1 . かつて日本人の科学論文を英訳する仕事をしていたイギリスの物理学者が我々が ①思ってもいなかった問題提起をしたことがある。日本人の論文には「であろう」とい う文末がしばしば現れる。「AはBである。」とすべきところが「AはBであろう。」となっ ている。これではいかにも自説があやふやで、②自信がないように聞こえる。ところが 本当は論拠が不確かであったりしているわけではなく、「AはBである。」と同じ内容を 持っている。それなのに「AはBであろう。」としてある。こういう「であろう」は英 語に相当するものがなく、どう訳したらよいのかということであった。
これは当時、その学界(③)、広く知識人の間に強い衝撃を与え、学術論文の中の「で あろう」はたちまち見なくなった、正直な気持ちとしては、今でも「であろう」を付け 加えたいと思っている人は少なくないらしい。
やはり、「AはBであろう。」は「AはBである。」と違った意味を持つのではない。「A はBである。」というのに対する一つのバリエーション(变化)にすぎないと解するのが正しい。
「思われる」と「考える」外山滋比古 新編国語総合
1.①「思ってもいなかった問題提起」とは何か。A.「であろう」の意味は何か。 | B.「AはBである。」の意味は何か。 |
C.日本とイギリスの科学論文が違う。 | D.日本とイギリスの文末表現が違う。 |
A.日本人 | B.日本の科学者 |
C.イギリスの日本語学者 | D.イギリスの物理学者 |
A.に限らず | B.にすぎない | C.とともに | D.ともなって |
A.使いたくないから | B.衝撃を受けたから |
C.英訳できないから | D.自説があやふやと思われるから |
A.全く同じ意味を持つ。 | B.違う意味を持つ。 |
C.後者は前者の一種である。 | D.なんとも言えない。 |
2 . 現在衣生活が(44 )豊かになってきている。新しい傾向(45)、カタログやインターネットによる通信販売が人気になりつつある。これは、服の購入においては、 新しい方向性を示すものである。
形やサイズについては、あまり選択肢が多いとはいえない。(46 )、便利さや着やすさ、購入のしやすさなどで、これからも増えていくことが考えられる。これは、私たちが衣生活に求めるものが変わってきている(47 )を意味している。実際に販売店に足を(48 )ことに困難がある人々にとって、通信販売はとても便利である。
1.A.いよいよ | B.ようやく | C.ますます | D.とりわけ |
A.について | B.と比べて | C.としては | D.にしては |
A.つまり | B.しかし | C.さらに | D.だから |
A.こと | B.わけ | C.もの | D.はず |
A.進む | B.運ぶ | C.行く | D.歩く |
3 . 今山形県では耕地面積がほんのわずかながら減少して、①山が増えていると思う。それは農業の近代化の(②)、利益にならない畑などが見捨てられ、もう一度山に返っているかららしい。農業の大型化、機械化という人工の技術が、逆にもともと山だった畑をもう一度山に戻していると聞いて、なるほどと思った。
人間は必然的に自然を人工化し、自然を巧妙に人工の風景に変えてゆく。それが人間が豊かに住むための新しい環境なのだとすれば、止めることはできまい。そうして、いつの間にか、山などの土地は人間の目的に従った人工の風景に変わってゆく。
しかし、人の手がちょっと抜けると、山はすぐに元の姿に返ってゆこうとする。③人間と自然との勝負は決まってはいないのだ。自然の復元力というのが、今でもひそかに働いていることを知って、④私は少し安心した。
『自然と人工』多田富雄 新編国語総合
1.①「山が増えている」原因にならないのは次のどれか。A.農業の近代化 | B.農業の大型化 | C.農業の機械化 | D.自然の人工化 |
A.おかげで | B.せいで | C.わりに | D.くせに |
A.人工の風景は手入れしなければ、元の姿に戻ってしまう。 |
B.人工の風景は手入れさえしなければ、元の姿に戻らない。 |
C.人工の技術さえあれば、簡単に自然を変えることができる。 |
D.人工の技術がなくても、人間は自然の力に勝つことができる。 |
A.人間との自然の勝負は決まってはいないから |
B.自然の復元力が今でも役割を果たしているから |
C.自然の復元力を知って、自分も働いているから |
D.自然が必然的に人工化され、人工の風景に変えたから |
A.耕地面積が減少したのは人の数が減ったからである。 |
B.耕地面積が減少すると自然の力がさらに強くなる。 |
C.人工の力と自然の力は常に対等に戦い合っている。 |
D.人が手入れすることによって自然の復元力を失う。 |
4 . 芸術というのはすべてを超えて、わたしたちに同じ人間だということを気づかせて、その美しさやきれいさを伝え、理解させることができるものです。
その一つの例として、和花のことを考えてみましょう。和花、つまり日本の花は、日本にしか育たない花です。日本の風土が、環境が、そして日本の水が、風が、日本の才リジナルの花を作るわけです。(①)、この和花の良さがわかるのは、日本人だけでしょうか。そうではなくて、日本以外のほかの国の人々でも、この花を見たときに美しいと感じるかもしれません。
花に限らず、絵についても同じことが言えます。例えば、ピカソ(毕加索)はスペインで生まれて、スペインで育って、パリに出て勉強した人です。けれども、ピカソの描いたものがどれだけ心温まる世界なのか、同じ人間というレベルでとても正確に理解できるのではないでしょうか。
生まれるところはとても②土着的で、風土的なものでしょう。しかし、人間としてすベての人が同じようにその良さがわかります。これが芸術なのです。
1.(①)に入れるのに最も適当なものはどれかA.しかし | B.ただし | C.それに | D.それから |
A.ピカソはスペイン人である。 |
B.ピカソは有名な画家である。 |
C.ピカソの絵は心温まる世界である。 |
D.ピカソの絵の良さは、同じ人間というレベルで理解できる。 |
A.土地に着いたもの | B.その土地ならではのもの |
C.個人的なもの | D.特別なもの |
A.日本の花である。 |
B.日本にしか育たない花である。 |
C.日本人だけがその良さがわかる。 |
D.日本人以外の人々もその良さがわかる。 |
A.日本の和花 | B.ピカソの絵 | C.芸術とは何か | D.芸術と生活 |
5 . 子供たちは、春休みに入り、7ヶ月(44 )に岩手の祖母のところに行く準備をしています。宿題もなく、それに今年は三人ともそろって卒業も入学もないため、気軽な春休みです。(45 )岩手の旅も手足を(46 )存分に楽しむことができます。次女もみんなといっしょに旅ができるのはうれしいのですが、ただひとつ(47 )があるとすれば、往復の特急の窓が開かないことです。それを(48 )、次女はさびしくなってしまいます。
『新編国語総合春は夜汽車の窓から』1.
A.ぶり | B.たび | C.ごと | D.おき |
A.だから | B.それに | C.もっとも | D.つまり |
A.飛ばして | B.伸ばして | C.曲げて | D.動かして |
A.望み | B.苦しみ | C.悩み | D.喜び |
A.見れば | B.聞こえて | C.すると | D.思うと |
6 . 日本では、電車に乗るという場面でも、①一定のタイドが要求される。「白線の内側に二列に並んで、前の人から順序よくお乗りください」という拡声機の指示に従って、電車が来る前から、それなりの構えを示し、いざ電車が来ると、人の足を踏もうと人を押しのけようと、迅速に乗り込まなければならない。そこでも一定の演技が要求されていることは明らかだ。勝手な方向に向かって立っていたりしては乗せてもらえない。白線がホームだけでなく日本中の道路に引かれている上に、いろいろな指示が拡声機から間断なく流され、またそこら中に表示してある——「白線の内側まで下がってお待ちください」だの、「危ないですから駆け込み乗車はやめましょう」だのと、車内でも、「吊り革や手すりにおつかまりください」「戸袋に手を引き込まれないように」と念を押してある。ところが、たいていの外国では、拡声機からの指示もなければ注意書きもない。電車を待っている人たち一定の構えを示すということもない。そんなことにまで一定の形が要求され、それが当然とされるのは、一言で言えば、均質志向のせいである。たいていの外国では、人々が宗教や民族や階級による多様性に富んでいて、まともに一定の形を要求することなどできるわけがない。ところが、日本人は自分と他人を比べて、②「人のフリ見て、わがフリ直せ」という。フリというものは厳密に規定されていて、それから外れるのが許されないということであるフリやタイドにおいて逸脱していると見られるならば、学校においてはイジメの対象にされてしまう。普通よりちょっと動作が鈍いとか、給食を食べるのが遅いというわけで、いじめられることになる。そういう子供は仲間からいじめられるだけでなく、先生からもしょっちゅう注意されるということが多い。子供の個性を見て伸びと育てるのではなく、型に入れるというのが教育の根本とされている以上、不可避的に起こることと見られる。これが日本のシッケ共同体の一端であり、日本を支えると 縛っているのだ。
1.①「一定のタイド」にあてはまらないものはどれか。A.指示に従い、構えを示すこと |
B.白線の内側に二列に並ぶこと |
C.人を押しのけて迅速に電車に乗り込むこと |
D.勝手な方向に向かって立つこと |
2.②「人のフリ見て、わがフリ直せ」とあるが、ここでいう「フリ」の意味で最も適当なものを選びなさい。
A.洋服 | B.態度 | C.スタイル | D.顔 |
3.日本の「シッケ共同体」からどのような教育が生まれるか。正しいものを選びなさい。
A.自分と他人を比べられる子に育てる教育 |
B.学校でいじめのない教育 |
C.個性をのびのび育てる教育 |
D.子どもを型に入れる教育 |
A.同時に | B.だけに | C.ことに | D.わりに |
5.この文書の内容と当てはまるのは次のどれか。
A.虐められないように周りの皆と同じことをすればいい |
B.規定されているフリを準ずれば、少なくとも学校ではいじめの対象にならない |
C.個性を持つ子どもは学校ではよく先生に褒められることが少なくない |
D.型に入れるのは日本のシッケ共同体の一端の一つとして、日本を支えるつつある |
7 . 子供に食事のマナーを教えるときは、「~すべきである」「~しなくてはならない」というように、自分の考え方を押し付けるのでは子供たちは納得しません。子供たちは、「美しい食べ方をしていると、人から「素敵だ」とか「かっこいい」とか思われる」という体験を通して、美しいマナーの意味を納得するのです。それには、家庭や学校などの集団の中で、子ども自身に自分のありようを意識させることです。そして、きれいで美しい食べ方ができたときには「きれいにたべられたね」「かっこよく見えるよ」とほめてあげましょう。子供はほめられたことで「またこのようにしてみよう」と思います。こうして(中略)美しいマナーが習慣となり、その場に応じた美しい自己の振る舞いを身につけていくことができるのでしょう。ところで、皆さんは食事のマナーが成立するには他者の関係が不可欠であることにお気づきでしょうか。人は人前で食事をするとき、一人で食べるよりもそれなりに整った食べ方をしようとするものです。それは「自分をよく見せたい、人からよく見られたい」という気持ちが根底にあるからです、だから食事のマナーを身につける必要性が自然に生ずるのです。
、一人で食事をするときは、食事のマナーを感ずることが少ないのではないでしょうか。近頃の家庭に多く見られる「子供の孤食」は、子供適切なマナー観を身につけさせるという意味においても考慮すべき問題であるといえるのです。
1.子供に食事のマナーを身につけさせるために筆者が進めているのは、どれか。A.親の考え方を子供に押し付ける |
B.時々、一人で食事をさせるようにする |
C.子どもが美しく食べたときにほめてやる |
D.子どもにマナーの意味を説明して納得させる |
2.子供が一人で食事をする「孤食」について、筆者はどのように考えているか
A.一人で食事をしていると正しいマナーが身につきにくい |
B.一人で食事をすることで適切なマナー観が身についていく |
C.人は一人で食べるときの方が正しい食べ方を使用する |
D.一人で食事をするときでも正しいマナーで食べなければならない |
3.「自分のありようを意識させる」とあるが、どういうことか。
A.自分のふるまいがきれいかどうかを意識させる |
B.ほかの人に自分が迷惑をかけているのだと意識させる |
C.ほかの人から見て自分が美しく見えているのだと意識させる |
D.家庭や学校などの集団の中で自分の置かれている立場を意識させる |
4. に入る、最も適当な言葉はどれか。
A.それで | B.そして | C.ただし | D.一方 |
A.食事を美しい食べ方 | B.自分のありようを意識すること |
C.栄養と料理 | D.子どもの孤食 |
8 . 克服することが難しい障壁があるとき、当初の目標の達成を断念して、その代わりに、元の目標と類似したほかの目標を達成することによって、要求の充足を図ることを代償行動という。テニスが雨のためできなくなるとピンポンをしたり、A社に入社できなかった学生が、それと同じ系統のB社に入社して満足するようなものである。A子との恋が実らなかったので、A子にどことなく似たところのあるB子と親しくなったというのも同じである。以上のようなときBはAに対して①代償価を持つという。BがAに比べて達成するのが非常に容易であったり、価値的に低いものであれば、Bを達成してもAに対する代償にはならない。BがAに類似し、Bを得ることの困難度が、Aを得ることの困難度よりも大きいか、違いがないときに代償価は大となる。 、( ② )気持ちになるのである。
しかし代償行動はいつでも生ずるものではない。当初の目標を指向する要求が強く切実な場合には代償行動による満足は生じがたい。ただのあぞび相手ならそれを失ってもほかのものによって代償満足が得られても、真剣な恋の場合にはほかの人では変えられないのである。③ほかの人でも代わりになるような関係であれば、本当に好きとはいえないのである。
1.「そのかわり」とはどんなことか。A.もとの目標を断念すること |
B.障壁を越すこと |
C.克服が出来ず目標をギッブアップすること |
D.克服の道で困難あり、最初の目標をギッブアップすること |
2.「代償価をもつ」を表している発話の例として最も適当なものはどれか。
A.「本当はあっちがほしかったんだけど、ちょっと手が出ないな。しかたがない、 こっちで我慢しとこうか。これもけっこういいね」 |
B.「本当はあっちがほしかったんだけど、こっちでもいいかと思って、こっちにしちゃった。でも、これじゃ、やっぱりだめだね」 |
C.「本当はあっちがほしかったので、ほかのものには目もくれずに、ずっと我慢していたんだ。よかったよ、待っていて」 |
D.「本当はあっちがほしかったんだけど、実はこっちにも目をつけていたんだ。どっちも手に入るとはね」 |
3.( ② )に入るものはどれか。
A.Bを得たことでAを失ったような |
B.Aを得たことでBを失ったような |
C.Aを得たことでBを得たような |
D.Bを得たことでAを得たような |
4. に入る、最も適当な言葉はどれか。
A.つまり | B.しかし | C.なのに | D.ところで |
5.③「ほかの人でも代わりになるような関係」とはどんな関係か。
A.代償行動の要求を強く持つ関係 |
B.代償行動では満足できない関係 |
C.代償行動で満足できる関係 |
D.代償行動に至らない関係 |
9 . この町では4月の上旬から中旬 44 、チューリップ祭りが開かれます。けれども、祭りがある 45 、チューリップを育てている人が多いわけではありません。花をどこかから持ってきて 46 祭りはできないのですが、最近はこの祭りが評判を呼んで、日本一の生産量を誇る富山 47 、全国各地のチューリップ産地から花が集まるようになったそうです。今では、300種類100万本とその本数の多さにかけては、全国1、2位を争うほどです。そういえば、チューリップで有名なオランダの都市と姉妹関係に48 。この祭りにかける町の意気込みはますます強くなっていきそうです。
1.A.にわたって | B.にかけて | C.にあたって | D.につれて |
A.からすると | B.からには | C.からして | D.からといって |
A.植えた折には | B.植え以来 | C.植えてからでないと | D.植える以上 |
A.にて | B.をめぐって | C.において | D.をはじめ |
A.あるのだとか | B.あるまい | C.あるものだ | D.あってこそ |
10 . 留学生の一人にポールというギターの達人がいる。
ギターを弾くのが上手というだけでなく、どんな曲を聞いても、その曲に合わせて伴奏してしまうのだ。その音程の確かさ、リズム感は、まさに①舌をまく。
彼が誰よりも確かな日本語の発音を身につけたとしても、驚くことはないだろう。(②)、言葉はリズムそのものだからだ。日本語は、アクセントの高低を聞き分け、使い分ける能力を必要としている。イギリス人のポールにとっては、母語の英語は強弱でアクセントをつける言葉、だから「よこはま」も「ヨコハーマ」のように「八」にストレスをおいて発音をしても不思議ではないのだが、まるで日本人のように「よこはま」と口をついて出る。
「だって、駅に着くたびに、車内アナウンスがうるさいくらい、『まもなくヨコハマ、ヨコハマです』というでしょう。誰でも真似できますよ」③ポールは笑いながらそう言うが、いったん身につけた母語の発音習慣というものは、そう簡単に変えられるものではない。それが証拠に、日本人の英語はいつまでたってもカタカナを読んでいるようになってしまうではないか。
『外国語としての日本語』
1.①「舌をまく」とあるが、その理由は次のどれか。A.ポールが留学生だから | B.ポールがギターを弾けるから |
C.ポールはギターが上手だから | D.ポールは日本語が上手だから |
A.しかし | B.それでも | C.だから | D.なぜなら |
A.ヨコハマ | B.ヨコハーマ | C.ヨコーハマ | D.ヨコハマー |
A.車内アナウンスがうるさいと思っているから |
B.誰でも車内アナウンスで真似ができると思っているから |
C.身につけた母語の発音習慣が簡単に変えられないから |
D.日本人の英語はカタカナを読んでいるようだから |
A.母語の発音習慣はそう簡単に変えられるものではない。 |
B.言葉にリズムはそれほど重要ではない。 |
C.日本語は強弱でアクセントをつける言葉である。 |
D.日本人は英語を話す時よくカタカナを読んでいる。 |