1 . 私の少年時代は、自然の中で小さい子供も年上の子供も一緒に群れて遊んでいた。これは(ア)1950年代半ばまでは日本ではごく普通に見られた日常の光景だった。子供が群れるのは一つの自然なのだ。
群れただけでなく、自分たちで遊びや喧嘩のルールを決めるなど、大人に干渉されない子供だけの自立した世界を作り上げていた。そこでの生活を通して、子供は生きていく上で大事な社会性を身に付けてきたわけだ。(イ)、高度成長を経て、子供を取り巻く環境がすっかり人工的になってしまった。自然が壊されて、身近にいた動物や昆虫、植物がいなくなっただけでなく、核家族と少子化が進み、「群れる」という子供の内なる自然まで失われたのだ。
家族や兄弟の少ない子供たちは、物余りと情報過多、そして、競争社会の中で、塾や習い事に忙しく追われ、家の中に閉じこもってゲームをしたり、テレビを見て過ごしたりしている。かってのように異年齢の子が群れて遊ばなくなったために、人生で一番重要な社会性を育む機会のないままに大きくなってしまうところに、今の教育の深刻な問題の要因があるように思う。
もはや自然発生的に群れて遊ぶことは無理である以上、大人が群れる場を仕掛けていくしかない。教育の現場では、すでにそれに気づいているところもあるようだ。例えば、小学校では、同級生だけで遠足に行くのをやめて、1年から6年までの小集団単位で行くとか、給食のときには、一つのテーブルに1年から6年までが一緒に座り、6年生の子が箸の持ち方を教えたり、「後片付け!」と指導したりする。上の子が言うほうが先生が言うよりずっと効果がある。
1.文中の(ア)に入れるのに最も適当なものはどれか。A.私に限ったことで | B.私に限ったことではなくて |
C.子供に限ったことで | D.子供に限ったことではなくて |
A.しかし | B.たとえば | C.また | D.ところで |
A.子供の身近にいる動物や昆虫や植物のこと |
B.大人に干渉されない子供だけの自立した世界を作り上げること |
C.家で1人でゲームをしたり、テレビを見たりする子供の集中力のこと |
D.塾や習い事に通い、ほかの子供に負けたくないと言う競争意識のこと |
A.今の子供が昔のように群れて遊ぶ事は無理であること |
B.核家族、少子化は子供の教育に深刻な問題をもたらすこと |
C.大人になると、社会性を身に付ける機会がなくなってしまうこと |
D.大人が子供の群れる場を作ってあげなければならないこと |
A.先生は言わないで上の子が指導するというルールを先生が作ったから |
B.小集団の遠足に先生は行かないので、上の子が指導しなければならないから |
C.違う年齢の子がいる子供社会では上の子の教えを聞くのがルールだから |
D.上の子は塾や習い事に忙しく、早くしないと次のことができないから |
2 . みなさんはスマートフォンを持っていますか。スマートフォンでどんなことをするのが好きでしょうか。現在、日本の高校生の間で、スマートフォンが普及しています。2016年の「高校生のスマートフォン利用実態調査」によると、スマートフォンの所有率は93%です。日本の高校生が100人いれば、90人以上がスマートフォンを使っていることになります。2014年に比べて、13.5%も上がっています。「初めて買った携帯電話がスマートフォンだ。」という高校生も珍しくなくなりました。彼らがスマートフォンでしていることは、「LINE(92.1%)」、「インターネット(88.8%)」、「音楽を聞くこと(77.7%)」が多いです。LINEは、インターネットを使って、メッセージを送信したり、無料の電話をしたりすることができるSNS(social networking service)です。中国のWeChatと機能が似ています。
(ア)、高校生がスマートフォンで、遊んでばかりいるとは言えません。38.5%の高校生が「勉強にも活用している」と答えています。しかし、ほとんどの高校には、スマートフォンの使用に関する規則があります。そのため、授業中はスマートフォンが使えない高校が多いです。
スマートフオンが普及する一方で、今までには起こらなかった問題が起こっています。そのひとつがお金に関する問題です。十分な知議がなくて、詐欺にあったり、有料のサイトに登録して、高い金額を請求されたりする問題が起こっています。また、SNSを通して、住所などの個人情報か流出したり、いじめが起こったりすることも大きな問題です。9%の高校生が「自分の個人情報を掲載することは危険だ。」と考えているのに、実際は、その中の80%が「個人情報をSNSに掲載している。」と答えています。
1.2016年の「高校生のスマートフォン利用実態調査」によると、わかったのは次のどれか。A.日本の全ての高校生はスマートフォンを使っている。 |
B.2014年に比べて、13.5%も上がった |
C.日本の高校生はスマートフォンで音楽しか聞かない。 |
D.「初めて買った携帯電話がスマートフォンだ。」という高校生は少ない。 |
A.そこで | B.それで | C.つまり | D.しかし |
A.無料電話ができる。 |
B.メッセージを送ることができる。 |
C.遊んでばかりと言えない。 |
D.いつでもどこでも自由に使える。 |
A.個人情報の流出 |
B.メッセージを発信するという問題 |
C.ネット上のいじめ問題 |
D.金銭についての問題 |
A.日本の高校生は2014年にはスマートフォンが普及していた。 |
B.ほとんどの高校には、スマートフォンの使用に関する規則がある。 |
C.スマートフォンの普及するによって、お金に関する問題だけ起こった。 |
D.個人情報を掲載するのは危険だと日本の高校生が知っているから、皆個人情報をよく保護している。 |
3 . 音楽とは何か、と言われたら、音による会話だと答えることにしている。音を通してある人の感情や思想が聞く人に伝えられる。それが音楽である。
こういう定義はいかにも当たり前のようだが、音楽はいつでもそういうものであるとは限らない。早い話が、私どもは、嬉しいにつけ悲しいにつけ、独りで歌を歌うことがある。誰に聞かせるわけでもない。感情は独りで流れてゆく。会話の相手はそこにはいない。
そういう歌も自分自身に対する語りかけで、やはり一種の会話だというなら、寺院や教会でうたわれる歌はどうだろうか。もちろんそれも神への呼びかけに違いないが、会話という言葉は必ずしも適当ではない。進軍ラッパや狩りの太鼓なども、一方的に意味を伝えるのだから本当の会話ではない。
今あげたような音楽も、音楽であることにまちがいはない。私の定義は、だから、定義でも何でもなくて、私自身が音楽に対してもっている願望であり、イメージなのである。
会話という限り、それは一方通行で与えられる刺激や快楽とはちがう。演奏会で音楽をやっているのは演奏家で、私どもはそれを默ってきいているだけだが、それは決して音を受身でうけとっているということではない。ぼんやりと音をきいていれば、音楽はただの音のつながりにすぎない。それを音楽としてきくためには、実は聞く側にいろいろな心の働きが必要なのである。
私がいまでも覚えているのは、小説家の高見順が死ぬ少し前にかいた日記の一節である。体が衰弱して本を読む気力がなくなり、音楽ならばとおもってきいてみたが、やはり駄目だったと彼はかいている。音はもちろん聞こえるが、音楽としては聞こえない。それは聴覚の衰弱ではなくて、聴覚がうけとったものを自分の内部で意味のある言葉として再構成する精神的能力の衰弱である。
音楽に限らず、芸術を鑑賞するというのは、他人の世界にふれようとすることである。音や色や言葉によって他人を理解するといってもいい。人は果たして他人を本当に理解できるかということは別にして、それを理解しようとする努力のなかに、芸術そのものの意味があると考えてもそう間違いはないと思っている。
1.文中の「そういう歌」とはどのような歌か。A.寺院や教会などでうたわれる歌 | B.うたうともなくうたってしまう歌 |
C.聞かせることを思いながらうたう歌 | D.聞く相手がいないのに、独りでうたう歌 |
A.音楽を音楽として聞くには、ぼんやりとした姿勢が必要だから |
B.音楽はぼんやりと聞いていれば、心の動きが起こるから |
C.音楽を音楽として聞くには、聞く側の能動性がいるから |
D.音楽は一歩通行的に感動を与えるものであってはじめて音楽となるから |
A.内心で音楽を言葉に置き換える能力 |
B.心の中で音楽を再構成する精神的能力 |
C.音や色や言葉によって芸術を鑑賞する能力 |
D.音のつながりによって音楽を鑑賞する能力 |
A.耳を通して人の内部に働きかけ、芸術で人の心を捉え、鑑賞力を再構成させる |
B.感情のままに表現するものでありながら、うたう人はあまり関わりはなし |
C.人の気持ちを伝えるものであり、その意味で音を通しての会話であると言える |
D.真の意味での会話ではないから、ぼんやりとして鑑賞すべきものである |
A.芸術の意味は、鑑賞者との「会話」が成立するかどうかは別にして、作り手が他人を感動させようとする努力である。 |
B.音楽などの芸術は、鑑賞者が他人を理解しようとする努力の中に意味があり、一方通行ではない「会話」である。 |
C.音楽には様々な種類があるが、いずれも演奏家と聴衆との相互理解を目的とした「会話」という点では共通である。 |
D.芸術は、作り手が一方的に意味を伝えるものではなく、鑑賞者が自分の心を理解するための内面の「会話」である。 |
4 . 元旦から3日間、活字以外の情報を断つことによって、それまでパソコンのネットサーフィン(网上冲浪)で2時間、3時間と費やすような情報漬けの生活から抜け出すことができました。私の「書く」という仕事にもネットは不可欠です。せめて仕事に関係すること以外のネット接続を、きっぱり(断然)やめてしまえばいいのですが、これまた難しい。パソコンをつけると、ついネットに手が出てしまいます。そこで3日間の情報断食の後に、1日、2日の短い情報断ちを、月に1回、2回やることにしました。すると、いつのまにか、かつてのように野放図(肆无忌惮)にネットにアクセスするということが減っていきました。ネットのアクセスを、案外簡単にコントロールする(控制)ことができるようになった。
私たちは情報へのアクセスをコントロールする必要があります。( ア )、本当に必要なのは大量の情報を入手し処理することではなく、それを咀嚼して自分の思いや考えに役立てることなのですから。人は情報にアクセスして、その上面を通りすぎただけなのに、それで満足してしまいがちです。多くの情報に接すると、なんだかそれだけで賢くなった気になる。それは大いなる幻想に違いありません。
1.文章によると、筆者はどんな仕事をしているか。A.画家 | B.教師 | C.作家 | D.医者 |
A.1か月に数日はテレビやネットなどを使わない。 |
B.仕事に関係することだけに限定してネットを使う。 |
C.1年のうちで完全にネットを使わない月を数か月決める。 |
D.毎月1日からの1週間を完全にネットを使わない週とする。 |
A.ネットへのアクセスが制限されるのは問題だ。 |
B.仕事に関わりのないネット接続は容易に諦められる。 |
C.努力すれば、人はネットをずっと使わないで生きていける。 |
D.ネットをどの程度使うかは、自分の意志で調節することが可能だ。 |
A.すると | B.しかも | C.そこで | D.なぜなら |
A.多くの情報に接すると、人はそれだけ賢くなれる。 |
B.手に入れた情報を自分にとって有意義に使うことが重要である。 |
C.現代社会で最も必要なのは、多くの情報が集められることである。 |
D.現代社会では、大量の情報を入手し、処理する力を伸ばす必要がある。 |
5 . かつて、子供たちは、どの家族でも「もったいない」「モノを粗末にするな」という「しつけ」で鍛えられた。それは生活の一番基本的な「しつけ」で、生き方のルールといってもよい。
例えば、食事をするとき、食べ残しを出したり、溢したりすると、必ず親から「もったいない」とか「粗末にするな」とか言われる。私の生活の中にも、その声が生き続けている。むだな電灯がついていると、すぐ消すのは、今でも、我が家の中で私の「役目」みたいなものだ。
今振り返って、その二つの言葉の中に込められていたのは何だろうと考える。そノ自体の生命感と、その生産に携わる人々への思いというものが、そこに重ね合わされていたように思える。
米の一粒にも、自然の恩恵があり、農民の労苦が宿っている。 それを溢したりすることは「もったいない」ことだ。それらを購入するために、親が仕事をして月給を稼がなければならない。稼いだ月給を「粗末にするな」ということでもあった。遊びの中でも自分でモノを作る経験をしているから、労働や生産の苦労が分かり、その「しつけ」がよく納得できた。 ア 、絶えず、モノ自体を大切に扱う気持ち、モノの向こう側にほの見える(隐约可见)人々を思いやる心が養われてきた。このような思いを抱いた時、古くなったモノを簡単に廃棄できるのか。その処分には、自分の友人と訣別するような気持ちがあるはずだ。
しかし、現在のように「使い捨て文化」に慣れ、モノを愛する心を失った生活に溺れこんでいると、人間関係も平気で切り捨てられることへと発展してゆくだろう。
1.文中の『一番基本的な「しつけ」』は何を指すか。A.生き方のルール |
B.モノと共存する生活 |
C.「もったいない」「モノを粗末にするな」 |
D.家族と鍛える |
A.邪魔だ | B.無駄になって残念だ | C.高くて買えない | D.感動した |
A.そのようにして | B.しかし | C.それでは | D.ところで |
A.労働や生産の苦労がよく分かる思い |
B.親からのしつけを忘れない思い |
C.モノを処分する時の思い |
D.モノ自体やモノを作る人々を大切にする思い |
A.筆者の家では、電灯を消すのはいつも彼の役目だ。 |
B.自分でモノを作る経験がないと、労働や生産の苦労が分からない。 |
C.モノやモノの向こう側にほの見える人々の気持ちを大切にしなければならない。 |
D.「使い捨て文化」に慣れた人々はみんなモノを愛する心を失って人間関係も平気で切り捨てられる。 |
6 . 心理学には「予言の自己成就効果」というものがあります。これは、過去に予言された通りに、人間は行動を起こしてしまう傾向があるという現象を指します。この予言の自己成就効果は、私たちも活用することができます。予言が実際に成就するのであれば、「いい予言」をすればいいわけです。
たとえば、往年の美人女優のソフィア.ローレンは、以前はそれほど美しくなかったそうですが、毎日鏡に向かって「私は美しい」と自己暗示をかけた結果、とても美しくなったそうです。
このことからもわかるように、予言の自己成就効果は一種の「暗示」だったわけです。そして、「いい予言=暗示」をすれば、実際にその通りになるのです。この現象は、体内のホルモンバランスが暗示によって変化するためと考えられています。暗示は、人間の行動だけでなく、内面や細胞をも変化させてしまうのです。(ア)、自分に自己暗示をかければ、今よりもっときれいになることも、話し上手になることも不可能ではないのです。「話し上手になって、たくさんの人に愛される。」今日からすぐに、そう自分に言葉をかけましょう。
1.文中の「予言の自己成就効果」とは何か。A.人間は自分の予言通りに行動を起こしてしまう。 |
B.人間は周りの人の予言通りに行動を起こしてしまう。 |
C.自分に自己暗示をかければ必ずいいことが起こる。 |
D.自己暗示をしないと実際に成就することができない。 |
A.自分の夢は将来必ず実現できるという自信を持つ。 |
B.自分にみんなに愛されているという自信を持つ。 |
C.「自分は話し上手になる」と自分に言い聞かせる。 |
D.「自分は以前よりきれいになった」と自分に言い聞かせる。 |
A.毎日鏡に向かうことできれいになったこと。 |
B.美しくない人は自己暗示をかけても美しくならなかったこと |
C.自分は美しくないという暗示をかけて美しくなったこと |
D.自分は美しいという暗示をかけて以前より美しくなったこと |
A.体内のホルモンバランスが暗示によって変化するから |
B.体内のホルモンバランスが内面や細胞を変化させるから. |
C.自己暗示によって不可能なことが可能になるから |
D.実際にあったことはすべて過去に予言された通りであるから |
A.一方 | B.つまり | C.あるいは | D.すると |
7 . 植物には、春になると花を咲かせるものが多い。毎日の気温が少しずつ上がり、道ばたに花が咲いているのを見かけるようになると、「あ、春が近いな」と心が軽くなってくる。しかし、どうして植物は春に花を咲かせるのであろうか。春になると花が咲くのは当然のことだと思っていたが、それにも理由があくるはずである。その答えは、どうやら植物の生きる術に関係があるらしい。
日本には四季があり、春の次には夏が来る。夏は暑く、30度以上になる日も多い。春に花を咲かせる植物は、夏の客さに弱い植物である。植物は花が咲いた後に種ができるが、花と種ではどちらが暑さに強いだろうか。想像がつくと思うが、種の方が暑さに強い。だから、春に花を咲かせる植物は、春が過ぎると種になり、暑さに強い種の状態で夏をやり過ごすのである。
ここでまた疑問が生まれる。では、植物はどうやって夏が近づいてくることを知るのか。それは、植物が夜の長さを測れることに関係がある。
3月20日は日本では春分の日である。春の訪れを告げる日だが、この日に昼の長さと夜の長さが同じになる。春分の日を過ぎると少しずつ(ア)。そして6月の夏至の頃になると、最も夜が短くなる。植物は夜の長さが短くなっていることを感じ取って、やがて夏が来ることを知る。そして暑い夏に向けて種を準備するのである。
春に花が咲くのは、花が気まぐれに(随意地,随便地)咲いているのではなく、その後に来る暑さに向けての準備であったのである。同じように考えると、秋に花を咲かせる植物が多いことも理解できるであろう。
1.「心が軽くなってくる」とあるが、筆者のどんな気持ちが読み取れるか。A.さびしい気持ち | B.くやしい気持ち |
C.うれしい気持ち | D.はずかしい気持ち |
A.種になる | B.昼夜の長さを測る | C.花を咲かせる | D.想像する |
A.昼も夜も長くなっていく |
B.昼も夜も短くなっていく |
C.昼が長くなって、夜が短くなっていく |
D.昼が短くなって、夜が長くなっていく |
A.種がどれほど強いか分かったから |
B.花が気まぐれに咲いている理由が分かったから |
C.春になると花が咲くのは当然のことだと分かったから |
D.春に花が咲く理由が分かったから |
A.種の強さ | B.植物の生きる術 | C.日本の四季 | D.昼夜の長さの変化 |
8 . 先日、①半分用事もあって、友人たちといっしょに信州追分へ五日ほど行ってきた。追分は、夏は大勢の避暑客がおとずれる軽井沢のはずれにある。たった二駅だが、そんな季節でも中心地の賑わいからは離れ、ひっそりとした山奥の雰囲気があって好きな所だ。美しい新緑が見られるのを楽しみにして行ったが、新緑はもちろん美しかったし、また、夏には知らずにいることが初めて分かったりもした。
軽井沢を通るとき、沿線になし(梨)の花に似た白い花の木があちこちに見えていた。似ているけれど、なしとも違うような気がする。何の花だろう、綺麗だねとみんなで話し合っていた。追分へ着いてから、さっそく友だちの一人が、近所の土地でその花を見つけて、一枝折ってきた。淡紅(たんこう)の小さな花が枝いっぱいについて、素朴な可憐さである。
「小なしやそう[注1]よ。何本もあるわ。」と大阪から来た友人が言うので、私も小なしの花を見に出かけた。土地の人は、こんな木どこにもある、と言って、私たちが珍しがるのを笑っている。真つ白の花もあり、淡紅もあって、ふだんはだれがながめるでもない場所にいっぱい咲いていた。が、注意して見始めると、②そこまで行ってながめるまでもなく、近くでもたくさん咲いている。
夏は、なんの雑木やらと気にもかけずにいた木である。松や落葉樹や白樺に混じっているそんな雑木には目もくれずにいたのに、その木がこの季節には、こんな美しい花をつけるのかと分かって、③小なしの木にすまないことをしたような気がした。また夏には、あやめ(菖蒲),やはぎ(萩)やその他いろいろな野の花が咲くが、今はそのあやめが小さな愛らしい葉を出している。うっかりすると足の下に踏みそうになってしまった。ぴっくりして足を止めた。なんという私などはうっかりものだろうと思う。花が咲いていなければ目につかずに、花の終わった木は雑木かと思い、これから紫の花をつける新しい芽は、道端の草かと踏みそうになる。
そのくせ、小なしの花の美しさには、得がたいほどの思いをして、東京まで持ち帰った。
汽車を降りてわが家まで来る途中、町の花屋の前で、友達が言う。
「山の花を見てきたら、花屋の花が造花みたいで、なんや、ちっとも美しゅうない「注2]わ。」
それを聞くと確かにそんな気もするが、わが家の花びんに、大輪の白いしゃくやく(芍薬)が三本生けてあるのを見たら、やはり美しいと思った。そして私は、山で折ってきた小なしの枝を花びんに生けた。それは、しゃくやくとはまた別の感じで、ここでも美しかった。なにげなく見過ごしていた木も、季節にはこの美しい花をつけるのだと気づくと、なにか④私は自分の心に一つ拾いものをしたような気になる。
注:1小なしやそう/小なしだそうだ。 2美しゅうない/美しくない。
1.①半分用事もあってとはどういう意味か。
A.仕事を半分して |
B.半分し残した仕事がある |
C.用事をすることも兼ねて |
D.友人と半分ずつ用事を持つ |
A.信州追分というところ |
B.土地の人が教えてくれたところ |
C.軽井沢の沿線のところ |
D.友だちが花を折ってきたところ |
A.あやめやはぎよりも美しい小なしの花に気づかなかった悔しい気持ち |
B.信州追分に来るまで小なしの花の美しさを知らないでいた悔しい気持ち |
C.あやめやはぎ、そしてしやくやくに関心を寄せている行為を詫びる気持ち |
D.これまでは、小なしという雑木に目もくれないでいたことを詫びる気持ち |
A.これまで全く価値を感じず、目を止めることもしなかった物に、思いがけない美しさを発見してうれしくなったという意味 |
B.すでに自分が持っているものにさらに新しいものを増やすことができて心がいっそう豊かになって幸せに感じるという意味 |
C.あやめやはぎなどしか知らなかった筆者が今度の旅によって小なしの花の美しさに接することができたという意味 |
D.家の花びんに生けてあるしやくの中に小なしの花を入れてみたら、これまでにない美しさを発見したという意味 |
A.山にいっぱいに咲いている花のほうがきれいなものだ。 |
B.どこにあっても、花が持っているその美しさは楽しめるのだ。 |
C.小なしなどの花を発見し、これまでにはない貴重な体験をした。 |
D.季節には本当に美しい花をいっぱい咲かせている小なしに気づき感動した。 |
9 . 同じ1つの事柄でも、表現の仕方で①大いに印象が異なる。学生たちに、「私たちの人生はただ 100年、短いものだ」と言っても同意の反応はない。100 は小さい数だが、「年」は長いと感じているから、100 年は短くないのだ。しかし、「私たちの人生はただ 30 億秒、短いものだ」と言い換えると「おや!そうだなあ」という顔つき(顔つき:表情)になる。目の前を刻々と流れる「秒」という時間は極めて短いから、30 億という大きな数でも相殺できない(注 1)からだろう。
(中略)
どんな話題でも、数字を挙げると正確そうに見えるが、その数と単位の組み合わせによって、わかりやすくも、わかりにくくもなる。その使い分けに十分注意する必要がある。数字が出された根拠とともに、数の単位に注意しておかないとごまかされる(ごまかす:欺骗)ことがあるからだ。
交通事故数を例にとってみよう。日本では、1 年で約 1 万人が交通事故で亡くなっている。満員になった甲子園(甲子園:举行高校棒球赛的地方,可容纳约五万人)の観客 5 人に 1 人が(つまり、あなたの前後左右の誰かが、いやあなた自身かもしれない)1 年のうちに亡くなり、5 年で観客がゼロになるくらいの多い数である。しかし、1 日にするとほぼ 30 人で、それを 1 つの都市にするとゼロか 1 人だから、
「今日の交通事故数が警察署前に掲示されても人々は大きな数とは思わない」。つまり、②あの掲示は、交通事故の恐ろしさを伝えているのではなく、逆に交通事故は少ないのだと安心させており、かえって事故を増やす効果になっていると言えるだろう。
昨年、戦後の交通事故の死者総数が 50 万人を超えたという報道があった。日本は、事故から 24 時間以内の死者しかこの統計に入れないが、国際的に主流となっている 30 日以内の死者数とすると 60 万人を超えるだろう。この数は静岡市や新潟市のような地方中核都市の人口に匹敵し、それだけの数の人々がすべて交通事故で姿を消してしまったことを意味する。このように積分する(積分:对数据进行综合分析)と「交通戦争」という言葉が実感できる。警察署の前には、せめてこの累積死者数(累计死亡人数)が掲示されるべきだと思う。
クルマ社会の異常さを感じている私だから交通事故数を話題にしたのだが、③このような数字のトリックはどこにでも見られている。なぜそのような数字として発表したのかを考え、発表者の意図を見抜くことが大事だと思う。
(「銀河時評―30 億秒の人生」、一部削除あり)
(注 1)相殺できない:ここでは、「30 億」から受ける印象が「秒」から受ける印象を打ち消す(打ち消す:消除)ことができないこと。
1.①大いに印象が異なるとあるが、たとえばどのように異なるのか。
A.100 年と 30 億秒は同じ長さなのに、30 億秒と言うと長く感じる。 |
B.100 年と 30 億秒は同じ長さなのに、30 億秒と言うと短く感じる。 |
C.100 年と 30 億秒は異なる長さなので、30 億秒と言うと長く感じる。 |
D.100 年と 30 億秒は異なる長さなので、30 億秒と言うと短く感じる。 |
A.警察署がある地域では交通事故が少ないから、心配しなくてもよさそうだと思わせていること |
B.掲示されている交通事故の数があまりにも大きいので、かえってその現実が実感できないこと |
C.掲示は交通事故が少ないという印象を与え、事故を減らす効果を上げていないと思われること |
D.交通事故の恐ろしさよりむしろ、自分が事故にあわなかったという安心感を与えてしまうこと |
A.人生の長さを述べてから交通事故の問題に論を展開すること |
B.部分的な数字だけを見せて、全体の数をわかりにくくすること |
C.野球の観客数を使って、交通事故の死者数を説明すること |
D.国内の数字だけ見せて、国際的に比較した数字を見せないこと |
A.警察署の前に掲示してある交通事故数には真実を書いた方がよい。 |
B.警察署の前の交通事故数は役に立っていないので掲示しない方がよい。 |
C.警察署の前には戦後の交通事故による死者数の合計を出した方がよい。 |
D.警察署の前の交通事故数には、事故から 30 日以内の死者数を出す方がよい。 |
A.数字を使った説明にはごまかされやすいので、信用してはいけない。 |
B.数字は単位によって受け取り方が異なるので、説明には使わない方がよい。 |
C.たとえ正確にみえる数字でも、それの持つ意味を注意深く読みとるべきである。 |
D.警察が発表した数字でも、ごまかしもあるので、資料としては使わない方がよい。 |
10 . ( ア )はどんな気持ちで勉強や仕事をしていったほうが幸せだろうかという視点で考えてきましたけれど、今からは、そうではなくて、社会の制度のあり方として、どんなものがよいだろうかという点を考えてみます。
一つの提案は、もう少し進学のプロセスを考えてはどうか、少し大胆にいうと、高校から直接に大学へ進学するのを原則禁止して、いったん社会に出て働くことにしてはどうか、ということを考えています。
よく言われていることですが、日本の大学は、大学入試のゴール地点になってしまっていて、そこで何を学ぶのか、どこでどんなことを身につけるのかという意識がかなり希薄(稀薄,不足)です。一方では、大学を出てから働き始めた多くの人が、大学時代にもっと勉強をしておけばよかったと後悔したり、残念がったりしている姿をよく見かけます。これはとてももったいないことだと思います。
このようなことを言うと、ならば、大学でもっと勉強をさせようにすればいいじゃないか、それは大学でちゃんと教えていない君たち教師の責任じゃないか、という叱りを受けそうですし、確かに反省すべき点は多々あると思います。けれども、現状では大学生がなかなかやる気を持てないという面もあるように感じています。
それは、実社会で実際の仕事などを経験してみないと、その学間の重要性や必要性を実感できないという面があるからです。特に経済学のような学問はそういう傾向が強いように思います。
1.( ア )に入れるのに最も適当なのはどれか。A.これから | B.これまで | C.それから | D.それまで |
A.大学に行かないで、直接に働くこと |
B.教師たちがちゃんと責任を取って教えること |
C.高校を出て、先に働いてみてから、進学すること |
D.大学で生徒に好きなとおりにやらせること |
A.勉強できる環境では勉強の必要性に気づけず、卒業後に気づくこと |
B.苦労して大学に入っても、大学の勉強が合わない学生が多いこと |
C.本当に勉強したがっている卒業生が大学に入り直せないこと |
D.在学中の学生が、後悔している卒業生の姿を見ることができないこと |
A.大学生 | B.大学の教師 | C.叱っている人 | D.社会人 |
A.大学進学者の数を少なくするため |
B.大学の授業をもっと深い内容にするため |
C.大学生が就職するようにするため |
D.大学に入ってから後悔しないようにするため |