嫌なこと」を「いいこと」に変える天才でした。—ア、喫茶店へ行った時のことです。私はサンドイッチを注文しましたが、店員は間違えてサラダを運んできました。私はちょっとイライラして、すぐに「違いますよ」と言おうとしましたが、母はニコニコしながら、「野菜がたくさん食べられて、体にいいね」と言いました。私は、「そうかもしれないなあ」と思って、サラダをおいしく食べたのでした。また、母と散歩しているとき、急に大雨が降り出したことがありました。私達は傘を持っていなかったので、頭から足まで濡れました。まるで、服を着たまま泳いだ後のようになってしまいました。私が「もう、最悪」と言うと、母は、「こんなに雨に濡れるなんて、子どもの時以来よ。子どもに戻った気分」と喜んでいたのです。毎日の生活の中で、嫌なことや悲しいことは、たくさん起こります。でも、自分の考え方—イ、それらを楽しいことやうれしいことに変えることができるのです。母は、数年前に亡くなり、それから私にも2人の子どもが生まれました。私は、母から教えてもらったことを子どもたちにもしっかりと伝えていきたいと思っています。
1.「私」の母さんは、どんな人か。A.毎日を楽しく過ごす方法を知っている人です。 |
B.嫌なことをすぐ忘れられる人です。 |
C.周りの人をよく笑わせる人です。 |
D.「私」の意見にいつも賛成してくれる人です。 |
A.すると |
B.その上 |
C.そこで |
D.例えば |
A.母が間違ってサンドイッチを運んできたから |
B.店員が間違ってサラダを運んできたから |
C.雨の日に傘を持ってこなかったから |
D.サンドイッチの中に野菜は少なかったから |
A.嫌なことがあっても、我慢することです。 |
B.間違ったときにちゃんと謝ることです。 |
C.いつでも楽しい気持ちになるような考え方をすることです。 |
D.子供を大切に育てることです。 |
A.にたいしては |
B.によっては |
C.については |
D.にとっては |
10 . 私はあの時、迷っていました。何に迷っていたかと言うと、期間限定販売のアイスクリームを食べるかどうか迷っていたのです。(ア)、私はその時ダイエットをしていたからです。そして、私は迷いながらずっとスーパーのアイスコーナーにいると、一人の友人に会いました。その友人は「何しているの?」と話しかけてきました。そして、私は「アイスクリームを買うかどうか迷っている。」と答えると、友人は迷わず「今食ベなければいつ食べるの?人生は一度だけだよ。」と言いました。
私から見れば、このような言葉は、大学進学など、の大切なことを決める時に使う言葉です。しかし、友人はアイスクリームを買うかどうかの小さなことでもこの言葉を使いました。私は「そうですよね。」と思って、アイスクリームを買いました。
このように、人生は一度だけなので、どんなに小さなことでも、後悔するべきではありません。私は友人にあの言葉を言われなかったら、「あのアイスクリーム、どんな味かな?」と考え、買わなかったことをずっと後悔していたでしょう。
1.文中に「迷っていました」とあるが、筆者が何に迷っていたか。A.ダイエットをするかどうか |
B.友人に話しかけるかどうか |
C.アイスクリームを買うかどうか |
D.友人にアイスクリームを買うかどうか |
A.やはり | B.例えば | C.ところで | D.なぜなら |
A.「どんな味かな」 |
B.「何しているの」 |
C.「人生は一度だけだよ」 |
D.「アイスクリームを買うかどうか迷っている」 |
A.友人の話に賛成だ。 | B.友人の話に反対だ。 |
C.友人の話に苦しんでいた。 | D.友人の話を疑っていた。 |
A.自分の選択が間違っていたから |
B.やりたいことを諦めたから |
C.友達に反対されたから |
D.友達と喧嘩したから |