1 . ある時、空の上で太陽と北風が会いました。北風が太陽に①( )言ったのです。「太陽さんより、私の方が強いですよ」「いや、私が強いかもしれない」と太陽は笑って言いました。そこで、2人は力比べする(比谁力量大)ことにしました
太陽が「下の道を入が通っている。歩いている人の服を脱がせた(让路人脱掉衣服)方を勝ちにしましょう」と言いました。「そうしましょう」と北風は返事しました。すると、北風は、冷たい風を歩いている人に吹きました。びゅーぴゅー。歩いている人たちは②( )、洋服を押さえました(按压)。③( )、北風はもっともっと強く吹きました。その結果、歩いている人は洋服をもう1枚着ました。
「失敗だね」と太陽が言いました。次は太陽の番です。まず、暖かい光を歩いている人に当てました。「急に暖かくなってきた」と歩いている人が洋服を1枚脱ぎました。太陽は少しずつ光を強く④( )。「ああ、暑い。今日は変な天気だな」と、歩いている人は汗を拭きながら言いました。太陽はますます光を強くしました。「これは我慢できない(受不了)」歩いている人はセーターもシャツもズボンも脱いで、そばの川に飛び込んで水浴びを始めました。
⑤それを見て太陽が北風に「どんなことでも無理に要求してはいけません」(不能硬性要求)と言いました。
1.①( )に入る最も適切な言葉はどれですか。A.こう | B.そう | C.ああ | D.そんなに |
A.暑がって | B.寒がって | C.痛がって | D.苦しがって |
A.しかし | B.それでは | C.それで | D.それから |
A.してきます | B.してきました | C.していきます | D.していきました |
A.歩いている人が速く歩いていること |
B.歩いている人が我慢できないこと |
C.歩いている人が服を脱いで川で水浴びをすること |
D.歩いている人が暑いのが嫌いなこと |
2 . 私と弟は、祖母の顔を描くのが好きだった。①( )時は、祖母はいつも「ありがとう」と言って笑った。そして、私たちがわざ(故意)と変に描いた(画得很奇怪)時も祖母は笑っていて、私も弟も一緒に大笑いをした。私たちは祖母の笑顔が大好きだった。
今年の5月、祖母はガン(癌症)で亡くなった。四年前に病院で受診した時に見つかったのだ。②( )もう病気が進んでいたので、すぐ手術することになった。手術の前、私は祖母が死んでしまうのかと不安だった。病室で会った時、③祖母はいつもと変わらない笑顔だった。退院した祖母は仕事を辞めて治療に専念することにした。祖母はガンと闘いながら4年も生き延びることができた。その間に私たちは祖母とたくさんの思い出を作ることができた。家族みんなで遊覧船に乗って、好きな歌を一緒に歌ったりした。帰り道に車の中で祖母は「いつも幸せだな」と言っていた。
祖母が倒れたのは今年のゴールデンウィーク(黄金周)だった。私たちが祖母の家に泊まり、帰った日の夜中、台所で倒れた。祖母は病院の集中治療室に入院してガンと闘ったが、9日後亡くなった。④祖母は私の目標の人である。祖母の暖かくて優しい笑顔が私は大好きだ。わたしも祖母のように笑顔で多くの人を支えたい。
1.①( )に入る最も適切な言葉はどれですか。A.上手に描いた | B.下手に描いた |
C.易しく描いた | D.難しく描いた |
A.この時に | B.その時に | C.あの時に | D.あんな時に |
A.おもしろい人 | B.あかるい人 | C.つまらない人 | D.きびしい人 |
A.祖母は幸せな人だから |
B.祖母は子供が大好きだから |
C.祖母は人気のある人だから |
D.祖母の笑顔が私は大好きだから |
A.四年前に祖母はガンで亡くなった。 |
B.祖母は退院してガンと闘いながら仕事をしていた。 |
C.私たちは祖母とたくさんの思い出を作った。 |
D.祖母が私の家に泊まり、夜中、台所で倒れた。 |
3 . 僕は、エンジニアとして19年間勤めている父に仕事についてインタビュー(采访)しました。まず、国内外の法律を守って製品を開発、改良することが大変ですが、自分が作ったものが世界に出るのが①うれしいと父は話していました。それから、父はよく出張に行き、試作品や試作の現場を見たり面談をしたりしています。最後に、この仕事に就くには勉強や試験を頑張る必要があると話していました。僕は将来、②父と同じような仕事をしたいです。妹は、オンライン(线上)家庭教師をしているお母さんにインタビューしました。お母さんは夜、オンラインで中学生に勉強を教えています。この仕事を選んだ理由は、子供が学校から帰って来る時間に家にいられる(能待在家里)からだそうです。学生の理解度や性格を見ながらその人に合った(适合)教え方(教学方法)に変えるのが一番大変だと言っていました。③( )成績が伸びたり、「分かった」と言ってくれたりした時が一番④うれしいそうです。このインタビューを聞いて、妹はいろいろな工夫をしながら家事をしたいと言いました。
1.父親が「①うれしい」と言ったのはなぜですか。A.19年間も勤めているから |
B.僕のインタビューを受けたから |
C.製品を開発、改良できるから |
D.自分が作ったものが世界に出るから |
A.エンジニア | B.新聞記者 | C.社長 | D.試験官 |
A.けれども | B.しかし | C.そして | D.そこで |
A.オンラインで教えることができるから |
B.子供が学校から帰ってくる時間に家にいるから |
C.自分で教え方を変えることができるから |
D.子供たちに教えた意味があったと感じたから |
A.父はあまり出張しない。 |
B.僕は真面目に勉強する必要がある。 |
C.お母さんはオンラインで大学生を教えている。 |
D.妹は勉強をする時、いろいろな工夫をしたいと言った。 |
4 . 夏休みに初めて一人で日本へ旅行に行った。日本語が全然分からないので、行く前は①少し不安だった。パスポート(护照)を準備したり、ビザ(签证)を申請したりして忙しかった。無事にビザが降りた時、とてもうれしかった。②( )、急いで飛行機のチケットを買った。思ったより高かったが、旅行シーズン(旅游季节)なので仕方ない。
出発は7月5日で10日間の旅行だった。最初に着いたのは東京で3泊した。泊まったホテルは部屋が少し③( )が、安くてきれいだった。毎朝、5時に起きて、ホテルで朝ご飯を食べて出かけた。中国にいたとき、④( )早く起きたことはほとんどなかった。大学や博物館などを見学してとても勉強になった。私は日本語が全然できないが、何とか英語で通じた。東京ではいろいろな観光地を回って美味しい料理も食べた。東京の後、京都に行った。京都は古いお寺を見て、中国と日本との文化交流の歴史をもっと深く理解できた。沖縄にも行きたかったが、天気のため行くことができなかった。少し残念(遗憾)だった。来年の夏休みにもまた日本に行きたいと思う。
1.①「少し不安だった」とありますが、その理由は何ですか。A.初めて日本へ旅行に行くから |
B.一人で日本へ旅行に行くから |
C.日本語が全然分からないから |
D.ビザの申請が難しいから |
A.それで | B.しかし | C.または | D.それとも |
A.広い | B.広かった | C.狭い | D.狭かった |
A.こんなに | B.こんな | C.そんなに | D.そんな |
A.東京で古いお寺を見た。 |
B.京都の大学と博物館を見学した。 |
C.沖縄に行ってよかった。 |
D.来年また日本に行く予定だ。 |
王明です。その後、お体の具合(身体情况)はいかがですか。
実は、先日、私も病気で倒れました。ひどい風邪で学校を1週間も休みました。( )試験の前なので、試験に参加できるかと心配していました。でも、お母さんは「体が一番大事だ」と言いました。そして、先生も「試験のことや、勉強のことなどは心配要りません」と言いました。それで、( )病気も思ったより早く治ったのです。
田中さん、勉強のことはあまり心配しないでください。病気の時、安静にするのが大事です。軽い音楽を聞いたり、おいしいものを食べたりするのもいいでしょう。お医者さんの言うことを関いてくださいね。
( )
また会うのを楽しみにしています。
王明
1.田中さんはどうしたのですか。
A.学校に行きました | B.お医者さんになりました |
C.病気になりました | D.中国に来ました |
A.たぶん | B.いつも | C.まっすぐ | D.ちょうど |
A.わたしは相談しました | B.わたしは安心しました |
C.わたしは成長しました | D.わたしは休校しました |
A.勉強のことを心配しないこと | B.おいしいものを食べること |
C.医者の話を聞くこと | D.できるだけ運動すること |
A.お体を無理にしてください |
B.お体を親切にしてください |
C.お体を丈夫にしてください |
D.お体を大切にしてください |
6 . 京安高校の生徒の春子さんは、生まれた時から髪が茶色ですが、今は黒く染めています。学校の規則で髪の色は黒と決まっているからです。京安高校は規則が多いです。例えば、スカートは膝までの長さ、靴は革靴などです。服装検査の日があって、規則を破る(违反規则)人は、(①)髪が茶色い春子さんは、先生の命令で家に帰らなければなりませんでした。(②)、春子さんは髪を黒く染めたのです。
なぜこのように多くの規則があるのでしょう。それは、この学校では「外見(外在的服装、容貌)がきちんとしていない人は、きちんとした人間になれない」という考えがあるからです。
(③)本当にそう言えるのでしょうか。実際、いろいろ調べたら、規則が少ない学校では、生徒たちの勉強や生活も全く問題ないそうです。京安高校は学校の規則についてもう一度考えたほうがいいと思います。
1.(①)に入る最も適切な文はとれですか。A.学校に入れます |
B.学校に入れません |
C.学校を出られます |
D.学校を出られません |
A.それで | B.けれども | C.そして | D.また |
A.髪の色は黒いのが普通だから |
B.きちんとした人は外見も大切にしているから |
C.規則がたくさんあるのはいいことだから |
D.規則を守らない人は、勉強ができないから |
A.だから | B.それとも | C.しかし | D.それから |
A.髪を染めないほうがいい |
B.人間はに外見をきちんとしたほうがいい |
C.規則を守る生徒はいい生徒だ |
D.学生にとって本当に必要な規則を決めることが重要だ |
7 . 最近、自転車通勤(骑自行车上下班)を始めた。理由はいくつかある。
まず、朝、自転車で走るのは気分がいい。道が込んでいて、車は少しずつしか動かない。そして、バスの中は人でいっぱいだ。みんなとても大変そうだ。その横を自転車で走るのは①とても気持ちがいい。
それに、仕事ではいつもバソコンを見ていて、何時間も椅子に座っている。自転車に乗れば、運動にもなる。また、遠くの景色も見られ、目の疲れも取れる。
だが、レンタサイクルのチェーン店(出租自行车的连锁店)が家と会社のそばにできたことが大きい。どの店でも借りたり返したりできる。( )、家のそばで乗って会社のそばで返せるのだ。私の家は坂(高坡)の上にある。前から自転車通動をしたいと思っていたが、仕事で疲れた後、帰り道に坂を上ることについて考えると、気が進まなくなってしまった(没兴致)。今はその心配がなくなった。( )。
1.①「とても気持ちがいい」とありますが、それはなぜですか。A.会社に早く着くので、早く仕事を始められるから |
B.バスや車と違って、通動の大変さがないから |
C.自転車からバスの中の様子がよく見えるから |
D.走りながらきれいな景色が見られるから |
A.長い時間パソコンを使う仕事 |
B.レンタサイクル(出租自行车)の店の仕事 |
C.1日中体を動かしている仕事 |
D.自転車でものを運ぶ仕事 |
A.自転車に乗るのは気持ちがいいから |
B.仕事に遅刻しなくなるから |
C.体を動かすことができて健康にいいから |
D.仕事の帰り道に自伝車で坂を上る必要がないから |
A.しかし |
B.だから |
C.それから |
D.そして |
A.これから自転車通動をやめようと思う |
B.これから自転車通勤を楽しもうと思う |
C.これから自転車通勤について悩もうと思う |
D.これから自転車通動について述べようと思う |
8 . 私は大学生で、文学部で勉強しています。今、残念に思っていろことがあります。大学入学後、病院ボランティアの部活に入って、病気の人と話す機会が増えました。( )、健康のことについてもっと学びたくなりました。でも、文学部では病気や体のことについて学べる授業がありません。
私が文学部への進学を決めたのは、高校1年生の時でした。私の高校では、1年生の秋に文系に進むか理系に進むかを決めます。私は数学が苦手でしたが、子供のころから読書が好きでした。それで、文学部に行こうと決めて、2年生からは文系の勉強が中心になりました。
もちろん、大学は専門的な勉強をする場所で、文学部の私が文学だけ勉強するのは仕方ないでしょう。でも、人の興味はどんどん変わっていくものです。大学時代は勉強だけに集中できる大切な時間です。( )、もっと専門以外の勉強ができる機会があればいいと思います。
1.「残念に思っていること」はどのようなことですか。A.大学の学部を決める時、文学部を選んでしまったこと |
B.ボランティアの部活に入ってしまったこと |
C.ボランティアで忙しくて文学の勉強ができないこと |
D.病気や体のことについての授業が受けられないこと |
A.しかし | B.それで | C.または | D.でも |
A.国語や社会の勉強がしたかったから |
B.理系の勉強をしたことがなかったから |
C.小さい時から本を読むことが好きだったから |
D.高校に入学した時から文学部に行きたかったから |
A.だから | B.すると | C.けれども | D.そこで |
A.大学ではいろいろな勉強ができる機会を増やすべきだ |
B.高校を卒業してから、文系か理系かを決めるべきだ |
C.大学生になってから、もっと勉強をするべきだ |
D.文学部なら、病気や体のことをしっかり学ぶべきだ |
9 . 第二次世界大戦後、日本人の生活は大きく変化した。洋服を着るようになったのもその一つの例だ。
日本人が洋服を着始めたのは、明治時代だ。当時も、軍隊や警察の制服は洋服だったが、普通の人々はまだ着物を着ていた。特に女性は、着物の人が多かった。その後、洋服を着る女の人は少しずつ(一点点)増えていったが、昭和の初めに行われた調査の結果でも、洋服を着ている女性は、二割ぐらいだけだった。ほとんどの人が洋服を着るようになったのは、戦後だ。現在は、老人でも、ふだん着物を着る人は少なくなった。
着物は、大変美しいが、着るのに時間がかかるし、動きにくい。特に、階段を上ったり、自転車に乗ったりスポーツをしたりする時、不便だ。(ア)、洋服は着たり脱いだりするのも簡単だし、動きやすい(易于做…。それで、洋服を着る人が増えてきたのだ。
明治時代に日本に入ってきた洋服は、このように、百年ぐらいの間に日本人の生活に欠かせない(不可或缺的)ものになった。そして、着る人が少なくなった着物は、正月や成人式、結婚式など、特別な時にだけ着るものに変わった。
1.「その後」とあるが、何を指すか。A.大正時代の後 |
B.昭和時代の後 |
C.明治時代の後 |
D.第二次世界大戰後 |
A.百年前 |
B.明治時代 |
C.昭和の初め |
D.第二次世界大戰後 |
A.そこで |
B.だから |
C.しかし |
D.ところで |
A.多くの人は洋服がもっときれいだと思っているから |
B.洋服は着るのに時間がかからないし、動きやすいから |
C.洋服は着物よりきれいで、着たり脱いだりするのも簡単だから |
D.洋服は階段を上ったり、スポーツをしたりするのに不便だから |
A.現在は、ふだん着物を着る人は少なくなかった |
B.現在、洋服は日本人の生活に必要なものになった |
C.明治時代に、洋服を着ている人は20%ぐらいだけだった |
D.明治時代の時、普通の人、特に女性は全然洋服を着なかった |
10 . 初めて自分が少し大人になったと思ったのは、10歳のときでした。とても嬉しかったことを今でもよく覚えています。
10歳になるまで、私は毎年、姉と一緒に両親の生日プレゼントを選んでいました。しかし、10歳になって、母の誕生日ブレゼントについて姉と話しているとき、姉が「今年は一人で選んでみる」と言いました。私は驚きましたが、少し考えてから、「うん。」と答えました。そして、ブレゼントを選びに、一人で本屋に行ったり、花屋に行ったりしました。
母の誕生日の前の日曜日に、私はスーパーに行って、ハンカチを一枚買いました。母の好きな花の絵が描いてあるハンカチでした。母が喜んでくれるかどうか心配でしたが、母はハンカチを見て、「とてもきれいね。ありがとう。」と言いました。私はとても安心しました。姉も「よかったね。」と言ってくれました。もう子供じゃないと思ったときの思い出です。
1.「私」は10歳のとき、母の誕生日プレゼントをどうやって選んだか。A.自分で選んだ |
B.姉と一緒に選んだ |
C.姉に聞いて選んだ |
D.母に聞いて選んだ |
A.嬉しくなった |
B.楽しくなった |
C.びっくりした |
D.おかしくなった |
A.本 | B.花 |
C.花の絵 | D.ハンカチ |
A.スーバーでハンカチを一枚買ったから |
B.姉が「よかったね。」と言ってくれたから |
C.姉がプレゼントをきれいだと褒めてくれたから |
D.母は「私」が贈ったプレゼントが好きだったから |
A.自分が少し大人になって、嬉しかったこと |
B.母が喜んでくれるかどうか、心配だったこと |
C.プレゼントがなかなか選べなくて、困ったこと |
D.初めて一人で買い物ができて、とても楽しかったこと |