1.いつ花見を見に行きますか。
A.金曜日 | B.土曜日 | C.日曜日 |
A.南公園 | B.北公園 | C.東公園 |
A.どの公園も人が多い |
B.西公園には池がある |
C.会社から東公園まで歩いて15分かかる |
2 . 假定你是李明,是学校日语系的干事,日语系打算以「私と日本語」为题举办写作比赛,在全校范围内征集优秀作文,投稿者请发送邮件至riming@nihongo.com,时间从今天的4月1日起,至本月末截止,请你以日语系的名义写一篇征文启事(作文募集のお知らせ)。
写作要求:1.字数 80 ~120 字。
2.格式正确,书写清楚。
3.使用「です・ます」体。
1.課長は来週、何曜日にオフィスにいますか。
A.火曜日 | B.水曜日 | C.金曜日 |
A.東京 | B.京都 | C.北海道 |
A.来週の月曜日にする | B.来週の金曜日にする | C.わかりません |
4 . パリの日本料理店で働いていた時、困ったのは、お客様に「寿司はできないの?」「デザートはないの?」と聞かれたことでした。お寿司は、一般的な日本料理とは作り方が違い、特別な技術が必要です。フランス人から見れば「日本レストランなのに寿司がないのはどうしてだ?」となるわけです。
以前、日本のイタリア料理店でピザがメニューになかった際、他のお客様がそのことについて質問しているのを見た経験から、フランスのお客様も同じように感じているのだろうと思いました。もちろんそれだけでなく、デザートのないレストランなんてヨーロッパにはあり得ませんから、寿司もデザートも一生懸命勉強しました。この頃の努力は今とても役立っています。世の中に無駄な努力は本当にないですね。
うちの店では、前菜と汁物の後に「お凌ぎ」として小さなお寿司を提供します。これは、空腹の時にお酒を飲むと酔いやすくなるので、軽くお腹を満たすためです。日本料理では通常、最後にご飯で終わりますが、途中でお寿司を提供することで、お客様に一息ついてもらい、その後お酒を再び楽しんでもらうようにしています。
1.文中に「困ったのは」とあるが、どうして困ったのか。A.ヨーロッパにはデザートがないレストランはないから |
B.メニューにない料理を出すことは許されなかったから |
C.修業中のためお寿司をにぎることができなかったから |
D.一般的な日本料理には寿司やデザートはないものだから |
A.イタリアの代表的な料理について |
B.フランスの日本料理について |
C.イタリア料理のデザートについて |
D.メニューにピザがないことについて |
A.寿司とデザートの作り方 |
B.フランス料理の技術 |
C.ヨーロッパのレストラン経営 |
D.イタリア料理のレシピ |
A.食後のデザート |
B.小さなお寿司 |
C.お酒の合間に出される軽食 |
D.メインディッシュ前の前菜 |
A.フランス人のお客様の中には、日本料理店で寿司やデザートを食べたいと思っている。 |
B.お寿司は、一般的な日本料理と同じく作り方が難しい。 |
C.「お凌ぎ」として提供される小さなお寿司は、食前に提供されるものである。 |
D.筆者は、デザートの作り方を学ぶことで、お客様に満足してもらえるようになった。 |
5 . 笑顔は、その全部を兼ねた魔法の杖です。電車で乗り合わせた赤ちゃんが笑った瞬間、誰でもあたたかなものを受け取った気がするでしょう。赤ちゃんだけではありません。家族も友だちも会社の人も、誰でも同じ力を持っています。
笑顔さえ忘れずにいれば、たいていのトラブルは乗り越えられます。( ア )外国で言葉が通じなくても、笑顔があればなんとかなります。仕事でピンチになったときも、笑顔を忘れなければ切り抜けられます。本当に困ったとき、解決策より先に必要なのは笑顔です。
笑顔は日々を輝かせます。いつもニコニコ(笑)できる自分でいられたら、魔法の杖を手にしたのも同然、暮らしも仕事も豊かになります。しかし、いくら笑顔が大切だからといって、笑顔の演技をするなら意味はありません。
心から笑える自分でいるにはどうしたらいいのか、きちんと考えてみましょう。
笑顔は誰でもできる一番簡単な努力の一つです。
「こういう人たちと一緒にいれば、自分はニコニコしていられる」
「こういうことをしているとき、心から笑いがこみ上げてくる」
できるだけその状態に近づく努力をします。調子が悪いときは、誰でも笑う回数が少なくなります。心の底から笑っていないと感じたら、ちょっと心の点検が必要ということでしょう。寝る前に「今日は何回笑っただろう」と考えてもいいのですが、朝起きた時、「今日はできるだけ笑えるような日にしよう」と誓うのも効き目があります。特に初めての人と会う日には、笑顔を出せるように意識しましょう。おたがいが何を考えているのかわからないとき、笑顔は二人の間を滑らかにしてくれます。
1.文中の「誰でも同じ力を持っています」とは何の力を指しているか。A.魔法の杖で他人を笑わせる力 |
B.笑顔で他人を暖かくする力 |
C.赤ちゃんを笑わせる力 |
D.トラブルが乗り越えられる力 |
A.そこで | B.たとえば | C.したがって | D.それに |
A.心の底から笑える状態 |
B.笑顔の演技をする状態 |
C.こういう人たちと一緒にいる状態 |
D.こういうことをしている状態 |
A.外国で言葉が通じない場合 |
B.初めての人と会う場合 |
C.暮らしも仕事も豊かになった場合 |
D.相手の考えが分からない場合 |
A.笑顔の演技に近づくために努力をする。 |
B.誰でも笑顔を出せるように意識する。 |
C.いつまでも笑顔を忘れずに生活する。 |
D.寝る前と朝起きた時に心を点検する。 |
6 . 皆さんは寄付をしたことがあるだろうか。食べる物が不足して困っている人や、災害で家を失った人のために少しでも寄付した経験がある人はいるだろう。その寄付に対する考え方に、今、新しい働きが起こっている。
ある会社では、社員食堂で低カロリーの定食を食べると代金の一部が寄付金となり途上国(发展中国家)の子供たちの食生活を支援するというシステムを取り入れている。社員としては( ア )につながるだけでなく、人を助けることができ、会社としては社員の健康を支えながら社会貢献ができるので、双方にとって一石二鳥というわけだ。
また、「寄付つき」の商品を販売する企業も増えている。特定の商品を買うと売り上げの一部が寄付されるというもので、商品を買えば、同時に寄付できるという手軽さが消費者に歓迎され、売り上げを伸ばしているという。
これまでの寄付はわざわざ募金の場所へ足を運んだり、銀行からお金を振り込んだりしなければならないものが多く、社会貢献に関心はあっても寄付をするのは面倒だと考える人も少なくなかった。しかし、新しい寄付の形により、これまでと比べて手軽に寄付できるようになり、社会貢献がしやすくなった。( イ )、企業にとっても自社のイメージ向上や売り上げの増加などメリットの多い取り組みとなっている。
このように寄付は慈善のためというばかりでなく、寄付をする側にもプラスになる活動として注目されている。
1.社員食堂で低カロリーの定食を食べることがどんな良い結果につながるのか。A.社員の健康が守られ、社会の役に立つことにもなる。 |
B.社員に定食代の一部が返金され、給料も上がる。 |
C.会社で寄付が日常のことになり、食生活に対する意識も高まる。 |
D.会社は社会の役に立つことができ、食堂の経費の節約にもなる。 |
A.環境保護 | B.体調管理 | C.時間管理 | D.経済成長 |
A.寄付をする方法があまり知られていない。 |
B.寄付をすることが社会的に評価されにくい。 |
C.寄付をするのに面倒なシステムである。 |
D.寄付をするためには経済的に余裕がなければならない。 |
A.さらに | B.なぜなら | C.それとも | D.または |
A.企業が社員や消費者の意思にかかわりなく積極的に行うもの |
B.企業が慈善事業のためではなく利益を上げるために行うもの |
C.社員や消費者が手軽に寄付ができて企業側にも利点があるもの |
D.社員や消費者が気がつかないうちに社会貢献に参加できるもの |
7 . 「学力が高いことと低いこと、どちらが良いか」と問われれば、高いほうが良いと答えるのは明白である。しかし、「テストで100点を取る人と80点を取る人、どちらが良いか」と問うと、答えは一概(笼统地)には出ない。テストの点数だけでは、一人の人間の総合的な評価をすることはできないはずだ。( ア )、その人の能力や価値は、テストの結果だけでは測れないからである。
さらに、誰が頭が良いかという問いに対しても、テストの点数だけで判断することはできない。たとえテストで100点を取ったとしても、それが頭の良さを完全に代表するわけではない。多くの人は、テストで良い成績を収めることが学力の高さを意味し、それが頭の良さに関係すると考えがちだ。しかし、学力とは、テストの点数以上のものを含む概念である。
学力とは、知識の習得や理解、応用能力など、多面的な要素を含む。テストの点数は、ある特定の分野や状況下での知識や理解度を測る一つの基準に過ぎない。なぜなら、テストで高得点を取ることは、その瞬間の学力を示すものではあるが、総合的な能力や潜在能力を完全には表していない。教育においては、一人ひとりの多様な能力や特性を理解し、それぞれが持つ可能性を引き出すことが重要である。学力の真の意味を理解することが、人々の成長にとって不可欠である。
1.文中に「答えは一概には出ない」とあるが、それはなぜか。A.テストの点数だけではその人の総合的な能力がわからないから。 |
B.100点と80点の差は学力を決める時あまり大きな違いではないから。 |
C.テストの結果というものは、一言で説明できないものだから。 |
D.テストで100点を取る方がいいに決まっているから。 |
A.すると | B.および | C.これにより | D.なぜなら |
A.テストで100点を取ること |
B.テストで80点を取ること |
C.学習能力が高いこと |
D.努力して勉強すること |
A.テストでの高得点を目指すこと |
B.一人一人の多様な能力や特性を理解すること |
C.知識の習得と応用能力の向上 |
D.学生の学習能力と努力の評価 |
A.成績がいいことは学力があるということだ。 |
B.成績がいいことと頭が良いということは別である。 |
C.テストの点が良いことと成績が良いことは別である。 |
D.テストの点が良いことは頭が良いということを示している。 |
8 . 「これ、つまらないものですが」と言って外国人にお土産を渡した時、「自分のプレぜントに自信がないのか?」とか、「日本の謙遜と言うのか?」とかと思われるだろう。英語でこの「つまらない」という心に相応しい表現がなかなか見当たらない。しかし、「つまらないもの」という言葉の裏側には、謙虚な姿勢を示すためだけでなく、本当は別の理由がある。
日本人は古来から、何か好意を受けたらいつまでも覚えていて、将来報いをしなければならないと考える。だから、日本人は「先日はありがとうございました」というようなお礼の言葉を述べる。以前に何か好意を受けたことを、その次に会った時に必ず話題にするのだ。こういう習慣が発展すると、「何か贈り物をすること=何か見返りを期待すること」と解釈されてしまう恐れが出てくる。そこで、相手にそんな負担をさせないために、「つまらないもの」というのは、実は、「お返しの心配のいらないものだ」という言葉の代わりだったのだ。(ア)、相手に対する思いやり、愛の心から出た言葉なのだ。
他にもいろんな例が見られる。例えば、バスで席を譲ってもらったおばあちゃんは、「ありがとう」と言うよりも「すみません」と言う人が多い。これに対して外国人が不思議がる。
日本人が、外国人が「ありがとう」と言うべきと思う場面で「すみません」と言ってしまったり、価値のあるものなのに「つまらないもの」と表現するのは、こういう愛の心がいつも裏側にあるからだと思う。
1.文中に「別の理由」とあるが、それは何か。A.相手に負担をかけるかどうかと心配している。 |
B.何か贈り物をすることで、将来何か見返りを期待している。 |
C.英語で「つまらない」という心に相応しい表現が見当たらない。 |
D.日本人は古来から何か好意を受けたらいつまでも覚えている習慣がない。 |
A.お土産を渡した時、いつも外国人に謙虚な姿勢を示す。 |
B.受けた恩にいつかお返しをしなければならないと思っている。 |
C.他人から何かをもらった時、将来何か見返りを期待している。 |
D.好意を受けたら、その次に会った時に謝る言葉が必ず話題になる。 |
A.すると | B.しかも | C.だから | D.つまり |
A.席の隣に立っている人に声をかけたかったため |
B.席の隣に立っている人に迷惑をかけてしまったため |
C.席を譲った人に迷惑をかけたと思ったため |
D.席を譲った人に負担をかけて謝罪するため |
A.「つまらないもの」の裏 | B.他人への思いやり |
C.日本人が不思議に思う言葉 | D.日本人の謙虚さ |
9 . 「最近の若者は…」という言葉は古代から言われていたが、インターネット全盛の現代にあっても変わらぬ流行を保っているようだ。私の少年時代に若者批判を浴びたのはテレビゲームだが、今度のやり玉(众矢之的)は「(ア)」とその中毒性があげられている。
子どもたちの学力に注視し続けてきた聡子さんは、「2017年以降、子どもたちの集中力は著しく低下しています。10秒程度で目の前のものに飽きてしまうのは今や当たり前のことのようになってしまっています。物事を表面的にしか捉えられない子どもが増えたし、理解力もかなり落ちている」と言った。その言葉には悲痛なものが含まれている。
また、教育の実態をよく知っている平塚俊樹氏は言った。「4時間も動画を見続けられるのは『集中力があるのでは?』と勘違いしそうになりますが、4時間ずっと何か一つの動画を見続けているわけではなく、15秒程度のショート動画がどんどん目の前で移り変わっていくのを4時間見続けているので、集中力は養われるどころか、失われていっています。」
私も20年ほど中高生の様子を間近で見てきたが、こうした印象を受けたことはない。学力の低下にしても、集中力の低下にしても「もの」が直接的な原因であることはほとんどない。それらはすべて人間が自分の判断で利用しているに過ぎないからだ。大事なのはコントロールをすること、本人が未成熟ならば保護者がそれを代替することが重要であって、「もの」を犯人にすることが根本的な解決にはない。そうしたやり方は進歩や技術を否定し、衰退の道を歩むことにしかならないのではないか。
1.文中の(ア)に入れるのに最も適当なものはどれか。A.テレビ | B.ゲーム | C.インターネット | D.ショート動画 |
A.2017年前より今の子どもたちの集中力は低くなってきた。 |
B.すぐ目の前のものに飽きてしまう子どもが多くなった。 |
C.物事を表面的に捉える子どもが少なくなった。 |
D.今の子どもたちの理解力が落ちている。 |
A.一つの動画を4時間ずっと見続けている。 |
B.4時間の動画をずっと見続けている。 |
C.一つの15秒程度のショート動画をずっと見続けている。 |
D.15秒程度のショート動画を何本も4時間見続けている。 |
A.ショート動画を見続けていること |
B.テレビゲームをやり続けていること |
C.ショート動画で物事に興味を失うこと |
D.ショート動画で集中力が低くなること |
A.若者を批判するのではなく、ショート動画を批判すべきだ。 |
B.ショート動画を責めるというより、やはり本人自覚の問題だ。 |
C.ショート動画のせいで子どもたちの学力や集中力が低下している。 |
D.インターネット全盛の現代では、若者への批判が深刻になってきた。 |
10 . 古文なんてもう使うことはないだろう……そんなふうに思っている人も多いのではないでしょうか。昔日本人が使っていた言葉や文章を勉強することで、今日本で使われている言葉や文章がより深く理解できるものだから、古文は勉強する意味があるのです。
例えば、一つクイズを出しましょう。現代において物事が終わる時に「けりをつける」という言葉を使います。では、この「けり」って一体どういう意味でしょうか?
これは実は、キックという意味の「蹴り」ではないんです。古文の中に助動詞で「けり」という言葉があり、古文の勉強でもよく文章の中には、「~にけり」のように、言葉の終わりに「けり」をつけることで「文の終わり」を示しているものがあります。今でも「けり」=「終わり」という意味で使われているのです。(ア)、古文を勉強すれば、現代の言葉を知ることにもつながるのです。
本来は今を生きる私たちの糧になるのが古文なのに、それを誰も伝えられないまま古文を勉強している人があまりにも多い。これは本当に悲しいことだと思います。この記事が、みなさんが「古文」という科目を捉え直すきっかけになってもらえれば幸いです。
1.文中に「そんなふうに思っている人」とあるが、それはどんな人か。A.古文を使わない人 |
B.古文を使いたい人 |
C.古文の勉強は重要だと思っている人 |
D.古文は勉強する必要がないと思っている人 |
A.キックする | B.何かを蹴る | C.結論を出す | D.効率を高める |
A.これから | B.このように | C.それなのに | D.そのうえに |
A.誰も古文の意味が分からなくて、伝えられないこと |
B.誰も古文を勉強したくなくて、伝えられないこと |
C.古文の重要性が分かっているのに、伝えられないこと |
D.古文を勉強しているのに、誰もその重要性を伝えられないこと |
A.今の日本語をできるだけ深く理解すべきだ。 |
B.糧である古文の重要性を再認識すべきだ。 |
C.今の日本語を勉強すれば、古文を知ることにつながる。 |
D.糧である古文を勉強している人が多いのは本当に悲しいことだ。 |