1 . 私たちの時間の感覚は、人 1 かなり違う。電話でよく「少々お待ちください」と言って待たされる。3分待たされたとすると、 2 人の感覚ではその3倍、9分ぐらい待たされた 3 。この時、 4 方は実際が3分でも、その3分の一の一分ぐらい 5 感じないのだ。 6 待たせた人と待たされた人の時間感覚の差は 7 倍にもなるのだ。そのことをよく承知した 8 「お待たせいたしました」を言わないと、お客さまを不快にさせることになる。本来、時間 9 日本人の感覚は、極めて神経質だと言われる。交通機関のダイヤ(时间表)の正確さなどにもそれがよく表れている。
10 、その反面、日本語の中にはきわめて曖昧に時間を伝えることばが数多くある。「しばらくお待ちください」「のちほどお電話さしあげます」「まもなく着くと思います」「少々時間をください」などの言い方は日常的によく使われている。
1.( )A.にとって | B.によって | C.につれて | D.に対して |
A.待たされた | B.待たせた | C.待たれた | D.待った |
A.気になる | B.気にする | C.気がする | D.気がある |
A.待った | B.待たせた | C.待たれた | D.待たされる |
A.だけ | B.と | C.も | D.しか |
A.だから | B.しかし | C.すると | D.つまり |
A.3 | B.6 | C.9 | D.2 |
A.うえで | B.うちは | C.うえに | D.うちに |
A.にたいする | B.にとって | C.によって | D.にともなって |
A.したがって | B.いずれにしても | C.ところが | D.要するに |
2 . 近日、 1 (有名)小林製薬が製造したサブリメント「紅麹コレステヘルブ」 2 摂収した人に健康被害が出ている問題で、これまでに4人が死亡。入院患者は106人、同社 3 の相談メールは3600通以上になる。
小林製薬が使用中止を呼びかけているのは3種製品だが、それ以外の「紅麹」関連商品 4 自主回収も相次いでいる。小林製薬と直接取引のある52社の他にも、商社などを通じて 5 (仕入れる)た170社以上の会社が、小林製薬の「紅麹」が原料というだけで、 6 (多い)の小売店から関連商品を回収したり、購入者に対し返金に応じている。
小林製薬の突然の「使用中止」の公表は、取引先企業にとってはまさに寝耳 7 水だった。
小林製薬に最初の症例が 8 (報告)されたのは、今年1月15日。その時点で消費者の健康被害を 9 (把握する)ながら、同社が記者会見で製品の自主同収を 10 (はっぴょう)したのは、2カ月が経過した3月22日の夕方だった。
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3 . 五体満足でさえいてくれれば、どんな子でもいい。
これから生まれてくる子どもに対して、親が馳せる想いはさまざまだろうが、最低限の条件として、上のような言葉をよく耳にする。
だが、ボクは五体不満足な子として生まれた。不満足どころか、五体のうち四体までがない。そう考えると、ボクは最低条件すら満たすことのできなかった、①親不孝な息子ということになる。
だが、その見方も正しくはないようだ。両親は、ボクが障害者として生まれたことで、嘆き悲しむようなこともなかったし、どんな子を育てるにしても苦労はつきものと、意にも介さない様子だった。②何より、ボク自身が毎日の生活を楽しんでいる。多くの友人に囲まれ、車椅子とともに飛び歩く今の生活に、③何ひとつ不満はない。
ある意味、仕方のないことなのかもしれない。だからこそ、声を大いにして言いたい。「障害を持っていても、ボクは毎日が楽しいよ」。健常者として生まれても、ふさぎこんだ暗い人生を送る人もいる。そうかと思えば、手も足もないのに、毎日ノー天気(物事を深く考えない、単純な行動をする人やその様子)に生きている人間もいる。④関係ないのだ、障害なんて。
そうしたメッセージを伝えるためにも、この本のタイトルをあえて「五体不満足」という、少々、ジョッキングなものとした。五体が満足だろうと、不満足だろうと、幸せな人生を送るには関係ない。そのことを伝えたかった。身体に障害をお持ちの方で、この「五体不満足」というタイトルを見て、不快に感じた方もいらっしゃるかもしれないだが、⑤そうしたボクの意図に、理解を示していただければありがたい。
1.筆者はなぜ自分を①「親不孝な息子」だと言うのか。A.障害者として生まれたことに常に嘆き悲しむから |
B.多くの友人に囲まれ、車椅子とともに遊び歩くにもかかわらず、今の生活に不満を持っているから |
C.親が生まれてくる子供に期待する最低限の条件さえ満たすことができずに生まれたから |
D.五体満足の人とほとんと接点を持たずに過ごしてきたから |
A.自分が障害者として生まれたことに両親は少しも意に介さないこと |
B.自分の考え方が正しくないこと |
C.子供を育てることは苦労が多いこと |
D.自分は親の最低限の希望をも満たすことができなかったこと |
A.親が馳せるさまざまな思いを満たしたから |
B.五体満足の人より充実した生活をしているから |
C.中絶をさせられずに生まれてきたから |
D.親と多くの友人に暖かく愛され毎日楽しく幸せに暮らしているから。 |
A.楽しい生活は親と関係ない |
B.楽しい生活は五体満足かどうかと関係ない |
C.筆者は暗い人生を送る人と関係がない |
D.暗い人生を送る人はノー天気に生きている人と関係ない |
A.自分が親不孝な人ではないと人々に証明したい |
B.もっと五体不満足の人を大事にしなさいと人々に訴えたい |
C.幸せな生活は五体が満足か不満足かと関係ないと人々に知らせたい |
D.親は五体不満足な子供を抱えるのは大変なことだと人々に話したい |
4 . 昼夜に関わらず、一つに専念している人は科学者や研究者に限らず、一般の庶民にも持つ権利である。しかし、夢中になりすぎると、普段の生活に被害を及ぼし、自分の身が危険に陥ることも珍しくない。それには本人は止めようとはしない。いや、止めるのができないということはまさに恐ろしい。そういう現象は医学者に「XX依存症」と名付けられている。
文字どおりに、「XX依存症」は一度ある物事から離れたら、すぐ不安になったり、いらいらしたりして、身体及び精神にも異常が生じる状態と指す。その意味では、またの名(别名)は「XX中毒」である。現代人はまるで「XX依存症」と共存しているようで、「インターネット依存症」を始めとして、「アルコール依存症」や「ファストフード依存症」などはすでに日常生活にはありふれた現象となった。依存症は個人の健康にも普段の生活にも差し支え(阻碍)があることは承知の上だが、なかなか根治できないことも事実である。(ア)、依存症そのものは身体的な病気ではなく、心理的な病気であるからだ。
依存症に関しては、様々な治療法がある。その中で、電撃療法は人間性に悖る嫌悪療法として、よくマスコミ(大众传媒)に報道されている。とにかく、依存した物事との結びを乱暴に切ってしまうより、まず精神科医と相談し、別のことに注意力を移したほうがよさそうだ。人間の生きる数十年はほんの一瞬にすぎないからこそ、どんな物にも囚われることなく、自分の心にしたがって悔いのない人生を送るべきだ。
1.文中に「珍しくない」とあるが、何を指すのか。A.一般の庶民にも持つ権利のこと |
B.夢中になりすぎると、自分の身が危険に陥ること |
C.一つに専念している人のこと |
D.依存症は危険ですが、本人は止めようとしないこと |
A.食事や睡眠をしないで、オンラインゲームをする。 |
B.テストの前は、徹夜してインターネットで資料を調べる。 |
C.地下鉄に乗る時、人目を避けるために携帯で音楽を聞く。 |
D.朝から晩まで、コンピューターで会社のネット会議をする。 |
A.ところが | B.すなわち | C.なぜなら | D.そのうえ |
A.一時的に携帯を没収する。 | B.携帯の使用時間を制限する。 |
C.携帯を使用すると罰を与える。 | D.運動などのことをやって注意力を移す。 |
A.依存症になってもかまわなく、自分の心をちゃんと開く。 |
B.依存症は心理的な病気だから、電撃療法を選んだほうがいい。 |
C.物事に囚われることなく、自分の心に応じて自分なりの生活を送る。 |
D.依存症は根治できない病気だから、ほっといても大きな問題ではない。 |
5 . 子供には大きく分けて2つのタイプがあり、そのタイプに合ったやり方で研究をしないと、人は積極的に行動しないのです。
一つ目のタイプを「マルチタスク型」と言います。マルチタスク型の人は、その名のとおり、比較的何でもマルチにこなしていきます(精通)。中学校で全科目いい点数を取る生徒といった子は、このタイプが多いです。満遍なく(普遍)できるということは裏を返すと、集中力がなく分散型だということでもあります。
このタイプの集中力のなさは本来「才能」であり、将来の職業とも関係している場合があります。集中力があると周囲に気を配ることができません。例えば、学校の先生は40人の子供たちを相手に指導します。もし集中力のある先生だったら、目の前の生徒しか見えず、全体の子供たちへ気を配ることは難しいでしょう。集中力がないからこそ、広く気づくことができるという才能を持っているのです。しかし、子供の頃は集中力がないことがデメリット(缺点、短板)になることが(ア)。勉強は集中力が求められるからです。
このマルチタスク型の行動基準、価値基準は「損得」です。損か得かを判断基準として動く傾向にあるのです。損得で動く子は、無駄が嫌いで、面倒くさいという言葉を発したりします。しかし、無駄が嫌いであるということは効率性を好むということを意味します。(イ)、方法論、やり方、スケジュールなどが大好きです。それは秩序を好むということでもあります。合理化でき、自分が得するということが分かれば、動きます。
1.この文章によると、マルチタスク型の人が先生になったら、どうなるが。A.集中力のある先生だから、目の前の生徒しか見えない。 |
B.集中力のある先生だから、全体の子供たちへ気を配ることができる。 |
C.集中力がないからこそ、40人の子供に気を配ることができる。 |
D.集中力がないからこそ、広く気づくことができない。 |
A.少なくありません | B.少なくない | C.多くない | D.多くありません |
A.損得をあまり考えることなく行動する。 |
B.面倒くさいことを恐れないで、地味に努力する。 |
C.無駄なく効率的な方法で自分に得することをやる。 |
D.スケジュールなどに従って行動するけど秩序が嫌だ。 |
A.だから | B.それなのに | C.ところで | D.そのかわり |
A.損得を行動基準や価値基準にするタイプを紹介する。 |
B.好きなことを徹底して集中的にするタイプを紹介する。 |
C.何でもマルチにこなしたタイプを紹介する。 |
D.きちんと計画を立ててから動くタイプを紹介する。 |
6 . 生まれつきの脳性麻痺によって、小学校三年生の時から、指以外には体全体の筋肉が萎縮して動けなくなった。それ以来、柔らかいベッドに横になったり、身長に応じた特製の車椅子に座ったりして、一見すればのんぴりした「牢獄生活」が続く毎日だ。あの時の僕はまだ幼くて、世間知らず(不谙世事)のせいか、母の悲しそうな顔しか覚えなかった。
13歳の時、中学に進学するつもりだったが、周りの人からかわいそうな目を浴びて、恥辱のあまりに中退することにした。家に戻り、終日暗くて小さい部屋に閉じこもって、自分を外の世界から隔てようとしていた。(ア)なことに、食事をすることも便所へ行くことも、母の援助がなければ自分の不自由な手足だけでは無理だった。
あれから、窓越し(透过窗户)の世界は手の届かない存在になった。息子の寂しさと悲しみを紛らわすために、仕事から帰った母はいつも外の面白いことを詳しく語った。僕は何の表情を見せずに無関心の様子をしていた。実はこの目で見たくて、外に出かけてみようと思った。(イ)、しばらく外に出るのが怖くて、現実から逃げようとする気持ちも変わらなかった。
去年のお正月は、花火がいつもの年より鮮やかに夜空に咲いた。窓の隅から見る空は非常にきれいだった。母はそっと部屋に入り、じっと私のそばに立っていた。「外に出ようよ!」と母は私を励ましてくれた。僕は何も言わずに、ただ母に頷いた。不自由な手足でも、外にさえ出てみれば、誰とも同じように花の匂いも太陽の日差しも感じられるのだ。
1.文中に「牢獄生活」とあるが、実際にどんな生活を指すか。A.牢獄に囚われる生活 | B.母に監視された生活 |
C.のんぴりした生活 | D.脳性麻痺による生活 |
A.幸い | B.不思議 | C.残念 | D.嬉しい |
A.だから | B.そこで | C.すると | D.しかし |
A.筆者は外に出るのが怖くて、現実から逃げようとした。 |
B.筆者は外に出ることができないから、母の話に怒った。 |
C.筆者は外に出てみようとした。 |
D.筆者は外に出てみたくなかった。 |
A.脳性麻痺の紹介 | B.不自由な手足でも |
C.車椅子の使い方 | D.真面目なお母さん |
7 . 和歌は日本で最も古くから行われている詩歌形態で「大和歌」「倭歌」とも書きます。「万葉集」の題詞から見られると、「和歌」は応答歌、唱和歌の意味に用いられているが、後に「和歌」のいずれの名前を書いても、漢詩に対する日本の歌を意味するようになりました。実際にその指すところは短歌であることがほとんどだが、長歌、旋頭歌、片歌などの伝統的定型詩をも含めて、和歌と呼んでいます。ただし長連歌、狂歌、川柳風狂句は定型の古典詩だが、和歌には含まれません。
和歌が現われる以前に、感情の高まりから発せられた叫びや掛け声などが次第に成長して、祭りや労働の際に集団で歌われるようになった歌謡があったと言われるが、多くは文字に(ア)失われてしまったということです。それらの歌謡が現在見られる五音七音をもって構成される和歌となるまでには、その形式に様々な過成や変遷を経たと見られます。
現在、作者の心情や深い趣を出すために、枕詞や掛詞といった技法を巧みに用いるのも和歌の特微の一つです。
1.「和歌」の名前に合っていないものはどれか。A.大和歌 | B.倭歌 |
C.和歌 | D.応答歌 |
A.片歌 | B.短歌 |
C.長歌 | D.長連歌 |
A.記される |
B.暗記される |
C.記されることなく |
D.暗記されることなく |
A.長歌、旋頭歌、片歌などの伝統的定型詩 |
B.感情の高まりから発せられた叫びや掛け声 |
C.祭りや労働の際に集団で歌われるもの |
D.五音七音をもって構成される和歌 |
A.和歌の意味は漢詩に対する日本の歌 |
B.和歌は伝統的定型詩と定型の古典詩を含める |
C.労働の際に集団で歌われる歌謡の形式が様な過成を経て和歌となる |
D.和歌は枕詞や掛詞といった技法を巧みに用いる |
8 . みなさんはスマートフォンを持っていますか。スマートフォンでどんなことをするのが好きでしょうか。現在、日本の高校生の間で、スマートフォンが普及しています。2016年の「高校生のスマートフォン利用実態調査」によると、スマートフォンの所有率は93%です。日本の高校生が100人いれば、90人以上がスマートフォンを使っていることになります。2014年に比べて、13.5%も上がっています。「初めて買った携帯電話がスマートフォンだ。」という高校生も珍しくなくなりました。彼らがスマートフォンでしていることは、「LINE(92.1%)」、「インターネット(88.8%)」、「音楽を聞くこと(77.7%)」が多いです。LINEは、インターネットを使って、メッセージを送信したり、無料の電話をしたりすることができるSNS(social networking service)です。中国のWeChatと機能が似ています。
(ア)、高校生がスマートフォンで、遊んでばかりいるとは言えません。38.5%の高校生が「勉強にも活用している」と答えています。しかし、ほとんどの高校には、スマートフォンの使用に関する規則があります。そのため、授業中はスマートフォンが使えない高校が多いです。
スマートフオンが普及する一方で、今までには起こらなかった問題が起こっています。そのひとつがお金に関する問題です。十分な知議がなくて、詐欺にあったり、有料のサイトに登録して、高い金額を請求されたりする問題が起こっています。また、SNSを通して、住所などの個人情報か流出したり、いじめが起こったりすることも大きな問題です。9%の高校生が「自分の個人情報を掲載することは危険だ。」と考えているのに、実際は、その中の80%が「個人情報をSNSに掲載している。」と答えています。
1.2016年の「高校生のスマートフォン利用実態調査」によると、わかったのは次のどれか。A.日本の全ての高校生はスマートフォンを使っている。 |
B.2014年に比べて、13.5%も上がった |
C.日本の高校生はスマートフォンで音楽しか聞かない。 |
D.「初めて買った携帯電話がスマートフォンだ。」という高校生は少ない。 |
A.そこで | B.それで | C.つまり | D.しかし |
A.無料電話ができる。 |
B.メッセージを送ることができる。 |
C.遊んでばかりと言えない。 |
D.いつでもどこでも自由に使える。 |
A.個人情報の流出 |
B.メッセージを発信するという問題 |
C.ネット上のいじめ問題 |
D.金銭についての問題 |
A.日本の高校生は2014年にはスマートフォンが普及していた。 |
B.ほとんどの高校には、スマートフォンの使用に関する規則がある。 |
C.スマートフォンの普及するによって、お金に関する問題だけ起こった。 |
D.個人情報を掲載するのは危険だと日本の高校生が知っているから、皆個人情報をよく保護している。 |
9 . 人間の脳の活動と「情報の意味化」において、文字メディアとテレビのような映像メディアとは根本的に(①)。
文字メディアの場合、まず文字を、そして読むことを学び、習得しなければなりません。また、文字というそれ自体は具体的な「像」を持たない記号の羅列である文、文章から場面や状況や内容を自分自身の頭の中で具体化しなければならないのです。自分自身による「想像」「組み立て」の作業が必要なのです。そのためには「心の眼」が不可欠です。
(②)、テレビのような映像メディアは、具体的な像を音声つきで与えてくれます。自分自身による「想像」のような作業は不要なのです。したがって、その分、知識の増量は容易で迅速でもあるわけです。
この「想像」の作業が必要であるか否かは、脳の活性化、智慧の発達の事を考えれば、決定的な違いです。ITの発達によって、人間は知識を飛躍的に増したのですが、それに比例にして智慧を低下させたように思われるのです。智慧は自分の頭で考えることによって身につく能力だからです。ちなみに、「知識」は「ある事項について知っていること」で、「智慧」は「物事の道理を悟り、適切に処理する能力」です。
1.(①)のところに入れるもっとも適切な言葉はどれか。A.同じです | B.異なります | C.似ています | D.容易です |
A.ところが | B.それで | C.つまり | D.そして |
A.映像メディアは「想像」のような作業が多い。 |
B.文字メディアの場合、知識の増量が映像メディアより容易で迅速である。 |
C.映像メディアは、具体的な像を与えてくれるので、文字メディアのような「心の眼」が要らない。 |
D.脳の活性化においては、映像メディアは文字メディアと同じ役割を果たしている。 |
A.「想像」のような作業は不要なのだ。 |
B.テレビのような映像メディアは智機与えてくれる。 |
C.「物事を適切に処理する能力」なのだ。 |
D.ある事項についてよく知っていること。 |
A.「想像」作業は脳の活性化や智慧の発達と無関係である。 |
B.ITの発達によって、人問は知識を飛躍的に増したと同時に智慧も発達してきた。 |
C.映像メディアの発達により、人間は文字を読むことを習得す必要がなくなった。 |
D.自分の頭で物事を考えることは減れば、人間の智慧も低下する。 |
10 . わたしは漫画家なので、人のわずかな動作に好奇心を持つ。だから、わたしが外国で失敗をすると、すぐ、その国の人々がわたしに見せる反応を敏感に感じてしまうようだ。
①、私たち日本人がスープをズルズル音を立てて、飲んでいるのを見て、欧米人や中国人が嫌な顔をしたのを何度も見たことがある。日本人は昔、畳の上に座って、低いおぜん(テーブル)で食べていたので、食器が口から遠かった。②、お碗も口元へ持ってきて吸う習慣がついた。だから、音が立ってしまう。これは、どっちのほうが文化が高いとか、低いとかいうことではなく、その国々の習慣やマナーが違うだけのことである。
日本人がイスとテーブルの食事をするようになったのは、1960年ごろからのことで、まだ、膝を組んで食べる者もいる。外国人は嫌な顔をするだろう。韓国の女性は座るとき、片膝を立てる。私はとても美しいと思うが、両膝をそろえて座る習慣の日本女性は、嫌な顔をするだろうし、韓国女性は正座がいいとは思わない。
1.文中の①のところに入れるのに、最も適当なものはどれか。A.つまり | B.たとえば | C.そのうえ | D.ところが |
A.それに | B.それでも | C.それで | D.それから |
A.わたし | B.外国人 | C.欧米人 | D.中国人 |
A.欧米人や中国人がイヤな顔をしたこと |
B.日本人が昔、低いおぜんで食べていたこと |
C.日本人がお碗をロ元へ持ってきて吸うこ |
D.日本人が音を立てて、何かを飲こと |
A.わたしは外国で生活しているので、よく失敗をする。 |
B.いやな顔をされたので、外国のことがすきではない。 |
C.人々の動作や行為は、その国の習慣と儀礼に関わる。 |
D.韓国女性の座り方は日本人の正座より美しいと思う。 |